閑話―宿に居たもう一組
「おいおいおい! こんなの聞いてねぇぜ!」
ライアンが慌てて部屋の扉を閉めて静かに、でも私に向けて精一杯主張するように声を荒げた。
閉めた扉に背中を預けていたライアンは一歩、また一歩とぎこちない足取りで二つ並んだベッドの奥側に置かれていた方のベッドに腰を沈めている私の方へと歩み寄ってきた。
だけどそんなライアンの姿を見ても何を訴えかけたいのか分からない私は、苛々しながらライアンに声を飛ばした。
「私の方がこんなの聞いてないわよ! どうしてあなたと相部屋なのよ!」
「ちょっと待て! 今は待て。なっ? 静かに話し合おうぜ」
「私は身持ちの固い女なのよ! 宿にあんたと二人なんて誰かに誤解されたらどうするのよ!」
「シー……。静かにしてくれ」
そう言って片方の手は人差し指を立てて唇に沿えながら、ライアンは空いていたもう片手で私の口許を掌で覆ってきた。
「今、向かいの部屋にあいつらの姿が見えた」
口許を抑えられながらもごもご言っていた私は、傍らにベッドに立てかけていた杖を手にしてライアンの爪先に杖の先を突き下ろした。
「ぐえっ!」
バカな鳥が鳴きそうな声を吹くと、杖で突いた片足を持ち上げ飛び跳ねた。
「あいつらって誰よ? ねえ誰よ?」
ライアンは、おいおい緊張感の欠片もねえのかよとブツクサと言葉を漏らしながら、
「草原と荒野の境、先日丘で依頼主だった領主の息子の腕を斬り落とした男と少女だ。間違いねえ、今部屋に入ってく姿が見えた」
その言葉に、ゴクリと唾を飲み込んだ私はライアンのように声を小さくして、
「あんたも敵対はしてないんでしょ? なら別にいいんじゃないの?」
「そんな事言ってもなあ……会いたくねえから宿を移して、捕縛依頼の報酬もねえから相部屋になってんだぜ?」
そ、そうだったわね……あの男とは関わり合いたくないのが正直な本音だわ。でも結局のところ宿を移してかち合ってちゃ意味ないわよ。
「で、どうするの?」
「どうするって?」
「もうすぐ夕飯時よ。昼もパンと干し肉だったんだから、せめて温かいスープが飲みたいわ」
どんな部屋なのか確認したかっただけなのか、それとも荷を下ろしただけなのかわからないけど、またすぐにギー、バタンと扉が開閉された音が届いた。
木製扉の蝶番が錆びているようで、その不快音と同時に足音が聞こえ、床がミシミシと小さく鳴いていた。
「暗くなってきたのにどこかに行くつもりかしら?」
「足音は二人だ。たぶん夕飯でも食らいに行ったんじゃねえか」
おもわず杖でライアンの頭をパシリと叩いてしまった。
「イッてえな。なんで叩くだよ」
「私もお腹空いたからよ」
はあ……と溜め息がこぼれ、杖頭に両掌を置きながら俯いてしまった。しばらくその姿で居ると、微かに鼻孔を擽る香ばしい匂いが漂ってくる。
「おい女魔法使い。なんだか美味そうな匂いがしねえか? きっとあの男が厨房でも借りて料理でもしてるんだろうぜ」
「どうしてわかるのよ?」
「宿の主人と一緒に居た子供の声が聞こえるんだよ」
なんて情けない。Bランク冒険者でこの荒野の街随一の剣士と呼ばれている男が扉に耳を押し当てながら聞き耳を立ててるなんて……
ほら、なんかしゃべってるぜと口にしながら、
「へえ、あの男の名前はカジャミって言うのか。一緒に宿の子供も夕飯をご馳走になるみたいだな」
おっ、次は宿主の声も聞こえてきたぜ。などと聞き耳をたてながらつぶさに報告してくる。一晩でここまで落ちるなんて、
「もうやめなさいよ。見ていて情けないわ」
それでもライアンは私の言葉に耳を貸さずに、
「今日の献立は串焼きと油で揚げたポテトとチキンってのらしいな」
油で揚げた料理なんて聞いた事も食べたこともないけど、鶏肉が揚がるほどふんだんに油を使用しているのね。
二階まで漂ってくるこの香りだけで、きっと豪勢で美味しい料理なのだと想像がつくわ。
私は聞き耳を立て続けているライアンを無視することにして、黙ってベッドの中に入った。
「お? もう寝るのか?」
「……もう今日は夕飯にありつけそうにないからよ。そういえば、依頼主はあの後どうしたの?」
詳しくは話していなかったなと言葉にしながら、扉から離れてベッドに腰を落ち着けたライアンは、そのまま私の寝転ぶ背中に話を続けた。
「おめえがいなくなったあと、俺は隠れて二人の戦い。いや、あれはもう一方的な暴力だったが」
ライアンが二人の戦いに感じたままを口にしたあと、シールがくしゃりと音を発ててベッドに身を沈めたのがわかった。
今は天井を見上げながら言葉を口にしているようで、
「奴隷の少女の代金代わりに、刃の細いあの男が握っていた剣と同じような短剣を受け取った。街に戻ってきたのは翌日の昼をまわったぐらいだったっけかな」
街に戻ったその足で、ライアンは御車を務めながら馬車の中に領主の息子と短剣を乗せたまま屋敷に向かったみたいだった。
