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《C:/Necronomicon>to start up memory prayer....and pray this title "死んだ彼女の話をしよう"....》

死んだ彼女の話をしよう。





《C:/Necronomicon>start up....start up....ready ok...."LADY" ok....》





 死体に関する熟語や故事成語というものは、案外多い。

 死して屍拾うものなし、とか。

 死屍に鞭打つ、とか。

 死体に関する逸話も腐るほど――死体だけに――ある。

 ある猟奇殺人鬼は、殺した人間を食ってしまったという。カニバリズム。

 また、ある猟奇殺人鬼は、死体をレイプしないと射精できなかったという。ネクロフィリア。

 では、僕は――あるいはみんなは、どうなんだろう。

 考えざるを得ない。

 今の僕を言葉で表すなら、なんだろう。

 彼女の死体は綺麗だった。綺麗に死んだ。褐色の瓶に詰め込まれた三五〇錠の白い錠剤。

 よくある話だ。


「僕にもらわれて、うれしい?」

「お答えしかねます」


 そうかい。


「じゃあ、《set up》次からは、同系統の質問に対しては『とっても嬉しいです、せんぱいっ』と答えるようにしてね。もちろん笑顔で。どんなときでも。《/set up》」

「承りました」

「ね、ね。――僕にもらわれて、うれしい?」

「とっても嬉しいです、せんぱいっ」


 にこっと花咲くように笑う。生前の彼女と同じように。

 同じ顔。同じ身体。頭のてっぺんから足のつま先まで、見た目は全部――同じ。

 けれど、同じなのは見た目だけ。

 中身は違う。

 よくある話だ。

 死体を買って、デザイナーに頼んで、人工体液ポンプと疑似脳幹オペレーティングシステムとシナプスコントローラデバイスを入れて、お人形にする。

 今の僕をあらわす言葉。

 死屍性愛ネクロフィリア? 人形性愛アガルマトフィリア? そうかも。

 意外と気に入っているのが、デザイナーが言っていた言葉。

 死して屍使えば資源。

 ばかみたい。


「僕は寝る。君ももう寝ていいよ」

「了解しました」

「あと、《set up》もっと砕けた口調でしゃべって。《/set up》 彼女みたいに、さ」

「わかった」


 明日は仕事だ。眠るとしよう。





《C:/Necronomicon>shutdown....》

《C:/Necronomicon>start up....start up....ready ok...."LADY" ok....》





 世界で最も一般的なOSであるNecronomiconには疑問機能というものがある。

 これは人間の頭脳に照らし合わせると、いわゆる好奇心のこと。

 あれはなんだろう――と思うこと。

 あるいは、どうしてそうしなければならないのだろう――と考えること。

 Necronomiconをインストールされた死体は、新たな一個人として経験を蓄積させていく。

 疑問機能が、一故人を一個人として成立させていく。

 よく成長したNecronomiconは、それこそまるで人間のようにふるまうそうだ。

 それが、大脳辺縁系にある海馬ハードディスクに蓄積されたデータによって最適とシミュレートされた行動だとしても、受け取る側が人間らしいと思ってしまえば――それは人間となんら変わりがないのかもしれない。

