潜入
ハルの視点です。
私は屋根裏部屋に戻った。
シンディに持たせた魔法陣から様子を伺う。
その間、自分の鱗を凝縮させたインクで全身に魔法陣を描いていく。
基本は存在を悟られない為の魔法陣だが、頭には検索システムを基にした魔法陣、耳と喉にはシンディの様子を伺うためと、意思伝達の為の魔法陣を組み込んだ。
シンディは食堂の厨房へ着いたようだ。
「料理長は居ますか?」
「ああ、こっちだ。」
二つの足音が聞こえる。
「料理長、生徒さんが…。」
「ああ、分かった。お前は仕事に戻ってていいぞ。」
「了解。」
足音が遠ざかっていく。
「で?なんだ?またメニューの苦情か?」
「違います。私は暇人ですので…。」
「………。」
料理長は暫し無言で動かなかった。
シンディは魔法陣を胸ポケットに入れているようだ。
心臓の拍動が聞こえる。
「こっちだ。」
また2人の足音が聞こえる。
「健闘を祈る。」
司書さんと同じことを言って、ドアの開く音がした。
シンディはそのドアから地下道へ続く階段へと下っていく。
随分長い距離だ。
「ハルちゃん、ここら辺で貼ってしまってもいいかしら?」
「はい。お願いします。」
シンディは魔法が使えるみたいだ。
魔法唱をとなえて渡した陣を貼りつけてもらった。
魔術だと私の魔法で破れる可能性があるから、シンディが魔法を使えて良かった。
全く考えてなかった…。
危なかった。
シンディはすみ次第また階段を降りていった。
貼りつけた場所は地下道の中間くらいみたいだ。
階段が終えたらしい。
シンディは身を隠すように、階段を少し上った。
まだ人は来ていないみたいだ。
暫らくすると何人かの足音が聞こえ始めた。
教師が中央講堂へ向かっている音だろう。
しかしトーマスではないみたいだ。
また暫くして、一つの足音が聞こえた。シンディの心音が早くなる。
多分トーマス先生だろう。
シンディが動き出した。
「トーマス先生!」
「ど、どうして君がここに?」
「あの、私、スコーラにどうしても残りたくて…。」
「君が学問に真摯だということは前から承知はしていたよ。」
「ありがとうございます。」
「でも、君はあのバード商会の娘だろう?お父様が許さないんじゃないか?」
「父には私から説得するつもりです。算段もつけているんです。」
「なるほどな。でも、どうしてそこまでスコーラに残りたいんだい?」
「私はスコーラに残りつつ、世界を貨幣で繋いでいきたいんです。」
「ほう…。続けて。」
「はい。今、世界は様々な価値観、思想、文化で満たされてます。今までは…、今日も続いていますけど、その差を武力で埋めるしかなかった。でも、それでは未来はありません。貧困や飢餓をなくす為に、貨幣で世界を繋ぎ、抑止力としたいのです。」
「…、なるほどな。」
トーマスは長く考えているようだった。
「私はその為にも学ばなくてはいけません。貨幣や物流に関する新たな学問の創設も必要です。その為にも、スコーラの英知が必要なんです。」
「君の考えは分かった。…、しかしここに来る生徒では新しいな。」
そうだ、シンディがスコーラに残りたいのならば、夢の話をするべきではなかった。
スコーラの精神とは学問への渇望、つまり手段ではなく目的として学問をするという精神だ。
シンディの話はそれの真逆を言っている…。
…私に聞かせたかったのだろうか。
「学問は面白いです。ですが、その知識を人民に役立てるように使っていくことも必要だと思うんです。」
「……。」
「スコーラの英知は価値が莫大です。それをもっともっと世界に広げれば、多くの人民を救うことができます。」
「………。」
「トーマス先生…。」
「……、分かった。賢人様に話しておくよ。」
「ありがとうございます。あ、あと…。」
「済まないが、時間切れだ。そろそろ行かなれば…、もう賢人様達はご到着されているだろう。」
私はその言葉を聞いて、すぐさま父さんの魔法陣に鱗を流した。
やはり、どんどん吸われていく。
やっと満たされたと思った時には、あいつの見せた部屋の執務机の前に着いていた。
『おう、着いたか。』
あいつの声だ。
魔法陣はあいつには意味がなかった。悔しい…。
『早かったな。まぁ、及第点だ。好きにしろ。』
どこから話しているんだ?
辺りを見渡すと壁に大蛇がつたっていた。
多分、あいつだ…。
しかし、本体ではない。
分身をまだ至る所に散らばらせているのだろう。
執務机に顔を戻した。
やはり目の前には透明液体で満たされたワイングラスの中に黒い瞳の目が浮かんでいた。
耐えきれず、目を逸らす。
まずは、何かしらの文書を探そう。
脳内の検索魔法陣を使って、
エルフとジンという単語でOR検索をした。
あった!
つい駆け出して、壁一面の本棚から該当する資料を取り出していく。
どんどん捲っていく。
次に結晶という単語で検索した。
また駆け出し捲っていく。
この作業をどんどん繰り返していった。
頭と足と手をただ動かし続けた。
一瞬でも休めれば黒く染まってしまいそうだったからだ。
しかし、第一の目標である直接証拠は出てこない。
随分時間が経過したはずだ…。
棚にある物もどんどん見ていく。
執務机の引き出しに手を伸ばすと、鱗の結晶があった。
折角なので全て霧散させた。
最後には執務机の上のジンの目に辿り着いていた。
黒い塊が後ろから迫り来る気がした。
何かないのか?何か?
『お、そろそろ時間切れかな?』
シンディの方からの音声も、沢山の足音が聞こえる。会議が終わって教師陣が戻るのだろう…。
戻らなくては…。
賢人が来る。
しかし、ここから部屋に戻っても、迫り来る塊から奥底へと突き落とされるだろう…。
もう、戻れる自信はない。
「ジン…。」
つい、目の前の眼に触ってしまった。
すると、眼前にジンの眼の記憶が現れた。
目の前で、ジンの手が涙で濡れたアニマの胸に眼を押し付ける。
アニマが消えた。
ジンは、まるで目の前にアニマがいるかのように心の声が呟いていた。
『アニマ、ハルシオン、愛している。だから、憎しみに染まらずに自分の人生を歩んでくれ。』
ジンは振り向いた。
目の前には、ピンク色の頭髪に黒いローブを着た、式典の時と同じ顔の魔術賢人が立っていた。
「哀れな一族の末裔よ。…はて、エルフだけを攻撃しろと命じたが?」
賢人の肩に乗ったトカゲが口を開いた。
『奴が急に出てきた。下僕らも避けようがなかった。』
「ふん、アンラ・マンユでもしくじることがあるとはな。」
『まぁな。』
ジンは立ち上がった。
「ほう、まだ立ち上がれるか。」
ジンは賢人を見ることなく、青く澄んだ空を見上げている。
ジンは心の声を大にした。
『ハルシオン、見ているか?』
私に語りかけてきた。
『お前は俺の子だ。大丈夫。何があってもやり通せる。自分の信じる道を歩め。俺なんかの為に引きずられるなよ。』
「気でも狂ったか。」
そして、終わった。
私は真っ暗な屋根裏部屋にいた。
涙は出ない。
ただ前を向いていた。




