イズ先生の熱血教室! ~情勢編~
「やるわよっ! 勉強会っ!」
「いええぇぇぇい!!」
イズの突然の提案にエルが異常に高いテンションで応じる。
隣で叫ばれたヴィーレは耳鳴りに顔をしかめて、無言で彼を睨んでいた。
エルの上機嫌の訳は、先ほど訪ねた店でお酒を飲んでいたからだろう。ほんのり顔を赤らめて気持ちよさげに揺れている。
彼らの咆哮に少し間を開けて、隣から「うっせえ!」と怒鳴る声がし、壁が叩かれた。ヴィーレとエル以外が驚き跳ねる。
もう夜の十時だ。寝る人は寝る時間だから、これは無理もない苦情だろう。
「エル、騒ぎすぎだ」
どうやら酔うと喧しくなるタイプらしいエルをヴィーレがたしなめる。
(今更だが、最初の待ち合わせ場所に酒場を指定したのはこいつだろうな。こんなに酔い癖が悪いのによく飲もうとするもんだ)
呆れる勇者を他所に、イズとネメスとカズヤは部屋の隅で先の苦情に怯えていた。
「い、今のは何だったの……? 怒られちゃったけど……」
隣人の怒鳴りにネメスが恐れている。それを見てエルも正気に戻ったようだ。気まずそうに頭を掻いている。
「ネメス、あれはね……『壁ドン』って言うんだよ!」
同じく怯んでいた態度から一変するカズヤ。
熱く語る少年に、ネメスは首を傾げて問い返す。
「カベドン……? カズヤお兄ちゃんが教えてくれた、オヤコドンやカツドンの仲間?」
そこでカズヤはズコーッとわざとらしく転けてみせた。
(なんで床にダイブしてんだよ。今度は下から苦情がくるぞ)
テンションの高い彼へ冷めた視線を向けつつ、ヴィーレは窓際の椅子に腰かけた。
「違うよ。日本では隣の部屋に住んでいる人があまりにもうるさいと感じたときに、壁を思いっきり殴りつけることによって、相手にそのことを訴える『壁ドン』という謎の概念が存在するんだ」
「私達と同じ言語を話しているというのに、文化が違うだけでこうも語彙に開きが出るのね……。聞いた限りだとろくでもない単語が多いようだけど」
「ま、まあね……。でもさ、壁ドンにも良い意味はあるんだよ!」
「同じ言葉なのに、か? 不思議なもんだな~。ちなみに、どんな意味なんだ?」
再び日本語について語り始めたカズヤへ、ヴィーレが興味本意で尋ねてみる。
「もう一つの壁ドンも動作を指す言葉なんだ。女の子が男の人にされるとドキドキすることらしいよ」
「何よ、それ。いかがわしい事じゃないでしょうね?」
「そんなことないよ! 試しにエル、イズさんにやってみて!」
そう言うと、急展開に困惑するイズを壁際に追いやり、エルに何やら耳打ちするカズヤ。
話を聞き終えると、エルは「ふーん、思ったより簡単じゃねえか」と呟いた。それからニヤニヤと悪い笑みを浮かべてイズへ近づいていく。
彼はイズを抱きしめられるほどの距離まで接近すると、腰をわずかに曲げ、彼女の顔の横に手をついた。
壁の鳴る音と共に二人の視線が交錯する。
(な、何だこれは……。どう見てもチンピラが強引にナンパしているようにしか思えんぞ……)
解せぬ行動に呆然とするヴィーレ。隣ではネメスが意味も分からず「おお~!」と声をあげていた。
「い、いや……。正直恐いだけだわ……」
固まっていたイズがようやく感想を口にする。
どうやらトキめいていたわけではなく、単純に言葉を失っていただけみたいだ。
(そりゃあな。二人の身長は結構な差がある。好きでもない相手にあんな事をされたら、恐怖心しか生まれないだろう)
ヴィーレが冷静に感想を抱いている最中、エルはベッドの上までトボトボと移動し、壁を向いて膝を抱えた。
「恐いですか、そうですか……俺に男としての魅力は感じませんか……」
相当ショックだったらしい。何やらぶつぶつと呟いている。
同情混じりの表情をしたネメスがその隣まで歩み寄って、彼の背中を擦ってあげていた。非常に悲しい絵面だ。
「ん~?人選ミスだったかなぁ。じゃあ次、ヴィーレがやってみてよ」
カズヤの台詞を聞くと、すぐにイズはハッとした顔になって、壁の方を向いてしまった。
「い、嫌よ! ただ脅かされてる気分になるだけだって、さっきのでハッキリ分かったわ! 男はもう私のプライバシーゾーンに入らないで!」
顔を真っ赤にして断固拒否してくる。
ヴィーレはとうとう話の脱線を見かねたらしい。顔の横で手をひらひらさせて本題への軌道修正を図る。
「いじめすぎだ、カズヤ。イズも嫌がってるだろう。さっさと勉強会を始めるぞ」
そう言って仕切り直そうとするが、エルとイズの回復に結構時間がかかってしまったようだ。結局、第二回の勉強会が始まるのは三十分後であった。
