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ひとりぼっちの勇者たち  作者: 長月イチカ
月夜のほとりの泣虫
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19/53

◇4


 どれくらいそこでそうしていただろう。校舎内に響くチャイムの音が、この場所まで届いた。

 少し離れた遠くで、生徒達の喧騒が風に乗って聞こえてくる。おそらく予鈴。急いで戻らないと午後の授業が始まってしまう。

 だけど教室になんか行けない。行けるわけない。このぼくが。

 たとえ月子ちゃんの体だとしても、ここはあんなにまで避けていた、学校。桜塚達が居るかもしれない。それに月子ちゃんをいじめてるヤツらだって。

 今すぐにでも家に逃げ帰りたい。もう二度とあの部屋から出たくない。もう、二度と──

 …結局ぼくに、何かを守れるわけないんだ。こんなぼくにでもできることがあるなんて、そんなことあるわけなかったんだ。

 …帰ろう。

 そうだ、入れ替わってしまったぼくの体は、今とても大変な気がする。悪化してないと良いけど…月子ちゃん、きっと苦しんでる。また、ぼくの所為で。

 ず、と鼻をすすりながら、ゆっくりと立ち上がる。少しずつ体に力が戻ってきた。

 深く息を吸って、体内に酸素を送る。砂と埃を軽く払い、それからぎこちなく制服のスカーフを結んだ。今度はなんとか結べたけれど、不恰好でバランスが悪くて、心底月子ちゃんに申し訳なく思った。

 帰ろう。

 何か食べ物と飲み物と、それから薬を買って。今度はちゃんと、何か胃に入れてから薬を飲んだ方がいい。ぼくだったらどうでも良かったけど、月子ちゃんに替わってしまった以上、ちゃんと治してあげなくちゃ。またいつ元に戻るかわかないし。

 帰ろう。

 こんな格好で、こんな顔で、教室になんて行けない。とても行けるわけない。月子ちゃん自身は、そんなこと気にしないだろうけど。でもぼくは、月子ちゃんではないのだから。月子ちゃんには、なれないのだから。

 月子ちゃんも、きっと待ってる。あんな辛い状態でひとりは、きっと心細い。寂しい。…でも、それは…ぼくだから、だろうか。

 じゃり、と砂を踏む足が、止まる。じわりと視界が滲んだ。

 月子ちゃんはきっとぼくのことなんか、待っていない。


 月子ちゃんはきっと、何があったって、どんなことが起こったって、教室に行く。授業をちゃんと受ける。

 それをぼくは、知っている。知っているんだ。

 ごしごしと制服の袖で目元をこする。涙はもうとっくに止まっていた。

 解けていた髪を、いつもの月子ちゃんを思い出しながら両耳のところできつくゴムで結う。少しだけ気持ちが、強くなった気がした。

 もう一度強く、スカートの埃を払う。パン、と思ったより大きな音が空に鳴った。

 スカーフを一度解いて結びなおす。さっきよりはちょっとだけ、マシに見えた。

 それから、歩き出す。

 月子ちゃんはきっと、逃げないから。

 ぼくはきっとそれだけは、守らなくちゃいけないものだと思った。


 ぼくが居た場所から少し歩いた所に校舎内への入り口があって、ぼくはさして迷わず校内へと辿り着けた。おそるおそる、足を一歩踏み入れる。反射的に唾液を呑み込んだ喉がごくりと鳴った。

 踏み出した足が竦む。心臓の音が、やけにうるさい。

 廊下の先には、昼休みを終える生徒達の姿が目に付いた。自意識過剰だとは分かっているけれど、みんながこっちを見て、笑ってる気がした。あの日の、教室みたいに。

 俯いたまま、次の一歩。あまりに小さくて、ほとんど進まない。固く握った拳に汗が滲む。

 学校という場所に自ら足を踏み入れたのは、本当に久しぶりだった。小学校以来だ。日向兄さんが死んだ、あの時以来──

 思い返す記憶に吐き気が伴って、思わず口元を押さえた。でも、いつもより少し楽な気がした。いつものぼくだったらとっくに逃げ出していた。それをしないのはやっぱり、この体が月子ちゃんのだから。月子ちゃんの体が、この地に足を着いて、立っていたからだ。

