第十四片 『訓練 一』
都市の跳ね橋から外へと出て、右に歩いていくと、背の高い広葉樹林が見えてきた。戦闘訓練はあの中で行うらしい。
一歩足を踏み入れると、明るさが少々なくなったが、それでも木漏れ日のおかげで視界は確保できた。
「さて、じゃあまずは準備運動からな」
言って蓮は、腕を十字にクロスさせたりアキレス腱を伸ばしたりし始めた。
「そこは基本に忠実なんだな」
「当たり前だろ。筋肉が吊ったりして訓練中止なんて嫌だからな」
「なるほどな」
案外合理的な考えをする奴だと思いながら、俺も準備運動を行っていく。
「私はどうすればいい?」
「ハクはなぁ……まあいいや。そこで見といてくれ。いざって時の護衛役だ」
「わかった」
ハクは近くにあった太い幹に駆けていき、こちらを向いて座った。
一通り準備運動をし終わったところで、「よし、やるか」と蓮が手を打った。
「まずは基本的な身のこなしからだな」
「ああ、それで頼む」
頷くと蓮は上を見上げて何かを探すように首を左右に振り始めた。
何を探しているのか気になった俺もその動作を真似してみるが、上には何もない。あるとすれば、幾本もの枝だけだ。
「あれがいいな」
蓮の声がしたと思って顔を戻すと、地面を蹴る音と共に蓮の姿がなくなった。
「っ⁉」
慌てて上を見上げると、太くたくましい枝の上に手を振る彼女の姿があった。彼女が偉く小さく見えるのは、枝が太いのもあるだろうが、その高度ゆえの部分が大きい。
「ほら、お前も来い!」
「やり方も教えられてないのにできるか!」
原理は大体わかる。おそらく俺たちが崖のところでやった跳躍と同じものだ。
しかしあの時はユキの手助けがあったからかろうじてできたようなもの。どうすればいいかなんて理解できてないし、当然力加減も分からない。
「うーん、やり方? ……足のところにギュンっと力をためて、ダンッてやればいけるぞ!」
「……」
考えた結果出たアドバイスがそれか。
つまり蓮は絵に描いたような感覚型ってわけだ。理論なんてもんじゃなく、体感と直感で行くタイプ。
羨ましい。そんなこと、俺にはできない。
ユキにも意見を聞いておこう。こちらのほうが分かりやすいかもしれない。
「ええっとですね……。魔力と言うのは、体の中を、血が血管を巡るのと同じように循環しています。その流れを感じて、足に集めて、踏み込むのと同時に下に解き放つ感じです」
おお、分かりやすい。感じられるかは別にして。
まあどちらにしろ、最初は手探りでやっていくしかないみたいだな。
「まあやってみろ! 失敗したっていいんだからよ!」
上からそんな言葉が降ってくる。まあ、お言葉に甘えよう。
目を閉じて、体の中に意識を集中させる。鼓動が聞こえてくる。血管とは別に、何かが体の中を駆け巡っているのを感じる。今までにないほど集中しているのか、外からの音は一切聞こえてこない。
駆け巡るそれを確認する。
次に、足に意識を集中させる。
駆け巡る何か――魔力を足に集中させるように。
溜まってくるのを確認し、目を開き、蓮のいる位置へ向けて、地面を蹴る!
蹴る瞬間、大量の火薬が足元で破裂したような感触を感じた。少々足裏が痛いが、今はそれより目標点である蓮のところまで到達するかどうかのほうで頭がいっぱいになった。
どんどんと蓮の姿が大きく見えてくる。
あと少し。
あと一メートルちょっと。
あと三十センチ……。
と、俺の体はそこで上昇を諦め、重力は俺の体を地面へと押し戻し始めた。
手を伸ばすが、指先は枝の皮をかすり、それ自体を掴むことはできなかった。
「……!」
やばい、死ぬ!
思ったとき、手に温かいものが触れる感覚があった。蓮の手だ。枝の上に寝そべり、精一杯腕を伸ばしてくれている。
彼女はそのまま、ゆっくりと俺を上へと引き上げてくれた。
「ふう~。間一髪だったな」
「ああ。ありがとう、蓮」
「いいってことよ。というか、最初からこれはちょっと高すぎたな」
後ろ頭を掻きながらはにかむ蓮は、どこか照れているようだった。
「冬さーん! 大丈夫ですかー⁉」
下から声をかけてくるユキに、上から手を振ると、あちらも思い切り手をブンブン振ってきた。……ちぎれそうで怖い勢いだ。
というか、思った以上に高い。……少し怖いな。
「よし、じゃあ下りるか」
「おう。……え?」
まあ、当たり前のことなのだが。この高さから……下りる?
「要はさっきの逆をやればいい。着地する前にバンって出して、ピタって着地するんだ」
「……なるほど」
だが、最初からこの高さってのは本当に無茶だったんじゃないか?
「ダイジョブダイジョブ。私が抱えてやるから」
にかっと笑うと、蓮は俺の背後に回り、腹に手を回してきた。
胸の膨らみが、背中に無意識に押し付けられる。
「何する気だ! ……っておいおいおぉぉぉぉぉい!」
軽く俺の体を持ち上げたかと思うと、これまた軽く枝から中空へと跳んだ。
見る見るうちに加速度は上がっていき、地面が近づいてくる。
これはさっきの比じゃないって! こっちの方が死ぬって!
声にしようと思っても、喉がうまく発声してくれない。
地面がもうすぐそこだ。
……どうにでもなれ!
足に神経を集中させて、さっきの要領で魔力を解き放った。
――バフンッ!
不細工な音を立てて、俺の体は着地した。
「痛……」
「お前、出すなら言っといてくれよ。ピタって着地しようと思ってたのに……」
俺の上に乗っかっている蓮が体を起こしながら言う。
「うるさい。お前こそ、二人分の魔力出すとか聞いてないぞ」
蓮が足を微妙に調整して着地しようとした際、俺がほぼ同時に魔力を放出したことで、俺たちはバランスを崩してうつ伏せに地面に衝突したのだ。
体のあちこちが痛い。……けど、生きてる。
「……なんとか、訓練クリアだ、よな?」
俺も体を起こして、服に付いた砂を払い落とした。
「そうだな。これで第一段階はいいってことにしよう」
……そうか、忘れていた。今やったのはあくまで基本の身のこなし。やるべきことは他にもあるってことか。
「……先が思いやられる」
俺がため息を吐くと、蓮は「頑張れ頑張れ」と笑いながら、俺の肩を何度も叩いた。