「コホンッ! では始めるわ。今回は情勢についての話よ」
イズが咳払いをして話を始める。その手には前回のものとは別の書物が握られていた。
(情勢か。盗賊のこともあるし、知識として蓄えておくに越したことはないな)
ヴィーレもこの内容の勉強会に参加するのは初めてだった。
前の回までは盗賊と関わる事もなかったため、呪文の組み合わせや、魔王の情報についてばかりを教えられてきたのだ。
だから、これは彼にとっても興味深い話ではあった。椅子に深くもたれ掛かった姿勢から前へ重心を移動させ、教師の教えに耳を傾ける。
しかし反対に、イズは真剣に見据えてくるヴィーレと目が合うと、慌てて視線を外してしまった。
館でヴィーレの部屋を訪れてから、彼女の様子はずっとおかしいままだ。
だが、それはあまり表に出さぬよう努めているらしい。イズは深呼吸をした後、平常な表情に戻る。
「まず私達、王国率いる人類の話からね。カーニバル王国は世界に一つしかない人間の国よ。国民の総人数は推定で一千万人ほど。カズヤのいた世界、その内のたった一つの国の人口にも遠く及ばないわ」
王国は現在、国王デンガル・カーニバルが統治しているようだ。何十代も続いた由緒正しき王族である。
王国の土地は海に囲まれるようにして楕円形に広がっている。
沖を探索すれば他にも大陸があるのではないかと言われているが、海に棲む魔物は強大だ。
なかなか討伐されない上に、数も多く、他の生物を食らって魔力レベルが遥かに高い。その存在が、人類をこの土地に長く留め続けていた。
唯一陸が続くと思われる北の方角にも、魔王城というダンジョンが立ちはだかっている。
そこは厳しい寒冷地方で、魔物もレベルが高い個体ばかりだ。戦闘系の呪文を一つも使えないのなら、数千の兵士でも連れていかねば、魔王城へ到達することすら敵わないだろう。
「総人口に比べて、魔物の数は計り知れないわ。未だに大まかな推定すらできていない状態よ。ただ、陸にいるだけでも、人間の数は容易に超えていると思われるわね」
魔物は一体で人を何人も殺してしまえるほどの強さだ。
加えて、人類は魔物と違って全員が戦えるというわけではない。戦争中の魔物が他の個体と連携する事を考えれば、状況は絶望的だった。
「というわけで、兵士たちは魔物の侵攻を食い止めるだけで手一杯なの。兵士のなかにも一部、伝説級に強い猛者がいるとも聞くけど、それでも徐々に押されてきているわ」
ヴィーレの心に暗い陰が差す。
(そんな厳しい世界に放り出されている幼なじみは無事だろうか。旅をしているから文通もできない。またどこかで会えるといいが……)
そこまで考えたところで、せっかく再会してもただ励ますことしかできなかった自分を思い出し、やるせない気分になったのだ。
「そして、そこにさらに負荷がかかることで、軍はもうボロボロになっているわ」
「お姉ちゃん、その『負荷』っていうのが……」
「ええ。私達が三日後に戦うかもしれない人類第二の敵、『盗賊』よ」
「なぁなぁ。その盗賊ってのは何か……グループ名みたいなのはねえの? 大体そういう奴らって付けるじゃん? 洒落ている格好いい感じの名前をよォ」
「さあ? いずれは名付けるつもりかもしれないけど、ここ最近で爆発的に増えた勢力だもの。リーダーすらまともに決まっているのかどうか……。彼らのアジトもどこなのか、未だ判明していないらしいしね」
「ふぅん」
イズの答えにエルは興味なさげに相槌を打った。
引っ込む彼に代わって、今度はカズヤが会話に出てくる。
「その人達はどうしてそんなに悪い事をするの? 何か理由とかあるのかな?」
「それは、あくまで噂だけれど、彼らが今の国の体制に不満を持っているかららしいわ。身分だけで貧富が決まる、平等も何もない国にね」
「だが、どうしてそれで悪事を働くんだ? 普通にデモでもしてりゃいいじゃねえか。頭数集めて、看板掲げてよ」
「そんな頭が無いんじゃないかしら。それにさっき言ったのが本当だとしても、『平等のために打倒王権』なんて建前でしょう。彼らのやってる事がもたらす結果は、この王国を実力至上主義の国にすること、もしくはそのために王国を一度潰すことだわ」
「随分と大きく出たものだね。盗賊たちは差別を憎んで差別を作り出そうとしているのか」
カズヤのコメントに貧民のヴィーレがふっと一笑した。
「くだらんな。平等なんてあり得るわけがないというのに」
「まったくね」
