Blue Memorial
「寝過ぎた」
頭がぼんやりとしたままトウニは街の外、レンの元へと向かった。
街は未だ冷気を帯びている。
風景から見て取れる季節感にはそぐわないまだ早い冷え込みだ。
トウニは肩を強張らせながら歩いているとその目に門番の姿が映った。
「おつっす」
「ん、出るのか?」
「そす」
「街中はあれだし、外の方がいいかもな」
「寒いっすね」
「まったくだ。うー寒っ。言われると余計感じちまう。寒い日の早番は辛いよ」
「串焼き屋に行くといいですよ」
「なんでだ?」
聞かれたトウニはホッと温まる顔をしてみせる。
「想像してみてください。冷え切った身体、熱々の串焼き。美味いと思いませんか」
「...お兄さん串焼き屋の店員さん?」
「違うっす」
「そうか。俺だったらうどんだな」
「うどんですか」
門番はうどんをすする仕草をしてみせる。
「この寒い中、一口つゆを飲み込む。暖かなつゆが胸から腹へ通る感触を感じながら麺に息を吹きかければフワリと広がる湯気に冷えた顔が優しく綻ぶ。つるりつるりと口にしているとふと気づけば器は空になり箸を止める。満たされたのは腹だけではない。身体を包む心地よい幸福感に心まで温まっているのだと気づくのだ」
「ちょっと食べたくなったかな」
「この時間でも開いてるから行ってみるといい」
「うす」
「紹介しておいてなんだが用事はいいのか?出るんだろ?」
「まずは腹ごしらえが先決かと」
「だな」
「じゃ行ってきます」
「いってらっしゃい...ふっ。まんまとかかったな。串焼き、敗れたり。俺もうどん食べたくなってきた...いいなぁ」
うどん屋でバイトもする門番は自分で掻き立てた食欲に苦しむのであった。
「うっ、濃すぎたつゆで胸焼けが酷い。2度と行くものか」
「よう、にーさん。悪いがまだ店は開けてないぞ」
トウニを見つけた串焼き屋の店主が声をかけてきた。
「そーすよね。もしかしたらと思って」
「この時間に始めても客なんて入らねぇからな。なんだ空腹なのか?」
「うどんで胸焼けしたから口直しっす」
トウニの言葉から察した店主は眉根を寄せた。
「向こうの通りの店だろ。あそこつゆが濃いって賛否両論なんだわ。ちょっと待ってろ」
「はぁ」
店の奥に姿を消した店主。
1人残されたトウニは身震いを繰り返しながら静かな通りに佇んでいた。
改めて考えると凄まじいものがあると彼は思った。
こうまで環境を変化させてしまう力。
まさにバケモノの名に相応しい。
そんな者と対峙しなければならないとは。
トウニは魔王軍の置かれている状況にようやく共感が持てるようになってきたのであった。
時間にすると数分だろう。
そのまま待っていると店主が包みを手に戻ってきた。
「これでよければやるよ」
「なんすか?」
「俺の朝食。開店前に仕込みはしてるんだがちゃんと作れるかいつも朝飯で確かめてんだ」
「いいんですか」
「ああ。口直しにってわざわざ来てくれたんだ。常連候補を無下にはできんよ」
「ははっ、おっちゃんサンクス。今食べてもいい?」
「もちろん。ご感想の程をよろしく」
「言うまでもなくうまいっす。いつも通りサイコーっすよ、おっちゃん」
「はははっ!そうかそうか、それは良かった。じゃあ昼前から開店してるから、腹が減ったらまた来てくれ」
「もちっす」
腹も満たし口直しも済んだトウニは街の外に向かう。
街から出る時にいた門番はうどんの人ではなく別の人だった。
歩いていると次第に汗が滲む。
彼は膨れた腹を抱えながらレンの元へと行く。
覚えのある景色を確かめながら歩いていると背後から声をかけられた。
薪割りだった。
彼は全身を擦り傷で飾り気力に欠けた顔で軽い挨拶をした。
付いて来る気かと問うと今回は本当に偶然見かけたからと言ってそのまま付いて来る。
今更なので2人して歩く。
薪割りはあまり喋らなかった。
あの女がどうなったのか聞くと思い出したように笑って追い返してやったとだけ答えた。
