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ほくそ笑む大悪党 アルバロ・デ・モリーナ  作者: ひまえび
第6章――「波の鎖、南の潮」

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第17話――「港の骨、砦の息」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


――――――――――――――――――

登場人物

ディエゴ、マオア〈37〉、レイリ〈19〉、ナヤリ〈36〉、ウアチマ〈31〉、テシラ〈27〉、アマイラ〈19〉

――――――――――――――――――


 (1521年12月上旬、アクラ。朝)


 湿った夜が明けても、帆布はまだ重たかった。浜へ出ると、潮の匂いに泥の匂いが混じり、倉庫の板壁からは松脂の香りが薄く立った。遠くでは木槌が鳴り、綱を引く声が低く続く。港は静かではないが、無駄に騒がしくもない。働く音だけが、途切れずに積み重なっていた。


 ディエゴは桟橋の端で足を止め、船の腹と倉の扉を順に見た。兵の数も火器の数も足りている。ところが、その兵と火器を受け止め、動かし、守り、増やしていく場所が足りない。彼はそこに、今の弱点があると見た。


 やがて兵の長たちが集まった。ディエゴは前置きを削り、まず結論から告げた。


 ディエゴは言った。「太平洋側に港と砦を作る。12月の始めから着手して、3か月かけて完成させる。そこをメソアメリカの根にする」


 言葉が落ちた途端、空気が揺れかけた。しかし、ざわめきが広がる前に、マオアが手のひらを上げて制した。彼女は場の熱をほどき、話が前へ進む形を作るのが上手かった。


 マオアは落ち着いた声で言った。「提督殿、確認させてください。太平洋の拠点は海岸沿いにお置きになり、舟が出入りできる場所を選び、港と砦を一体で築く。そう理解してよろしいでしょうか」


 ディエゴは頷いた。「そのとおりだ。陸の奥へ逃げる場所は要らない。海が入口だ。港の口も、砦の正面も、海へ向ける」


 テシラは海の方角を見たまま、いったん息を整えた。それから、言葉を崩さずに続けた。


 テシラは言った。「提督殿、そうなりますと潮が仕事になります。杭を打つ刻みも、舟を上げる刻みも、潮で変わります。潮の返しと浅瀬の癖を私が見ますので、作業の時刻は私に決めさせてください」


 ディエゴは迷わず答えた。「頼む。舟を殺す港は作らない」


 レイリはひょうたんを抱え、言葉を慎重に選んだ。若いが、言い方は丁寧だった。


 レイリは言った。「提督殿、工事は長うございます。喉が乾くと、皆の顔が荒れます。そこでお願いがございます。水場と休憩の刻みを、先に決めていただけますでしょうか。水が切れたときに揉めるのが、私はいちばん怖うございます」


 ディエゴは言った。「最初に決める。水が切れたら、誰も真面目に働けない」


 ナヤリは倉のほうへ目を向け、必要なものを頭の中で並べ替えながら言った。


 ナヤリは言った。「提督殿、3か月いただけるなら、乾物の包み方を変えられます。樽と油紙を増やします。塩と豆と干し肉は湿気に弱うございます。黴が出れば腹を壊し、歩けなくなります」


 ディエゴは頷いた。「食糧は命綱だ。あなたの手で守ってくれ」


 ウアチマは腰の薬草の束を揺らし、少しだけ顔をしかめた。工事の苦しさを知っている者の目だった。


 ウアチマは言った。「提督殿、工事は戦より熱が出ます。足がふやけますし、切り傷が腐ります。病人を隠しますと広がります。ですから、隔離の小屋と、体を乾かす場所を先に用意していただけますか。私が見ます」


 ディエゴは兵の長たちへ視線を走らせ、それから言った。「倒れた者を笑う者は、次に自分が倒れる。私はそう言っておく。最初に決めて、繰り返さずに済む形にする」


 アマイラは赤い羽根を髪に差したまま、火の前で静かに息を整えた。声は小さいが、言葉ははっきりしていた。


 アマイラは言った。「提督殿、夜に眠れない兵が出ます。怖さで声が荒れますと、揉めます。短い歌を作り、合図も歌に入れます。怒鳴らなくても動けるようにいたします」


 ディエゴは小さく笑った。「それがいい。無駄に叫ばずに済む」


 最後に、マオアがもう一段だけ話を押し上げた。彼女は太平洋だけに兵と物が吸われるのを嫌った。


 マオアは釘を刺すように言った。「提督殿、太平洋側を作りながら、アクラも同時に整備なさるのですね。どちらか片方に吸われますと、背中が折れます。こちらは根でございますから、痩せさせてはいけません」


