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ショコラクリスタリゼ  作者: ななせりんく
第五章 嘗ての爪痕と牙の味
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10.ショコラ、雨宿りする。




 昨日の進捗率は大股一歩分くらいだった。私は背が低い。足もそれに準じて短い。……魔力が弱すぎて途方も無い作業だ。今日も今日とて地面に這いつくばる。毎日少しずつだけれど、丘の下から街に近付いていけているのが嬉しい。

 見上げた空が厚い雲に覆われてどんよりと灰色だ。天気もあまり良くなさそうだし、早めに始めてしまおう。


 せっせと土に水属性魔法を掛けていると、不意に近くで砂を踏む音がする。見上げるとエスがいつもの真顔で佇んでいた。

 何だか久しぶりに会う気がする。最近は寝て食べて墓場付近に出向いての繰り返しで、あんまり誰とも会って話をしたりしていなかった。


「会うの久しぶりだね」

「お前はな、俺はほぼ毎日会ってる」

「あ、そっか、いつも運んでくれてありがとう」

「別に大したことしてない」


 数日話さないと会話の糸口を探すのがこんなにも下手になるのか。ペトラは受け身でも色々話してくれたけど、エスは無駄に話さないからすぐに沈黙が訪れる。

 何を話そうか、そう考えているとエスが隣に座り込んだ。かと思えば、地面に着いた私の手にそっと手を重ねてくる。覆い隠されてしまう程大きな手から暖かい魔力が流れ込んできて、一度で広範囲に渡って水属性魔法の浸食が進んだ。

 

「……やっぱり、一回だとこれが限界。数日で終わるとは思うけど」

「ありがとう! 充分早いよ!」

「そうでもない。魔力の上乗せは基本的には手持ちの属性にしか出来ない。だから頭から理論叩き込んだけど結果が出なくて、他の属性だとこれ以上は無理」


 つまり、本来ならエスは氷属性にしか魔力を上乗せ出来ないところ、何とかして違う属性にも出来るようにしてきた。と言うことで良いのかな。いやいや、充分すごい。


「全然すごいよ。地龍族の為にしてくれたの?」

「何でそっちに行くんだよ」

「あれ……じゃあ、私が遅いから?」

「お前が毎日倒れるまでやるから」


 私の為……? じわじわと嬉しさが募って笑顔になってしまう。私の顔を見たエスが顔を背けるから、それを追うと鬱陶しそうにされる。


「エス、照れてるの?」

「照れてない。何でそうなるんだよ」


 だって、少しだけ目元が赤いから。エスがそんなことを素直に言ってくれるなんて珍しいし、本当に私の為なんだと思うと嬉しくて笑顔が止まらない。

 ばつが悪そうに頬をゆるく引き伸ばされて、離してほしいと抗議しようとした瞬間、一粒の冷たい感触が頭に落ちてきた。


「雨……?」


 続いて何発か頭皮に刺激を受けて確信する。

 どうしよう。ここはお城から遠いし、この国の建物の構造上屋根のある建物も近くに無い。わたわたと辺りを見渡しながら考えている間にも雨は本格的に降り始める。

 エスが何か思い付いたのか、私の手を掴んで丘の方へと走り出す。足下に水溜まりが広がっていく中、先の景色に大きな木が立っているのが見えた。


 途中、泥濘に足を取られて滑ったりした。エスに力強く引っ張られて、何とか転けずに済んだ。

 絶対やると思った。なんて言われてしまうのだから、私がやってしまいがちなお約束等エスにはお見通しなんだろう。


 木の下に辿り着いた時には二人共すっかり濡れてしまっていた。服が肌に貼り付いてくる。

 太い幹に背を預けて座って、息を整えた頃には急激に寒さを感じ始める。身体を暖める為に僅かな炎属性魔法を使うと、またエスがそれに魔力を上乗せしてくれた。何度御礼を口にすればいいのか。


「練習、あいつらに手伝ってもらったから、炎属性に上乗せするのは楽」


 プロミネとリプカさん、協力してくれたんだ。すごく嬉しい。震える唇でも笑顔になってしまった。有り難く魔力を借りて、いくつもの炎を灯して辺りに浮かせて漂わせてみせる。少しだけ寒さが和らいだ。


 ハッと思い出してバレッタを外した。コルセットも外して、ブラウスの濡れてない部分で水滴を拭う。金属だから雨には気を付けなきゃいけないのに。戻ったらしっかり磨かないと錆びてしまう。



 相変わらず寒いけれど、目の前で滝のように降り注ぐ雨を見ればもう一度お城まで走ろうなんて思えなかった。

 ふと隣に腰掛けるエスの顔を見上げて後悔した。濡れたせいで全て寝てしまった水色の髪が、水滴を滴らせながら白い肌に沿う光景はとんでもなく美しかった。ただでさえ綺麗なのにこれは何事だ。思いっきり顔を背けてしまう。


「この国、まともに雨も降らなかったんだろうな」


 そう言ってエスが指し示す先の城下では、沢山の人々が様々な器を手に笑顔で外に出てきている。

 恵みの雨とはこのことだろうか。降られてしまった私達には災難だけど、それも事情が変われば喜ぶ人達がいる。


「この雨雲呼んだのはお前だから」

「私……?」


 私にはエスみたいに天気を操る程の強い魔力は無い。何故、雨雲を呼んだのが私になるのだろう。


「魔力に限界があるのと同じで魔法も有限なんだよ。大体空気中のもの使ってるんだから、この地の気候で水属性を使うなら、何処か別の場所から引き寄せてくるしかない」

「ああ、そっか、何も考えずに使ってた。そうだよね。何も無いところから何か生まれたりしないもんね」


 大して学の無い私にもその理屈は分かる。だから私が水属性魔法を使う毎に土地に限界が来て、何処からか雨雲を呼んだということになるのか。


「お前が馬鹿なお陰で救われてるやつらがあれだけいるんだよ」


 強く降り頻る雨の中で喜び合う人々の姿。地龍族を助けようとすればこの国の人々も助けることになる。私がやり始めた途方も無いことは無駄じゃなかったんだと、助ける側にいる私まで救われる気持ちになる。


