9.ショコラ、魅力の無さを嘆く。
それから数日、私は水属性魔法を使っては地面に手を着いていた。何となくまだ土が潤っている場所から渇いた土地に向かって流した方が良いような気がして、墓場のある丘の下からせっせと水を流し続けている。
これが恐ろしいことに全く進まない。国全体の地面を水に沈めるというのは、きっと私程度の魔力では不可能なんだろう。だからと言ってやめるわけには行かない。だけど、今日もあまり進まずに終わってしまうかもしれない。
日々限界まで魔力を使っているせいかいつも気絶してしまい、目を覚ますとしっかり寝台に横になっているのだから、毎日誰かが運んでくれているのだと思う。
それにしても、宿に連泊予定がまさかお城に移動することになるとは思わなかった。
昨日の今日で地龍族のお城は憚られると思ったのにも関わらず、プロミネとリプカさんは「タダ飯で敵情視察!」と大喜びでそれを了承してしまった。もうここまで来たら二人に巻き込まれるしかない。
「やあ、妖精さん。精が出るね」
黙々と地面に向かっていたせいか大袈裟なくらい驚いた。気が付けば隣にペトラがしゃがみ込んでこちらを見ているのだから。
「たまには休みなよ? 妖精さん馬鹿だから自分の魔力量が分かってないのか、毎日ぶっ倒れてるんだから」
「ありがとう。気遣ってくれて」
自分の膝を使って両手で頬杖を着いているペトラ。初対面の時から思っていたけど、狂気じみた笑みを浮かべたりしない限りは、男性にしてはかなり可愛い顔立ちをしている。仕草も相俟ってとにかく可愛らしい。
「……妖精さんさ、御礼言う時におかしいって言われない?」
「エスによく言われるよ。何でだろうね」
虚を衝かれたようにポカンとした顔をしてから、ペトラは溜め息を吐いていた。
ペトラ、ここに来て残念に思ったかな。水属性があると言っても、龍の割合の多い龍族からすれば私の魔力量は微々たるものだ。この地を元に戻しても、私達が勝つ。そう大口を叩いたのに、数日経ってもこの有り様じゃ溜め息も吐きたくなるだろう。
「そんな顔して。別に妖精さんをいびりに来たんじゃないよ」
「そうじゃなくて、残念に思ったかなって。ごめんね、全然進んでなくて」
謝った瞬間にペトラは目を瞬かせた。意識が逸れて魔法が止まってしまっていた。また両手を着いて再開する。
「謝る時もおかしいって言われない? エストレアが苦労するわけだ」
御礼や謝罪でエスの苦労を見抜けるなんて、ペトラはエスのことをよく知っているように思う。
私はペトラの言う通り頭も良くないし、龍族のことはいつまで経っても分からない。エスには迷惑ばかりかけている。
そう伝えれば、分からないのが当然だと返される。龍族も異種族との交流には慣れていないのだから、扱い方はいまいち分からないのだと。
私だけが手探りじゃないのだと安堵した時、ペトラは近くに生えていた元気のない花に手を翳していた。淡い緑の光が花全体を包み込んだかと思えば、その花は瑞々しく色を取り戻し、しっかりと真上に茎を伸ばして咲いていた。
なんて素敵で綺麗な魔法なんだろう! 思わず「すごい!」と手を合わせてしまった。
エスの氷属性魔法も綺麗だけど、また違った美しさがそこにはあった。樹属性魔法はこんな風にも使えるんだ。
「妖精さんって大袈裟。こんなのすごく弱い魔法だよ?」
「弱いとか強いとか関係無いよ。ペトラのお陰でこの花は元気になったんだから」
私も花に手を伸ばしてそっと水をやった。花びらや葉が水を弾いて地面に水滴を落としていく。
それを眺めていた時、突然ペトラが私の伸ばしていた腕を掴んで引っ張ってきた。重心が傾いた私は案の定ペトラに凭れ掛かってしまう。
「……なるほどね。妖精さんはそうやってエストレアに気に入られたんだ」
そうやって、とは一体何を指す言葉なのか。ペトラは何とも切なげな瞳を誤魔化すように、にっこりと微笑んでから手を離してくれた。私もそのまま離れる。
「倒れてる妖精さんを毎日運んでるのはエストレアだよ。たまにプロミネが運んでる。代わりにきたんだろうね」
