第八十四話(カイル歴506年:13歳)ヨル
私は夢をみているのだろうか。
一年で、大暴落から大暴騰に推移した、穀物の投機に失敗した父が、多大な借金を背負ってしまったのは、今では遠い昔のような気がする。
返済のため、エストの街で身を堕としてしまった私は、新たに娼館が建設されるという町に送られた。
新しいこの町は驚くことばかりだった。
同じ年頃の女性達が活躍し、いきいきと働いている。
行政府でも、商品取引所でも、受付所でも斡旋所でも、施療院でも、中心になって活躍しているのは同年代の女性たちだった。
そんな、光に満ちた場所に戻れるなら戻りたい。
所詮は儚い夢、何度もそう思っては諦めた。
私には決して戻れない、明るい希望に満ちた世界。
私はこの世界に入った時、苗字も名前も捨てた。
『ヨル』、それはこれから新しい世界で生きていく自分に、覚悟を決めた自分に付けた新しい名前。
これからは、夜の世界だけを生きていく自分に。
私から見れば、まばゆいばかりの光の世界、どんなに願っても決して叶わない、そう思った世界に、こんな私を連れ戻してあげる。
そう言ってくれる人がいた。凄く嬉しかった。
嬉しくてつい、ずっと隠していた本当の気持ちを言ってしまった。
でも、もう汚れてしまった私は、あの方の手を取る事はできない。
尊敬するお方の名誉を傷つけてしまう。
そう、私にはもう十分だ。
尊いお方がこうして私に手を差し伸べてくれた。
この喜びだけで生きていこう。
改めてその覚悟を決めた。
※
俺は久しぶりに長い夢を見た。
正確には、【前回の歴史】で生きた自身の回想、それに近い夢だった。
そして、夢の中で俺の最後の瞬間、ある忘れていた記憶が蘇り、そこで目が覚めた。
「ヨルさん、貴方だったんですね……」
俺は一人、寝室で呟いた。
俺の最後の瞬間、祈りを捧げてくれた勇気ある女性のひとり、あの時は名前を思い出さなかったが、今は、それがはっきりと分かる。
父親が破産し、全てを失った商家の娘で、行政府で引き取り、ミザリーさんの配下で活躍した女性。
それが彼女、ヨルティアだった。
【前回の歴史】では、娼館に行くこともなく、今の時点では、まだ父の商店も無事だったはずだ。
【今回の世界】で俺が改変した歴史は、彼女の父、そして彼女自身の運命も変えてしまっていた。
それを知ったからには、なんとしても、彼女を救いたい、重力魔法士の件は、二の次だ。
俺はそう決断し、彼女を救う手立てを、各方面に打診した。
※
「今回ばかりは、私は反対です」
「彼女には感謝しています。それでも今回の事は、お名に傷がつきます」
「彼女の勇気と人となりは申し分ないと思います。
ただ身請けするということは、世間では、彼女を側妾に迎える、そう判断されてしまいます」
今回の件、アン、ミザリーさん、クレアの全員に大反対された。
全員が彼女に問題があるのではない、娼婦という立場と、引き取るには、『身請け』という形式を取らなくてはならないこと、それを問題にしていた。
一度、ミザリーさんは、行政府を通じ、彼女を引き取りたい旨、娼館に打診したそうだ。
「ご領主さまが身請けされるならまだしも、こちらも商売なんでね」
行政府の要望は、娼館側に『非常識』と一蹴されたらしい。
若年の領主が、娼館から身請けする。
そうなれば俺の名誉を傷付ける。
ソリス新男爵として、後ろ指を指される原因となりえる。
いや絶対そうなると彼女たちは思った。
そういった醜聞は、本家である子爵家にも波及することになるかも知れない。
今、俺を引き留める事が出来なければ、エストの街の父と母、二人に合わせる顔がない。
そう言って猛反対し、彼女達は一歩も引かなかった。
いつも頼りになる、常に俺の味方。
そう思っていた、最も信頼する3人に猛反対され、実際、俺は進退窮まっていた。
真実を打ち明ける事ができれば、どれほど楽になるだろうか?
だが、そんな事を言って信じて貰えるだろうか?
この先、俺はずっとこのまま秘密を抱え、ひとり戦って行かなければならないのか?