 ぼくは瞼を閉じ、小さく息を吸って、吐いて、それから瞼を開ける。ゆっくり顔を上げると、もう生徒達はまばらだった。ちらほらと廊下に出ている生徒も、誰ひとりこっちなんて見ていない。気になんか留めていない。

 少しだけ肩の力が抜けるのがわかった。それから2階の教室に向かって歩き出す。一度教室で入れ替わっていたので、なんとなく教室の位置は分かる。後はクラスのプレートを追えばいい。

 2年B組。

 月子ちゃんとそして、ぼくのクラスだ。


 なんとか教室の入り口まで辿り着いたぼくは、しかしその扉の前で立ち往生していた。

 教室までは、来れた。頭上には「2年B組」のプレートが掲げられているから、間違いないだろう。でも、席がわからない。以前入れ替わった際に座っていた席は、全く覚えていない。そんな余裕は流石に無かった。

 どうしよう。誰かに訊けば、教えてくれるだろうか。迂闊に話しかけていいものだろうか。むしろなんて訊けば怪しまれないかが一番の問題だけど。

 そうだ、全員が席に着くのをここで待っていれば、残った席が月子ちゃんのだ。あ、でもぼくの席は空いてるだろうし、桜塚達が授業にまともに出るようにも思えないから、却下だな。

 そもそも、教室内での月子ちゃんの立ち位置というか、状況がわからない。月子ちゃんをいじめてる子達も、そして桜塚達も、同じクラスだとは言っていた。このクラス内の状況は、どうなってるんだろう。考えただけでイヤな汗が滲む。

 でも、今更だ。ここまで、来たのだから。そう、もう、ここまで来たのだから。

ぐ、と顔を上げたその時。教室に入る女の子と、肩がぶつかってしまった。

「…あ、ごめ…」

「あ、こちらこそ、すいませ…」

 互いがほぼ無意識に謝り合う。だけど相手の女の子がぼくの顔を見て、しまったという顔をしたのが容易に見て取れた。それだけでぼくは理解できた。このクラスでの、月子ちゃんの立ち位置を。

 それは昔ぼくも体験したものだった。疎まれる、やっかまれる、存在というのを。

 …当たり前だ。

 いじめっていうのはつまり、学校から、教室から、全員から。見離されるってことなんだから。

 でも、でもここは、あの日の教室ではないし、ぼくはぼくじゃ、ない。──だから。

「あの…!」

 女の子はすぐにぼくから視線を逸らしたけれど、ぼくは咄嗟にその手をとっていた。驚いて振り返るその子と目が合って、ぼくはまくしたてるように勢いのままに言葉を発した。

「さ、さっき転んで、その、ちょっと記憶がぶっ飛んじゃって…! ぼっ、あたしの席って、ど、どこだっけ…!!」

 月子ちゃんが聞いていたら、きっとこの上なく呆れた顔をするだろうな。そしてきっと、怒るだろうな。

 でも、いい。いいんだ。月子ちゃんに怒られるのも、少し慣れたから。

 目の前の女の子の目に驚きと戸惑いが滲むのがわかる。ムリもない。一番驚いてるのはぼく自身だ。 迷惑な行為だってわかってた。教室内の視線が一集する。じわりと汗が手の平に滲み、とった手も震えた。

 祈るような気持ちの数秒後、女の子がおずおずと、口を開いた。

「…山田さんの、席っていうか…、いつも使ってる席なら、あそこだけど…」

 控えめに指差した先の席を確認し、ぼくは思わずほっと胸を撫で下ろす。ひとまずは席につけそうで安心した。それに何より、答えてくれたことが。無視される覚悟もあったのに、応えてくれたことが嬉しかった。それが何よりも、嬉しかった。