そんな2人の耳に、遠く耳鳴りのように金属を打ち音が聞こえ始めていた。
ようやくレンのところに帰ってきたトウニ。
金属が重なる音に予感を頂いてた2人はその眼前の光景に押し黙った。
レンと金色が戦っている。
剣を振るうレンの殺気はトウニでさえわかるほど明確に相手へと向けられている。
金色は涼しい顔で捌いている。
殺そうと思えばいつでも出来ると示しているかのように。
そして余裕からなのか、時々ぼんやりとした様子でレンを見ている。
殺し合う彼女らの煌めく髪がどこかシュールに見えた。
「レンさん、何やってるんすか」
声をかけるが2人は止まらない。
薪割りに目を向けたが彼は無遠慮に座り込み頬杖をついて眺めている。
ため息をついてさてどうしたものかと考えていると薪割りが口を開いた。
「まさか金色に挑むとはな。実力差はわかっているだろうに何を考えているんだか。しかしあの女、本当にいたのか」
レンの繰り出す小振りな連撃を軽いステップで躱し捌き続ける金色。
しかし不意に金色が大ぶりの横薙ぎを放った。
レンは受けずに後退する。
そうして煌めく2人はようやく動きを止めたのであった。
「めっちゃ輝いてますね。青春か」
「ふぅー。なんだトウニ、早かったな。お前のことだからもっとのんびりしてくるのかと思っていたぞ。それに薪割りも一緒か」
「よう」
「せっかく頑張って戻って来たのにその言い方」
「どうせ向こうにいられなくなったんだろ?」
「それはともかく何してんですか」
「戦闘訓練だ。折角強者と共にいられるんだぞ、使わなきゃ損だ。それで隙あらば始末してしまおうと思ってな。んーっ、気持ちのいい朝に身体を動かすのはやはりいいなぁ」
「キンイロさんはそれでいいんすか」
「だってぇ、こんなにもキラキラしてるレンちゃんを見たらもう。ちょっとくらい殺されてもいいかなって」
「...」
「俺を見るな。回答に困る」
近くの川で汗を流してきたレンと金色。
その間2人の朝食を用意したのはトウニであった。
もらった串焼きを火の側に置いてほのかに温めただけである。
「報告しろ」
「あいー。モグラさんに会ってちゃんとツツがなくレポートを渡してきたのですが、読み終えたモグラさんは目に涙をたたえながら旅の話しを直接聞きたいと仰せになってレンさんをお連れしてほしいとこの四天王に頭を深々と下げられました。以上」
「はぁ、やはりトウニではまったく役に立たなかったか...」
「リスクしかなかったわね」
「わかってはいたが、って元凶のお前に言われたくないぞ」
「あら、言ってくれたら別行動したわよ?」
「別行動して後をつけるんだろ」
「やーねー、そんなことしないわよー」
「私の目を見てもういっぺん言ってみろ」
「ふーん。だって危なそうで心配なんだもん。街の方で誰かさんが向日葵と戦い始めちゃったみたいだし。しかも落ち着くまでに随分手間取ったみたいで。ね、薪割り君」
「まったくだな。一体どこの誰がそんな面倒引き起こしたんだか」
「原因作った人は深く反省すべきっすね」
勝手なことを話す3人のやり取りにレンはため息をついた。
彼らがいなければ世の中が、そして自分がいかに平和でいられるのか、と。
「バケモノどもめ」
「しかし向日葵ってよく分かったな」
「あれ見れば知ってる人ならすぐ分かるでしょ。あんな大きなひまわり、出来るとしてもあの子以外にわざわざ作る人いないわよ」
一同金色の目線を追った。
昨日からそびえ続ける巨大なひまわりは夏の終わりのように首をもたげて鎮座している。
日が登り景色が鮮明になってきたがそこまで暖かくはない。
巨大なひまわりが溶けることはしばらくなさそうであった。
「なんか昨日より大きく見えるのは気のせいです?」
「そうか?私には特に変わっていないように思えるが。お前は近かったから違って見えるんだろう」
「そっか。あれ、どうするんすかね」