クランの件以降、メンタル的にも、いつの間にか俺はいっぱいいっぱいになっていた。
「助けが欲しい……、真実を共有できる仲間が欲しい……」
心からそう思った。
『タクヒール、あなたが色々考えてやったこと、そうであれば私は全てを許すつもりです。
変に気を遣わなくていいのよ。次からはなんでも話してくださいね』
ふと、エストの街で母が言った言葉を思い出した。
俺は早速、母宛に手紙を出していた。
『折り入って相談したい事があります、近いうちにエストの街へ向かうので、お時間をください』
要旨はこんな感じで、できる限り簡潔に記したつもりだが、若干は文章に泣き言も入っていたかも知れない。
※
「タクヒールさまっ! クリスさまがっ、クリスさまがお見えになっています!」
ミザリーさんが慌てて駆け込んできた。
手紙を送って数日後、なんと母はテイグーンの町に来ていた!
予想もしなかった知らせを受け、俺は大慌てで、母を迎えに出た。
母は俺からの手紙を受けたその日に、エストの街を発ったそうだ。
そんな事になるとは、考えてもいなかった俺が、突然の母の来訪を知ったのは、母がテイグーン視察という名目の観光を十分満喫した、夕暮れになってからだった。
知らせを聞き、慌てて飛び出した時、母は中央広場で俺を待っていた。
「テイグーンの町、凄くいい所ね。住んでいる人は皆んな笑顔だし、活気も凄いし、町はきちんと区画が整理されて綺麗。何より女性たちが、生き生きと働いているのが良いわ。タクヒール自慢の町だけあるわね」
どうやら街は母に合格点を貰えたようだ。
上機嫌で話す母に、
「母上、わざわざお越しいただきありがとうございます。
お知らせいただければ途中までお迎えにいきましたのに」
「だって……」
母が俺の苦手な(いや、好きだから弱点である)、可愛い困り顔を作る。
「初めてタクヒールから、私だけに折り入って相談って、嬉しくなって居てもたってもいられなかったの」
32歳に見えないあざと可愛いさで、母は舌を出して照れ笑いした。
その後、母を案内しつつ領主館分館へと向かった。
辺境騎士団支部を作るため、大規模に移築や改築、増築を行っている第二区画を抜け、第一区画に入った所で母は立ち止まった。
「この町、防御もしっかりしているのね。エストの街とは比べ物にならないわ」
「はい、まだ多くが建設中ですが……、防衛には一番気を遣ってます。
この内堀と城壁を越えると、現在建設中の迎賓館、その奥に領主館分館があります。
まだまだ質素な居館なのでご不便をおかけしますが、寝所やお部屋は既に整えてあります」
領主館分館には、念のため家族それぞれの部屋も用意してある。
そして多くないが来賓用の客室もある。
「母上には一度お休みいただいて……」
「それよりも早くタクヒールの相談事を聞かせて、ずっと楽しみにしてたの」
と言われ、部屋に入るなり早速、母に今回の経緯を説明した。
「母上も報告書でご存知とは思いますが、テイグーンの娼館でヨルという名の女性がいます」
「あ、ミザリーの演説を助けた勇気ある子ね」
「はい、彼女の行動に感謝し、そして直接会った印象も良かったので、行政府に迎えたいと思っているのですが、私が最も信頼する3人が猛反対していて……」
俺は彼女を取り巻く経緯について説明した。
彼女は父親の借金で娼館に居るため、引き取るには身請けが必要なこと
娼館側は『領主に身請された』実績を望んでおり、行政府の引き取り打診を断っていること
彼女を迎えることを、アン、ミザリー、クレアが、俺の名に傷がつくと強く反対していること
「そうねぇ、それは困ったお話ね。相談はそれだけ?」
「あ、いえ、もっと大事なことがあります」
俺は決心した話を伝えた。
「今まで黙っていたのですが、私には不思議な力があるようです。
魔法士適性のある人物が、私には何故か何となく分かってしまうんです。
そして、なんとなくですが……、この先に起こるかもしれない、大きな災いについても……」
「貴方の【固有スキル】みたいな感じかな?」
「私もそう思ってます。勿論、全てが確実ではないのですが……、ただ、そんなスキルがあるとすれば、政治的にかなり危険だと思い、ずっと黙ってました」
「そうねぇ、やっぱり、目を付けられると問題ね」
「はい、ずっと恐れてました。
ソリス子爵家を守るための行動が、逆に危険にするのではないかと。
なので、自分ひとりで黙って事を進めて来ました。
でも、黙っていても、結果として私の行動は不自然で、周囲には誤解を生むと思います。
