13 悩みと嘆き
標高はさほど高くない山地だけど、この地域は瘴気溜まりができやすい条件が揃い、デルミーラが手を焼いていた。
だから村の再建を勧めて、間伐で風の通りをつくり、癒しの魔力を流しやすくするために灯台を建てさせた。
今日は南南東から、緩やかないい風が吹いている。大気に溶かした癒しの魔力を、この風に乗せる。魔力を含んだ風は周囲の山々に当たり、複雑に流れを変え、広範囲に舞い降りて瘴気を祓ってくれる。
濃度はいつもと同じに、溶かす量を少しずつ増やす。抑えている力を解放するだけなので、増やす操作は簡単にできる。
ふと目に入った左手の指輪に、デルミーラを思い出す――エルフの魔法文字を彫った金の指輪は、幅広で存在感があり、神子として公表するときに贈られて、いつも人差し指に装着している。
意志が強くて、揺れることなく、いつも毅然としていたデルミーラ。
いつだったか、彼女のようになりたいと伝えたとき、返ってきたのは、ありのままでいて欲しいとの言葉と、優しい笑みだった。自身の考えで発言して行動しろと。
しかし、どこにいても人の目につく神子としての存在は、自分らしさは抑え込んで、不安を与えないように毅然と振る舞い続ける必要がある。
騎士に守られて、不自由しない環境を与えられている。だから、神子として務めを果たし、安心を与えるために微笑まなければいけない。
なのに、治療院の一件から気持ちが落ち込んで、浮上してこない。何度も見てきた胸の痛くなる現場が頭を過って、苦しくて頬が動かない。
生まれも育ちも違うから、価値観も違う。だからこそすり合わせて生きていくべきなのに、差別や偏見が横行し、蔑んで傷つけ、暴力や犯罪につながる。
悩んで落ち込む気持ちは体の中で淀み、苦しさが支配し、神子らしさも自分らしさも分からなくなる。
抑え込まれて不安定なままに、何もかもが揺らぎ、価値観という土台が揺らぐから、何もかもが分からなくなる。
今世の価値観だけだったら、苦しむこともなく、すべてを受け入れられたのか。しかし、それは嫌だと胸の奥が叫んでいる。
立ち眩みを起こして屈み込む――どれだけ経ったのか、いつの間にか魔力切れ寸前まで大気に溶かしていた。
左の袖下から革紐を編んだブレスレットをずらし、飾りのようについた白い水晶玉に触れる。
自身の魔力を入れていた水晶から、少しずつ魔力を体に戻し、白い水晶は徐々に色を失う。
その隣で陽光を反射させて、赤い筋のある透明な水晶がきらきらと光る。デルミーラの魔力が入っていた水晶玉――かけがえのない存在が恋しくて涙がにじむ。
終わりの合図で、クルルが二度目の笛の音を響かせる。この音は、空のどこまで届くのか。
※ ※ ※ ※
迎えにきたクロードは、赤くなった目については何も聞かずに馬車へ送り、夕食まで休むことにしたエルーシアは、寝台でクルルの背を撫でた。
ピルピル鳴きながら、先ほど使用した笛を小さな前脚で抱える姿は可愛らしい。たまにしか吹かせてもらえない笛は、お気に入りの玩具だ。
暫くして響いたノックの音で扉をあけると、クロードが苦笑いを見せる――夕食の時間だと告げ、騎士たちに声をかけてほしいが大丈夫かと問う。
そんなに酷い顔をしているのかとエルーシアは手早く身なりを整えて、息を深く吐き、なんとか神子の表情を貼りつけて頷く。だが、上手く微笑んでいる気はしない。
背を撫でていたからか、クルルは寝ているので起こさずに、二人だけで食事の用意がされた天幕に足を運ぶ。皆に怪我はないと報告を受けたが、広げたシートの上でくつろぐ姿に安堵する――聞くのと目で確認するのとでは、安心感が違う。
討伐を労う言葉をかけて腰を下ろし、食欲はないのでそう伝えるが、スープの入ったカップを渡される。
「飼い主とペットは似ますよね。落ち込んでいても、これくらいは口にしてください」
隣に座るクロードは、小声で話すと目を光らせる。しかし、小さな体のクルルは食欲を失うだけで命が危機にさらされるが、人はそうではない。
でも心配をかけているのは分かるので、大人しくスープをすする。口にしやすい甘みの強いカボチャのポタージュは、食欲がないから用意させたのか、気遣いに身も心も少し温かくなる。
今夜は第三騎士団が夜通し討伐をするので、夜番の必要がない騎士隊は深酒しない程度に飲酒が許可され、村からの差し入れを囲み、ささやかな宴会だと皆の顔がほころんでいる――気を張り続ける遠征中、気分転換できる時間は貴重である。
今の落ち込んだ気分では場を盛り下げるかとエルーシアが立ち上がると、クロードもあとに続いた。