「解体するにしてもあの大きさだからなぁ。上から解体していくことになる。そうなると相当時間のかかる作業になりそうだな」
「はた迷惑な技っすね」
トウニがそう言うと薪割りが口を挟んできた。
「はっ。向日葵にしては頑張ったほうだな」
「あら、あの子は元々強い力を持っていたでしょ。あのくらい当然よ」
「あんなのその気になったら簡単に砕けるけどなぁ。そんなに凄いか」
「男ってこういう時にいちいち優劣つけたがるから話したくないのよね。嫌味よねぇ」
「まったくだな」
「自分も賛成っす」
「女は徒党を組んで相手を容赦なく追い詰める...いいさ、戦士に必要なのは強さ。強い者は孤独なのさ。いいのさ...」
「薪割り師匠が黄昏れている」
「自業自得だ。放っておけ」
孤独な薪割りはふと本題を思い出し顔を上げた。
「おい金色。お前、なんでこいつらと一緒にいる」
「そんなことあなたには関係ないでしょ」
「そうでもない。いいか、先に目をつけたのは俺だからな。横取りするなよ」
「何言ってるのかわからないけど、ほっぽり出しといてよく言うわね。大事なら離れずにそばにいなさいよ」
「お前みたいにまとわりついたら邪魔だろ」
「大事とか口だけになってる人に言われたくない」
「手を引け」
「いやよ」
「わかった。疲れてイライラしてるんだ。もう黙れ」
「自分から話しかけておいて。ほんと身勝手な奴」
両者の主語がズレていることをはっきりさせないまま勘違いから争いが始まる。
よくあること。
互いに誰を指しているのかわかっているレンは傍観していた。
しかしこれは利用できる。
そう判断した彼女は剣呑な雰囲気に後ずさるフリをしてこっそり荷物をまとめ始めていた。
「これ、なんの会話なんすかね。誰の取り合い?」
「黙ってろ。これはチャンスだ。ふふふ、いいぞ薪割り。存分にやれ」
緊張が高まる中、先に武器を構えた薪割り。
手にしているのは愛用の戦斧ではなく小型の斧。
俗にハチェットと呼ばれるもの。
感触を確かめるように手元で軽く動かし相手の意識を引く。
お前を始末すると圧をかける男の挑発にはのらずに金色は悠然とした態度の構え。
くだらない心理戦、彼女はそう思っていた。
「随分傷だらけだけど、転んだの?まさか大したことはないと言ったあの子にやられたわけじゃないでしょうね?」
「近所の猫に引っかかれただけだ。向日葵如きに本気出すかよ。手加減して遊んでやったさ」
「あらそう。遊ばれた、の間違いじゃなくて?」
「あいつもそういう勘違いをするから痛い目を見る羽目になったんだ」
「嫌な男のセリフってどうしてこう同じなのかしら」
「ふん。言いたいことは今のうちに言っておけ。もう二度と言えなくなるからな」
「醜い獣ね」
「それだけでいいのか?」
「ええ十分よ。あなたとは会話にならないもの。無駄でしかないわ」
「なら死ね」
「はいはい」
断てぬモノはないといわれる薪割り。
空間を固定する金色。
両者は最強の矛と盾のように互いの力をぶつけ合った。
金色は振り下ろされる小斧を停止した空間で受け止めその隙に剣を抜くと一気に攻勢に転じる。
彼女は固定した空間を足場に縦横無尽に斬撃を放つ。
空間に手足を掛け、法則に反していたずらに軌道を変える妖精と相対した者は惑わされその命を落とす。
妖精の剣は緩やかに流れるような一閃を繰り出し、不規則に飛び回りながらも的確に相手の首を落とす。
残忍なその姿はしかし美しいとさえ言われる。
だが薪割りはその一閃を見切り対処していた。
「キラキラとか言う割に表情が冷たいぞ。そういうところは昔と変わらないな。殺し屋フェアリー」
「うるさいわね。あなたって普段は紳士ぶってるけど本性はすごく男臭いのよ。大っ嫌い!」
「はははっ!そうそう、その顔の方がいいぞ。どっちかっていうとギラギラだがな!」
言葉と斬撃を浴びせ合うバケモノ達。
飛び回る妖精、薙ぎ払う薪割り。