話が変わった。急に口調が明るくなるものだから何だか着いていけない。
痛み隠すような、あの暗い瞳は何だったんだろう。歪んだ笑みを浮かべている時と同じ色をしているように見えた。
「目が合う度に威嚇されるからエストレアはほんと怖いよね。プロミネは君のことを初めて抱えた時、軽さに一頻り驚いていたよ。重量挙げして遊んでた」
「そ、そうなんだ」
威嚇してるエスも驚いているプロミネもどちらも想像出来る。重量挙げは出来ればやめてほしい。
「そう言えば、ペトラはどうしてエスを気に掛けるの?」
「それは内緒。エストレアは覚えてないだろうしね」
それはこの間話していた会合のことに関連しているのだろうか。遠くを見つめる瞳が記憶を思い返しているのか穏やかで優しい色をしていて、とてもではないけれど龍の女神を作るようには見えない。
「エスは覚えてると思う」
「まともに接触出来たのはたった一回だよ? 覚えてるわけないでしょ」
「たった一回なんかじゃないよ。ペトラには大事な一回だったんじゃないの?」
私のことも、助けた覚えなんかないと言いながら覚えていてくれた。何を一回なのかは知らないけれど、口では冷たく言って遠ざけようとしていても、ペトラのことだってきっと覚えているはずだ。
「妖精さんって、ちょっと戸惑う程人型の女の子だよね」
「ごめんなさい。分かりにくかったかな……」
「ううん、僕は六割だから結構分かるよ。こんなに直球なのは初めてで困るけど」
六割。今まで強い龍族にばかり出逢っていたから、ティエラを除いて七割以下の龍族には初めて会う。
眉を下げているペトラを見ると本当に困っているのが分かった。他の龍族の皆は困ると黙って停止していたりするんだけど、ペトラには元々心が備わってるような表情がある。
ふと疑問が湧いた。齟齬がある。
初めて顔を合わせた時にペトラが言っていた言葉が今、猛烈な違和感になって襲い掛かってくる。背筋を冷気が這うような、途轍もなく嫌な予感がする。
「……ペトラ、心があるの?」
「うん、あるよ。妖精さん、言う程馬鹿じゃないね」
思わず、さっきの花の周りに小さな芽を幾つか生やして遊んでいるペトラの手を掴んだ。
驚いた顔をしたペトラが不思議そうに首を傾げている。
「龍の女神を作るのは……」
「僕の仕事だね」
「本当に何も感じてないの?」
掴んだ手に力が入る。ゆっくりと細められた淡い緑が暗く光って、口許が薄ら寒い笑みを象る。
「そんなわけ、ないよね」
この人はまず自分の感情を殺して同族を殺しているのだろうか。
狂気じみた笑みだと思っていた。裏を返せばそこに心があるから狂気が生まれる。何も感じないならそんな表情が出来るわけがない。
「ちょ、ちょっと、何で泣きそうなの?」
歪んでいく視界の中でペトラが慌てている。目許に触れてくる手から、どうしたらいいのか分からないと動揺が伝わってくる。
「王族がもうベルク様と僕しか残ってないから裏の処理は僕の仕事だし、地龍族は忠誠心が強いから勝利の為とあらば女神は志願さえあるし……」
「つらかったよね」
「やめて。哀れまれると僕の立場がない」
「ごめん……」
私だったら、いくら自分しかいないと言われてもそんな仕事は出来ない。忠誠心が強いというのなら、死んでしまった仲間への情も深いと言うのなら、ペトラだって同族を殺したいなんて思っているわけがない。
ペトラは困って私の頬を伝う涙を掬い上げながら戸惑っている。
「君ほんと変な子だよ。僕に痛いことされたの忘れた?」
「痛かったけど、もういい……」
未だわたわたとしているペトラの為にも何とか泣き止むことにした。あちこちに土が付いた腕で涙を拭う。
「殺すのは簡単なんだよ。大事にするのは難しいけど」
顔に土が付いてしまったのか、ペトラが親指で頬の上辺りを拭ってくれた。
「だから、妖精さんが心配する程僕は純真じゃありません」
目を閉じてツンとして見せるペトラはやっぱりその辺の女の子より可愛い。私の悲しくなってしまった気持ちを吹き飛ばすようなそれにほんの少しだけ笑った。
殺すのは悪いことだと、何の事情も知らずに押し付けるものじゃない。エスに再会したばかりの頃もそうだった。