 ディエゴは言った。「同時にやる。アクラには造船所も作る。熱炉と鉄鋼の場所も作る。釘と鎹と鎖が切れたら、港も砦も育たない」


 ディエゴは砂ではなく板の上に炭で線を引いた。そして仕事を2つに分けて見せた。太平洋側では港と砦を育てる。いっぽうアクラでは倉と修理場と炉を育てる。戦いは、その2つが噛み合ったときにだけ始める。彼はそこで、そう決め切った。


 ◇ ◇ ◇


 (1521年12月上旬、太平洋岸。昼)


 太平洋の風は軽く、潮の匂いが澄んでいた。波は低く長く、浜は広い。砂が白いところもあれば、黒い小石が混じるところもある。歩くと足が沈み、戻すたびに砂が鳴った。


 テシラは潮の返しを見ながら、港の口になる場所を探した。岩陰に寄りすぎると渦ができる。反対に沖へ開きすぎると波が荒れて、舟が落ち着かない。彼女は少し歩いては止まり、同じ場所を2度見てから、最後に指を止めた。


 テシラは言った。「提督殿、こちらでございます。ここは潮が落ち着きます。舟を逃がしません。さらに申しますと、杭を打つなら引き潮の間にまとめて打てます」


 ディエゴは頷いた。「ここに根を下ろす」


 そこで最初に始めたのは杭打ちだった。斧の刃が乾いた音を出し、木の皮が剥がれる。太い杭が運ばれ、砂へ穴が掘られた。穴の底は湿り、足首が冷えた。杭を落とし、石を詰め、槌で締める。単調な音が続くうちに、汗の匂いが空気へ混じった。


 砦は港のすぐ背後に置いた。海岸沿いから一歩も離さず、港と砦を一つの体にするためだ。浅い溝を掘り、土を内側へ上げ、土塁の上に杭を並べる。角には張り出しを作り、横へ撃てる場所を確保した。豪壮な石壁は作らない。それでも、近づきにくい形だけは先に作った。


 マオアは列を詰めすぎないように人を割り、仕事の順番を決めた。苛立ちが出る前に水を回し、争いが起きる前に場所を替える。声は低いが、指示は通った。人が動けば、道具も動く。道具が動けば、港の形が一日ごとに目に見えた。


 レイリは水の置き方を変えた。砂の上に樽を直に置けば温くなる。そこで板を敷き、日陰を作った。ひょうたんの口は毎回拭いた。喉が守られると、兵の顔が変わる。言葉が荒れにくくなれば、手つきも荒れにくい。


 ナヤリは倉の場所を決め、床を上げた。板を敷き、樽を並べ、油紙で包む。潮風が直接当たらない向きに扉を付けた。黴の匂いが出る前に、匂いが通る道を断った。


 ウアチマは隔離の小屋を最初に建てさせた。倒れた者が隠れる場所ではない。戻って手当てを受け、また役目へ戻る場所として作った。熱が出た者にも仕事を残した。火の番、水の番、縄の修理を振り分け、心が折れないように手を動かさせた。


 アマイラは夜になると火の前で短い歌を回した。杭を打つ合図、荷を運ぶ合図、寝床へ入る合図を歌に入れる。歌の刻みに合わせると、怒鳴り声が減った。怒鳴らなければ、命令が濁らない。浜の暗さは、そのぶん落ち着いた。


 ◇ ◇ ◇


 (1522年2月上旬、太平洋岸の港と砦。夜)


 夜になると、浜の熱は少しだけ引いた。それでも空気は湿り、肌に張りつく。火を落とした営の奥で、波の音が低く続いていた。昼の作業で疲れ切った兵たちは、早くから寝床に沈んでいる。


 ディエゴは天幕の中で上着を脱ぎ、汗を拭った。肩も背も張りつめたままで、力を抜こうとしても抜けない。そこへ、マオアが先に入ってきた。続いてレイリ、ナヤリ、テシラ、アマイラが静かに幕をくぐる。