世界屈指の実力者がぶつかりあう余波が山々に伝わりモーフトンにまでその音を轟かせる。
この2人が戦いを始めたことで多くの者の行く末が変わったとされている。
後の世の人は語る。
モーフトンが氷の花が咲く街と歴史に名を残す事になった発端はこの2人が戦いだしたことではないか。
そうすることで多くの者の注意を引き対応を遅らせたのだ。
その後に起こる出来事の首謀者は冬の向日葵だけではない、つまりバケモノ達による共謀である。
そしてこの戦いは度々巻き起こるバケモノの宴を始めるためのセレモニーだったのではないのか、と。
そんな戦いの隙を付いてレンとトウニはモーフトンへと向かっていた。
バケモノの争いは、主に薪割りが大地を揺るがしているのだが、それをさせているのは金色。
それなりに離れた所まで来たが、その戦闘の激しさがまだ伝わってくる。
「自分はあんなのと渡り合うとかごめんっすね」
「そうか?奴らと対等に渡り合えたらかっこいいじゃないか」
「レンさんは本気で言ってるかもしれないところが笑えんす。自分は別に強くなりたくはないんでー」
「それは惜しい、お前の力ならもしかしたら対抗出来るかもしれんのに」
「自分の何がそんなに凄いんです?」
「お前の力は概念を操るのかもしれんからな。現象を扱う者にとっては厄介な相手ってことだ」
「それって似た力だったらひ弱な自分は勝てないんじゃ」
「相性の問題だろ。さっきの2人は最悪もしくはピッタリだ」
「...ピッタリ。たまに言い方が」
「なんだ」
「ステキかと。薪割りさんはスーパー腕力とかなんすか?」
「あいつはブーストと呼ばれている。正確な力はよくはわかっていないが、まぁその理解で大体合ってるだろ」
「へー、よくわらんすねぇ」
「ふふふ。やっと金色から離れることが出来た。トウニ、今のうちに街に入りモグラのもとへ行くぞ」
「ういっす」
街に入る前にレンは帽子を被り更にパーカーのフードで覆い目立たないようにしていた。
その姿を見た門番が怪訝な顔をしたがトウニが誤魔化しながら話し、特に咎められることもなく入ることが出来た。
そうして万全の準備を整え入った街はいつもより静かな印象を与えた。
「昨日の騒ぎでみんな外に出てないみたいですね」
「かもな。都合がいい。さっさと行くぞ」
「りょうかーい」
「それにしても妙にムワッとするな。街中は湿度が高いのか」
「氷のせいじゃないすか?」
ひまわりを見上げる2人。
気温は低いのだが夏のような圧迫感が街全体を覆っていた。
「だとしたらつくづく迷惑なものだ」
「乾燥する時期にはいいですな」
「ふふっ、たしかにな。そうやって世の中に貢献すればいいのに」
2人は地下への入り口までたどり着く。
街はやはり静まり返っている。
どこか緊張を感じる街に水気とは別の息苦しさを感じていた。
「あのひまわり、やっぱり大きくなってる気がする」
「そうか。トウニ、急ぎ用件を済ませ街を出よう。長居は危険かもしれない」
「はい」
例の案内人が現れたがトウニの時のような時間はかからず、すぐに目的地にたどり着いた。
「局長、連絡員No.198が来ました」
「よし通せ。早く」
部屋に通されたレンはフードと帽子をとる。
「うっ、まぶしい」
「キラキラがきついみたいっすね」
「うるさい。連絡員No.198、報告に参りました」
「うむ。早速だが状況を聞かせろ。お前は金色と行動を共にしていたのだな」
「はい」
「では現在金色と薪割りが交戦している理由も把握できているか」
「は、あー、はい」
「なんだ?」
「いえ、把握しております。金色を始末するため偶然遭遇した薪割りを煽り戦闘をさせた次第です」
「バカもの!街の近くで戦闘など警戒心が強まれば我々は行動しづらくなるのだぞ。現に街の治安組織が動き出している」
「申し訳ございません」
自分を落ち着かせるようにため息をつくモグラ。
レンは内心、無理やり呼びつけたのだから知ったことではないと思っていた。