 それから慌てて掴んでいたその手を離した。

「ご、ごめんね…っ あ、ありが…」

 その言葉が言い終わらない内にぼくは背中に衝撃を受け、教室内に勢いよく倒れこんだ。

 教室内が一瞬だけ、ざわつく。

 いきなりのことで、一瞬何をされたかわからなかった。ゆっくりと、頭だけ動かして振り返る。見覚えのある上履きが視界に映り、そこでようやく背中を蹴られたのだと理解した。

「あれぇ、何か居た?」

 堀越恭子だ。


 ズキズキと痛むのは、蹴られた背中じゃなくて。突き刺さるように疼いたのは、心臓だった。

 見下ろす鋭い眼光の目。赤く歪んだ唇。

 彼女の長い脚が、ゆっくりと動く。びくりと体が反応したけれど、上手く動かない体は間に合わなくて。

 ぐしゃりと、彼女の足が月子ちゃんの手を踏み潰した。

「──ッ…!」

 手の甲を思い切り踏み付けられ、追って湧く痛みに息が漏れた。

 指先が痺れる。じわじと痛みと熱が、右手に集中する。

 堀越恭子が、視線を脇に避けていた女の子に向けた。その視線に女の子が後ずさる。顔を青くしながら。

「えーっと、ダレだっけ? おんなじクラスだよねぇ?」

「あ、あの…」

「ダレだって訊いてんじゃん」

「ほ、星野です…っ」

「そ、星野サン。なに、コイツになんかされたの?」

「い、いいえ、別に…!」

 怯えた星野さんが、ふるふると首を振る。その様子を、満足げに眺めて。

「だよねぇ、話すとビョーキ、うつっちゃうから気をつけた方がいいよぉ?」

 何を言ってるんだろう。でも、わかってる。理解なんてできないってこと。聞くだけムダだってこと。

 相手にしなきゃいい。聞かなければいい。

 だけど目を逸らすことも、耳を塞ぐことも、できなくて。

 右手の感覚がなくなっていく。体の感覚がすべて、それこそ本当に全神経が麻痺してしまえばきっと楽なのに、そんなわけはなくて。そんなわけは、ないんだ。

 何にも感じないわけ、ないんだ。

 堀越恭子が楽しそうに、誰に聞かせるでもなく声を張り上げて言った。

「だってさ、このヒトほんと、神経繋がってないんじゃないかと思うんだよねぇ。もう、ビョーキじゃない? 何されても無反応、無表情って、コワくない? 来んなって言っても学校来るしさぁ、みんなも正直、いい加減鬱陶しいよねぇ。自分の席ないくせに、他人の席とってまでさぁ、どんだけおベンキョに命かけてんの? マジ図々しいっていうか、神経図太いっていうか、無神経っていうか。まぁ家もビンボーだし、それしかすがるもの無いのもわかるけどさぁ、こっちはホント迷惑なわけ。わかる? あたしがみんなの気持ち、代表して言ってんの。あんた、なんでココ居んの? 生きてて楽しい?」

 始業のチャイムが鳴り響いた。

 ガタガタとクラスメイト達が自分の席につく。教室内の空気は一瞬で、切り替わった。まるで日常の風景みたいに、何も起こってなどいないように、平気な顔で。

 彼女は舌打ちをひとつ残して足をどけた。堀越恭子たちは授業などはなから受ける気などないらしく、気だるげに教室からぞろぞろと出ていく。

 堀越恭子が、教室から出る間際に吐き捨てるように。

「──死ねばいいのに」

 ──ぼくも、そう思う。

 ずっとそう思いながら生きてきた。自分のこと。

 じわりと歪む教室が、記憶の中で重なる。

 一番最初にそう言われてから、何度かガンバって教室に行ってみたけれど、そこにはぼくの居場所なんてもう無かった。

 何度もそう言われて、みんなのぼくを見る目がそう言ってる気がして、言葉が具現化していくような錯覚を感じた。

 だからぼくはあの教室から消えることにした。

 きっとぼくなんか、いない方がいい。そう、何度も、思った。だからぼくはあの部屋で、ひとりその時を待っていた。

 ──だけど。

 だけど月子ちゃんは、ちがうよ。絶対ぜったい、違うよ。



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