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教室でのあの騒動から、2週間が過ぎた。
彼…陽太はあの後病院に搬送され入院した。それでも思ったより重症ではなく、もうすぐ仮退院する予定だ。来週からは学校にくると意気込んでいた。
実際どうなることやら。
桜塚達は全員停学を挟んでの“休学”になった。
あたしも何度か学校側に呼び出されたし、陽太の病室まで学園長や教師が来たらしい。
もうあの教室には、来ない気がした。
実際どうなるかは、やっぱりわからないけれど。
あの後はあたしも大変だった。
あの映像を、お母さんたちも見ていて。陽太に付き添って行った病院で、泣きながらお母さんに頬を叩かれた。それから強く、抱き締められた。今までで一番、痛かった。
それからお母さんにも朔夜にも散々怒られたし、家族全員にまんべんなく泣かれた。これには流石に困った。なのでもう二度と…隠し事はしないと誓った。家族を泣かせることだけは、もう絶対にイヤだったから。
そして漸く落ち着いた今、あたしは学校の裏庭に来ている。
昴流さんに会う為に。
「まさかきみの方から呼び出されるとはねぇ」
「…あれから一度も、学校に来ないから」
「んでわざわざジョーに聞いてくれた、と。なにもしかしてツンデレってやつ? 前はあんなに冷たかったのにさぁ」
昴流さんは相変わらずの態度で、ベンチにだらりと座っていた。あたしもその隣りに腰掛ける。
その視線があたしを見やり、棒付きのキャンディをコロコロと口の中で転がしている。
「髪、切ったんだ」
「…はい」
いつも耳元で縛っていた、肩まで伸びていた髪を少し切った。耳より少し下のあたり。おかっぱよりは少し短め。
断髪式の指揮をとってくれたのは朔夜だ。
縛らなくていい長さをオーダーし、朔夜に任せた結果だった。
特に不満はなかったし、わりと気に入っている。楽だし。
『…月子、大学行けよ』
髪を切る途中で、朔夜がふいにそう口にした。
あたしは一瞬の間を置いて、頷いた。
諦めきれない夢があった。
「…ありがとうございました」
そう口にするのと同時に、涙が出そうになった。あの日久しぶりに大泣きして以来、涙腺が脆くていけない。必死に堪えながら、続ける。
「助けてくれて…ありがとうございました」
それだけがどうしても、言いたかった。
このひとに傷つけられたのも事実だ。でもそれは、半分自業自得だってことに気付いていた。
このひとは多分。あたしがちゃんと、イヤだって、止めてって言ってたら。きっと止めてくれていた。そう思えた。
「……終わり?」
「…終わりです」
特にこれといった反応も返さず、昴流さんがガリガリと、口の中のキャンディーを噛み砕く。
それも止めた方がいいと言ったら、聞いてくれるだろうか。でもそれは人の勝手だしお節介に過ぎないから、言わないでおいた。
「…それじゃあ」
「……俺からも、言っていい?」
退散しようと立ち上がった手を、とられる。まっすぐ、その目はあたしを見つめていた。
「…ヤってないよ」
「……え」
「あの日、きみのこと。抱いてないよ」
その言葉が脳みそまで到達した時。堪える間もなくあたしの目からは、涙が零れていた。
「……っ」
自分でもよくわからない。この涙がどういう理由で流れているのかを。ただやっぱりホッと、した。
「……覚えてなかったんだね、やっぱり」
「……は、い…」
押し倒された時の記憶は鮮明で、忘れられない。だけど最中のことは全く覚えていなかった。気がついたらひとりで、あの屋上に居たから。
「まぁ、そういうことだから。アイツらも居なくなったし、ガッコもつまんなそーだし、どうせもう卒業だし? だから来てなかっただけ。だからきみも、もういいよ。フツーにアイツと学園ライフを送ればいいんじゃないの」
なんだかその物言いが、拗ねた子供みたいに聞こえておかしかった。