不意にこんなことを思った自分はトウニに影響されているのかもと思い浮かんだが、モグラが話しを進めたためその考えは霧散してしまった。
「市街地で噴水が無差別に暴れている。加えて昨日は氷の向日葵と薪割りが交戦した。そこに金色まで現れるとはな。危険度の高いバケモノどもが同時にこのモーフトンに現れたのだ。何か策謀でもしているのではないかと疑っている。その点について何か情報はあるか」
「金色と薪割りは偶然居合わせたにすぎません。ですが氷の向日葵と噴水はここ、諜報部本部を狙って現れたと思われます」
「なぜそういい切れる」
「金色から聞きました。彼らは我々を感覚的に感じ取る事ができるとのことです。金色は匂いと言っておりました。その匂いに惹かれて向日葵と噴水は現れたのだと」
「匂いか。ぉぃ、私は臭うか?」
「え?あー、いえ全く」
「そうか、よかった」
モグラの質問に目を逸らし応える部下。
ヒソヒソ話しがすべて聞こえてしまったレンは、身に覚えのあるやり取りに両者への共感を覚えたのであった。
「この後はどのように行動すればよいかご指示いただけますか」
「ああ。他の支部に向かってほしい。そこで集約された情報を持ち帰ってこい」
「承知しました。場所は」
「うむ。南西の街アルハに向かってほしい」
「なんか陽気な感じっすね」
「だからお前は黙ってろ。要望があるのですがよろしいでしょうか」
「言ってみろ」
「はい。私はバケモノ達に顔を覚えられました。そこで遠方の支部へ赴く任に当たらせてはもらえないでしょうか」
「ふーむそうだな。今回のようにバケモノどもを引き連れて来られても困る。いいだろう。では北の支部へ行ってもらう。最前線の人間はこのモーフトンはもちろん西や南に移動してると聞く。北ならばお前を知る者も少ないだろう」
「承知しました」
「他にあるか?」
「はい。魔王様の安否について。今後我が軍の者と会うことがあればお伝えすることで士気も保てましょう」
「知らん。全く知らん」
「全く、ですか」
「そうだ全くもって何も知らん。以上だ」
「しょ、承知いたしました」
「よし。お前たちの行く場所は北の支部があるキタクニだ。そうだ、No.198。お前はその男にレンと呼ばせているのだな」
「はい。旅の道中で名前がないのは不便であったため」
「ああわかっている。コードネーム”レン”としてそれを今後も使え」
「コードネーム、ですか。私のような者に...?」
「ああ。まぁあまり気にするな。では行け」
「はい。失礼します」
「失礼しやっす」
北に向け旅立つ2人を見送るとモグラはそれまでに思い浮かんだ考えをまとめ始めた。
「ふむ。魔王軍に属しながらバケモノとも接点を持つか」
「彼女は人間です。裏切りが懸念されます」
「そうだな。無いとはいえん。しかしそれよりも我々のことが匂いでわかるのであれば正体はバレているはずだ。なぜ始末されない?あのレポートを読む限りでは金色の妖精に気に入られているようにさえ感じる。一体何があったのか」
「調査いたしましょうか」
「ああ、任せる」
「承知いたしました」
「それにしても、連絡員にしてはキラキラしていたな」
「はい。恋ね」
「物理的にだ。あれはまぶしかったなぁ...」
今やモーフトンの警備隊は森で戦う2人を無視できずにいた。
連日街の内外で暴れまわるバケモノ達の対応に追われていた彼らは、どちらにも対処出来るよう街の外壁に陣取ることを決める。
それが後手に回ることになるとは知らず。
彼らが見守る戦いは苛烈さを増しており、互いの刃は血を帯び始めていた。
空中演舞と呼ばれる妖精の動きを封じ、対空戦に対処するため先日同様に大地を割った薪割り。
何度も行われた破壊によって木々は倒れ、地形は原型を留めていない。
そんな状態ではあるが、不規則な動きに慣れている妖精にとってさしたる障害にはならなかった。
「ちっ、地味なくせに厄介な...仕方がない、トップでいくか。これやると目立つんだよなぁ」
