◆1
マンガとか、小説とか、映画とか。そんなフィクションが嫌い。
所詮ありえない話だから。
夢見るヒトの妄想で、ただの願望のカタマリでしかないから。
それで同じように夢みれるのは、夢みることを許されたヒトだけで、その権利があるヒトだけ。
あたしは知ってる。
だからくだらない夢なんて見ない。
希望なんて抱かない。救いなんて望まない。
あたしには絶対に、ハッピーエンドは訪れないから。
ただ現実がここに在るだけ。
受け入れてしまえば簡単だった。諦めてしまえば楽だった。
すべてを抱えて生きていくには、とても生き難い世界だったから。
◇ ◆ ◇
「…本当にいい加減にして欲しいんだけど…」
『……ご、ごめんなさい…!』
「別にあなたに言ってるわけじゃないわよ、言う相手が居ないからあなたに言う他無いだけで」
『えっと、つまりはぼくに言ってるよね…』
電話の向こうから聞こえてくるのは、“あたし”の声。しかも半べその情けない声。
「とにかく、そっちは上手くごまかしてよね」
『う、が、がんばってみる…』
「用意したらすぐそっちに行くわ」
あたしはため息をつきながら手短に会話を済ませ、通話を切る。
入れ替わってしまったら、ひとまず合流するのがもはや暗黙のルールになったのだ。必然的にあたしの家に、あたしが向かう形になる。
ここは彼の、鈴木陽太の部屋で、あたしはまたしても、彼になっていた。
さすがにうんざりしてしまう。これで彼と体が入れ替わるのは、もう4回目だった。
彼と出会って3日目にして、4回。それはあたしの中での想定をはるかに超えた数字だ。しかも元に戻るタイミングもそれぞれにバラバラで、一体何が基点なのかさっぱりわからない。
一番最初は一夜明けて寝て起きたら元に戻っていた。だからてっきり、互いの意識を手放した後に元に戻るのではと推測していたのだけれど、どうやら違ったらしい。
昨日、学校での補講の最中に入れ替わった後…ひとまず学校から出ようとした瞬間に、あたし達は突如元の体に戻っていた。並んで歩いていた途中で視界が入れ替わり、なんの前触れもなくあたし達は、元の体に戻っていたのだ。
しかしその夜、再び入れ替わってしまった。そう時間を空けずして。
その場その場で状況は違ったし、入れ替わりのきっかけになるような衝撃も受けていないはず。それともこんな不可思議な現象に理屈を求める方が間違っているのだろうか。
なんにせよ、こう不規則に、しかも一日に何度も入れ替わるのはカンベンしてもらいたい。精神的にも疲れるし、弦達を毎回誤魔化すのも一苦労だ。家事も中断せざるをえないし。
さすがに慣れてしまった彼の部屋で再度ため息をつきながら、そっと右手を持ち上げる。そこには昨日巻いてもらった包帯がきちんとあって、僅かにほっとした。
…もしかしてこれが原因かと思ったけど、そういうわけでもないみたい。
昨日入れ替わった時、彼の手にはカッターが握られていて、この右手首は血まみれだった。
あんなに痛い思いをしたのは、初めてだった。
時刻は日曜の昼の11時。彼の部屋は昼間でもカーテンが閉められていて、日の光が殆ど入らない。
広い部屋の大半は、本と本棚が半分を占めている。あとはパソコンデスクにテーブルにベッド。
ひきこもっている割には部屋はシンプルで綺麗できちんとされていて、マンガやゲーム機等も見当たらない。最初この部屋を見た時は、イメージしていた“ひきこもりの部屋”とは全く違って拍子抜けだったほどだ。
何よりも驚いたのは、この部屋自体の場所だった。
家の中に部屋があるのではなく、家の外に部屋がある。彼が言うには、この部屋は後から増築された離れの部屋だそうだ。
本宅とこの部屋を繋ぐ短い廊下はあるものの、家自体とは切り離された場所。まるで隔離された部屋のようにもみえる寂しい場所だと思った。
それは、あたしはあの小さな家で兄弟6人でぎゅうぎゅうになって暮らしているから、そう思えるだけなのかもしれないけれど。
あたしは手早く身支度を済ませると、外へと出る扉へと手をかける。
部屋にあるふたつの扉の内ひとつは本宅と繋がっていて、もうひとつはすぐ外に繋がっている。これならいつ部屋を出ようが戻ろうが、家の人には全く分からないだろう
ちらりと、もうひとつの扉を見る。
昨日この手首の包帯を巻いてくれたのは、彼のお兄さんだった。
ブー、ブー、ブー…
ちょうど外に出てドアの鍵を閉めたところで、ポケットの中の携帯が振動した。取り出して見た画面には、自分の名前。つまりはあたしの携帯を持っている、彼からの電話だった。