 誰も言葉を急がなかった。昼の間、互いに指示を出し、役目を果たし続けた顔だった。その緊張が、夜になってようやく緩み始めている。


 マオアが先にディエゴへ近づいた。彼女は鎧を外した腕で、提督の首を抱いた。


「今日は、よく耐えましたね」


 その声は低く、近かった。ディエゴは答えず、代わりに彼女の腰を引き寄せた。布越しに伝わる体温が、張りつめた神経を揺らす。


 レイリは火を落とし、天幕の中を暗くした。ナヤリとテシラは黙って衣を解き、床へ膝をついた。アマイラは短く息を吸い、歌う代わりに静かに唇を噛んだ。


 誰かが合図を出したわけではない。だが、次の瞬間、体は自然に重なった。


 マオアが先に跨がり、ディエゴの胸に爪を立てた。昼の指揮とは違う、荒い呼吸が混じる。彼女はためらわず腰を落とし、深く受け入れた。重なった瞬間、低い声が天幕に漏れた。


 テシラとナヤリは左右から体を寄せ、ディエゴの肩と背を掴んだ。汗と潮の匂いが混じる。布が擦れ、肌が打ち合う音が、波よりも近くで鳴った。


 レイリは背後から抱きつき、指で背中をなぞった。その手つきは若いが、必死だった。昼の恐れと緊張を、ここで吐き出そうとしているのが分かる。


 アマイラは床に伏し、名を呼ばずに声を上げた。短く、切れるような声だった。それが合図の代わりになり、動きがさらに荒くなる。


 腰が打ちつけられ、息が乱れ、誰かの爪が食い込む。慰めという言葉では足りない。これは回復だった。体を使い切り、また立つための行為だった。


 やがて、誰からともなく力が抜けていった。息だけが荒く残り、体温が静かに下がっていく。


 ディエゴは仰向けになり、天幕の天を見た。マオアはその胸に顔を埋め、ナヤリは脇に横たわる。テシラは汗を拭い、レイリはまだ離れきれずに腕を絡めている。アマイラは最後まで黙ったまま、背を向けて座っていた。


「……明日も続くな」


 ディエゴがそう言うと、マオアが小さく笑った。


「ええ。でも、今夜はここで終わりです。終わらせて、また始めましょう」


 外では、波が変わらず岸を打っていた。港はまだ未完成だが、ここに集まる人間の呼吸は揃いつつある。ディエゴはそう感じながら、目を閉じた。


 ◇ ◇ ◇


 完成が見えてきた港には杭の列が伸び、内側の水面が落ち着いていた。砦の土塁も形になり、見張り台が立ち、倉の列が揃っている。潮の音は同じでも、ここには拠点の音が混じる。縄が擦れ、桶が鳴り、鉄が乾いた音を立てた。


 ディエゴは板の上に偵察の記録を広げた。炭で描いた線の端には、港の灯と倉の位置が書き足されている。読めることははっきりしていた。パナマの守りは厚くない。港の入口は狭い。兵の交代は鈍い。さらに逃げ道は海へ偏っている。つまり、入口を握れば、相手は逃げる形を失う。


 ディエゴは6人の顔を見て言った。「港を作りながら港を奪う。今夜だ。奪ったら、そのまま持つ。途中で止めない。最後まで取る」


 マオアは頷き、声を落として言った。「提督、承知いたしました。まず逃げ道を潰します。港の入口を塞げば相手は迷います。そこで迷わせた瞬間に、こちらが主導を握れます」


 テシラはすぐに答えた。「舟で塞ぎます。入口に2列を置き、潮の返しでも離れないように綱を回します。退路が海なら、海を握ればよろしゅうございます」


 レイリはひょうたんを抱え、視線を上げて言った。「水は多めに積ませてください。戦いが長引けば喉が乾きます。喉が乾けば声が荒れ、命令が崩れます。そこだけは先に潰したいのでございます」


 ナヤリは板の上の印を指でなぞり、言った。「倉は焼かないでください。塩も火薬も帆布も、すべてこちらの港に必要になります。持てる分は持ち帰り、残りは鍵を掛けて守らせます」


 ウアチマは薬草の束を置き、言った。「負傷者は海水で腐ります。港を取ったら、洗って乾かせる場所をすぐに作ってください。それから、倒れた者を笑うなという言葉は、出撃前に兵へ渡していただけますでしょうか」


 アマイラは小さく息を吸って言った。「合図を歌に入れます。叫びません。夜の波に声は溶けますので、刻みだけを揃えます」


 ディエゴは全員の言葉を受け止めた。そのうえで、最後に命じた。「火は1度だけ使う。驚かせるために使う。だが燃やさない。奪うために戦う」

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