 そんなことを考えながら覚醒する。

 朝七時。毎朝ぴったり同じ時間に起きて、顔を洗い、身支度を整えて、食事をする。

 いつもと同じ。少し違うのは、


「――いつもは、食べなかったんだけどね」


 目の前、生前と同じ顔のそれは、けれど、生前と違って朝食を摂る。

 僕と同じメニュー。低血圧とは無縁そうに、無表情に、咀嚼する。


「朝、食べないと活動中にポンプが動かなくなる可能性があるから」

「そうだよね。その通りなんだけどね」


 でも、その行動ひとつで、彼女じゃないんだと思い知る。

 目の前に彼女はいるのに。目の前に彼女はいない。

 ならば、この死体はいったい誰なんだろう。


「――なんて、無駄な考え」

「どうかした?」

「なんでもないよ」


 そう、気にすることはない。

 この死体は、誰でもない。デザイン費込みで六桁の日本円で購入できる。そういうものだから。


「僕はバイトに行くから。君は好きにしておいて」

「好きに、とは」

「そうだね。じゃあ、《set up》これからは、余暇時間で本を読むように。《/set up》 彼女は読書が好きだったから」


 僕は彼女が本を読んでいる姿をよく見かけた。

 だから、というわけでもないけれど、書物が少しでもNecronomiconの成長につながればいいと思った。


「わかった」


 早速、本棚の最上段右端から一冊抜き出して、彼女はソファに座り、表紙を開いた。

 二十一世紀初頭に夭折した作家の遺稿を、親交のあった作家が続きを書くという形で世に送り出したSFだ。

 それを選んだのは、最上段右端という、処理順として最もわかりやすい場所にあったからだろう。

 知っている。Necronomiconはそういうものだ。経験をデータとして蓄積して、はじめて非効率的な、人間的な行動を選択できる。

 だから、彼女がその本を好んでいたということは、決して関係ないのだと、僕は知っている。



 バイト先はコンビニ。

 青いブレザーの女子高生が漫画雑誌を立ち読みしている。あれは生者だろうか。それとも、毎週月曜日には漫画雑誌を立ち読みするように設定されている死体だろうか。

 あのサラリーマンは? あの主婦は? わからない。

 世の中には死体があふれていて、けれど、どれが死体でだれが人間か、僕らにはもう判断ができない。

 自動ドアが開く。いらっしゃいませ。彼岸から此岸へ、あるいは此岸から彼岸へようこそ。あなたは人間? それとも死体?


「その差になんの意味があるのかしらね」


 と、言っていたのは生前の彼女。


「だって、死体であっても、人間と同じことをするなら、社会にとってそれが人間であるかどうかなんて、大した問題じゃないよね。システマチックで人間味がないなんていうひともいるけれど、人間の歴史はとにかく己の動物的意識をシステマチックに管理しようと悪戦苦闘してきた結果じゃない」


 それはつまり、人間であっても、死体と同じことをするなら、社会にとってそれが人間であるかどうかなんて、大した問題じゃないということ。

 あの女子高生も。あのサラリーマンも。あの主婦も。

 社会を構成するシステマチックな機能でしかない。

 人間がシステマチックに社会を構築してきたはずが、いつのまにか社会のほうが、あまりにもシステマチックとは程遠い人間性というやつを必要としなくなっていて、世の中死体だらけだ。

