第46話~響音、開徳府に潜む~
開徳府という街は平和だった。
今は青幻が勝手に建国した蒼国の領地となっていてる人口50万人程の割と大きな街だ。
多綺響音は開徳府の大きな食事処に入った。
店は大きいが新しくはなく、外観も店内もかなり年季の入った昔ながらの店といった風情だ。
一応蒼国内ではお尋ね者である響音は、帽子やサングラスで顔を隠し、長いローブで身体や特徴的な存在しない右腕を隠している。
店に入ると1人の老婆が響音を席に案内してくれた。既に清掃されている2人掛けのテーブルを響音の前で布巾で再度拭いて見せてから座るように促した。
響音が席に着くと老婆はすぐに冷たい水を運んで来て注文を取った。
「とりあえず、腹減ったから肉と魚と野菜を適当に持って来てもらえる? あ、あと、この点心も」
響音はテーブルの端に置いてあるメニューを指差して言った。
「おやおや、よく食べるねぇ。ありがたいお客様だ。すぐにお持ちします。ちょっとお待ちくださいね」
老婆は微笑みながら厨房へ戻って行った。
響音が店内を見回すと壁には響音の指名手配の似顔絵が貼られていた。蒼国内ではどこへ行ってもそうだから特段驚く事はなかった。それに今まで民間人に見つかり通報された事はない。万が一見つかったところで、響音の『神技・神速』がある限り捕まる事はない。
手配書にはご丁寧に右手がないという特徴まで書かれていた。変装していなければすぐにバレるだろう。
そんな事を考えながら出された水を口に含むと先程引っ込んだばかりの老婆がもう料理を持って来た。
「名物の点心だよ。良く売れるからすぐ出せるように準備してあるんだよ。中の肉汁が熱いから気を付けてお食べ」
老婆は笑顔で説明した。
響音は美味そうな匂いに堪らず箸で点心を取り何度か息を当て冷ましてから口に運んだ。
老婆の言う通り、中の肉汁が熱かったがそれ以上に肉汁の旨味が口全体に広がり幸福な気分になった。
「美味い! おばあさん、これは本当に美味いわね! 早くほかの料理も持って来て!」
「そんなに美味しそうに食べてくれるとこちらも嬉しいよ。すぐに持ってくるからもう少しお待ちよ」
老婆は嬉しそうにまた厨房へ戻って行った。
響音が無心で点心を頬張っているとまたすぐに老婆は残りの料理を運んで来た。
「これは羊の肉のステーキで、こちらが魚を煮込んだ料理だよ。そしてこっちが特製ドレッシングをかけたサラダ」
老婆が手馴れた様子で次々に響音のテーブルに料理を並べていった。
「適当に置いといてよ。後はあたしがやるから」
響音が言ったが老婆はキチンと料理を食べやすいように並べてくれた。
「ありがとう、おばあさん」
しかし、並べ終わった老婆は何故かすぐに立ち去らず響音の食べる様子を不思議そうに眺めていた。
「ん? どうかした?」
「いや、お姉ちゃんさ、右手……」
老婆が小声で言った。
「右手が……なに?」
響音は知らん顔をしながら答えた。
「ちゃんと右手も使わないとお行儀が悪いよ」
また老婆は小声で言った。
どうやら老婆は響音が左手しか使わずに食事をしている事に違和感を覚えたようだ。
「右手……怪我しててね」
響音は苦笑しながら答えた。老婆は丁寧に世話を焼いてくれた事で響音の食べ方の違和感に気が付いたのだろう。
響音が答えても老婆は怪訝そうに響音を見ていた。室内で帽子もサングラスも外さないのでさらに怪しまれたのだろう。
すると老婆はまた小声で話し掛けてきた。
「つい昨日のことだよ。右腕のない背の高い女を探してるっていう女の子が訪ねてきたんだ」
響音はその言葉を聞いてまだ食べ終わっていないが、懐から金を取り出し机の上に置いた。
「ご馳走様。急に用を思い出した。釣りはいらない」
響音がそう言い立ち上がろうとするとまた老婆は小声で言った。
「せっかく作ったんだから全部食べて行きなよ。大丈夫。ここだけの話、あたしは青幻が好きじゃないからね。通報したりはしないよ」
響音は老婆の目を見た。嘘など言っていない純粋な目だった。それから辺りを見回し他の客も特に騒いでいない事を確認すると響音はまた腰を下ろした。
「どんな奴だった? 1人?」
響音は煮込んだ魚の切り身を箸でほぐしながら聞いた。
「1人だったよ。あんたと同じくらいの歳の可愛らしい女の子で賞金稼ぎには見えなかったね。普通の女の子だった」
「何か言ってた?」