強い力を行使していることを示すかのように身体の輪郭がほのかに光を帯びる。
バケモノの王と称される者達の特徴でもある淡い光を纏い彼は攻勢に出た。
薪割りは瓦礫に身を隠しつつ隙を見ては割れた大地や大木を投げつける。
家のように大きな岩や木が降り注ぐ中、妖精は空間を飛び回り避ける。
しかしその目的は妖精の軌道を制限することにあり、相手の動きを見極めた彼は間合いを詰め襲いかかった。
それまでの動きが遅く感じるほどの速さで迫る薪割り。
不意を突かれた一撃をどうにか受け止める妖精。
すかさず次手を放つ薪割りに防戦を強いられる。
「あなたはそんなにあの子が欲しいか!」
「ふん、あいつは面白そうだからな。お前こそどうしてそこまでこだわる」
「やっと私のことに興味を持ってくれた人だもの」
「そのキラキラって奴をか?」
「そうよ。あなたにはわからないでしょうけど、ね!」
怒りを込めた重い一撃を受け止める薪割り。
凄まじい圧力に足場が沈み、打ち付けた剣が折れる。
間近で見る妖精は泣きそうな顔で怒っている。
ふと、何か噛み合っていない気がした薪割りは手斧ではなく質問を返した。
「トウニが?」
「レンよ!」
「ん?ちょ、ちょっと待て、俺はてっきりトウニかと」
「今更!」
「わわ、待った待った、勘違いだ、悪かった」
「ここまで煽っておいて悪かったで済ますのか!ほんと、本当に身勝手で頭にくる!どうせすぐ治るんだからその首斬らせなさいっ!」
「さすがに死ぬわ!」
バケモノの戦いはまだ終わらない。
トウニ達は最短ルートを案内され街の中では少し高い位置から地上に出たようだった。
しかし昼を過ぎた頃だというのに外は薄暗く、街はどこか騒然としている。
見上げると、ひまわりが街に被さるように一層大きく広がり、花には雫のように水が1つまた1つと溜まっている。
多くの人々は外に出てきており、雫が落ちやしないかと不安を掻き立てられている様子が伺えた。
そして大半の者は避難のため外へ向かっている。
だがこの街を囲う外壁がいつの間にか分厚い氷で覆われ、何者も逃さないように行く手を阻んでいる。
街の出入り口となる門周辺も同様であるため、外に出られず混乱した人々が騒ぎを起こし始めているのが見えた。
「レンさん」
「ああ、遅かったようだ。どこか外へ出られるところがないか探そう」
「でもどこに行けば」
「一度高い所へ向かおう。街全体を見渡せる所がいい。まずは状況を確認してそれからどうするか考える」
「了っす。なんかかなりまずいことになってますね」
レンはトウニの言葉を適当に返しながらこの状況について考えていた。
ひまわり、氷壁、バケモノ達。
まずあのひまわりはこの短時間で随分広がっている。
このことをモグラは気づいていない感じだった。
となると外壁の氷は今しがた出来たのかもしれない。
頭上の花も壁も、恐らくあの水を凍らせて一気に作り上げたのだろうと考えられる。
あの水は噴水の力と思われる。
モグラは薪割り達バケモノの王に気を取られ対応が遅れているのかもしれない。
「...まさかあいつら本当に共謀を?いや、さすがにまさかだな。そんな小細工が出来る奴らには見えん」
高所を目指し街中を急いでいた2人は偶然串焼き屋の通りに出た。
トウニはつい気になり目を向けると、串焼き屋の店の奥からわずかに白い煙が立ち上っているのが見える。
店主はまだいるのかもしれない。
不安に駆られた彼は一言レンに自分見てきますと言い、駆け寄った勢いのまま店に入った。
「おっちゃん!」
「ん?なんだにーちゃんじゃねーか。どうかし」
「逃げて!」
「なんだ急に。あん?なんだあれ、また誰か暴れてんのか」
「そうというか違うというか、とにかく早く逃げろ!」
「ああ、ああそうだな、あれはヤバそうだ。騒がしいのはなんとなく感じてたんだが串焼くのに没頭しちまって」