今回の彼女についても、3人には事情を伝えることもできず……」
それに加えて少し補足した。
ヨルには重力魔法士としての適性がある、そんな兆候を感じていること。
王国でも今は皆無の、超レアスキルを持つ彼女を囲い込み、活躍の場を与えたいこと。
大前提として、彼女の魔法士適性に関係なく、彼女の勇気と行動に感謝し配下としたいことを。
「そうね、やっぱり……、そうだったのね」
母は納得した顔で続けた。
「ソリス子爵家だけに、いえ貴方だけに、これだけの数の魔法士、どう考えても不自然とは思っていました。そして、貴方が幼いころから行ってきた、提案の数々も……」
「今まで黙っていて申し訳ありません。
もういっぱいいっぱいで、どうして良いか分からず、母上に相談しました。
私の中に、実はもう一人の私がいて、知らない知識や、未来のことが断片的に見えるんです。
ソリス家の、家族の、そして私自身の悲しい未来が……
それを何とか回避したくて、頑張ったつもりなんですが、色々行き詰ってしまって……」
「もう悪い子っ、私に黙って一人で気を遣って……」
俺は母に抱きしめられた。
なんか、すごく安心できた。
「クリシアが聖魔法士になったと聞いた時、ほぼ、何かある事は確信してました。後は私に任せなさい」
「ご迷惑ではありませんか?」
「タクヒールは幼いころからどこか大人びていて、甘えてくることもなく、私は寂しかったのですよ」
うん、このあざと可愛い表情と言葉、ほんと母は30過ぎとは思えないくらい、とても可愛い。
【前回の歴史】では何とも思わなかった事も、ニシダの意識が加わってからは、特にそう感じる様になった。
「明日の昼食後に、アンとミザリー、クレアを連れて私のところにいらっしゃい。
貴方は傍らにいるだけで大丈夫です」
そう言うと母は真剣な目でこちらに向き直った。
「貴方が一番信頼しているのは、心を許せると思うのは、その3人で間違いないかしら?」
「はい、レイモンドさんやヴァイス団長も、違う意味で一番信頼していますが、わたしの事を誰よりも理解してくれているのはその3人です」
「魔法士適性の件を伝えても大丈夫なぐらいに? 貴方の全てを知られても大丈夫なくらいに?」
「はい! 構いません。彼女たちが私を見る目が変わってしまう。それは怖いですが……」
「女性としても……、彼女たちは好き?」
「多分……、そうだと思います。今回初めて、彼女たちに猛反対されて、凄くショックでした」
そう言って俺は付け加えた。
「あ、大事な事を忘れてました。一番の中の一番はもちろん母上です」
「もう、そういう所が子供っぽくないのですよ」
俺を嗜めた筈の母の顔は、何故か嬉しそうだった。
「そしてこれは大事なこと!」
母は真面目な顔に表情を戻した。
「あなたは、この先3人を、(男として)ずっと守っていける? その自信はある?」
「はい、私はこの先も3人を、大切に(仲間として)ずっと守って行きます」
「もうひとつ、たとえ全てがうまく行っても、ヨルさんを見る周囲の目は、当分変わらないでしょう。
彼女はこれまで以上の、苦労や心無い言葉に悩まされることもあるでしょう。
タクヒール、貴方は何があっても、彼女をちゃんと守ってあげること! これは絶対ですっ」
そして母は俺の手を取って更に聞いた。
「これらのこと、わたくしに誓って約束できますか?」
「はい、勿論です。
大事な仲間たちの一人として、私はひとりの男(領主)として、何があっても彼女を守ります!」
「わかったわ、後は任せなさい。もう、貴方もちゃんと男の子なのねっ! 可愛いっ!」
そう言って母は、俺を強く抱きしめてくれた。
うん?
俺、何か違った意味の言葉……、言ってしまったかな?
ご覧いただきありがとうございます。
ブックマークやいいね、評価をいただいた皆さま、本当にありがとうございます。
凄く嬉しいです。毎回励みになります。
また誤字のご指摘もありがとうございます。
こちらでの御礼で失礼いたします。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
<追記>
七十話~まで毎日投稿が継続できました。
このまま年内は継続投稿を目指して頑張りたいと思います。
日頃の応援や評価いただいたお陰と感謝しています。
今後も感謝の気持ちを忘れずに、投稿頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。