「片腕の女を探してるって。で、あたしが手配書を指差してあの子かい? って聞いたらそうだと言っていたよ。でも、知らないと答えるとすぐに帰って行ったね。とても、笑顔のかわいい子だった」
響音はほぐした魚を口に入れた。
探しに来たという女は青幻の幹部の者に違いない。歳が近いという事は馬香蘭だろう。
響音の調査によると青幻の幹部には女が2人いる。公孫麗と馬香蘭だ。
公孫麗は2年前に澄川カンナ達が青龍山脈で対峙した幹部、公孫莉の妹で騎射の達人だ。青幻の騎馬隊の指揮を取っている人物で単独で響音を探しに来る事は考えにくい。
馬香蘭という女は青幻の千人いる斥候部隊の隊長で動くならこの女だろう。そして馬香蘭は25、6だ。
「そう……ありがとう」
響音は左手で料理を次々に口に運びながら馬香蘭について知っている限りの情報を思い出した。
「あんた、悪い人には見えないね。ま、気を付けなよ。また腹が減ったらウチにおいでよ」
老婆は微笑むと他の客の元へ行ってしまった。
響音は老婆の接客する様子を見るとまたテーブルの上の料理にかぶりついた。
腹を満たした響音は開徳府の時計塔の屋根の上にいた。
先程から何人もの青幻の兵が街を巡回している。その兵を指揮している隊長は見た感じ大した事のない小物だ。
響音を探しているのだろうが本当に探す気があるのか分からない程やる気のない巡回だ。
馬香蘭が響音を探しているというのであれば出来れば先に見付けて返り討ちにしてやりたい。
響音の目的は青幻幹部を抹殺し青幻の勢力を減退させる事。故に向こうから出向いてくれる事は願ってもない事である。そして最終的には青幻の持つ榊樹月希の形見『黄龍心機』を取り戻す事だ。
青幻幹部の連中にも『序列』というものが存在する。
序列1位 薄全曹
序列2位 董韓世
序列3位 孟秦
序列4位 張謙
序列5位 程突
序列6位 公孫麗
序列7位 黄蒙
序列8位 馬香蘭
序列9位 劉盤
序列10位 劉雀
現在はこのようになっている筈だ。
流石の響音でも焔安の場内へまでは潜り込めない。実は青幻には影の用心棒の様な者が2人おり、その者達が場内への不法侵入者を見張っている。その者達の存在は蒼国内でも非公式になっているようで響音の調査では名前しか分からなかった。
丁徳神と越楽神という名前だ。本名ではないだろうが、実在はしているようだ。
ある日、響音が焔安の城内に侵入した時、今まで感じたことのない恐ろしい気配を感じた。一瞬動揺してしまった隙に懐に潜り込まれており、もはや逃げる事も出来ない状態だったが、たまたまバランスを崩した事によりその斬撃から逃れた。その一瞬の隙に命からがら城を脱出したのだ。実際、何が襲って来たのかさえ分からない。本当は人間ではない者が襲って来たのかもしれない。
その後も数度城内への侵入を試みたが城内全域には、響音対策と言わんばかりの罠が至る所に仕掛けられるようになり、それ以来単独での侵入を諦めた。
丁徳神と越楽神が城外へ出たという話は聞いた事がないので完全に青幻の用心棒なのだ。その2人がいる限り青幻には近付く事も出来ない。
つまり、少しでも幹部の数を減らす為には焔安城外に幹部達が出た時を狙うしかないのだ。
響音の調査では今幹部達はほとんどが焔安城外に出ている。焔安に残っているのは、黄蒙、劉盤、劉雀の3人だけだ。まさに幹部殲滅の好機。
だがまずは、馬香蘭を迎え撃って始末する。
現在青幻幹部の中で神技持ちだという情報があるのは薄全曹のみ。先の薄全曹、孟秦の部隊との戦闘で久壽居が薄全曹が神技のような力を使うところを見たと言っていた。その能力がどのようなものなのかは詳しくは分からないが、久壽居が放った拳が稲妻のようなもので弾かれ、拳を火傷したらしい。もしかすると薄全曹の神技は電気を操るものなのかもしれない。
そんな感じで青幻幹部の能力については2年間青幻を追ってきた響音でさえも把握しきれていないところがある。今まで始末してきた幹部達の中には神技を持ったものはいなかった。
だが、馬香蘭が神技持ちでないとは言い切れない。
響音は馬香蘭がどう動くかを考えながら、時計塔の上から開徳府の街を見渡した。いつの間にか日も暮れていた。
街に動きはない。
響音は時計塔から飛び降りて近くの建物の屋根に飛び移るとそのまま音もなく屋根から屋根へと飛ぶように走った。
こちらも暗殺の危険がある以上蒼国内の宿では寝られない。
響音はそのまま街外れの林の中に飛び込んだ。
今日も木の上で寝る事になりそうだ。