「もー!そんなのいいっすよ!早く街の外に!」
「すまんすまん、先行ってくれ、俺は簡単に荷物まとめるから」
「そんな余裕は、ああもう!ちゃんと逃げてよ!お待たせ...あれ、レンさん?」
思考に没頭していたレンはトウニの行動に気づかないまま走り去り、2人ははぐれてしまった。
街の上空に広がるひまわり。
その上には2人組の女がいる。
顔の半分を薄い氷で覆った向日葵と、もう1人は噴水と呼ばれるバケモノ。
彼女らはこれから起こす災害にも等しい所業を進めていた。
「そろそろ始めるわ」
「うん。ねえ向日葵、まだ薪割りはこの街にいるかな」
「そうであってほしいものね。いないとしても奴らを一掃するにはこれがいいわ」
「だねぇ。モグラ探しは疲れたもの」
「ええ」
「合作、夏の思い出」
そう口にする向日葵に呼応して力を使う噴水。
大きなひまわりの上で彼女から大量の水が流れ出す。
その水に乗せて向日葵は氷塊を流した。
ひまわりから落ちる滝は、花にできた雫と共に容赦なく街に降り注ぎ隅々まで行き渡る。
突如として降り注ぐ水氷と轟音。
かつては穏やかだった街の十字路は水流がぶつかり合い渦まく危険な水路となり、逃げ遅れた者、隠れた者を容赦なく引き込んでいく。
その渦に招かれた者は二度と帰ることはない。
街を囲う氷壁は塔の如く高くそびえ降り注ぐ水氷を街中に蓄える。
こうしてモーフトンは全てを抱えたまま水の中へと沈んでいった。
隆起する大地の頂上部に縫い付けられた姿がある。
薪割りであった。
めくれあがった大地に折れた刀身で刺し貫かれていた。
「く、げほっ。いってぇ、おいこれ抜いてくれよ」
「はぁはぁ、いやよ。致命傷はそれちゃったから、あなたなら死なないでしょ」
「だから、抜いてほしいんだけど。う、しんどい」
「人を怒らせるようなこと言うからよ。煽るなら、相応の覚悟くらいしておきなさい」
「ははっ、うぅ。そ、そうだな、今後はそうする。ん?あ、おい、あれ」
「なに?あれは、ひまわりから水が、まさか噴水?」
「街が、沈む」
疲れ切った金色と薪割りはすぐに動けなかった。
バケモノの王達は見晴らしのいい場所からことの成り行きを見守ることしか出来ず、それぞれが心配する相手を思い浮かべていた。
「レンちゃん」
「...トウニ、まだ死んでくれるなよ」
レンは高台にいた。
結局出口になる場所は見つからず、水を避けるためそのまま高台に留まった事を強く後悔した。
同じ事を考えた人々が集まっている。
だがそれももうじき無駄になろうとしていた。
「ここに来たのは失敗だった。さっさとトウニの能力で空に逃げればよかったな。くそ、あいつどこに」
このままでは水に呑み込まれるのは時間の問題。
手の打ちようがない状況に冷静なレンも焦らずにはいられなかった。
「いっそ泳いでいくか。はっ、現実的じゃないな。ああ、自分にも奴らのような力があれば。まったく、つくづくバケモノには苛立ちを覚えずにはいられんな!」
足元はすでに水の中。
力の無さを恨めしく思いながら彼女は悪あがきをした。
「トウニーッ!私はここだぁーっ!」
周囲には滝が流れ落ち、轟音が響く。
レンの最後のあがきは水泡に帰したのだった。
水面に出ているものはほとんどなくなった。
あと僅かな時間で全てが沈む。
水位が上がろうと高い氷壁を突破できる者はいなかった。
ただ1人、トウニを除いて。
彼は落ちる向きを瞬時に切り替え空中に停滞する荒技を土壇場で使うことで水害から逃れていた。
そして目指していた高台に行き着き、水面に浮かぶレンを見つけた。
彼女は常人とは異なる身体能力のお陰でかろうじて抗うことが出来ていたのだ。
「レンさんっ!掴まって!」
「トウニ!」
上手くコントロールが効かず下手をすれば水に呑まれてしまうのを堪えながら手を伸ばすトウニ。
足が浮いてしまい手を伸ばすことしかできないレン。
互いの手を求め必死に抗う2人。
その再会を妨げる水流。
