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一〇〇社のギルドの面接を受けた僕が魔族の女の子と出会って世界を滅ぼすまでの話

「今後、貴殿がますますご活躍されることをお祈りしております」


 盗賊ギルドの受付のお姉さんは笑顔でそう言って、僕は家に帰って風呂場でゲロを吐いた。

 翌朝、風呂場でゲロを吐いたまま寝ていた僕は、汚い風呂場と自分自身をきれいにする気にもなれず、かといって掃除しないわけにもいかなくて、自分でもバカみたいに力の入らない両腕でスポンジをおざなりに動かして、ゲロまみれのスーツを洗濯機に叩き込んだ。

 熱いシャワーを浴びながら、それよりも熱いナニカを両目から垂れ流し、喉の奥からは抑えきれない怨嗟が零れ落ちる。

 なんで僕が。勇者が魔王を殺したから。なんで。僕のせいじゃない。僕じゃない。なのに、なんで、僕が。

 一〇〇社のギルドが、いらないと言った。

 お前はいらないんだと。お前なんて、なんの価値もないんだと。

 人間対魔族の戦争と軍需景気は、勇者の魔王討伐によって潰えた。ここから先の社会で必要なのは、僕みたいな戦闘職ではない。

 だから――僕は、やっぱり、いらないんだ。

 また、吐いた。吐いたと思った。もう吐くものはなにも残っていなかったので、酸っぱい液が出ただけだった。

 服を着て、近所の道具屋へ行く。

 店員は僕よりも若い女性だ。彼女も、僕のことをいらないと思っているんだろうか。

 店員だけじゃない。週刊誌を立ち読みしているおっさんも、武器コーナーでハシャいでいるガキも、僕なんか社会に必要ないと思っているに違いない。

 いたたまれなくなって、なにも買わずに店を出た。

 家に戻る気にもなれなくて、かといって腹が減っているわけでもなく――胃の中にはなにもないのに――ふらふらと、街を歩く。

 すれ違うスーツの人たち。鎧を着た冒険者。その他もろもろのひとたち。

 全員、どこか行く場所があって、生きる目的があって、誰かに必要とされて、生きている。

 僕はどうだ。

 街にもいられなくなって、ふらふらと門を抜けて、草原の端にある崖に向かった。一時間かかった。

 紐があれば首を吊ったりできたのに。道具屋で紐だけでも買っておくべきだったか。それももうどうでもいいけれど。

 崖は深く、暗い。底は岩だらけの川が流れている。落ちれば死ぬ。知っている。落ちれば死ねる。知っている。

 ふらふらと。ふらふらと。

 僕は崖の端に立つ。特に覚悟なんて必要なかった。必要のないゴミを捨てるだけ。つまるところ、それは僕のことだけれど。


 さようなら。目を閉じる。

 ――一歩、踏み出す。


 がしゃん、と背中に衝撃が走った。死んでない。

 不思議に思って目を開けると、金網で作られたフェンスが崖のすぐ下に張ってあって、僕はそれに受け止められていた。自殺防止用の柵だと、金網に張られた紙には書いてある。

 踏みとどまれ、と。書いてある。


「なんだよ、これ……」


 いらないって言ったのはお前らのほうだろう。

 なのに、なんで生かすんだ。

 社会と社会のダブルスタンダード。生きろと言いつつ殺しに来る。

 ふざけるな。

 両目に熱がこもる。視界がぼやける。

 ふざけるな――ふざけるなよ。

 起き上がる気にもなれなくて、そのまま金網の上でうずくまって泣いていた。

 どれだけ泣いていただろうか。


「……なぁ、お兄ちゃん」


 声がかかった。

 横からだ。金網の上。僕から数メートル離れたところ。

 涙でぼやけた視界で、声の主を確認する。

 仰向けに寝転がって、真っ赤に腫らした目で空を見上げている女の子がいた。


「……なんだよ」


 肌は褐色で、山羊のような巻き角が二本、頭から生えている。

 魔族だ。通報しないといけない。でもいいや。今は。もう。

 ここでこの魔族に殺されても、別に――どうでもいい。


「お兄ちゃんも、死のう思ってここ来たん?」

「……も?」

「ウチも、死のうと思ってここ来たから」

「……なんで」


 どうしてそんなことを聞いてしまったのかはわからない。

 わからないけれど、彼女は答えた。


「パパが殺されてな。そんで、ウチ、怖い人間らに追い回されて、命からがら逃げてきたんやけど――もう、ええかなって」

「なにがいいんだよ」

「ウチ、だれからも生きててほしくないって思われてるんよ。だから」


 質問の答えには、なっていない。

 でも、僕にはわかった。


「……そっか。僕もさ、いらないって言われたんだ。だから、いいかなって」

「お兄ちゃん、一緒やね」

「一緒だな」