「領主と会いたくないってのがこの街に住むやつらの心情だ。俺も難癖をつけられる前にずらかろうと御車台から降りると、屋敷の門を警護していた兵士に馬車ごと預けてその場を離れた」
あとは内門を通ってギルドに戻り、捕縛依頼の成否を伝えて終わりだったとのこと。結果はもちろん依頼主の言っていた少女を捕らえていないのだから失敗だと報告をしたらしい。
その時に一足先にギルドに顔を出していた私と合流したのが二日ほど前だったかしらね。
「罪を犯してもいない少女を捕らえようとしたことは間違っていたんじゃねえかと思うんだ」
「奴隷の逃亡は犯罪よ。逃亡先で奴隷が何かしでかしたら奴隷主の責任になるのよ」
「だからって殺していいってのも納得がいかねえよ」
そんな事、あんただけじゃなくこの街のみんなが思ってることだわ。それでも逃げた先で奴隷が人を殺めれば、その責任は奴隷主にまで及んでしまう。
当然と言えば当然でしょうね、奴隷に殺せと指示を出し、奴隷が殺したから奴隷主は関係ないじゃ安心して暮らせないもの。
「俺はたぶん、もっと強くなれると思うんだ」
急に話が変わったわね。なによ突然にと思っていると、
「オーガと戦ったとき、俺も上位の魔物と渡り合えるほど強くなったんだと思った。でもよ、俺はそれで満足してしまっていたんだと思う」
結局は倒せなかった。でも街一番の剣士だと言われ自惚れていたと口にすると、
「剣は叩き斬るものだと思っていたのにな……斬る、ただその一点に重きを措いたあの剣。欲しいぜ」
その剣を持っている男なら下で子供たちに夕飯を用意してるんでしょうが。
「ファフラの魔法、空から矢が豪雨の如く降り注いでいたのも凄かったが、マリンの【聖域の光】は同じ魔法でも別物のようだった。たぶん剣もそれと同じで、俺の持つ幅広の刃とあの男の持つ細い刃も同じ剣だが別物なんだろうな」
しおらしく物静かに口にしていたけど、あんたのご自慢だった魔法剣はもうないのよ。それに私もあの時、上位魔法をぶっ放したのよ! と言ってやりたくなった。
「マリンのは上位魔法とは少し違うのよ。魔法は魔法だけど聖域魔法という特殊な魔法なのよ」
「やっぱり聖職者は別ってか」
ハハッと笑っているライアン、私たち魔法使いの扱う魔法にも違いがあるように、剣にも違いがあるのだと何かを悟ったらしい。
「なあエミーラ、ギルドで合流したあとライドと会っただろ?」
おぼえているか? と言いたげに、また話がコロコロと変わっていく。
「えぇ、それがどうかしたの?」
「俺がライドに話した双子の魔族の事だ。魔族なんてのは本当に居るのかも怪しい話だったが、一年前に双子の魔族を目にして、魔族は本当に居たんだと知った」
それから最近、領主の息子のところに居た片角の奴隷が逃げ出したと噂になっていたとき、俺はあの時の魔族の子供だとピンときたと話をしだした。
「ライドと三人でギルドの酒場で話していた話ね。それがどうしたの?」
「俺思うんだ、このところ不自然なことが多いじゃないかってな」
あんたにしてはまともな判断じゃない? と思いながら背中越しにライアンの言葉を待った。
「オーガに使い魔、それに突然あらわれたダンジョンには地竜なんて化け物じみた魔物の出現。そして魔族の子供と見慣れぬあの男……」
話を区切ったところで深呼吸をしたライアンは言葉を続けた。
「これはたたの勘なんだけどよ、俺たちの知らない処で何か起きてるんじゃねえかな」
お前は他人の魔力を視覚化して霧のように見えるんだろ? 俺にはそういう感覚はわからねえがと口にして、
「あの男、お前にはどう見えた?」
俺はこれから起きようとしている何かの中心にあの男がいるんじゃないかと思えてならねえと付け足したあと、深い溜め息を吐き出していた。
「ライアンの言うとおり、あの男は化け物よ。ライドに私が話していたことも覚えているでしょ? 私はあの日、あの男のさじ加減ひとつでこの命が左右されていたのよ」
ライアンの勘はあながち間違ってはいないと思うわ。私もここ最近の出来事には何か人為的なものを感じてならない。
オーガが突如として街中に出現したことや、ドラゴンのいるダンジョンが現れたことも、なによりその上位魔物と竜をも凌ぐ可能性のある男が現れ、その傍らには奴隷にされていた魔族の子供が寄り添っている。
考えたくないけど、魔族が裏で画策して人間ともう一度戦争を起こそうとしているのかもしれないわ。
「地竜とあの男、どっちが強いと思う?」
「どっちと聞かれても、地竜はダンジョンで目にしただけで戦闘の意志すら示してなかったじゃない」
「戦ってみないとわからないってことか。エミーラはダンジョン攻略に参加するのか?」
「私は参加するわ。ライアンは?」
「俺は剣がねえからな。鍛冶屋のおやじさんには打ち直せねえって言われちまったぜ」
「そう、新しく買い換えるしかないのね」
なんだか色々と考えてしまい不安になってしまった。いったい何が起ころうとしているんだろ。
「腹……減ったな」
「そうね」
もう寝ましょ。私は頭まですっぽりとタウルケットを被った。