なんだろうと思いながら、少しだけ操作の慣れたスマートフォンの通話ボタンを押す。慣れたと言っても通話操作に関してのみだけれど。
「…もしもし?」
『つ、月子ちゃん…! まだ家?!』
「もう出るところ」
『…っ、待って! お、お、お願いが…!!』
慌しく電話の向こうで叫ぶ彼に、なんとなくイヤな予感がした。携帯依存の彼が、今まで真っ先に携帯を持ってきてと懇願していた彼が、それを差し置いてまでお願いしたいこと。そんなの、厄介ごとか面倒くさいことに決まっている。
「イヤ」
『まま、待って月子ちゃん! や、やる前にイヤとかムリとか言っちゃダメなんだよ! それにまだ内容も言ってないし…っ』
「聞かなくても分かるわよ。どうせ面倒なことなんでしょう?」
『う、や、そんな面倒っていうか、その、なんというか…』
途端にしどろもどろになりながら、声が小さくなる彼にいらりとする。相変わらずこの人のこういうまどろっこしいところには、慣れない。
数秒わざと間を空けて、それから思いっきりため息を吐いた。
「わかった、ひとまず聞くわよ。その後でどうするかはあたしが決める」
『う、わ、わかった…あの…食事を…』
「食事?」
『そう、えっと、もうすぐお昼の時間で…たぶん、呼ばれると思うんだけど…』
腕時計を見ると、もうすぐ11時半をまわるところだった。確かに昼食時だ。自分も入れ替わる前まで、弦とお昼の準備をしていたのだから。
「断ればいいの?」
『だめ!』
電話の向こうで彼が再び叫ぶ。今まで聞いたこともないような大きな声で、少し驚いた。
『ぼくの家の、ルールなんだ…! お願い、形だけで良いから、母さん達と一緒に食事をとって…!』
「……どういうことよ、それ」
またしても数秒の沈黙の後、彼は非常に言い難そうに、説明した。
『ぼ、ぼくがひきこもりだってことは、家族の誰も、知らないんだ…』
「……なにそれ、聞いてないけど」
『ご、ごめん、その、言いづらくて…』
「…まぁ、いいけど。続けて」
『うあ、はい…それで…』
──どうやら彼は、平日の昼間は学校に行っているフリをして何食わぬ顔で朝・夕の食事を家族と一緒にとり、実は学校にも行かず外にも出ず、ずっとこの部屋に引き篭もっているという事実は、家族には内緒にしているとのこと。
と言っても、父親はほとんど家におらず、次兄も朝はやくに家を出て夜は遅く、ほとんど顔を合わせることは無いという。
だけど日曜の昼食だけは、違う。必ず家族で揃って食事をとる。それが彼の家のルールなのだそうだ。
『お願い月子ちゃん…! 食事は適当に、食べてるフリだけで良いから…いつも残しても何も言われないし…!』
「なにそれ、食べちゃダメなの?」
『ぼ、ぼく、あんまりごはん、食べれなくて…』
「は?」
『気持ち次第で、少しは食べれるんだけど…たくさん食べると、吐いちゃうんだ…』
「…そんな状態で、あなたの家族をいっきに相手しろってこと…」
ほら、なんて、厄介な。
重たい息を吐くと同時に思わず頭を抱える。そんなあたしの心情を悟ってか、彼が慌てて声を大きくした。
『で、でも、晃良兄さんも父さんも、ぼくには殆ど関心ないし、話しかけてくるのは母さんぐらいだから…! 適当に相槌打っておけば問題ないし…!』
「…あたしにとってはみんな他人じゃない」
『そ、そうなん、だけど…っ』
再び彼の声に情けの無いベソが混じる。そう泣けばなんでも解決すると思っているのだろうか。単に根性無しなだけなんだろうなとは思うけれど。
彼になりすまして、ひきこもりを知らない家族と、揃って食事。
誰かのフリをするなんて限界がある。まだ知り合って3日のほぼ他人だ。その家族と一緒に食事だなんて、そんなのムリに決まってる。
彼がいつもイヤだムリだと言う度に叱咤していた分、そうカンタンには口にできないけれど。
彼とこれまでに数度入れ替わった中で、確かに彼の家族と接触したのは一度きりだった。うちだとそうはいかない。常に弟妹達が誰かしら傍にいるし、家でやることもたくさんある。そういう意味では、彼の方が大変かもしれない。入れ替わる度にいつも逃げ出してるけれど。
それに最初以外は割と比較的短時間で戻ってた分あまり実害は無かったし、避けられるものなら避けていたのが現状だ。お互いに。
だけど今回は違う。他人の家族という空間の中に、食事の間中ずっと居なければならない。そんなの無理に決まっている。だけど。
……家族のルール、か…