「馬車はすぐそこよ。一人でも大丈夫だからクロードは乾杯に付き合って」
「少し、星を見ませんか?高い石塀に囲まれて、あまり見えませんがね」
話がしたいのだろうとエルーシアは解釈し、誘われるままに資材置き場の端に向かった。
天幕を張るために一箇所に集められた木材の陰で、二人腰を下ろすと、ランタンの明かりが届かないからか思ったより星の瞬きは見え、心配げな顔を浮かべたクロードが顔を覗き込む。
「昨日の一件から、何を思い悩んでいるんですか」
エルーシアはどう話すべきか少し悩み、重い口を開く。
「私には、デルミーラのような強さがないのよ。もっと毅然とすべきなのに」
「そうですね。彼女なら蹴り飛ばして、義足も要らないだろうって火をつけたでしょうね」
思わずエルーシアは苦笑いする。悩む心を軽くするための冗談だと考えて。
「さすがに、それはないでしょ」
「あるんですよ。あなたの前では蹴りグセを抑えていただけです。彼は確実に数発は蹴られる対象です」
「何度か蹴るところを見たことはあるけど、激怒したときだけよ」
「愛し子に危険が迫ったときは別として、暴力の場を見せたくなかったんですよ。悪癖がうつるのも危惧していましたね。ですが、あなたに隠れてばしばし蹴るのは、いつものことでしたよ」
激怒したときだけでなく、蹴るのは日常だったとポニーテールが揺れるほどクロードは首を振って説明し、告げられた言葉にエルーシアは驚く――長く側にいたのに、知らなかった一面である。
「最上の神子って、呼ばれていたのに……」
「それは、夢のお告げで事故や災害にいち早く駆けつけていたから、そう二つ名がついたんです」
目を見開くエルーシアを見つめながら、クロードは悩む心を楽にしたくて優しげに微笑んでいる。その瞳に込めた愛情に偽りはない。
「でも、どんなことにも毅然と立ち向かっていたわ」
「あの性格もありますが、お告げで悪夢を知っているからこそ、強気で向かっていたんです。だから、夢に現れないあなたを心配して、守るために知識と経験を与えたんですよ」
デルミーラはエルーシアの夢は見なかった。出会う切っ掛けになった夢にも、姿を見せてはいない。
このことは、エルーシアも本人から聞いて知っていた。しかしデルミーラは、姿を現した夢を一度だけ見て、隠していた――葬儀のあとに見つけた手紙に書いてあった、別れを予知する夢の存在。
「たくさんの知識と経験をもらったわよ。だけど、価値観の違いで苦しくなるの。獣人も人も、痛む心も体も同じなのに、庶民も貴族もただの身分で、何も変わらないのに……人種も身分も職種もすべて関係ない、皆が同じなのよ」
エルーシアの瞳から涙があふれ、クロードがハンカチを差し出して涙を押さえても、一度あふれた感情は止まらない。
「横暴の権利なんて誰にもない、差別が当たり前の世界なんて理不尽すぎる。苦しいのも、痛いのも、つらいのも皆一緒なのに、なんでこんな扱いを受けるの。なんで、こんなに苦しいことが当たり前なの……」
「あなたの価値観は受け入れられます。すでに学校の教科書は変わりました、涙する気持ちも広がりますよ。少しずつですが、世の中は変わっています」
守られてきたのに誰も守れないと苦しい胸の内をこぼし、エルーシアは涙を落とし続け、背中を撫でながらクロードは慰め続ける。
「デルミーラの望みは、あなたの無事と幸せです。何を悩もうと、好きに選択してください。多くを望んで、やりたいことをやりたいように……それが、私のすべてですよ」
連れ立って離れた二人の会話に集中して耳を傾けていたルークは、驚愕した。
国境の街まで日も少ないから、てっきり首から下げた物について問い質す相談をするものだと思っていたのに、神子という立場の者が悩み、涙しているのだ。
ルークにとって、世界は蔑みと暴力であふれ、理不尽が当たり前で、諦めに塗り固めて受け入れていた。
受け入れていたこの世界を、差別が理不尽だと嘆いている。
一時の哀れみではなく、本気で嘆き悲しんでいる様子に、胸の中で渦巻く感情がなんなのか理解できず、眉間にシワを寄せて胸もとで拳を握る。
首から革紐で下げた小さな飾りは、シャツの下でいつもと変わらずに存在するが、いつもとは異なって安心感を与えてはくれず、眉間のシワが深くなっていく。
また、少し離れた暗がりから、二人が寄り添う姿を一人の騎士が見つめていた。
設定小話
エルーシアの魔力は膨大です
制限なく放つ側にいても、使い魔クルルは平気です
使い魔とは……謎多き、生き物です




