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隣の景色  作者: のゆ
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6話 夜のアトリエ(漣)

 ――ある日の夜。

 大学、芸術棟のアトリエ。


 ふとスマホを見ると、もう二十時を過ぎていた。

 つい絵を描くのに夢中になり、遅くなってしまったらしい。


 窓の外はすっかり暗い。

 アトリエの中も、残っている学生はもうほとんどいなかった。

 乾きかけた絵の具の匂いと、静かな換気音だけが耳に残る。

 

 もう少しだけ描いたら帰ろう。

 再びキャンバスに向かおうとしたその時だった。


 「まだやってるんだ。さすが篠宮(しのみや)! 命削るの好きだねぇ」


 その言葉、そっくりそのまま返したい。

 お前だって、この時間までここに居たんだろ……。

 

 振り向くと、そこにいたのは黒瀬 悠月(くろせ ゆづき)だった。

 

 同じ学年、同じ芸術学部の絵画専攻。

 入学した頃から、なぜか目をつけられていて、事あるごとに絡んでくる厄介な存在だ。

 

 今日も相変わらず、ゴシック調の少年みたいな服を着ている。

 アシンメトリーの銀髪に、ピンクのメッシュ。

 月明かりの差し込むアトリエの中で、その意地悪な笑顔が妙に目立って見えた。

 

「まぁ、ボクも似たようなものだから、気持ちは分かるけど」


 ……悠月は何も分かっていない。

 

 俺は命を削りたいわけじゃない。

 ただ、描いていると時間が飛ぶだけだ。

 夢中になって、気づいたらこうなっているだけで。


 悠月は黙っている俺に構わず、楽しそうに続けた。


「このままふたりで夜明けまで描いてよっかぁ」

「……あと少し描いたら帰る」

「へぇ〜? 篠宮はそれでいいんだ?」

「何が言いたい」

「時間も何もかも忘れて、作品のことだけ考えて生きる。それが芸術家としての“自由”なんじゃないのー?」

「知らない」


 気が散って、筆が止まる。

 もう今日は、このあたりで切り上げた方がいいかもしれない。


 悠月は俺の絵を覗き込みながら、面白がるように言った。


「最近、色使いが変わったよね。ずっと見てるから分かるよ」

「……そこまで変えてるつもり、ない」

「嘘だぁ。なんかイイことでもあった?」

 答えを待たずに、悠月は次々と投げかけてくる。

「意図してなくても、作品には出るものだよ? ……まぁ、こういう篠宮の作品も嫌いじゃないかも」

 

 くすくす笑いながら、しつこく絡んでくる。

 からかっているのか、本気で見ているのか分からない。その曖昧さが余計に厄介だ。


 ――その時、静かに扉が開いた。

 

「あ、保護者くんだぁ」

 悠月のその声を聞いて振り向くと、蒼真(そうま)が立っていた。

 

 蒼真は、心配そうに眉を寄せながらこっちへ歩いてきた。

「漣(れん)、やっぱりここだと思った……。昼から全然メッセージ既読つかないし」

「ごめん。スマホ見てなかった」

「また集中してたんだろー? バイト帰りに寄ってみて良かった! 差し入れいろいろ持ってきたけど、なんか食う?」

「ありがと……」

 蒼真の声を聞いた途端、胸の奥のざわつきが少し落ち着いた。

 

 蒼真は、悠月にも気さくに声をかけた。

「あ、キミも遅くまでおつかれさまー。おなかすいてない? なんか食べる?」

「あっは。お気遣いどーも。でもボク、そういう“温度”で描いてるタイプじゃないから」

「?? そ、そう……」


 蒼真、たぶん意味分かってないだろうな。

 俺もよく分からない。

 

 悠月は俺の肩をぽんと叩き、耳元で囁いた。

「ねぇ、篠宮。それって、本当に“自由”なの?」


 自由――。

 俺は、ずっと自由に描いてるつもりだった。

 好きなものを描いて、好きな色を選んで、好きなだけ向き合ってるつもりでいた。

 でも、悠月の言う“自由”は、きっとそういうことじゃない。


「じゃ、またねー。篠宮」

 そう言って、悠月はひらひら手を振り、自分の席の方へ戻っていった。


 足音が遠ざかる。

 アトリエには、また静かな空気が戻った。


 蒼真は、机の上に置いていた道具を手際よくまとめながら、ふとキャンバスを見た。

「今日はどこ描いてたの?」

 そう聞かれて、俺はキャンバスを指差した。

「このあたり、全部」

「すげー。……なんかさ、この絵いい!」

「……そう?」

「うん。オレ詳しいこと分かんないけど、見てると明るい気持ちになる」


 先日の児童館でのことが、少しだけ影響してるのかもしれない。

 子どもたちのにぎやかな声とか、折り紙の星とか、あの時間の空気とか。


 自分では意識していなかった変化を、蒼真はあっさり見つける。

 うまく言えないけれど、それが少し嬉しかった。

 

 片付けを手伝ってくれている蒼真の横顔を見て、張りつめていた気持ちがやっと緩んでいく。

 

 俺は、蒼真が居るから描き続けられているんだと思う。

 でも――もし蒼真が居ない世界だったら。

 

 俺は、どんな色を選んでいたんだろう。

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