それを言われると無下にできないのが更に厄介だった。それがどれだけ大事なことか、知っている。解っているから。
あたしはもう一度大きく溜め息つくと、決心して携帯のディスプレイに向き直る。
「……仕方ない…なんとかやってみるけど、そっちはどうするのよ?」
『あ、あの、お腹痛いフリして、えっと、弦くん? に後お願いしてきちゃった…』
また逃げたのかこのひと。
「…まぁもういっそその方が良いか…あなたに料理ムリそうだし…」
『ご、ごめんね…そ、それで、今そっちに向かってるから…!』
「こっちに? わざわざ?」
『だ、だって、心配だし…』
ホント自分本位なところでは行動力ある人だな。まぁまた短時間で元に戻らない限りは、居てもらった方が良いか。今回の場合は。
「じゃあひとまず、部屋で待機してればいいのね」
『お、お願いします…!』
そうして漸く通話を切り、一度閉めたドアの鍵を再び開けて中に入る。
うちからここまで確か1時間はかかるはずだ。彼が自転車に乗れればもっとはやく着くだろうけれど…その間に元に戻ることを祈るしかない。
本日何度目かわからないため息をついたその時
──コンコン
突如ドアをノックする音が、部屋に鳴り響いた。
自分が居る、外に出る扉とは反対のドア。本宅と繋がっている方のドアだ。つまり、ドアの向こうに居るのは、彼の家族の誰かしらということになる。
流石にいきなりこのタイミングでは、心臓が追いつかない。動揺して声も出せずに居ると、返答も待たずにいきなりドアが開いた。
そっちのドアには鍵付いていないのか!
思わず場違いにもつっこんでしまった。
ドアの向こうに居たのは、すらりと長身の男の人。思い当たる人物はひとりしかいない。
──“晃良兄さん”──
そう、お兄さんだ。確か彼とは9つ違うと、前に言っていた気がする。
落ち着いて思い出せば、昨日も一度対面している。だけど昨日はそれどころではなかった。手首から血がどばどば流れていたのだから。お兄さんの顔もまともに見れなかったのだ。
細いフレームのメガネをかけた切れ長の瞳で、じっと見られて心臓が撥ねる。整った顔立ちではあるけれど、そこには感情は全く浮かんでおらず、ほぼ無表情だった。
こうして改めてみると、あまり彼とは似てないなとぼんやり思った。
「母さんが昼食出来たから来いって」
「う、わ、わかった…っ」
なんとか平静を装おうとしたけれど、いきなりすぎて思わず声が上ずる。どくんどくんと心臓が鳴っている。
そもそも彼ら兄弟が普段どんな関係なのかをそういえば聞いていない。一番上のお兄さんの話しか、よく解ってないのだ。それでも仲の良い兄弟という印象には、とても見えなかったけれど。
お兄さんはじっとこちらから目を離さない。あたしは下手に動けず立ち尽くしていると、お兄さんが再び口を開いた。
「…その頭とメガネは、どうにかしてから来いよ。母さんが気にする」
それだけ言うと、お兄さんは早々にドアを閉めて行ってしまった。
ほっと胸を撫で下ろしながら、反射的に自分の頭に手をやる。
そうか、と思い出した時には既に遅く、ドロリとまたもや手が黒く汚れた。顔をしかめながら、反対の手でメガネを外してテーブルの上に置く。
外に出る時のもはや習慣で、カラースプレーで髪を黒く染めていた。伊達メガネも。
なるほどこのカラースプレーも伊達メガネも、“外”用だから、家族の前だとおかしいのか。
「…せっかくやったのに…」
…ていうか。カラースプレーを落とすにしても、洗面所がわからない。それに、ここの家の食卓も。 あたしは未だ、基本的にこの部屋しか知らないのだから。
「……」
はやくも引き受けたことを後悔する。さっさと外に出て、家に向かっていれば良かった。他人の家の事情なんて、放っておけば良かった。
「……はぁ…」
それでもここでうだうだしていても仕方ない。もうお呼びがかかってしまったし、返事をしてしまったのだから、行かなければ。
意を決して、ひとまず頭は黒いまま、部屋を出る。洗面所があるとしたら本宅の方だろう。行ってみて、探すしかない。食卓も。
どうにかなるだろう。ならなかったら彼を見習って逃げよう。
幸いにも、目当ての場所はドアを出た廊下の突き当たりに見えたので、逃げずには済んだ。洗面所でスプレーを落としたところで、見計らったようにお兄さんが再度迎えに来てくれたので、食卓も探さずに済んだ。
自分の家とは全く異なる広さの構造に心底驚きつつ、あたしはなんとか無事“鈴木家”の食卓についたのだった。




