芹内愛莉4
PM3:40
そして、愛莉はささやかな同窓会までの空いた時間を、喫茶店で潰すことにした。だが、これがまた、最悪だった。
まず、漣の服装である。
先ほどの中華料理店で貰ってきたコックコートをそのまま着ているため、完全に浮いている。
喫茶店に入った瞬間も、一瞬店員がどうしていいか戸惑っているのが傍目にもわかるほどだ。
とは言っても、漣の素性を探るのには絶好の機会だ。少し素性を聞いてから、ささやかな同窓会に臨むというのは上策だろう。
愛莉は、何も頼まないという漣の言葉を押し切って強引にコーヒーを頼ませ、自分はモカのフラペチーノを頼んだ。
そして、席に対面で座った途端、愛莉は会話を切り出した。
「で、どうしてあの公園にいたわけ?」
多少怒り気味の口調の愛莉に対し、漣は動じずに答えた。
「それは何を期待した設問だ? 辿り着いた経緯ならば、至極当然ながら、お金を持ち合わせていないからだ」
「そうじゃなくって、どうしてそんなにお金が無くなっちゃったのかって話よ。わかるでしょ」
「ああ、何故ホームレスになったかという話か。残念ながら、立派な志望動機はない」
愛莉は呆れた。ホームレスになるために立派な志望動機があるわけがない。勿論そんなことを聞きたかったわけじゃない。
「違うっっつーの! どうしてそんな風になっちゃった、ってこと」
漣はコーヒーをすすり、返答した。
「なるほど。高くついたコーヒーだな。このコーヒーは、人の過去を詮索する代金というわけか?」
「そんな訳ないでしょ。言いたくないなら、それでいいって」
漣は指を一本出した。
「いいや。質問には答えよう。その代わり、一つ条件がある。芹内愛莉、君も俺の質問に答えて欲しい。構わないか?」
言葉のキャッチボールを明確にルール化したいとでも言うつもりだろうか。何を条件にするのかと思えば、大した内容ではなかったので、愛莉は逆に安心した。
「ま、そのくらいはセオリーよね。それで、どうして?」
「少しばかり抽象的な話になるが、構わないか?」
「まあ、しょうがないんじゃない」
ホームレスになるまでを事細かに話されては逆に身が保たない。
「ならば。俺は、危ない橋を渡る仕事をしていた。慎重さがものを言う。かといって先見の明もなければ論外だ。しかし、そんな仕事をしているというのに、ついつい甘い言葉に騙されて、さらに危ない橋を渡る羽目になってしまった。結果、破滅というわけだ」
「大変ね」
「大変だったさ。そんなわけで、今は何も持ってはいないのだが、連中の鼻を明かすため雌伏し、臥薪嘗胆の日々を送っているというわけだ」
抽象的になると言ったのは理解したが、思ったよりヒドい。何を言っているのかさっぱりだ。気取った言い方をしているが、おおかた株の取引にでも失敗したのだろう。いずれにせよ、これ以上詮索しても面白そうな結果は出てきそうになかった。
「え、じゃあ何系? 銀行系の仕事とかやってたの?」
「質問には答えた。次は芹内愛莉、君の番だ」
それで答えたと言えるのか。釈然としないものを感じながら、愛莉は渋々納得した。
「ま、そういうルールだったし。で、何を聞きたいの?」
「いみじくも君が口にした職業だ。それとも当ててみせようか? 君は……」
「君は?」
「占い、をやっているだろう」
お、大体合っている。愛莉は、漣はもしかすると、案外勘が鋭いのかもしれない、と思った。
「いい勘してるじゃない。そうね、前はやっていたこともあるかな」
「なるほど。では、今は何をしているのだろうか」
愛莉は、平手を差し出して漣を止めた。
「待って。二問目の質問はルール違反じゃないの?」
「さっきは俺が君の職業を当てただろう? ボーナスポイント、というわけだ」
「ちょっ、そんなルール聞いてない! ズルい!」
漣は笑った。
「次は余計に君が質問してもいい。それで構わんだろう?」
ペースを握って質問をするつもりが、いつの間にかペースを握られていた。まったく、妙な男だと愛莉は思った。
「いいわ、それで。で、質問に答えればいいのかしら」
「おや、ご機嫌が優れないようだ」
またも漣は口元を歪める。
