閑話―荒野を流離うロロア
なにかを思い出した時のように、ハッと目が覚めた。わたしは眠りについた記憶が無かったけど、三角の天幕の中で横になっているのがわかった。
そういえば、昨日もこうして目が覚めたんだった。昨日は天幕が閉められていたけど、今日はカーテンを開いたように朝陽が天幕の中に降り注いでいる。
気持ちのいい朝になのに、なんだか不安になって外を見ようと体を起こしたんだけど、体が思うように動かなくてゴロンと寝返りをうってしまった。
でもそのおかげで外で座ってるカジャミの背中が見えてホッとしたの。
「カジャミ?」
体に力が入らなくて、ゴロンとなったままうつ伏せの状態で顔だけ起こした。顎が床にあたってしゃべりにくいけど、カジャミの名前を呼んだ。
そしたらカジャミが少し暗いをして、開いた天幕の入り口から顔をのぞかせた。
「痛いところはないか?」
「おはよう。いたくないよ、なんで?」
すごく困った顔をして「何も覚えてないのか?」と聞かれたけど、寝てたもん。なにも知らないよ。
コクッコクッと二度頷くと「そうか。でも良かった」とカジャミが言った。わたしの頭の中はなんの話をしてるのか、さっぱりわからなくて真っ白のままだったけど、カジャミが良かったとニコリと笑ってくれたから、たぶん困り事はどこかへいったんだとおもった。
カジャミの顔を見てると、おなかがぎゅるるるーと音を鳴らした。
「カジャミおなかすいた」
そう言ってもう一度起き上がってみると、今度はうまく起きれた。さっきは体がまだ眠ってたみたい。今は少しヨタヨタともつれる足でバランスをとりながら外に出れた。
朝日に照らされ温もりを感じていると、頭の中がスッキリとしてきて、なんだか晴れやかな気分になってきた。こんな気持ちはいつぶりかな。
ふと胸元を覗いて見ると、へんな絵がなくなってた。たしか奴隷紋って言ってたとおもう。あの絵はトトと森の獣道を彷徨っていたときに恐い人に捕まって、なにか魔法をかけられたあとに「うけいれます」って言わされた途端に浮かび上がってきた。
あのへんな絵に満足した恐い人がわたしとトトを荷馬車に積んだ檻の中に入れたときの事を思い出した。ずっと前のことなのに、なんだか鮮明に思い出して今度はイヤな気持ちになった。
ボーとしながら空を見ていたら、良い匂いがしてきて空から視線を匂いの方へ向けるとカジャミが焚き火で鍋を煮ながら座り込んでた。
手に持ってるお玉で鍋の中を掻き混ぜながら「もうすぐできるから顔と手を洗えよ」と背中越しに声を投げかけてくる。そうして焚き火の側に置いてあった桶にお玉を向けた。
「うん!」
お玉が差した桶の水でバッシャバッシャと顔を洗ってたら、イヤな気分もどこかに飛んでいった。恐い人と違って、カジャミはなんて言うのか、言葉は優しくないけど、なんだか一緒にいて気持ちが温かくなる。
「いただきます」
カジャミがいつもごはんを食べる前に言う言葉を真似て、わたしも「いただきます」って言っている。よくわからないけど真似をしていると一緒にごはんを食べてるって気になるからわたしも言う。
◇◇◇
「ねぇカジャミ、カジャミもひとりなの?」
「今はロロアがいるから二人だ」
「そだね。あつくなってきたね」
「晴天だからな」
ごはんを食べ終えてからは、このなんにも無い乾いた土の上を歩き続けた。時々カジャミが「体は大丈夫か? ほんとうに何にもないのか?」って聞いてくる。
「なんかいきいてもいっしょだよ。だいじょうぶ」
「そうか。ならいいが……」
風が吹くとカジャミが着させてくれた黒い衣がバタバタと靡いて土煙が舞う。土煙で目がショボショボして手の甲で擦っていると喉も乾いてきた。
