◇5
「……えっと…も、戻っちゃったね…」
「…そうみたいね」
おそるおそる言ったぼくに、月子ちゃんはうんざりしながら答えた。
元の体に戻るにこしたことはないのだけれど、本当にいろいろと突然過ぎて、どっと疲れたのだろう。ぼくだってそうだから。
「…えっと、どうしよっか…」
目的地はすぐ目の前だ。だけどぼくがここまで一緒についてきた意味は、つい今しがた無くなってしまった。ここは空気を読んで、帰るべきだろうか。自分の家に。
「…そうね…せっかくここまで来たんだし、もうあがっていったら?」
「………え…」
月子ちゃんの予想外の言葉に、ぼくは目を丸くする。
思わず持っていた荷物を落としてしまって、月子ちゃんが顔をしかめた。ぼくは慌てて買い物袋を拾って抱えなおす。
それからわずかに俯いて、口を開いた。なんとなく、月子ちゃんの顔を見れなくて。
「い、いい、の…? どう、して…」
だってもうぼく達はもとの体に戻っていて。いっしょに居る理由なんて、ひとつもないのに。
「…買い物を手伝ってくれたお礼よ。夕飯、うちで食べていけばいいと思って」
「え…ええ! そ、そんな! そんな迷惑な…っ」
「まぁ、あなたがイヤならムリにとは言わないけど」
「や、ちがうよ! イヤなわけな…っ」
慌てて否定したその時だった。
「月子!」
突如月子ちゃんを呼ぶ声が、わたわたしていたぼくの言葉を遮る。
ふたりひかれるように声の方に視線を向けると、肩で息をした男の子が、ちょうどぼく達が来た道とは反対の道からこちらを、というよりは月子ちゃんを見ていた。
「朔夜…?」
「おっ、まえ…!」
ぽつりと月子ちゃんの口から零れた名前にひかれるように、男の子は大股でぐんぐん近づいてくる。月子ちゃん目がけて。
「どうかしたの、そんなに慌てて…今日バイトじゃ」
「おまえこそどこ行ってたんだよ!」
彼がすごい剣幕で月子ちゃんに向かって叫んだ。ぼくも月子ちゃんもびくりと体を震わせる。
それからつかつかとその距離を一瞬にして縮め、月子ちゃんの手を掴む。月子ちゃんが珍しく動揺しているのがぼくでもわかった。
朔夜、くん。確か月子ちゃんのひとつ下の弟。定時制高校に通っていて、バイトをたくさんしてるって。
朔夜くんの剣幕に、月子ちゃん自身も驚いているようだった。
「え、どこ、って、ちょっと買い物に…」
月子ちゃんが言いながら、ちらりとぼくと目を合わせる。そこでぼくはようやく気がついた。
そうだ、しまった。月子ちゃんはお腹が痛いことになっていて、部屋で寝ていることになっている。本物の月子ちゃんが心配でぼくが勝手に抜け出してきたけれど、勿論他の家族の人はそんな事情知らないわけで。
つまり月子ちゃんは今、家に居るはずなのだ。
一瞬で青くなるぼくに月子ちゃんも状況を理解したらしく、渋い顔になる。朔夜くんは月子ちゃんの手を握ったまま、再度口を開いた。
「弦から携帯に連絡があって、部屋で寝ているはずのお前が居ないって…っ」
「…ごめん、その…今日は絶対に買い逃したくない、タイムセールが…」
言ってる月子ちゃん自身も、苦しい言い訳だってことには気づいていた。だけどコトの経緯をすべて話すわけにもいかなくて、結果、月子ちゃんの大事な家族に余計な心配だけかけてしまった。
ぼくの、せいだ。ぼくが月子ちゃんに余計なこと頼んだから――
「あ、ああの、ごめんなさい、ぼくが悪いんです…!」
気づいたらぼくは、月子ちゃんと朔夜くんの間に体を割り込ませていた。
ぼくの家族の事情に勝手に巻き込んで、イヤな思いさせただけじゃなくて、月子ちゃんの家族にも迷惑かけてしまうなんて。情けなくて申し訳なくて悔しい。ぼくは月子ちゃんに、迷惑しかかけてない。 なんにも返せていないじゃないか。
