◆7
何かが激しくぶつかる音が、教室全体を大きく揺らした。
鍵のかかった教室の扉を、誰かが開けようとしているのだろう。ぶつかる音に合わせて壁や窓が揺れる。
「な…ッ なに…?!」
「せ、先生、とか?」
「まさか、俺が居ること知ってるのに」
スカーフを解いていた桜塚の手が止まる。あたしもゆるりと視線を向けたその瞬間。
教室の扉が激しい音と共に、内側に倒れこんできた。
扉の前にあった机や椅子が散乱する。女の子の悲鳴がいくつも響いた。
埃の舞うその向こうに人影が揺れ、教室内の視線が一集する。
なんだか前にもこんなこと、あった気がする。わりと最近。
倒れた扉の上から、散乱する机や椅子を押し退けながら教室内にその人影が降り立つ。咳き込むその顔がこちらに気付き、視線が合った。
金色の髪がきらきらしていた。やっぱり綺麗だなと思った。
「……ッ、月子ちゃん……!」
「…よ、……た」
彼は笑っていた。
「陽太……!」
――来て、くれた。
「…は! ダレかと思ったら…お前かよ」
「もうひとりの主役登場じゃーん、ちと登場が派手過ぎじゃね?」
ゲラゲラと教室内に笑いが響いた。ひかれるように教室内がざわつく。
ほとんどのクラスメイトは、彼の顔を知らない。初対面だ。
だけど桜塚たちのその様子に、陽太がもうひとりの“いじめられる役”だと気付いたのだろう。息を呑む気配がこちらにまで聞こえた。
陽太がゆっくりと、こちらに近づいてくる。あたりの様子を伺いながら。
次第にその顔から笑みは消え、哀しさが滲むのがわかった。
状況を、理解したのだろう。
まっすぐこちらに歩み寄る陽太にあたしはふるふると首を振った。来ちゃダメだということはお互いに、わかっていたはずだ。来たら、どうなるのかも。
自分で呼んだのに、求めたのに。
本当に来てくれると思わなかった。だけどこんな状況で陽太がここに現れても、この状況を打開できるようには思えなかった。
ならせめて。彼だけでも逃げてくれれば良かったのに。あたしのことなんか、見捨ててくれれば良かったのに。
――でも。
そんなこと、ぜったいに陽太はしないって。あたしはもう、知っている。知っていたんだ。
「…メール…見たよ」
「…ああ…だから来たってわけね、わざわざこんなタイミングで」
陽太が、まっすぐ桜塚と対峙する。
桜塚のとりまき達が彼を囲ってにやにやと笑っていた。桜塚も至極愉しそうに。
「月子ちゃんを、離して…」
「…ダメだね。こいつは俺たちに逆らった」
「やったのはぼくだ」
「…ああ…?」
「あの放送、やらせたのはぼくだよ。だから月子ちゃんは関係ない。メールで言っただろ、ぼくか月子ちゃん、どっちかだって。…ぼくが受ける。月子ちゃんの分も、ぜんぶ」
「…へぇ…?」
「だから月子ちゃんは…離して…お願い…」
陽太の言葉に、教室内がざわつく。
「なに、やっぱりお前らってそういう関係なの? ただのひきこもりだと思ってたのに、やるじゃん陽太くーん」
「いいじゃん健太、その女の前でコイツ、ぶちのめしてやれば。自慢のキレーな顔も、今日で見納めってことで」
事態が上手く呑み込めない。何を、言っているのだろう。なんで、陽太がぶちのめされなきゃいけないの?