たまに振り返ってわたしがついてきているか確認しているカジャミに置いていかれないよう、がんばってカジャミを追いかける。
「なにかみえないかな?」
トコトコと小走りでカジャミの背後まで迫ると、わたしが側に来たことに気づいて少しだけだけどゆっくり歩いてくれた。
「まだ当分は何も無さそうだな」
「どのくらい?」
「今日か明日か、その次か、俺にもわからん」
カジャミの言葉を聞いて、疲れが込み上げてきた。夜までに街があるかな? って思ってたけど、明日になるかも、その次になるかもしれないみたい。
でも歩かないと。きっとトトがどこかでわたしを待ってるから。
お昼ごはんを食べてからもカジャミの背中を追いかける。次第にしゃべる元気も無くなって下を向いて歩いてた。
ときどき前を見てカジャミの背中を確かめると、どんどん背中が遠ざかっていくのがわかる。声をかけるか小走りで追いかけないと置いていかれちゃいそうだけど、歩くので精一杯でどちらもできない。
カジャミはたまに振り返ってくれるけど、今は離れている事に気づいていないと思う。追いつけないまま時間だけが流れて、少しずつカジャミの背中が小さくなっていく。
夕焼けが紅く染まり、小さくなったカジャミの背中を照らしてた。途端に置いていかないでと思うと、胸が苦しくなって涙が出そうになった。
でも泣いてるひまなんてないから、早く追いつかないと。
走る元気もないから、どうにか前に進むことだけを考えて歩いた。
すると立ち止まったカジャミがやっと振り返って気づいてくれた。カジャミがここまで頑張れって言ってるみたいに、水袋を手に持って待ってくれてる姿が見えた。
さっきは我慢できたのに、安心したらぽろぽろと涙が溢れてきた。
「きづいてくれないかとおもったよー!」
「ど、どうしたロロア!?」
やっと追いつくと、カジャミに泣きながら抱きついてしまった。置いていかれるのが悲しくて恐かった。またひとりになっちゃうんじゃないかって……
「ひとりはヤだよ!」
「ちゃんとロロアが着いてきているのはわかってた」
「ふりむいてくれなかったのに、どうしてわかるの!?」
「ロロアを見なくとも、ロロアの居る位置がわかるんだ」
俺にはスキルで遠く離れない限りはロロアの位置がわかっているから、と付け足して説明してくれた。カジャミにしかわからないけど、魔法みたいなのでロロアの居る場所を確認してたんだって。
結局今日は歩き出したときの景色とあまり変わりが無かったけど、それでもあれだけ歩いたし、少しは前に進んでるはず。
変わり映えの無い景色に達成感とかは無かったけど、明日もがんばらないと。
◇◇◇
天幕を張って、食卓を用意して野営支度が済むと、カジャミが大きな鉄の樽と小さめの鉄の樽を四角いレンガみたいな石を並べて作った窯の上に置いて水を張ってた。
見たことの無い樽に、ジロジロと見ていたら「ドラム缶なんて知らなくて当然かもな」とつぶやいてた。
夜は風が止んでくれるけど、そのかわりに寒くなる。太陽が出ていると汗が止まらないのに、夜は焚き火の側から離れたくなくなってしまう。
鉄の樽で水を沸かしている焚き火の前で温まっていると、
「湯が沸くまでに時間がかかるから、先に飯にするか」
「うん! カジャミがつかってるあれかして」
テーブルの上に野菜が並べられてた。わたしはカジャミがいつも野菜の皮を剥くのに使ってる道具を借りようと、名前がわからないから身振りでじゃがいもを手にシャッシャと皮を剥いている素振りを見せた。
「先に手を洗ってからな」
桶に張られた水でバシャバシャ手を洗って冷たくなった手を焚き火で温める。この時間、わずか五秒!