 くすり、と少女が笑う。


「でも、この金網がさ。ウチに生きろって言ってるん。生きる気力もなんもかんも奪っといて、生きろって言ってるんよ」

「ふざけるな、って思うよな」

「ね。ふざけるなー、って、怒りたくなる。でも――誰に?」


 誰にって、そりゃあ……誰だろう。


「ウチ、このままここで朽ち果てるんやって思ってた。落ちる気にもならんし、上がる気にもならんし。でも、お兄ちゃんが落ちてきた」

「……それで、なにか変わるのか?」


 わからへん、と少女は首を横に振った。


「けど、どうしよう。お兄ちゃんは、どうしたい?」

「……別に、どうも。ただ――」


 少しくらい、誰かに、必要とされたかったかもしれない。

 そう思った。言わなかったけれど。

 言わなかったのに、少女は深くうなずいた。


「じゃあ、ウチには――お兄ちゃんが必要ってことにしたげる。その代わり、お兄ちゃんもウチを必要として」

「……なんだよ、それ。まだ生きたいのか?」

「別に? 死にたいよ。死にたいけど、でも、なんでウチがこんな目にー、って考えたら、むしゃくしゃしてきた」

「……それで?」

「だから、心中しよ」

「誰とだよ。僕か?」


 うん、と少女はまたうなずいて、加えてこう付け加えた。


「お兄ちゃんと、ウチと、それからこのふざけた世界と、一緒に」


 魔族の少女は、真っ赤な瞳でまっすぐ僕を見て、言う。


「世界がウチらをいらんっていうなら、ウチらもこんな世界はいらんって言ってやらな。だからさ、お兄ちゃん――」


 ――一緒に世界を殺しに行こう。


 上にも下にもいけなかった僕らは、横を見ながら、金網の上で世界を滅ぼす話をした。

 世界を殺す。なんていい響きだろう。

 そんなことは不可能だってわかっている。たった二人の世界滅亡。

 できるわけがない。できるはずがない。

 それでも。

 その甘美な言葉は、僕のすすけた魂に染み込んだ。


「……いいよ」


 僕は言う。


「一緒にこのふざけた世界を殺そうか」


 僕と彼女は夢想する。

 誰を殺せば世界は終わるんだろうか。

 そのためにはどうすればいいんだろうか。

 どのような手段を用いれば可能だろうか。


「誰を殺す?」

「とりあえずギルマスを一〇〇人殺したいかな」

「それから?」

「道具屋の店員とか、スーツのおっさんとか、そのへんのガキとか、みんな死ねばいい」

「爆弾かな?」

「爆弾だね」

「テロやん。悪いひとや」


 少女はくすくす笑った。僕も笑った。


「君は? 誰が死んでほしい?」

「勇者とその仲間たち。それから、裏切った魔族と、人間全員」

「僕も?」

「もちろん、お兄ちゃんも。でも、ウチは優しいからお兄ちゃんは最後にしたげる」

「それはどうも」


 金網の上で、空を見上げて。

 僕らは二人で世界を滅ぼした。

 それは当然、実際のことではなくて、僕と彼女の会話の上で成し遂げられた、事実無根で達成不可能な妄想でしかなかったんだけれど。

 二回の夜と二回の昼が終わって、三回目の夜が来たころ、僕も彼女も言葉が少なくなっていたけれど、それでもぼつぼつと怨嗟の声を上げ続けた。

 楽しそうに。楽しそうに。

 ――実際、心底楽しかった。

 無責任に世界を呪ってなにが悪い。

 みんな死ね。みんな死ね。みんな死ね。

 駄々をこねる子供みたいで、滑稽で、けれど、僕らにはそれしか残っていなかった。

 三回目の夜が終わって、四回目の昼頃、僕と彼女は金網の上で手をつないだ。

 言葉はなかった。でも、互いに気持ちは通じていた。

 意識が定かではない。気を失っている時間が増えてきた。


「……なぁ、お兄ちゃん」


 それが何度目の夜に聞いた言葉かは、もうわからないけれど、少女はひびの入った声で僕に言った。


「ありがとうな」


 うん。こちらこそ、ありがとう。

 最期に一緒にいてくれて。


 ――つないだ手が冷たい。


 ああ、ああ。

 そうか。

 君は、君の世界を滅ぼしたんだな。

 君だけの世界。君がいた世界。君が感じる世界。――君が感じていた世界。

 そろそろ僕も、そうなるだろう。

 僕だけの世界。僕がいた世界。僕が感じる世界。――僕が感じている世界。

 ぜんぶ滅ぼしてやろう。

 ぜんぶ、ぜんぶ、後も残さず。

 今度こそ。

 彼女の身体を抱えて、最後の力を振り絞って立ち上がる。

 金網の上。満点の星空の下。


 さようなら。目を閉じる。

 ――一歩、踏み出す。


 僕は世界を滅ぼした。


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