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いっしょに、て。言ってくれたのが嬉しかった。
その言葉になんの価値がなくても、きみにとってはなんの意味がなくても、それでもぼくは、嬉しかった。
嬉しかったんだ。
◆ ◇ ◆
「…つ、月子ちゃん、まだ買うのぉ…?」
「当たり前でしょ、タイムセールなんだから。カート押してるだけで情けない声出さないでくれる」
…ぼく達は今、溢れる人並みを掻き分けながら、カートを押して走っている。話している声も掻き消されるほどの、人の声と喧騒に塗れながら。
「ぼ、ぼく、基本的には外が苦手で…人が多いところは、もっと苦手で…」
「今は“あたし”じゃない」
「そ、そうだけど、そういう問題じゃなくて…!」
「タイムセールはおひとり様数量限定が多いのよ、買い物は基本あたしの役割だけど、ひとりが多かったからずっと悔しかったの。せっかくなんだから、有効活用しなきゃ。あとはトイレットペーパーとカレールーと、豚肉詰め合わせね」
「え、だってもうカゴいっぱいだよ…?」
「持てばいいじゃない、手で」
「む、ムリだよぉ!」
「ムリじゃない! あたしなんだからできるわよ!」
ぼくはしつこくグチグチと訴え続けたけれど、カートを力づくでひっぱる月子ちゃんに全て聞き流される。
月子ちゃんはぐんぐんと人の群れに突進していく。ぼくはついていくのがやっとだった。
「うう、こんなとこでもし、桜塚達に会ったら…!」
「こんなところに桜塚達みたいな坊ちゃん連中が来るわけないでしょう、ばかね」
確かにそれは、そうかもしれない。ここは業務用のスーパーで、ただいまタイムセールの真っ只中。 月子ちゃん家は休日のこのタイムセールで、1週間分の食料をまとめて確保するのだそうだ。
月子ちゃんの家に帰る途中、ついでに食料の買出しをすることになった。そして嬉々とした月子ちゃんに連れてこられたのが、この場所だったのだ。
そこにはぼくの想像もつかないような世界が待っていた。
「つ、月子ちゃん! カレーのルーが空を飛んでるよ…!?」
「いい? 本日の目玉商品、カレールー1箱128円おひとり様2点限り。少なくとも1箱はゲットするまで戻ってくるんじゃないわよ」
「ぅええええ?! だってすごい人だかり…って、待ってよ、月子ちゃあん!!」
ぼくもとい小さな月子ちゃんの体は、一瞬にして人波に呑み込まれてしまって、月子ちゃんもといぼくの姿はあっという間に見えなくなった。
月子ちゃんはいつもこんな小さな体であの中に突っ込んでいるのかと思うと、改めてなんてパワフルなんだろうと思う。
でもやっぱり視力が悪すぎていろいろ危ない気がするので、コンタクトはした方がいいんじゃないかな。メガネだとあの争奪戦は危ない気がするし。
…なんて、ぼくがそんなことを言ったところで、月子ちゃんには響かないんだろうな。
ぼくの言葉なんて、それくらい無力だ。
ぼく達が入れ替わるようになって3日目。
ぼくの姿であんなに嬉しそうな月子ちゃんを見たのは、初めてだった。
なんとか買い物を終えたぼく達は、ようやく帰路につく。ものすごい体力と精神力の消耗に、ぼくは言葉もなかった。
「あそこのスーパー、目玉のタイムセールは休日だから本当は兄弟総出で来れれば一番いいんだけど、瑠名もまだ小さいし、たくさん買っても持って帰るのには限度があるのよね。たまに朔夜も付き合ってくれるけど、日曜に朔夜のバイトが入っていない時なんて、ほとんど無いし…だからいつもあたしひとり分しかタイムセール品をゲットできなかったけれど、今日は本当に充実した買い物ができたわ。あなたのこの体力も持久力も皆無のひきこもりの体でも、中身があたしだと少しはマシみたいね。…根本的なとこでは、超えられない壁もあるみたいだけど」
言いながら月子ちゃんがちらりとぼくの方を見る。それぞれの両手には、本日の戦利品が詰まった大きな買い物袋がぶらさがっている。だけどその量は明らかに偏っていた。
ひ弱なぼくの体では荷物を持つにも限界があるようで、普段重たい荷物を持つ月子ちゃんの体の方がそこは数倍も勝っていた。
最初月子ちゃんが買い物袋を半分以上持とうとしてたんだけど、ぼくの体じゃムリだったようで。はたから見ると女の子の月子ちゃんの方が買い物袋をたくさん持っている状況だ。中身はぼくなんだけど。
