十二話(三)
今日もすっかり眠ってしまった2人をみて、堕川はため息をつく。この香には眠りを深める作用があるようだ。だが、虫の類はこれを嫌うし、堕川にとっても居心地が悪い。夜の清涼な空気と広々とした場所が恋しくなり、堕川はそっと部屋を出た。
薄い雲で少しぼんやりとした夜空の下を歩いていると、聞き覚えのある声が流れてきたた。
(紅蓮殿とヤマタ殿か……)
旧知の中のようなので積もる話もあるのだろうが、それにしてはえらく真剣な声色である。
「間に合ってよかったよ」
「わざわざ私を呼び戻すということは、いよいよなのか」
「うん。今まで何とか桃源郷を守ってきたけど……もう限界みたいだ。あと数日遅ければ、手遅れになっていたかも」
「お前が真面目だなんて。余程のようだな」
「それをわかってて、あのお客さんを連れてきてくれたンじゃないのかい?」
「まさか、私はお前ほど老獪じゃない」
「そうだね、君はいつだって真っ直ぐだ。……ねェ、時が来たら……」
「わかっている。だが……お前は大丈夫なのか?」
「焔のこと?……痛い所を突いてくるねェ。流石は月華ちゃんだ」
「ふ……お前の軽口は変わらないな……」
風の流れは変わり、声は聞き取れなくなった。堕川は詰めていた息を吐く。
あの紅蓮という男、やはり只者では無いようだ。真意の読めない容貌。桃源郷に関わる重大な情報を握り、それに対処する役を負っている。さらに、ヤマタを呼びつけ、親しく対等に話している。
ヤマタは気取らないが格の高い妖怪だ。対等になることは難しい。口で力を失ったと言っていても、強大で格式高い力を秘めていることは明らかだ。冬眠明けとはいえ自身と同じ蛇妖の類の気配を違えるほどぼんやりはしていない。
力の一部を失っているとはいえ、ヤマタと対等以上に話せる存在。おそらくはかなり強力で長命な妖怪であると察せられた。
桃源郷から悪意は感じない。しかし、ここにいれば遠からず厄介事に巻き込まれそうだ。本来なら今聞こえた話を守羅に伝えるべきだが……また過保護が出そうである。堕川からすれば、もはや莉凛香はただただ守るべき存在ではないのだが。それが家族であり用心棒でもある守羅の意地なのだろう。
考え込んでいると、急に声をかけられた。
「おや、堕川殿。僕達の逢い引きを見られてしまったねェ、ヤマタ」
「紅蓮殿……これは……」
「ふふ、少し恥ずかしいな。見なかったことにしてくれないかい?」
気配を感じなかった。口調は穏やかだが、平凡なはずの茶の瞳は燃え盛るように煌めいている。何も聞かなかった振りをすれば見逃されるのだろうか。逃走か、闘争か。動物的本能が警鐘を鳴らしている。
少しでも自分達の生きる道を……否、堕川は剣客である。莉凛香もこうする。
「御託は構わない。儂らをここに留めておく理由は何だ」
殺気立つ水霊を、紅蓮は目を細めて見定めた。少しばかり長生きなようだが、所詮は田舎の妖怪だ。
「何を勘違いしてるんだい? 僕は君が今の話を聞いたからって取って喰いやしないさ。むしろ、説明する手間が省けたよ」
風がごうと吹いて、薄雲が晴れていく。露わになった星空はしかし、あっという間に黒いモノで覆われていく。いつも集落の一角を覆っていた黒いモノが、どんどん数を増やし、大きくなっていく。まるで、桃源郷全てを喰らい尽くそうとするようだ。
夜という言葉すら生ぬるい暗闇の中、ぴしり、と何かが壊れる音がした。赤い亀裂。桃源郷を守る結界を破り、その隙間から黒いモノが侵入してくる。
「紅蓮!来たぞ!!」
「さァ、協力してもらうよ。そのために君達を鍛えて、ここに留めておいたんだからねェ」
紅蓮は表情を歪めた。いつもの飄々とした笑みを浮かべようとしているが、顔は強ばっている。
「あれは一体何だ……!なぜ急に……!」
「地獄から這い出てくる災い……烏天狗だ。もうずっと前から、結界の弱まってる桃源郷を狙ってたのさ。今までは何とか防いできたけど……実の所、今の朱雀には結界を貼り直す余力はないからねェ」
話している間にも、烏天狗はどんどん近づき、その鳥の頭と黒い翼がハッキリと見えるようになってきた。
「ハァッ!」
ヤマタが跳躍した。妙な黒い影が彼女を支え、空中で足場となった。細身の刀が、烏天狗の首を落とす。黒い影が別の烏天狗の全身を絞め落とす。
紅蓮が何やら呪文を唱えると、無数の炎弾が飛んでいく。牽制の効果はあったようだが、結界の隙間を広げようとする攻勢は止まらない。
堕川も毒水の矢を飛ばす。力尽きた烏天狗は、黒い靄となって風に散った。
「お見事。君達を招いた僕の判断は間違ってなかったようだねェ」
「……」
「こら、紅蓮!適当な物言いをするな!」
「痛たたたたた!」
ヤマタが紅蓮の髪を引っ張る。その姿が、まるで守羅と莉凛香と被った。振り向いた眼差しは蛇妖によくある真紅。芯の強さを感じさせる眼差しが、堕川を撃ち抜いた。
「こちらの都合にいきなり巻き込んですまない。だが、私達には君たちの力が必要なんだ。手を貸してくれないだろうか」
「……黄帝に謁見するという話をした時に莉凛香が言っていたことは、覚えているか?」
「……ふふ。紅蓮、ここは私が食い止めておく。守羅と莉凛香に力を貸して貰えるよう、存分に頭を下げてこい。未来の日華国一の退魔師様達にな」