「当たり前でしょう! でもルールはルールだもの、答えてあげる。私は、『ノチユ』でディーラーをやっているの。これでいい?」
漣は一瞬唖然とした顔を見せた後、腹を抱えて笑い始めた。
「ははは、そうか、『ノチユ』か。これは愉快だ」
突然笑い始めた漣に、愛莉は驚いた。というより、何故笑い始めたか理解出来ない。ぽかん、と漣の様子を見たまま、固まる。
「何が愉快なんだ、と言いたげだな」
「その通りよ。ギャグセンスがズレているから危ない橋から転げ落ちたんじゃないかって疑ってるところ」
「それは手厳しいな。ただ単に『ノチユ』とは縁浅からぬ間柄というだけさ。もっとも、ディーラーをやっている君ほどではないが」
愛莉の中でこの時、ピンと来た。漣はきっと、『ノチユ』の関連株に手を出し、痛い目にあったに違いない。そして家財の一切合切も預金も職も失い、公園に寝泊まりしていたのだろう。それならば漣の言っていることに筋が通る。
いや、しかし肝心の理由が残っていた。何故ポンと生命保険を愛莉に差し出したのだろう。
もし、推測が正しければ、中華料理屋の主人が言うところの「負けのジレンマ」にどっぷりと囚れているはずだ。
釈然としないものを感じながら、愛莉はとりあえずその件を保留とした。
「なるほどね。じゃあ、こっちから質問させて貰おうかしら」
「ああ、どうぞ」
「私を『救いたがり』と揶揄ったあなたが、どうして生命保険をすぐに渡そうとしたわけ?」
愛莉は核心に切り込んだ。だが、すぐに漣は答えない。
「料理屋の主人にも渡そうとしていたじゃない。そんなにあなたにとって軽いものなの、それ」
「それは二問ってことでいいんだろうか」
落ち着いた口調で漣は尋ねた。
「ま、半分くらいその理由が知りたかったわけだし。それで構わないけど」
「了解した。なるほど、些か俺の振るまいが奇矯に見えたのだな。だが、必要だからこそそう振る舞ったまでだ。理由を問われても、納得のいく答えはなかなか出ない」
愛莉は唖然とした。
「ちょっと、もしかして万人が納得できる理由なく、五千万を渡そうとしてた、そういうこと?」
「その通りだ」
漣は何一つとして間違いはないと、胸を張って肯定した。
いや、肯定していい質問じゃないだろう。何より答えになっていない。
明日をも知れぬ人間が五千万を簡単に手放せる理由が、何一つ根拠なしというのはあまりにも度が過ぎている。
「あー、ぜんっぜん理解できない……」
「そうか? 俺は芹内愛莉、お前にこそ理解できるとそう確信していたが」
そう言うと、漣は正面から愛莉の目をまじまじと見つめた。
「……なにそれ。どういう意味?」
言っている意味がさっぱり理解できず、愛莉は頬杖をつきながら尋ねた。
「占いを生業にしていた者ならばわかる筈だ。合理的な事を超然した、非科学的ながら明らかな真実が存在する事をな」
「そういうのを真顔で言わない。つまり、直感だけど確かだと判断した、そういう事?」
漣は肯いた。
「いかにもそうだ」
しかし、愛莉は頭を抱えた。
「あー、なんて言うか見えた気がする。『負けのジレンマ』は、合理的な判断の延長線上にある考え方だけど、あなたのは神託とか、神がかりとかその傾向のオカルトな考え方って事ね。……そう。よくわかったわ」
つまり、漣という人間は、特に根拠や理屈がある訳ではなく、自分の直感や思いこみ、非科学的な偶然を頼りに厚く張るタイプの人間だったということだ。
もちろん、そうなれば当たるも八卦、当たらぬも八卦となるのは瞭然だ。甚大な負けを被る事も大いにあり得る。自己の持つ運の最大値を大きくかけ離れた値まで厚く張れば、当然結果は見えてくる。
つまり、図抜けたアホという訳である。
「そんな訳で、私に生命保険を払うことが自分の道を切り開く。あなたはそう賭けたのね」
「その通りだ」
大まじめな顔で漣は肯いた。
「それじゃあ、とりあえず今日一日は、それが事実かどうか見届けてあげる。退屈をしのいでくれたのは事実だから、駄賃としては適当よね。それじゃ、ついて来なさい」
そう言うと愛莉は立ち上がった。漣は不遜そうな顔を見せ、立ち上がった愛莉を見た。
「どこへだ?」
