軒端の梅よ春を忘るな
源実朝暗殺事件では実朝と一緒にいた源仲章も殺害された。仲章は北条義時と勘違いされて殺害された。義時は一緒にいなかったために無事であった。これは『吾妻鏡』と『愚管抄』で記述が異なる。
『吾妻鏡』では義時が実朝の脇で御剣役をする予定であったが、突然体調不良となり、仲章と急遽交代したとされる。
『愚管抄』では実朝に門で控えているようにと言われ、それに従い、難を逃れたとする。
『吾妻鏡』の記述に立つ場合は幾つかの見解がある。第一に本当に腹痛になって交代したとする。
第二に公卿が暗殺することを分かっていたために仮病で交代したとする。義時黒幕説の土壌になる。暗殺の黒幕ではないとしても、暗殺されることが分かっていて阻止しようとせず、自分だけ逃れようとしたのではないかとする。
第三に仲章と義時は権力争いをしており、仲章が義時の役割を奪ったとする。
『愚管抄』の記述に立つ場合も見解が分かれる。第一に実朝に何か思惑があって義時を下がらせたとする。
第二に単に義時の身分が低いから下がらせた当たり前の措置とする。「諸大夫・侍身分の御家人たちの前ではなく、列座した公卿と殿上人の前を晴れがましく歩むことこそ、右大臣となった実朝の望みだった」(坂井孝一『源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍』講談社、2014年、250頁)
「出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」
これは源実朝の最後の和歌とされる。主人のいない宿という孤独感が表現されている。その孤独を癒すように、「軒端の梅よ春を忘るな」という呼びかけがある。孤独感と梅の花の美しさが組み合わされ、寂しい思いを吹き飛ばす印象がある。
これは冤罪で左遷された菅原道真の以下の和歌を彷彿とさせる。
「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」
風に揺れて梅の花が香りを放つことを求めている。その美しさを楽しむことで、季節や人とのつながりを感じることができる。梅の花は季節や人とのつながりを象徴する。春の美しさを感じることができ、孤独感を払拭する力を持つ。
「出でていなば」の和歌から実朝は暗殺を予期していたのではないかとの見解がある。実朝の和歌は万葉調とされ、京の公家の和歌と趣きと異なるところが、後世の人々に評価されている。しかし、実朝は本歌取りの和歌も多く詠んでいる。
逆に「出でていなば」の和歌は道真の二番煎じ色が強く、道真と実朝の運命を重ね合わせた後世の人が作出したものとの説がある。「『六代勝事記』の著者と思われる藤原長兼が、歌人としての実朝を悼んで詠んだ代作であり、『六代勝事記』を原史料とした「北条本」の『吾妻鏡』が惨劇の予兆として、あえて取り込んだものであったと考えたい」(坂井孝一『源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍』講談社、2014年、264頁)




