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ひとりぼっちの勇者たち  作者: 長月イチカ
月夜のほとりの泣虫
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20/53

◇5


 なんとか立ち上がり、さっき教えてもらった席につく。右手に痛覚が戻ってきたようで、上手く扱えない。

 痛みでくらくらした。痛みのせいだけじゃないことも解っていた。

 教科書、出さなくちゃ。反射的に机の中に手を突っ込んだけれど、そこには何も入ってなかった。脇にかけてあるカバンが目について、手を伸ばす。ずしりと、重たい。

 月子ちゃんのカバン、こんなに重たかったっけ…?

 でもそういえば各自の持ち物は、入れ替わった後でも自分で持ってたんだ。

 そんなことを考えながら、壁に貼られた時間割を確認しながら教科書を探す。ガラガラと扉を開けて教師が入ってきて、内心慌てた。

 現国…教科書と、ノートと、辞書とか要るのかな…ひきこもりのぼくが、授業についていけるか心配だ。脳みそは月子ちゃんのだから、なんとかならないだろうか。

 月子ちゃんのカバンからとりあえず教科書とノートを取り出して、どぎまぎと机の上に置く。

 でもそんな心配が杞憂だったことを、授業が始まってから知った。

「じゃあ前回の続きから。95ページを、誰か…そうだな、今日は27日だから出席番号の27番は…」

 授業なんて、何年ぶりだろう。ぎこちなく教科書をめくりながら、ノートの表紙に書かれた月子ちゃんの出席番号を見てぎくりとした。

 27番。月子ちゃん…ぼく、だ。

 いっきに脈が加速する。いきなりのピンチだ。ただ教科書を読むだけだとしても。

 どうしよう。手の平に汗が滲む。どくどくと心臓が鳴る。

「…あー、と…明日は授業ないし、28番の吉田、95ページの文頭から読んで」

「はい」

 名前を呼ばれるのを覚悟していたぼくは、思わず顔を上げて教壇に立つ先生を見た。

 あっさりと、ぼくのピンチは回避された。良かった、のか? ううん違う。

 なぜだろうぼくは、ほぼ無意識に手をあげていた。天井に向かってまっすぐと。

 自分では理由も理屈もわからない。普段のぼくが見たら信じられない行動だ。それでも。

「──せん、せい…」

 ぽつりと、声を漏らす。教壇に立つ先生は、何も答えない。まるで何も聞こえていないように。

「…先生…」

 先生だけじゃない。このクラスでは、誰ひとり。ぼくを見ない。存在を認めてもらえない。

 そしてぼんやりと、ぼくが知る“学校”を、思い出していた。


『…えぇ…? いじめ、ですか…?』

 ぼくが通っていた小学校の担任教師は、初老の女性教師で、生活指導の担任でもあった。

 その日ぼくは母さんと日向兄さんにつれられて、来客用の部屋の机に座っていた。

 机の上にはボロボロになった教科書や体操服が並んでいた。

『弟の容姿は、生まれつきだと何度も説明しましたよね? それなのに、それをクラスメイト達に受け容れてもらえていないようなんです。先生方も、フォローしてくださるんじゃなかったんですか?』

『…そうですね。生徒達にはきちんと説明してあります』

『ならどうしてこんなことになってるんですか! 弟は毎日傷を増やして帰ってくるんですよ…?!』

『傷って、そんな…少し過保護が過ぎるんじゃありませんか? お兄さん。男の子なんですから、友達と遊べば擦り傷くらいできますよ』

 友達なんか、居ない。でもそんなことここで言えるわけない。母さんと日向兄さんの前で、そんなこと。

『陽太さんの外見は確かに最初は物珍しげに見る生徒もいましたが、興味があるからこそで、みんな陽太さんと仲良くなりたがっていますよ』

 仲良くって、なんだろう。確かにぼく以外のひとはみんな、笑っているけれど。それが仲が良いって、ことなんだろうか。

『この年頃の子供というのは、少し力加減がわからないものです。友達と接する内に、それを覚えていくものですから。ね、陽太さん、あなたが少し、大人になってみてあげてはどうかしら…?』

 ぼくは、子供じゃないの? 守っては、もらえないの…?

『みんな友達思いの活気ある良いクラスですよ、いじめなんてありえません』

 教師は笑っていた。教科書もノートも体操服も、その場で棄てられた。噛み合わない会話のいびつな結論だけが、机の上に残っていた。

 日向兄さんはまだ言葉を発していたようだけれど、あまり覚えていない。母さんが、心配そうにぼくを見た。

『…そう、なの…? 陽太…本当にいじめじゃ、ないのね…?』

 母さんにとってはどっちが良いんだろう。息子がいじめられてるなんて、やっぱり恥だろうか。

 本当はきっと今日だって、来たくなかったってこと、知っている。日向兄さんが母さんを連れてきてくれたんだってこと。

 ぼくが頷けば、たとえ一時でもそのウソが、真実になるのなら。


 “いじめ”は、なくならなかった。そして日向兄さんの死後それはエスカレートしていき、ぼくは“学校”を、諦めた。


 ここはあれから約10年も経った別の学校の“教室”だ。だけど、不思議に思う。

 変わらないんだ、この場所は。人も、痛みも、変わらずそこに在る。学校という箱庭の中に、オプションみたいに付いてくる。昔も、今も、そしてこれからも。

 この教室でぼくを置いて授業は滞りなく進んだ。

 右手を使えないぼくは、シャープペンすら持てなくて。だけど持てたとしても、ムダだった。広げたノートは真っ黒で、文字を書くスペースなんて残されていなかったのだから。

 きっと他の教科のノートもおんなじ。確かめなくたってわかる。だってぼくも、そうだったから。

 “ぼく”が触れるものすべて壊されて、ボロボロにされて、なくなった。

 …そうか。だから月子ちゃんはこんなに視力が悪くても、メガネをかけないのかな。もしくは最初は、していたのかもしれない。だけどきっと全部奪われたんだ。壊されてしまったんだ。


 “いじめ”にもテキストがあるみたいだ。

 巡り廻ってこの儀式は、いつかの誰かに引き継がれる。

 きっとそこには命が在った。痛みや苦しみや哀しみが。

 誰にも気づかれずに失くなっていった、命がきっと。



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