12 山間の村の作戦
百二十年前、飛竜の咆哮を合図に始まった魔物の大暴走。
大陸北西にあったベテル王国は壊滅し、その地にあった世界樹も、国と同じ運命を辿って滅した。
ベテル王国を滅した魔物たちは、隣国であったアルニラム王国やベラトリ王国へも来襲し、在来の魔物もそれに触発されて数多で災害を振りまいた。
この歴史の一ページは、飛竜の災害と呼ばれる。
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遠征を再開した一行は、東街道沿いの箱小屋で一泊し、翌日は大きな街道から逸れて細い街道を進行した。
先には複数の山があり、そこに山間の村がある。かつて同じ場所に林業を営む村はあったが、飛竜の災害で廃村となり、十年ほど前から再建を計画し、数年前に移住者を募ってできた新しい村である。
この山地は複雑な地形で、瘴気が濃く漂う場所が点在する。まだ瘴気溜まりはできていないが、放っておけば近々魔物があふれるだろう。
御者台に座るエルーシアは、手のひらを上に向け、癒しの魔力を大気に溶かしながら風を操る。いつもと同じことをしているのに、その表情は冴えず、鼻歌も小さくて、隣を並走するルークの耳でも拾えない。
治療院の一件のあと、エルーシアは神子の表情を貼りつけずに微笑みも消し、何も知らない騎士たちは、このあとの作戦に意識を集中させているのだと気遣って遠巻きにした。
ルークや騎士たちは、時折現れる藍色狼や、猫ほどの大きさで魔核を角のように伸ばした角鼠を相手にするが、予定どおりに昼時には村に到着した。
村は高い石塀で囲まれ、魔物よけの魔道具も設置されているが、第三騎士団所属の騎士が見張りで入り口に立っている。
小型や中型の魔物はこの魔物よけには近寄れず、この地域に発生する大型の魔物は近年確認されていないので、村の中は比較的安全に暮らせる。が、今日は特別に騎士がいる。
村の入り口から続く広場には高い灯台が建ち、ここから夜に灯すのは、遠くまで届くようにと、表面を魔石と水晶で加工したガラス玉の魔道具の明かりであり、山で迷った者を導く大事な灯台であるが、今日は別の目的で使用する。
村の中には五十人あまりもの第三の騎士がいて、資材置き場を陣取って幾つもの天幕を張り、昼食をとっている。
その一角に騎士隊も加わり、到着早々に昼食を頂く――村にはまだ宿泊施設がないため、第三騎士団がすべてを準備して合流を待っていたのだ。ここ数年、春の遠征で行われる、騎士隊と第三騎士の合同討伐がこの日に予定されている。
クルルを伴ったエルーシアとクロードは村長宅に向かい、そこで待っていた第三騎士団の支部隊長と食事をしながら最終打ち合わせを行う。
ここでもエルーシアは意気消沈といった状態で食は進まなかったが、確認事項には頷き、相槌を打った。
「合同討伐は予定どおりの決行です。昨夜も伝えましたが、灯台の上から広域に癒しの魔力を放ちます。破損を防ぐために魔物よけは取り外し、外壁に近寄る魔物は第三騎士団が対処しますので、皆は入り口で討伐にあたってください」
打ち合わせを済ませたクロードは、騎士たちのもとに向かい、最終確認と指示を出し――騎士たちは任せろと胸を叩いたり拳を握ったりと、皆が気持ちを奮い立たせる。
「昨夜に決めた組分けで、三人組は左右に、二人組は中央で配置につき、ルークは灯台の前を私と守ってください」
最後に声をかけられたルークは、集団戦には慣れていない、どんな戦技なのかも把握しきれていない。それで単独で動きやすい配置につくが、エルーシアをちらりと見てから承諾するように頷いた。
クロードはクルルにも、エルーシアから離れないように指示する――仮面を上下に振り、背後にぴたりと寄り添う、槍を持ったマント姿。
「では、二十分後に笛の音で開始しますので、各自準備を整えて待機!」
エルーシアとクルル、それにクロードが消えていった灯台の前に佇み、ルークは昨夜聞かされた話を思い出していた。
この合同討伐の作戦を話し終えたクロードが、ルークを呼び出して口にしたのは、エルーシアのことだった。
瘴気を祓う行為は、魔物に狙われる。飛竜の災害で、魔物の大暴走が世界樹を狙って滅したように、癒しの魔力を大気に放つとき、神子も狙われるのだと。
道中で現れる魔物との戦いでは気づかないことだったが、思い返せば、崖の上で棘蛇は目もくれずに崖下へと飛び込んだ。牙鼠も複数の群れが現れた。
すべて、神子に狙いを定めた行動だったのだ。斑大蝙蝠も、着地したあとは邪魔する者を翼で払って突き進んだだろう。