果たしてレンは水流に逆らえず、とうとうその中へと姿を消してしまった。
渦巻く水面を見ても彼女の姿はなくどこにいるのか検討もつかない。
「うぅ、ぁぁぁあああああ!」
焦燥に駆られ自らの力をどう使えばいいのか判然としない感覚のままにトウニは能力を奮った。
もっと広く、もっともっと、どこかにいるレンのいるところまで。
かすかな光りを纏う彼はひたすらに力を広げた。
姿のない彼女を探して力を使い続ける。
水はトウニの想いに応えてはくれない。
泣きそうなのを堪え力を振り絞る。
どうしてそうと分かったのか。
自分でも不思議に思いながらもトウニは渦の中へと消えたレンを見つけ水ごと捕まえ引き寄せる。
反転する世界の中でレンはトウニの手を掴みとる。
そして身を寄せ合った2人は空へと落ちていく。
空にそびえるひまわりに足が付くと2人は頭上の街を見上げた。
反転した世界。
レンは水が登り天の街へと注がれる不自然な光景に目を奪われつつも寄り添い合うトウニが気になった。
恐れか憤りか、それとも巨大な力を前に漠然と不案を感じているのか身体が強張っている。
この男の気持ちを推し量ることは出来なかった。
旅を始めてから決して短くはない時間が経っているが、未だにその心を知ることが出来ずにいる。
トウニは言葉もなく、水柱が伸びる青白い街をただただ見つめるばかりであった。
難を逃れ近い丘に降り立った後、2人は街を呆然と見下ろしていた。
丘の上から眺める街は空へと夕日を返している。
その姿はバケモノの非道な思惑とは裏腹に淀み無く美しく、まるで氷の街から伸びる花はプランターから咲くひまわりのようにも見える。
丘の上は風が少し強く、街の冷気が吹き上がってくる。
レンの濡れて冷えた身体には辛く、彼女は強張った身体から緊張を解くことが出来ずにいた。
諜報部本部が壊滅的な打撃を受けたことを他の支部へ伝えなくてはならない。
地下だからもしかしたら退避したかもしれない。
だが氷が降り注いでいたのは地下道に亀裂を入れるためかもしれない。
どちらにしてもその安否を確かめる術はない。
この街のことは自分たちが伝えるよりも早く噂で広まるだろう。
かつてはバランスの良い造りの都市として名を広めたがこれからは違う名を歴史に刻む。
恐らくこの氷は次の夏まで溶けることはない。
厚く固い巨大な氷と水に覆われた街。
氷の花が咲く街モーフトン。
そばで俯いたままのトウニが気になり彼女は声をかけた。
「泣いているのか?」
「...そこまでじゃない。でも悲しい気持ちは強いです。串焼き屋のおっちゃん、門番のおにーさん、モグラさん達。いくら何でも皆死にすぎなんです。あの向日葵って女のせいで」
トウニがここまで強い感情を滲ませることは珍しい。
その意気にレンは内心動揺してしまった。
「そうか。お前のことだからまぁ仕方がないと言って済ますかと思ったんだがな」
「興味のない人がどうなろうと知ったことじゃないけど、だからって冷淡な人間ってわけじゃないんですよ。こんな出来事に憤りを感じることだってある。この街に来て、自分はあの力を目の当たりにしてからレンさん達の気持ちが少しずつわかってきました。あんなバケモノ、怖いから自分は戦いたくない...だけど、逃げられるだけの力は欲しい。そのためにもっと力を身につけたい」
レンは思った。
力をつけたいとトウニは言った。
強くなりたいと言わないところが彼らしい。
この言葉の根本にある気持ちは長くは続かないかもしれない。
だがこの一歩、この新たな一歩を踏みしめたことは彼にとって意味がある。
いずれその想いから距離をあけるとしても、今まで留まり流されるだけだったトウニに自発的な前進と後退という概念が生まれたことが重要なのだ。
何故なら、それは成長と呼ぶに相応しいものなのだから。
人の強さとは意思の強さともいえる。
「望まないかもしれないが、お前は強くなっているよ。トウニ」