「ほんと、すごいね月子ちゃんの体…よくこんな重たい袋4つも持てるね…」
「ちょっと、油断して落とさないでよ、慣れてるだけで重たい事実に変わりはないんだから」
「でも月子ちゃん、このまま帰って、その後どうするの…?」
買い物袋をガサガサ鳴らしながら、並んで歩く。
もう何度か互いの家を行き来しているおかげで、月子ちゃんの家までは携帯なしでも辿り着くことができるようになった。これってちょっと、すごいことだと思う。ぼく的には。
「設定は考えたわ」
「設定…?」
首を傾げるぼくに月子ちゃんは、マジメな顔で自信ありげに頷いた。
「“あたし”は、やっぱりまだ、体調が悪いことにしておくの。弦にそう言ったんでしょう?」
「う、うん、まぁ…」
「だから帰ったらあなたは寝てていいわ。あたしの部屋で」
「え…っ、ていうか、じゃあ月子ちゃんは…」
「あたしはだたの通りすがりの“買い物を手伝った通行人A”よ。ついでに夕飯の支度して洗濯して掃除して明日のお弁当の下ごしらえして、帰る」
「ちょ、ちょっと待って月子ちゃん! あ、明らかにおかしいよ…!」
ただの通りすがりの通行人が、他人の家に上がりこんで家事までする意味がわからない。月子ちゃんが一体どのくらい本気で言っているのかはわからなかったけれど、月子ちゃんの家へはぐんぐん近づいていく。ぼくはハラハラしながらその隣りを歩くけど、歩幅が違うせいで度々置いていかれそうになった。
「そ、それにぼく、そんな見た目だから…第一印象良くないし、家に入れてもらえないんじゃないかな…」
大抵の人は、ぼくの外見になんらかの拒絶を示す。中身はこんな弱虫の意気地なしでも、外見だけは迷惑なほどに存在感があるのだ。
「月子ちゃんの弟さんや妹さんも、こわがっちゃうよ…」
「なんでよ、だってこれ、地毛なんでしょう?」
「そ、そうなんだけど…でも…っ」
「そう言えばいいじゃない、きっと弦は喜ぶわ、あの子少女マンガ大好きだから」
なぜ少女マンガ好きだと喜ばれるんだろう。月子ちゃんの思考回路はちょっとナゾだ。
それにみんな大抵、怖がるかイヤがるか拒絶する。そういうもので、それが当たり前なのに。だからいつも執拗なまでに、髪色を隠して顔を隠して。外に出ないように、していたのに。
あ、でもそういえば月子ちゃんは…月子ちゃんだけは、違ったな。最初から、ずっと。
「まぁ、今はあたしなんだから、なんとかなるわよ」
「…う、ん…」
月子ちゃんがそう言うなら、本当になんとかなる気がした。そんな風に思う自分もおかしかった。
確かに今から行くのは学校とかじゃなくて月子ちゃんの家で、ぼくも何度か(月子ちゃんの体でだけど)出入りしている場所だ。少しは馴染んだ場所になりつつある。と言っても、だいたい入れ替わってすぐ家から逃げ出てるから、そんなこともないと言えばそんなこともないんだけど。
だけど思えばぼくは、考えたってどうしようもできないクセに、考えて考えて結局何もできないで終わるのだ。我ながらめんどくさい性格だな。もうここまで来たのだから、余計なことは考えずに月子ちゃんに任せよう。
「とにかく余計なことは言わず大人しくしててくれればいいわ」
「…うん、わかった」
「あと瑠名には絶対近づかないで」
「うん…て、え、なに、どうして!?」
月子ちゃんのその思いもよらぬ拒否反応には、ちょっと傷ついた。流石に。
待ったをかけたぼくに、月子ちゃんはひどく冷静に答える。心から本気の目だった。
「なんとなく、よ。あの子いますごく不安定な時期なの。余計な刺激与えたくないのよ」
「だ、だってぼく、“月子ちゃん”、なのに…!?」
「あなた絶対あたしのフリなんて上手くできないでしょう」
「う、そ、そう、だね…わ、わかりました…」
確かにその通りだった。ぼくに月子ちゃんのフリをし通す度胸も器用さも無い。皆無だ。
ここは素直に言うとおりにしよう。もうぼくにできるのはそれくらいだ。
そんな話をしていたら、月子ちゃんの家が見えてきた。
目の前にその家が見えたとき、ぼくの家でもないのになぜだか無性にほっとした。この体が、月子ちゃんのだからだろうか。そして次の瞬間。
「………」
「………」
ぼく達は元の体に戻っていた。