騒ぐ取り巻きの笑う声に、桜塚もゆっくりと、笑った。
「…いいぜ、その代わり…」
桜塚があたしの上から退き、陽太の前にまっすぐ立つ。それからぐしゃりと、陽太の前髪を握りつぶした。
「今日は手加減、ナシだ。…死ぬなよ…? ここではなぁ」
長い腕が一瞬で空を切る。あたしはすぐその足元で、その様子を見上げていた。
次の瞬間には、鈍い音と共に陽太の体が机の山へと吹き飛ぶ。まるで夢をみているみたいに一瞬で。
あたしの頬や制服や床に、血が飛び散った。
教室内に悲鳴がこだまする。泣き出す女生徒も居た。見てられなくて、顔を背ける人も。
だけど殴る音と笑い声がやまない。
ダレも止めようとはしない。
それがこの教室での、目に見えないルールだから。
「やめ、て…やめてよ…!」
よろけながら立ち上がり止めようとしたあたしの体を、堀越恭子たちが羽交い絞めにする。それから彼女たちは笑って、あたしに言った。
「いーから見ときなって。せっかくあんなに、楽しそうなんだからさぁ。安心しなよ、あんたも後で混ぜてあげる。あたしは絶対に…ゆるさないから」
それはきっと永遠に。
終わらないのだろう。
変わらないのだろう。
「……あたしも…」
だからきっとあたし達は。
戦い続けなきゃいけないんだ。
「あたしも、ゆるさない」
ありったけの力を振り絞り、彼女たちの腕を振りほどく。
「きゃ…!?」
「ちょっとアミ、なにしてんのよ…っ」
「だってアイツ普段抵抗なんかしないのに…あ、ちょっと!」
解放された体で、陽太のもとに走る。だけど途中で捕まってしまい、床に蹴飛ばされた。すかさず堀越恭子があたしに馬乗りになり、力いっぱい頬を打たれた。
「いい気になんなって言ってんでしょう…!?」
「……っ」
口の中に血の味が広がる。だけどそんなのどうでもよかった。
もがくけど彼女はどいてくれない。冷たい視線は突き刺さるだけ。
視界の端で陽太と目が合う。
「月子ちゃん…っ」
血だらけだ。このままじゃ本当に、死んでしまう。
…どうして?
「……て」
誰も、助けてくれなかった。叫んでも泣いても、誰も。あたしのこと、助けてくれなかった。
「たす、け…て…」
でも、もういいの。それでもいい。あたしのことは助けてくれなくても。
――だから
「陽太を…助けて……!」
お父さんが死ぬ間際。あたしは神様に必死に祈った。願った。
お願いします、助けてって。何度も何度もすがった。代わりにあたしがいくらでも、罰を受けるから。命も未来も全部、差出だって構わないからって。
だけど神様は絶対に、かなえてくれない。助けてくれない。
この学校に入学した時。外部入学生だけでの入学説明会の後、渡り廊下であたしは初めて堀越恭子に会った。誰かにぶつかって荷物をぶちまけたとか喚き散らしていたので、注意した。それが、はじまり。
本当にそれだけの理由かはよくわからなかったけど、あたしの何かが彼女の気をさかなでたらしい。その日からあたしは、会う度に彼女に、彼女たちに殴られる日々が始まった。
…一番最初は。
やめてって何度も言った。素通りする人たちに、先生に。助けてって何度も叫んだ。
だけど結局誰も助けてはくれなかったし、こんな世界がふいに変わるなんてこともありえなかった。
だからもうみっともなく誰かに助けを求めるのはやめよう。ムダなことは、やめよう。
そう決めていた。
…だけど。
だけど今は、ちがう。あの時とは違う。
みっともなくてもいい。悪あがきでもいい。やっぱりそれで、世界は何も変わらなくても、もう何もしないで諦めるのはイヤだから。
「助けて…! お願い、誰か…陽太を助けて…!!」
「…うっさいなぁ…」
今度は拳が振り上げられる。それでもあたしはやめなかった。
教室の隅に固まる、クラスメイト達。遠巻きにただ見ているだけの、傍観者。
顔を背けて、耳を塞いで。確かにそれが正解かもしれない。
でも、あたしがやめなければ、諦めなければ――誰かに、届くかもしれない。
世界が変わるかもしれない。
「黙れって言ってんじゃん…!!」
振り下ろされる拳。
迫る痛みに目を閉じても、あたしは叫び続けた。
「――もう…やめてよぉ…!」
女の子の、声だった。
聞き覚えのある声。この教室内にそんな人、居るわけないのに。
教室内の音が止む。時が止まったかのように静まりかえる。
あたしの上に何かが覆いかぶさっていた。温もりを感じた。それから心臓の、鼓動を。
「なに、あんた…」
堀越恭子の声が、わずかに遠い。覚悟していた痛みはあたしに届かなかった。
「どけよ…それともあんたも殴られたいわけ?」
堀越恭子があたしの上に覆いかぶさっていた女の子の胸倉を掴み、顔を寄せる。彼女は…確か、星野さんだ。いつだったかこの教室で、あたしに話しかけてきたひと。
涙を流しながら星野さんは、ふるふると首を振った。だけどその目はまっすぐ、堀越恭子を見据えていた。
そして次の瞬間。
携帯の着信音が一斉に教室内に響きわたった。