それを受けたのは貴族のイズだった。恩恵を受ける者と弊害を受ける者だからこそ、彼らには確信があったのだ。
「さて、話を戻すわよ。盗賊は素晴らしい能力、或いは強力な呪文を持っている者たちへ積極的に声をかけているらしいの。信じられない話だけど、彼らの成長速度からして、声をかけられた者の多くは盗賊に加入していると考えていいわ」
「弱みを握られていたのか、盗賊に入ることで得られる何かに惹かれたのか、特殊な呪文によってメンバーを増やしているのか……。可能性はいくらでも考えられるけど……」
カズヤは独り言を漏らしながら思考を巡らせている。
他の四人も、掴み所のない相手について、自分なりのイメージを思い描いていた。
「ともかく、そうして奴らは軍と渡り合えるほどの強さにまで成長してしまったってわけか」
埒があかないと思ったようで、ヴィーレが短く話をまとめた。
「ええ、そうね。魔物さえいなければ早いうちに出る杭を打つこともできたでしょうに」
イズはやれやれといった具合にため息をつく。ネメスやカズヤ、エルは未だに次々流れてくる情報を頭の中で整理しているようだ。
「でも、どうしてそんな人達がヨーンの村に犯罪予告なんてしたんだろう?」
カズヤが疑問をこぼすと、すぐさまイズがそれを拾い上げる。
「だからこそ、なんじゃないかしら。今なら軍は魔物の対応に追われていて盗賊に手を回せない。おまけにほとんどの兵が疲弊しているわ。そんな状態の軍を叩くことで、盗賊たちは自らの地盤を確固たるものにしようとしている。……のだと思うわ」
「へえ~。あの兵士たちもわりと忙しいんだな」
「早くみんなの喧嘩を止めてあげないとだねっ!」
「人と戦うのか……。どうなるんだろう」
「……あ、そうだわ。カズヤの言葉で思い出した」
エル、ネメス、カズヤと続いて、イズが再度思い立ったように口を開いた。
「ヴィーレ。今のうちに確認しておくけど」
何か言い忘れていた事を思い出したようだ。彼女は近くのテーブルに本を置き、ヴィーレに向き直る。
「……あんた、盗賊の連中と戦う時、奴らを殺すの? それとも生け捕りにするの?」
瞬間、全員の視線が勇者に集まった。
皆もその事については気になっていたようだ。どこか不安そうに見つめてくる者もいれば、試すように深く観察してくる者もいる。
(クソ、変に難しい質問してきやがって……)
ヴィーレは天井に目をやってから、頭をポリポリ掻いて返答を寄越した。
「場合による、としか言えないな。可能な限りは生け捕りにして罪を償わせたい。だが、お前達の身が危ない場合は贖罪なんぞ知らん。容赦なく切り捨てる」
彼が固い意志を持ってそう言うと、イズはホッとしたように胸を撫で下ろした。
「良かったわ。『絶対に誰も殺すな』なんて言われても、きっとできなかったでしょうから。いざとなったら私は見知らぬ誰かなんかよりも、ネメスやあんた達を優先してしまったはずだもの」
「僕も……その余裕は流石にないな~……」
「わたしもイズお姉ちゃんやお兄ちゃん達がいなくなるのは絶対に嫌っ!」
「俺も同感だぜ。なんだかんだお前らといると楽しいしな!」
どうやらみんなの絆はもうかなり深まっていたみたいだった。
無論、人殺しをするのは五人とも絶対に避けたいだろう。しかし、今の彼らにはそれ以上に恐れるべき事態があったのだ。
(順調だな。そろそろ頃合いかもしれない。このまま事が上手く運んでくれればいいのだが……)
ヴィーレは見覚えのある信頼感に安心しつつも、初めて歩く道のりに漠然とした不安を覚えていた。
「じゃあ明日は歴史についての勉強をするわよ。今日は解散!」
「お姉ちゃん達、おつかれ~」
イズが切り上げると同時に部屋の空気が弛緩し始める。
「疲れたな。これだから勉強は苦手だぜ」
「学校はもっと長い授業が沢山あるよ」
カズヤが淡々と事実を告げる。すると、エルは限界まで眉間を狭くした。
「マジかよ。この世の地獄だな」
「僕のいた世界はこの世じゃないけどね」
「確かに。じゃああの世の地獄だな!」
「地獄はあの世にあるものでしょ?」
「ん? ……うん? あれ?」
エルは混乱している。カズヤはその様を見て、クスクスと悪戯っぽく笑っていた。
しばらくすると、その会話にヴィーレやイズ、ネメスも参加してくる。隣からの苦情を気にして、五人分の控えめな笑い声が部屋に響いていた。
そのまま勇者一行は勉強会終了の流れで、一日の疲れをとるために、宿の大浴場へと向かうことにしたらしい。
彼らの和気藹々とした声は部屋の外へと消えていった。