そんなわけはないのだけれど、ホッとして、気が緩んで。少しだけ自然と、笑えた。
「……でもさ…いっこだけ、果たしてもらってない約束があるんだけど…」
「…え…?」
捕まれていた腕に、力が入る。ひかれるように顔を上げると、思ったよりも至近距離に顔があった。
目が、合う。
寂しい獣のような目をしていた。
そこに自分が映る。それをもうこわいとは思わなかった。
その瞳が、細められる。
そして――…
「――…ちょ…っと、待ったぁああ!!」
裏庭に盛大に響き渡ったのは、居るはずのない陽太の声だった。
「……陽太…?!」
「ちょ、いま、何しようとしたの?!」
包帯をぐるぐる巻かれた彼が、ぜいぜいと息をしながらこっちに向かって走ってきている。今はまだ、病院に居るはずなのに。
「なにやってるのよ…」
「だって月子ちゃんが、昴流さんに会うっていうから…っ ぼくも一緒に行くから退院まで待ってって言ったのに聞いてくれないし…っていうか月子ちゃん、髪切ったんだ!」
「それはこっちのセリフなんだけど」
「あ、うん、流石にだらだらと、伸ばし過ぎてたし…」
「そうね、あれは鬱陶しくてなかった」
「はは、そうだね、月子ちゃん、おそろいだね」
ふにゃりと情けなく笑いながら、そんなことを言う。こっちも相変わらず、呑気だなと思った。
「で…?」
割って入ったのは、昴流さんだった。
しまったすっかり、忘れていた。
「あ、ああの…! もしかして月子ちゃんとの、約束の話ですか…?!」
「…なんで知ってんの」
「ああ、やっぱり…」
「ちょっと、なんの話なの?」
陽太がしまったと頭を抱えているけれど、全く話がわからない。
約束って、なんのことだろう?
「あの、あの時…保健室で、その、“ぼく”を助ける代わりに、月子ちゃんがした約束、ですよね…」
保健室…そうか、あたし達がまだ入れ替わっている、間。保健室で殴られていたあたしを助けてくれたのは、昴流さんだった。
確かにどうして昴流さんが助けてくれたのかは不思議だったけど、なにやら勝手に約束を取り交わしていたらしい。でも実際それで助かったので、なんとも言えないけれど。
だけど一体なんの約束を…
それを聞く前に陽太が、ガバリと顔を上げて昴流さんに向き直る。昴流さんは鬱陶しそうに睨んでいるけれど、お構いなくだ。
「あの…! こんなこと言っても、理解してもらえないかもしれないけど…っ あの約束をしたのは、月子ちゃんじゃなくて、ぼくなんです…!」
「……は?」
まぁ、そうなるだろう。
昴流さんが息巻く陽太のことを、なんだこいつという目で見ている。
陽太の言っていることは嘘ではないけれど、今ここで言ってもムリがあるには違いなかった。
「だから…だから…! これでゆるしてください…!!!」
そして、昴流さんの両肩をがしりと掴んだと思ったら。
「……!」
思いっきり自分の唇を、昴流さんの口に押し当てた。
なに、を…やっているの、一体。
昴流さんが石みたいにピシリと固まっている。当然だ、あたしももはや何も言えない。そしてそれは、陽太本人もだった。
ゆっくりと唇を離し、それから自分の口元を押さえてよろめいている。昴流さんも呆然としながら、奪われた自分の唇を手の甲で拭った。
お互い顔が青い。今までに見た中で一番ダメージを受けているようにも見えた。
「月子、ちゃ……ぼく、ちょっと、向こうで、休んでる…」
「あ、うん…」
約束、って。キスのことだったんだ。
「……ふ」
あ、ダメだ。本人たちに悪いから、堪えてたのに。なるべくガマンしてたのに。
「ふは、あは…っ、 あはははははは」
だって、目の前でキスシーンなんて、はじめてみたから。しかもこんな、ロマンのカケラもないキスを。
「つ、月子ちゃ…」
「……っ、お前なぁ…」
あ、ふたりとも怒ってる。当然か。
でも、仕方ない。お腹の底から込み上げてきて、ガマンできなかったから。
涙が滲むほどこんな笑うなんて、本当に久しぶりだった。