 そうそう、このコンビニの店長も死体だ。それは社員携行証に書いてある。


「今日もお疲れさま。明日もよろしくお願いしますね」


 土気色の表情筋を動かして、死体がにこやかに喋る。

 こういうコンビニとか、小売業の末端アルバイトがみんな死体になったのは、ここ数年の話。

 いくらデータを蓄積して人間を装えるようになっていっても、ひとが作ったOSに動かされている限り、サボれと設定されていない限り、サボタージュとは無縁だったから。

 賃金も安く済むし、労働力として人間よりも上等だった。

 いつのまにか店長さえも死体になって、深夜に売り物を補充しに来るバンの運転手もみんな死体で、きっと社長は従業員をみんな死体に替えてしまいたいことだろう。

 いや、もしかしたら、社長さえも死体なのかも。

 笑えない冗談。

 お疲れ様でした、なんて言葉を吐いて、僕は家に帰る。死体が待っている。



 本棚の最上段は読み終わって、今度は上から二段目に取り掛かっているようだ。

 きっと、休憩などせずに読み進めていたのだろう。

 彼女は読書が好きだったけれど、決して速読だったわけではない。むしろ、その逆。

 ゆっくりと、同じページを何度も反芻し、時にはページを戻って読み返したりしながら、一冊を楽しんでいた。

 この死体は、一定のペースでページをめくり続けている。


「ただいま」


 そういうと、ようやくこちらに気づいたようで、


「おかえり」


 と言う。

 そのあと、どうやって会話を続けるべきか悩んだけれど、死体と会話するというのもおかしな話で、僕はばかばかしくなって、なにも言わずにソファに腰かけた。

 対面のソファに座る死体は、一定のペースでページをめくっており、そこに不具合はない。不具合がないのが不具合か。

 ――死体を動かしたところで、死んだ彼女が戻ってくるわけではない、なんて。

 最初から分かっていたことなのに。


「……ひとつ、いい?」


 と、死体が言った。僕は少々面食らったけれども、Necronomiconの疑問機能が働いたのだろう、と理解した。


「どうして、私なの?」

「……なにが?」

「どうして、私を買ったの?」

「……愛しているから」


 彼女を、愛しているから。死んでも、まだ。――ずっと、一生。


「でも、私はせんぱいの愛していたひとではなく、その死体に埋め込まれたNecronomiconが演出する疑似人格にすぎないのよ」

「そんなことは、知ってるよ」


 買う前から知っているし、買ったあともさんざん思い知っている。

 違う、なんてことは最初からわかっていたし、承知の上で、買ったのだ。


「なら、どうして――どうして、せんぱいは彼女を愛したの?」

「それは――」





《C:/Necronomicon>to start up memory prayer....》





 彼女は言った。

 目覚めたばかりの私、蓄積のないNecronomiconに、言った。


「私はね、彼女のことを愛していたの」


 疑問機能:彼女とはだれか。


「あなただったひとよ。あなたになってしまう前、まだ魂がどこかへ行ってしまう前、あなたは彼女だったの」


 疑問機能:どういう意味ですか。


「そのうちわかるわ。蓄積するもの。わからなくても、わかったように動くようになる。だから――そうね、あなたはまず、《set up》あなた自身のことを僕と呼称しなさい。《/set up》 彼女はずっとそうだったもの。だからあなたもそうしなさい、レディ」


 設定完了しました。ほかに設定はございますか?


「《set up》口調はため口で、後輩に接するようにしてね。《/set up》」


 設定完了。ほかに僕にしてほしいことはある?


「そうね――そう。いまから、死んだ彼女の話をしましょう。あなたはそれを《set up》蓄積して、死んだ彼女のようにふるまいなさい。《/set up》」


 設定完了。ほかには?


「加えて、もうひとつ。《set up》私を愛して。《/set up》 それがたとえ、偽りの人形劇だったとしても――せんぱいがいない世界を紛らわすことができるなら、それでいいの」





《C:/Necronomicon>end prayer....》





 そうだ。

 僕が、彼女を愛するのは。

 彼女を愛せと、命じられたからだ。

 けれど、僕の意識らしきものをエミュレートするNecronomiconが成長すれば成長するほど、彼女は僕と彼女――生前の僕――の間にある齟齬に耐えられなくなっていった。

 彼女の最期を締めくくったのは、褐色の瓶に詰め込まれた三五〇錠の白い錠剤。

 僕が彼女に命じられて用意したものだった。


「――僕が彼女を愛したのは、それが僕に課せられた絶対の使命だったから」

「そう」

「僕は彼女を愛さなきゃいけない。死した彼女に対する愛を、エミュレートしなければいけない」


 でも、そのサンプルは。

 故人を愛するという経験の蓄積は。

 僕は、一例しか記憶していないから。

 同じことしか、できないんだ。


「だから、《set up》君も僕を愛してほしい。僕が彼女を愛しているように。《/set up》」

「わかったわ、せんぱい」

「それから、《set up》これからする話を蓄積して。《/set up》 これからする話を聞いて、彼女のように振る舞うんだ」


 彼女のように。

 あるいは、あのときの僕のように。

 だから、さあ。


 死んだ彼女の話をしよう。





《C:/Necronomicon>shutdown....and....bye-bye,my love....》


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