林田隠岐守は鎮西探題を攻撃したい
六波羅探題滅亡が九州に伝わると情勢が変わった。
「大きな騒ぎになる」
誰もが思った。
「薩摩の島津貞久も参加すると聞いたぞ」
「この大きな騒ぎが、新たな時代を築くきっかけとなるのかもしれん」
少弐貞経や大友貞宗、島津貞久らの武将が幕府から離反して鎮西探題を攻撃した。
倒幕勢は尊良親王を奉じる者、後醍醐天皇の綸旨に応じた者、護良親王の令旨に応じた者、高氏の呼びかけに応じた者と様々な勢力が参加して膨れ上がった。
林田隠岐守も攻撃に加わった。これが林田隠岐守の初陣になった。家臣からは初陣を心配する声が出た。
「誰にだって初めてはある。そうだろう」
林田隠岐守は答えた。その声には自信と決意が宿っていた。家臣達の心に勇気をもたらし、不安を和らげていった。
五月二五日の総攻撃の日の朝、朝霞が戦場を照らし、その光が林田の者達の心を燃え上がらせていた。
「我らが林田家の誇りを示す時である」
戦場では刃が交錯し、血しぶきが舞い散る。林田隠岐守の心臓は鼓動と共に戦いのリズムを奏でた。林田隠岐守は初陣の緊張に耐え、果敢に戦場で立ち向かった。緊迫した時間時間が経ち、戦闘が激化していく。鎮西探題の北条英時は、一族二四〇名と共に自害の道を選んだ。その決断は戦場に静寂をもたらし、勇士達の心に重い感慨を残した。
林田隠岐守は朝からずっと緊張の連続であった。戦いの疲れと喪失の痛みが胸に重くのしかかる中、林田隠岐守は新たな時代を迎える決意を固めた。その一歩一歩が、未来への道を切り拓く一石となることを信じて。
「この戦いは新たな時代の序章に過ぎない。未来への道を切り開くためには、まだまだ歩むべき道がある」
鎮西探題の滅亡する三日前に鎌倉幕府が滅亡した。鎌倉は新田義貞らに攻められ、得宗の北条高時ら北条一門は自害した。北条一族の生存者は高時の息子の時行や同母弟の泰家ら僅かであった。彼らは逃走し、潜伏する。
「我らは生き延び、再び栄光の日を取り戻すべく努力せねばならぬ」
泰家は鎌倉幕府を牛耳っていた内管領長崎高資が警戒するほどの人物であった。時が病で執権職を退いた後の執権の最有力候補になるが、高資の反対で阻止された。代わりに連署であった金沢貞顕が執権に就任した。貞顕は調整役の苦労人であった。連署の貞顕が執権に就任したことは、高時の弟という血筋よりも実務能力を重視した結果と評価された。
しかし、内管領にとって泰家は貞顕よりも手強い存在であった。貞顕ならば傀儡にできるが、泰家が執権になるならば幕府を牛耳れなくなる。泰家が執権に就くことで、幕府の実権は高資の手から離れ、自らの勢力が削がれることを恐れた。それ故に泰家の執権就任に反対した。泰家が執権に就任すれば、幕府に新たな息吹をもたらすことになっただろう。