正しいことがいつも正しいとは限らないとはこういうことか。物事だけ見れば悪いことだけど、中身を知れば複雑でそれだけで終わらないこともある。それが許されるかは別として。
「僕のことも泣いて笑って許そうだなんて、本当に変わってる子だね。……エストレア、何で食べないんだろう」
そっと首元に伸ばされた手に噛み痕のある場所を撫でられる。
「食べたいと思わないんじゃないの?」
「興味がない以外の女の子なんてほとんど食べたいよ。雌みたいに細かく選ばないもんね。僕達雄にはアリかナシの二つしかないんだから」
物凄くはっきりしている。龍族に限らず男性は皆そんなものなのだろうか。となると、食べられない理由は一つに絞られる。
「じゃあ、一度した約束を守ってくれてるのかも」
「動物は約束を守れないよ。感情が薄ければそれなりに欲求に忠実だからね」
今度こそ私は考え込むことになる。動物は約束を守れない。何処かでエスは人だと強く思っている節があるからか、そう言われると確かに人型よりも本能が強いのに歯止めが利くものなのか、そこまでの理性は備わっているものなのかと。
考えれば考える程に私の思考回路は悪い方向に向かう。目の前が熱くなってきた。
「わ、私、女だと思われてないのかも……」
「いやそれはないでしょ。妖精さん、残念ながら色気は無いけどさ」
それは自覚があるけど……ほとんど食べたいのだとしたら、私はそのほとんどに含まれていないとしか考えられない。
思えばフルミネみたいに食いたいとか言われたことないし、むしろ食われたいかって聞かれただけだったし。よくよく考えれば食いたい側の人達も、龍族に話し掛ける異種族が珍しいからって理由なんだろうし。
龍族の女の子より突出して良いところがあるわけでもない私は珍獣的な意味で興味を持たれているに違いない。私の纏う空気は時間が経つに連れて重苦しいものになる。
「妖精さーん、聞いてないし。わー……余計なこと言っちゃったかな……」
「私に女の子としての魅力が無いのはリプカさんやモルニィヤに会った時から分かってたけど、分かってたけど……」
沈みきっていたら突然ペトラに両肩を掴まれて間近で対面することになる。
龍族の人からすれば普通なのかもしれないけれど、急に綺麗な顔を近付けられるのは恥ずかしい。だからと言って距離を取ろうとしても動けない。
「妖精さんは見目が良い割りに救えない程自虐的で卑屈なところあるよね。ちょっと引く」
「私、今までこんなに優しくしてもらったことなくて、未だにそれが信じられなくて……」
私の自虐もとうとう引かれる領域に達していたらしい。ペトラの引いてる顔が本気だ。
幼い頃からこの調子の私は、今更卑屈にならずに生きるにはどうしたらいいのか。
「君が信じなくても現実なんだよ。ちゃんと受け止めて。龍族に好かれるのは恐ろしいかもしれないけど」
「それは思ったことないかな」
またペトラは意外そうに目を瞬かせた。龍族に好かれるのが恐ろしいなんてことはない。私が優しくされるのに慣れていなくて、誰も信用出来ないのが良くないんだから。
「あー、なるほどね、そういうすれ違い方か。龍族は怖いんだよ。恐ろしい支配者なんだ」
「そうなの?」
「……妖精さん、馬鹿過ぎていっそ愛しいよ」
そのまま引き寄せられた時、魔力が切れてきたのか急激に眠くなって大人しくペトラの胸に収まってしまった。
「ごめんペトラ、何だかすごく眠い……」
「そろそろ魔力切れ? このまま寝てもいいよ。その代わり、今日は僕に君を運ばせてよ」
頷いた時に頭上から嬉しそうな笑い声が聞こえた気がした。龍族、まだまだいっぱい分からないことがある。地龍族のことも知りたい。
それから、エスに女の子だと思ってもらえるように頑張ろう。ああ、でも、それを頑張って私はどうしたいんだろう。いつか離れなきゃいけないのに、手に入らない人を欲しがってどうしたいんだろう。
この頃、嫌になる程思うことが全て矛盾している。嫌悪感が湧き上がって喉元に上り詰める前に、思考が途切れて暗闇に落ちた。