焚き火の側に置いててよかった桶。
「それじゃあ皮むきは任せるか」
「どんとこいなの!」
丸太椅子を踏み台代わりにしてテーブルの上に置かれている、じゃがいもの皮をシャッシャと剥き始めた。そのあとは玉ねぎとにんにくの皮を指で摘まんで剥いていった。
あとは真っ赤なトマトだけが残ったけど、これはどうしよう……
「トマトの皮は剥かなくていいからなあ」
焚き火に鉄鍋を吊るしてお湯を沸かしながら、その隣でもうひとつ、ドラム缶を置いてる四角いレンガみたいな石を三方に配置して簡易窯を作ってたカジャミが、背中越しに声を飛ばしてきた。
「うん」
シャッシャと野菜の皮を剥き終わると、カジャミが底の浅い鉄鍋を火にかけながら「こんなもんか」と独り言を呟きながらこっちにきた。
「上手いもんだな」
「でしょー!」
えっへん、と言って腰に手を当てて誇らしげにしてみせた。でも「包丁は危ないからあとは俺がやる」って言って、ボケーとカジャミが野菜を切ったり、お肉を切ったり叩いたりしてるのを眺めてた。
ひまだなー。
顎をテーブルの上にのせて見ていたら、
「そうだ。トマトを潰しといてくれ」
そう言われて蔕を取り除いたトマトを敷き詰めた銀のボールを渡された。
おもわずその中に両手を入れてブチャーッともみ潰したら、カジャミが片手に木ベラを持ってて、目が合った。
「いや、まぁそれでもいいが……」
少し呆れた顔をしていたけど、トマトがベチャベチャとつぶれて、なんだかいい感触。
「うへー」
ベチャベチャもみもみと、トマトをつぶし終わった。パッパと手についたトマトを払って手を洗ってたら、カジャミが「にんにく持ってきてくれ」と声をかけてきた。
見てみると、膝を曲げて簡易窯で熱くなった浅い鍋をゆらゆらと揺らしていた。
「はい、これ」
欠片となったにんにくを三つほど手の平にのせて持っていく、そのまま浅い鍋に投入させると、オリーブオイルの中をにんにくが泳いでた。
「次は玉ねぎを頼む」
ふー、いそがしい。
テーブルと簡易窯を行ったり来たり。今度は一回で運べそうになかったから、二回に分けて手の平にのせた玉ねぎを運んだ。
運んで浅い鍋に野菜をダイブさせてたけど、
「挽き肉と塩コショウ」
と言われて、これは二回では無理だと悟ったわたし。疲れた足で丸太椅子を降りたり上ったりするのはしんどかった。
そして、切り置きしていた玉ねぎやにんにくは薄い木皿の上に置かれていたから、そのまま持っていけばよかったんだと思った。
今回は塩と胡椒を挽き肉に振ってから、まな板ごと持っていけばいいと理解した。
「ひとつずつゆうからダメなんだよ!」
まな板ごとカジャミに挽き肉を渡して、次からはテーブルの側に簡易窯を作ってとカジャミに注意しといた。
「あ、あぁ。すまん」
ぷんぷんとご立腹なんだよ! と怒っておいた。カジャミは素直にあやまってきたけど、
「あとトマトだな」
持ってこさせる気だ!
「ロロアはね、いますごくおこってるんだよ」
プイッと明後日の方に頸を振ると「一度に言っても無理だろうと思って小出しにしたんだがな」と困った顔でこっちを見てきた。
なんだか最後の一言に無性に腹が立った。
「カジャミはひとことおおいんだよ!」
結局、わたしがトマトを持ってきてあげて晩御飯が出来上がった。
トマトで作ったパスタと、パスタを茹でるとき一緒に茹でたじゃがいもの二品。でもこれがどちらも美味しくてやみつきになった。
パクパクとじゃがいもを口にしていると「今度はフライドポテトにしてみるか」と向かいに座ってパスタをクルクル巻いてたカジャミが呟いてた。
でもやっぱり最後に「ロロアは感情的になると呼称がわたしからロロアになるんだな」て言って、一言多い。
◇◇◇
「ふぁー」
大きな鉄樽の隣で焚かれていたわたしサイズの一回り小さい鉄樽の中に入っている。
カジャミが隣でふぁーと声を漏らしながら温かいお湯に身を投じていた。
わたしもカジャミに渡された丸い板を樽底に敷いてお湯の中に入ると、カジャミみたいな「ふぁー」と声が漏れた。
二人ならんで鉄樽の中、何も無い夜の荒野で温まる。
「やっぱり風呂は必要だよな」
「おふろはいるのはじめて」
「そうなのか? まぁ湯船と言えば日本人だからなー」
「ふーん。でもおふろきもちー」
カジャミってなんだか変わってるなーと思う。野営と言えば干し肉とパンが当たり前なのに、外で温かい手料理なんて聞いたことがない。
それにこのお風呂も。お金持ちの人しか入れない贅沢ってことぐらいはわたしも知ってるけど、贅沢って鉄樽の中に入ることだったんだね。
「カジャミはちょっとかわってるけど、いいほうのかわってるだね」
「ふっ、リアルにドラム缶風呂に入るなんて、俺も思ってもみなかったよ」
お湯の中で口元をぶくぶくとしていたら、カジャミは笑いながらそう言った。
「カジャミはきのうもそのまえも、そとでねたの?」
「ん? あぁ、そうだな。俺は外が好きなんだ」
「カジャミはやっぱりかわってるねー」
不思議な事に、今日も一度も魔物を見なかった。こんな夜に火を焚いて美味しい匂いを漂わせていたら、すぐに襲われてしまうかもしれないのに、なんでだろう?
