#1 その名は「天藍堂」
出発進行!
そこは月の出と共に始まる不思議な店だった。
毎夜、開店時刻が微妙にズレてゆく。
今宵は満つる月の夜。
望月の月の出の時刻は16時24分。
月の入りの時刻は6時50分。
これが、この日の開店から閉店までの営業時間である。
「天藍さまぁ、お店開けますよぉ」
なんとも呑気な声音をあげて開店を告げたのは、店の少女スタッフである。
「紅玉。もっと張りのある声を出せないかねぇ。君は•••」
店のオーナーである天藍が呆れた声をあげた。
「天藍堂」テンランドウ。
それがこの店舗の名前と云えようか。
店主の名前「京極天藍」キョウゴクテンランが店名の由来でもある。
「だって、開店してもきっとお客さんなんて来やしませんよ」
事も無げに紅玉が無慈悲な返答を口にする。
「ヒドイ。ひどすぎる。それが雇い主に対する態度なのか。嘆かわしい」
天藍のワザと大仰にアピールする姿を紅玉は冷ややかに見詰めていた。
「お二人共、おふざけはそのくらいにして、本当に開店しますよ。天藍様。紅玉」
放っておけば、いつまでも続きそうな天藍の悲劇のアピールを別の声が制止した。
「「青玉」」
天藍と紅玉の二人の前に現れた青玉と呼ばれた人物の涼やかな眼差しに救いを求める。
「天藍様。今宵は満つる月の夜。特別なお客様が現れるかも知れませんね。紅玉もお客様をお迎えする準備を致しましょう」
青玉の名の通り、青い睛が夜の帷の如く静謐さを称えている。
「ごもっとも。君に云われてはグゥの音も出ないな。紅玉も青玉の言葉通りにね」
天藍の矛先が紅玉へ向けられる。
「はぁい。天藍様はホントに青玉には頭が上がらないですよねぇ」
自分への態度と青玉への態度の違いに呆れつつ、紅玉が店の扉を開放する。
天満月の夜、出づる月の出の「天藍堂」と看板はかかげてはいるが、特に何かを販売している訳ではない風変わりな店舗である。
展示品として壁に設置されてあるのは、ペンで描かれたイラストの数々だった。
その手法はゼンタングルと呼ばれるものである。
ゼンタングルは決められたモチーフをパターン化して描き、表現する手法のひとつである。
ペンと用紙があれば表現方法は千差万別、紙面が己のフリーダムとなるのである。
「天藍堂」にはそんなゼンタングル作品が壁面にところ狭しと展示されていた。
そして、なんともミスマッチな物体が「天藍堂」の中心に鎮座していた。
壁面に飾られてある絵とは対照的な立体展示物である。
その立体的な物体は作品なのか、実物なのか。
見る者の目を疑うことは確実なのである。
「生きた化石」として知られている絶滅危惧種でもある稀少生物。
それは「シーラカンス」と呼ばれる三億五千年前から変わらぬ姿の古代魚だった。
水槽の中に一匹の個体が尾ヒレを揺らしている。
まるで本物が生きているような姿に誰もが目を疑うだろう。
水槽は無機物な実物で、中に容っている液体も掌ですくい取れば、指の隙間から零れ落ちてゆく。
では、水槽内の水に漂う古えの魚は水の中でユラユラと尾ヒレを揺らしながら、泳ぐと云うよりは、その場に留まるために揺られている感じだ。
無機物のような有機物。
その漆黒の目には何を映しているのだろうか。
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人事を尽くして天命を待つ