愛莉は軽くため息を吐いた。
「決まってるじゃない。そのコックコートから普通の服に着替えるの」
「わかった。ついて行く事にしよう」
最後に一口だけコーヒーをすすると、漣は愛莉の後ろを追った。
二人がそこから地下鉄に乗って向かった先は、大きなブティックだった。もちろん、紳士ものを多く取りそろえているところだ。
二人が自動ドアを通り、女性店員と目があった瞬間、店員が一瞬目を見開き、笑みを浮かべたのに愛莉は気付いた。
冗談じゃない。
だが、そこはプロの店員、すぐに営業用の笑顔を浮かべ、近づいてきた。
「いらっしゃいませ」
「彼に、ちょっとした正装を着せたくて」
そう愛莉が言った途端、店員はきょとんとした顔を浮かべた。コックの正装ならもう着ているじゃないか、とでも言いたげだ。
「……コック用の正装じゃない奴を」
「少々お待ち下さいませ」
店員はすぐに笑顔の仮面をかぶりなおした。
失礼な店員だ。コックコートを着ていたら人権がないような振る舞いだ。
愛莉は少し怒りをにじませていたが、対して漣は泰然自若と、平然とした顔をしていた。
「お待たせしました。こちらのような商品はいかがでしょうか」
恐らく足下を見たのであろう、一万円を切るスーツとネクタイ、ワイシャツと靴のセットを掲示してきた。
それはいかにもなリクルートスーツで、ペらっぺらの生地は冬の北海道では非常に心許無い。サイズの種類もスーツの種類も極めて乏しく、見る人が見れば逆にみすぼらしく見える申し訳程度なスーツだった。
そして、その割に少々高い。スーツ一式の値段としては安いが、一万円である。しかし、コックコートを着た人間と一緒には出歩けない。
それでも、たかだか一つの面白ネタの対価として一万円を払うのはどうだろうか。何より自分では絶対に着ないのだし。愛莉はここに来て思考にブレーキがかかった。
だが、漣はマイペースだった。
「試着したい。試着室はどこだ?」
「こちらでございます。どうぞ」
そう言うと、漣は悩む愛莉を見もせずに、そのまま店員と一緒に試着室に向かった。
ど、どんだけ無神経で礼儀知らずなんだあの男。思わず愛莉は漣の後ろ姿を血走った目で凝視してしまった。ママとお買い物に来たわけじゃねーんだぞ、畜生。
わざわざ試着室について行くのも馬鹿らしいので、愛莉は黙ってそこに立ったまま待った。
そのままイライラしながらしばし待つと、店の奥側で、不遜な態度を取っていたあの店員が、青ざめた表情で上司らしき小太りの中年男性に話しかけに行ったのが見えた。
いったい何だろう。愛莉は疑問に感じるが、もう漣がどんな目に遭おうが知ったことではない。勝手にやればいいのだ。
だが、店員達の様子は、静観して見ていても如実におかしかった。皆がそわそわし、試着室の方に慌ただしく移動している。
そして、その内に漣は戻ってきた。その様子を見て、愛莉は言葉を失った。
漣は、スーツを着ていたものの、そのスーツは先ほどのリクルート丸出しというスーツではなかった。
それは傍目に見てもカシミヤをふんだんに使った、柔らかそうで、それでいてシルエットはくっきりとした、明らかに最高級のスーツだった。
愛莉は開いた口がふさがらなかった。そんな図抜けた高級スーツを試着されても、無論代金を払う気も予算もない。
「ちょっ、そんな服……」
「芹内愛莉、用事は済んだ。出るぞ」
漣は愛莉の言葉を途中で遮り、手を取って強引に店を出ようとする。
「ちょっと、離してよ!」
「何か問題があるのか?」
愛莉は溜息をついた。
「大ありだっての。そんな高そうな服の代金、払える訳ないじゃない」
愛莉がそう言い放った瞬間、上司らしい小太りの男性が一目散に駆けてきた。
「お代は結構でございます。ええ、結構でございます!」
そして、血相変えてそう言い放つなり、社員一同が頭を下げた。ただのお辞儀ではなく、九十度のお辞儀だ。
十数名の店員がすべてこちらを向いてお辞儀をしている様は、まったくもって愛莉の理解を超えていた。
「ああ言ってることだし、行くぞ、芹内愛莉」
「え、ええ……」
釈然としないものを抱えながら、愛莉は漣に手を引かれて店を後にした。