カジャミも魔物を警戒して外に居てくれてるのかな。
「ありがとね」
ぶくぶくとお湯の中で言うと何を言ってるのかわからなかった。カジャミも「ん?」と聞き返してきたけど、なんでもないよと言ってお風呂から出た。
やっぱり夜は寒いなぁ。カジャミが外で魔物がこないか見ていてくれてるみたいだけど、焚き火の前は温かそうだなあ。
明日も歩き通しだし眠らないと。天幕の中で黒衣に身を包んで丸まって眠りについた。
そうして翌日も歩き続けたけど、荒野には荒れた大地が広がるだけで何もなかった。
でもその翌日、草原を出て荒野を歩き始めた三日目、太陽が頭上に昇る頃、わたしたちは街を囲んでるだろう大きな壁が見えて顔を見合わせた。
ようやく、何かを成し遂げたような達成感を感じていた。いつも太陽が頭上に昇る頃は、わたしたちは無言で、ただひたすら歩き続け始めるけど、今日このときは重く感じるはずの足が軽くなった気になった。
「カジャミ!」
「わかってる。まるで城郭都市だ」
カジャミの背中を追うことに精一杯で気がつかなかったけど、遠く離れた場所には森も見えていて、荒野だけど少しは自然を感じられた。
この街にトトが居るかもしれない。檻の中に入れられて運ばれていたとき、布を被せられて外が見えなかったけど、あのとき、自分たちがどこに連れて行かれるのか、ちゃんと外を見て知っておくべきだったんだ。
いまさら後悔しても遅いけど、これからは後悔しないよう自分でどうしたいのか選ばなきゃ!
あれ? あっ! そうだったんだ! これからどうしたいのか、カジャミが草原でロロアの言葉を待っていてくれたとき、ロロアに選ばせてくれていたんだ。
「門兵がいるのか」
考え事をしながら歩いていたら、ふとカジャミがそう言って視線をカジャミに向けると目が合った。
「だいじょうぶかな?」
わたしがそう言うと、カジャミも困った顔をしていて、わたしもカジャミも言葉はなくてもお互いに門兵さんはダメだと思ったんだね。二人で向かい合ったままその場で静かにしゃがみこんだ。
「よし、ロロア。俺はこれからスキルを使おうと思う」
「まほうみたいなの?」
「そうだ。それで使って街の中に入ろう」
しゃがみこんだわたしたちはコソコソとその場でそんな会話をしたあと、カジャミが開かれていた門を遠くから眺め見るようにしていた。
そして「よし。いけそうだな」と言ったあと、ゲートと口にしたカジャミの前に黒いモヤモヤが出てきた。
「いくぞロロア」
「うん!」
差し出された手を握り締めて、カジャミと一緒に黒いモヤモヤの中に飛び込んだ。
そしたら目の前には背の低い木々が並んでいた。わたしたちが居る場所は門の外から見えていた門の側の誰かの家の庭だった。
庭と言うには狭くて、花壇みたいな場所だったけど、背の低い庭木の側には建物の壁があったから間違いないと思う。
「上手くいった」
「カジャミはやっぱりまほうつかいなんだねー」
「実際のところ、俺にも魔法かスキルか、よくわかっていないんだがな」
街に入ってからはカジャミから離れないようにカジャミの服の裾を掴むことにした。
移動した先の宿屋のおじいちゃんとの話を聞いていて、ひとつわたしにもわかった事があった。
カジャミもわたしもお金持ってないの!
今日も野宿かなぁ。でも街にはついたからトトを探すあいだは荒野を歩かないし、今日はわたしも焚き火の前で眠ろう。