「…なんだよ、あんた…」
すぐ目の前で朔夜くんにじろりと睨まれて、体が竦む。
朔夜くんはぼくよりも少し背が低いだけで、その雰囲気も迫力も、とても年下には見えなかった。
だけど怯んでばかりはいられない。これだけは、言わなくては。
「つ、月子ちゃんは、ぼくが、その、呼び出してしまって…! 今までムリヤリ、つき合わせてしまったんです…! ごめんなさい、悪いのはぼくなので、月子ちゃんを怒らないであげてください…!」
言って勢いよく頭を下げる。謝ることには慣れていた。頭を下げることくらい、どうってことなかった。
「やめて」
頭の上で月子ちゃんが、ぴしゃりと言った。
その声音に含まれる怒気を感じて、ぼくはゆっくりと頭を上げる。すぐ隣りに居た月子ちゃんと、目が合う。
月子ちゃんは怒っていた。ぼくに対して、怒っていた。
「あたしも考えなしだったのよ。あなたが謝ることじゃない」
「で、でも…!」
「朔夜、わざわざバイト抜けてまで探してくれてありがとう。心配かけて、ごめん。 弦達にもちゃんと謝るわ」
「…まぁ、俺は別に、…いい。お前が無事なら…」
「ぼ、ぼくもいっしょに謝…!」
「あなたはいいって言ってるでしょう」
またもやぴしゃりと言われる。ぼくは半分涙目になりながら、はい、と力なく返事するしかできなかった。もうどうやったって、どうしたって、情けない結果しか残らなかった。
堪えきれずに涙がぽろりと零れた。余計に情けなくてやるせなかった。
「…つーか、このひとはホント、なんなの。月子の」
言った朔夜くんが、ちろりと視線だけをぼくに向けた。
「…」
「…」
ぼくと月子ちゃんは視界の端で見合いながらも、どちらからも言葉を放てず沈黙だけが間を埋める。 互いが互いに相手をどう説明すれば良いのか、分からなかったのだ。
「あんたのその頭は、染めてんの? そっち系のひと? 月子を呼び出したって、なんかヘンなことさせてんじゃねーだろうな」
朔夜くんから、ピリピリとした敵意が滲み出るのを直に感じた。
ぼくは思わず反射的に、パーカーのフードの端を強く引いた。髪色も顔も、フードの奥に押し込めるように。
こんなの、慣れていたはずなのに。胸が軋んで上手く声が出せなかった。
「…朔夜」
「だって友達には見えねーし、月子が今まで黙って家抜け出すことなんて、なかっただろ1度だって」
「…確かに友達ではないけど」
躊躇なく言い放った月子ちゃんのその言葉に、一層胸が、痛んだ。
イヤだな、どうしよう。また、ぼくの、悪いクセ。
今すぐこの場からいなくなりたい。
逃げ出したい──
「友達ではないけど、同士みたいなものよ。ここに居てくれないと、困るの」
「──……、」
そんなことを言われたの、生まれて初めてだったから。
どうしたら反応したら良いのかもわからず、本能的に真っ先に、涙が滲んだ。
だけど今度はなんとか零さないように堪えながら、震える手にありったけの力を込める。それからゆっくりとパーカーのフードをおろした。
途端に視界が開けて、明るい自分の髪色に日の光が反射して、眩しくて。上手く目を開けていられなかったけれど、それでも。
言わなくちゃと思った。
「ぼく、は…っ、鈴木、陽太と、いいます…月子ちゃんの、く、クラスメイトで、今はいろいろ、助けてもらってて…! こ、この髪は、地毛で…、生まれつき、なんです…! 染めたりは、してません。悪いことも、してません…! 月子ちゃんといっしょに、ごはんを食べに来ました……!!」
月子ちゃんが隣りで笑ってくれていた。
とても小さな小さな笑みだったけれど。
だけどそれがぼくの、勲章になった。