「私、馬鹿で良かったな」


 エスといると時間の流れが澄んでいるように感じる。

 勿論、他の人達から色んな話を聞くのも勉強になるし、知ることに楽しさを感じるのは間違いないけれど、こうして会話に間が開くのも嫌いじゃない。

 私には話す程のことはないから、この数日間、エスが何をしていたか聞こうか。そう思って隣を見た時、先にエスが口を開いた。


「……地龍族は二属性持ちだから、炎龍族は俺を利用したんだと思う」

「二属性……地属性も持ってるの?」


 エスはそれに頷く。樹属性に地属性、どちらも大地があってこその属性だ。土が死んでしまったら戦えないのも納得出来る。

 でも何故、土の状態に氷属性が関係するのだろう? 不思議そうにしている私を見て察したのか、少し睫毛を伏せてエスがその答えを解いていく。


「氷属性は使う時に空気中の水分を奪って凍結させる。それがこの土地では戦争で何十回も、何百回も。仕舞いには空気中じゃ間に合わなくなって土地自体を干上がらせた」

「そんな……」


 一体、どれだけの争いがこの地で起きていたのか。


「氷龍族は生命力を奪って戦う。地龍族は生命力を活かして戦う。戦う時点で俺達は悪になる」


 あんなに綺麗な魔法にそんな代償があると思わなかった。

 そう言われてみれば、エスが自分から派手に氷属性魔法を使う時は極力湿度が高い状態で使っていた気がする。渓谷も、炎龍族がいた森も。緑の国の発行令だってわざわざ朝方を選んでいた。そこまで考えて使っていたんだ。


「何も殺すことだけが残酷なんじゃない。この国の状態自体が氷龍族への戒め」

「やっぱり、エスは、何も悪くないじゃない……」

「そんなのが通じるのはお前くらいだ」


 どうしても関わらなければ纏めて見てしまうのは仕方ないけれど、でも、知ってしまったら責めることなんて出来ない。

 龍族が怖くて残酷なんじゃない。強くて怖いからと知ろうとしない他の種族にだって非はある。


 何だか寂しい。心があっても冷たい。近くにあったエスの手に自分の手を重ねる。珍しく冷たくなっている手に驚いた。氷龍族も身体が冷える時ってあるんだな。熱、出なければいいな。


「そんな馬鹿、お前だけでいい」


 顔を上げるとすぐそこで目が合う。沈んでしまう私を慰めるような優しげな眼差し。また、私ばかりがエスから貰っている。


「私だけでいいの?」

「増えすぎてもめんどくさい」


 エスらしい答えだ。何だか見つめられるのが恥ずかしくなってきた。手を離して距離を取ると、何となく機嫌が急降下しているように見えるのは気のせいにしたい。

 だって、私はエスに優しい顔をされるとたまらなくなる。エスの意思なんて関係なく、たまらなく欲しくなる。そんな好きを通り過ぎたことを考えてしまうのがまた恥ずかしい。


「そ、そう言えば、国ってどうやったら立て直せるものなのかな?」


 何とか話題を切り替えて視線から逃れる。危なかった。目を合わせるだけでどうにかなりそうになるのは、それこそどうにかならないものか。


「分からない。約九年も失踪してた元王族が突然帰ってきて、今から国立て直すとか言ったところで一体誰が賛同するんだよ」

「う、うん、そうだね。エスの言う通りだよ」


 ユビテルなら、何でもやればできますよ! と、楽々と乗り越えてしまうのかもしれないけれど、それを期待されるエスは相当な圧を抱えることになるだろう。


「しかも龍族ごと立て直そう、同盟組もうって、どんだけ楽観的な王だよ」

「その点、エスが王様になったら国民は安心だけどね」


 国を立て直せるものなら、立て直した方が良いんじゃないかな。元々賛成の私はエスを持ち上げるようなことしか言えなくて、次第にエスが恨めしげに視線を送ってくるのに気付きつつもやめられなかった。


「もし実現出来るなら森が欲しいな。水が綺麗で雪が積もる静かな森」

「言うだけなら簡単なんだよ。……その時、お前っているの」

「勿論いるよ? この世界が平和になるまではいるって決めたから、見届けずに何処にも行けないよ」


 エスにはまだ説明していないけれど、私の異世界行きには大きな問題が立ちはだかっている。

 それを何とか出来たとしても、エスが国を立て直す方が早いと思う。その時までずっと傍にいて、私は離れることが出来るのだろうか。


 親不孝が許されるなら、エスが許してくれるなら、私はずっとエスの傍にいたい。

 その気持ちがどんどん大きくなって、自分でも恐ろしい程に重みを増した気持ちに潰されそうになる。

 どうしようも出来ないのがすごく怖い。とても純粋に好きではいられないくらいに、一方的な想いが募っていくのが怖い。


 本来の年齢に追い付こうと、急速に回り出す歯車に子どもの私は驚いている。大人の私の綺麗じゃない想いに嫌悪し、拒絶している。


 雨はまだ、止まなそうだ。




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