先日は、大事に大事にされる存在に、苛立ちを感じた。あまりにも、自身とは異なる存在だから。
世界樹を癒す唯一の存在――瘴気を祓い、魔物の発生を抑え、人々に安心をもたらす存在だ。大事にされる価値があるのは分かっている。
だが、考えていなかった。魔物たちに囲まれて狙われる存在なのだと、か細い背中に重責と危険を背負う存在なのだと。そして、ただの人なのだと。
先の村では、余暇を買い出しに使った。相棒へのおやつでリンゴと蜂蜜を買い、宿に戻る道で治療院の騒ぎを耳が拾った。
巻き込まれるのを危惧するが、宿への道なので遠巻きに進むと、座り込んだ男性が叫んでいた――差別するなと叫びながら他者を差別する叫び。聞いているうちに体が冷え、動けずに立ち尽くしていたら、悲痛な思いがあふれる表情と目が合った。
エルーシアを灯台の上に送ったクロードが戻り、ルークの隣で抜刀して村の入り口を見据えた。ルークも同じく剣を抜き、息を深く吸い、神経を尖らせる。
暫くして、灯台の上から合図の笛の音が鳴り響いた。
右手側、四時の方角から攻撃魔法が弾ける音が響き、素早くルークは集中する。第三の騎士が火炎を放ったのか、続けて聞こえる音はない――討伐成功だろう。
間を置いて、九時の方角から数人の声が聞こえて顔を向けるが、石塀の先に見える木々が茂る景色に異変はなく、雑多な音だけが続く。数匹で移動する藍色狼か、少数で群れる角鼠か。大きく弾ける音が響いた数分後、戦闘音は止んだ。
わずかに舞い降りて体内に入る温かいものを感じ、ルークは灯台を見上げる。直接体に流される癒しの魔力とは少し感じ方が異なるが、これが大気に放った魔力だと、昨日今日の道中で理解した。
その仕草が気になったか、クロードも見上げる。
「上で何かありましたか?」
「いや。癒しの魔力がわずかに降ってきただけだ」
ルークは首を振って視線を村の入り口に戻すが、クロードは続かずに何かを思案し、青空を背にした灯台を暫く見上げた。しかし、飛来する魔物を攻撃したような音が遠くから届き、警戒すべき場所へと意識を戻す。
直後に、真後ろにあたる六時の方角から藍色狼の咆哮が響く――警戒するが咆哮は続かない、距離があるからか戦闘音も聞こえない。
あちこちで討伐はあるようだが、ここは静かである。村の入り口に視線を向けながら、クロードは話をふる。四大魔法は何か扱えるかと。
魔力がわずかしかない獣人は、火、水、風、土の四大魔法の適性はなく、扱えない。だがルークは半獣人で、二親からどの適性を引き継ぐかで多様に変わる。
「火が少し。すぐに魔力切れするから期待はするな」
「でしたら、訓練すべきですよ。望むなら知識を渡します」
素っ気なくルークは返すが、想定した返事だったか、クロードは口角を上げた。
だが、わずかしかない魔力で訓練したところで、たかが知れている。だから知識はいらない、無駄な知識なら、学ぶ時間を別のことに使うべきだ。これまでの経験から、ルークはそう考えを伝えるが、クロードは首を横に振って否定する。
「その価値観、変わりますよ」
ルークは言葉を返そうと口を開くが、そのまま顔を強張らせた。勢いをつけた荷馬車が村の入り口に向かってきている。
馬車を追うように続けて角鼠が群れで姿を現し、すぐさま隊の皆が討伐にあたるが、陰に隠れて討ち漏らしが出て、馬車と一緒に村へ侵入した角鼠が灯台を目標に突き進む。
灯台にまで侵入を許すわけにはいかない。二人は剣を構え、飛びかかる角鼠の首を斬り落とす。胴を斬りつける。剣先で角を弾いて腹側から突き刺す――侵入は三匹だけのようで、ほかは入り口で討伐していた。
村に入ってようやく止まった馬車を見れば、御者台で男性が震えている。合同討伐の知らせを受けていない遠くから、木材の調達にでも訪れたのだろうか、家の中に避難していた村人が迎え入れて、扉は閉じられた。
「毎年突然の来訪者がいるので、入り口の封鎖ができないんですよ」
灯台を守れた安堵と、作戦での不満を混ぜたため息をついたクロードは、乱れたポニーテールを整えながら隊の皆に指示を叫び、入り口と灯台の上へと意識を固めた。
その後、石塀の向こう側から幾つもの戦闘音は聞こえたが、村の中まで侵入する魔物はなく、ルークから会話を再開させることもなく、合同討伐の幕は下りた。
設定小話
作中に出るのは、もう少し先なので簡単に説明
第一騎士団→王族・王城の護衛警備など
第二騎士団→王都の治安維持など
第三騎士団→町・国境の街に支部があり、治安維持を務める
護衛騎士隊→第一と第二所属の騎士から選任