彼氏を池に落っことしたら金のイケメンと銀のイケメンが出てくるやつ
――月だけが見ていた。
手のひらにぶよぶよした感触がある。ビニル袋越しに感じる、気味の悪い温度。
冷たくて、硬くて、柔らかい。
不快感と嫌悪感。
わたしは我慢して『ソレ』を運んだ。引きずって、運んだ。重たかった。
深夜の公園。夜露に濡れた芝生の上。
わたしは、
ずるずると、
ずるずると、
ずるずると、
『ソレ』を運んだ。
公園には、池がある。
大きな池だ。自然池なのか人工のため池なのかは知らないけれど、あまり綺麗ではない。緑色の変な藻みたいなものがたくさん浮いていて、夏場は異臭がする。冬でよかったのか、悪かったのか。
『ソレ』とわたしの出会いは、三か月前。この池で、出会った。
「社会性っていうのはね」
開口一番、『ソレ』は言った。村上春樹の小説みたいに。
「関係によって育まれるそうだよ」
「社会性?」
わたしは聞き返した。『ソレ』は、甘い声をしていた。
「朝、挨拶をするとか。年上を敬うとか。『空気を読む』――とか。そういう、社会での生活に求められるもの。社会の一員として行動するために、必要だとされるもの」
「じゃあ、関係っていうのは?」
「人間関係。人間は三歳ほどで自我を獲得し、そこで自己との関係を学ぶ。母親との関係、モノとの関係、兄弟、友人、教師――そうやって、社会との関係を、賢い付き合い方をおぼえていく。挨拶をしたほうがうまくいきやすい。目上の人間を形だけでも立てておけばあとあと有利にことが運ぶ。そういうこと」
「……よく、わからないけれど」
と、わたしは言った。村上春樹の小説みたいに。
「それは、少し悲しいことだね」
すると、『ソレ』は驚いた顔をして、笑った。
「そうだね。――悲しいことだ。うん、実に悲しいことだ」
そうやって、わたしと『ソレ』は一緒にいるようになった。
――男と女の関係になった。
甘く、かぐわしい三か月だった。それまでのことがすべて霞のヴェールに覆われて、まるで人生のすべてがその三か月に集約しているかのような。
それほどに情熱的な三か月だった。
――のに。
ビニルシートで巻いた『ソレ』を、大きな池の端に置く。足で転がすと、斜面に沿って転がる。
ばちゃん、と水の跳ねる音がして、緑色の藻が散った。
「さようなら」
『ソレ』に挨拶する。これも社会性だろうか。
水面に浮かぶ波紋が消えていく様子をじっと見ていた。
きびすを返して、池から離れる。
わたしは、今後この罪を背負って生きていくことになる。いいや、きっと――だれかが、わたしの罪に気付く。
さようなら、わたしの「ばっしゃーん!」なんだ今の音。
激しい水音に、わたしは驚いて池を見る。
ひとりの女が水面に立っていた。
その女は、美しく、神々しく、輝いていた。
「こんばんは!」
その女は美しく、神々しく、輝いているうえに、社会性まであった。挨拶が元気だ。
「……こ、こんばんは」
対するわたしのなんと情けないことか。驚いて、あまり声が出ない。
そんなわたしを放置して、女は言葉を続けた
「わたしは池の女神」
「池の女神」
「イケてる女神と呼んでくださってもけっこうです」
「いえ、それはちょっと……」
ちょっと、かなりダサい。
「休日は梅田で遊んでいます」
「休日とかあるんですか、女神。しかも梅田で」
「ダメですか、梅田」
女神はしょぼんとした。ダメじゃないけど、もうちょっと足を伸ばしてユニバとか行けばいいのにとわたしは思った。ユニバはいいぞ。
「ちなみに休日は池の女神不在状態なんですか?」
「いえ、シフト制なので」
「シフト制」
「わたしは基本夜メンで週五勤務です」
「まあまあ入ってる……」
「家にお金入れなきゃ実家追い出されるんで」
「実家暮らしなんですか、池の女神」
「奈良なんで、別にひとり暮らしするほどじゃないですし」
「奈良って、まあまあ遠いじゃないですか。してもいいと思いますよ、ひとり暮らし」
「大阪のひとって、すぐそうやって奈良を田舎扱いしますよね」
「あ、すいません」
女神はぷんぷんとほっぺたを膨らませた。でも奈良は田舎だと思う。大阪から電車で二時間くらいかかると思う。スマホで検索したら一時間で行けた。まあまあ近かった。
「で、仕事の話になりますが」
「仕事の話ですか」
「池の女神なので。金の斧、銀の斧みたいな感じで」
「ああ、そういう……」
「元の斧を望まないとどちらももらえないので気を付けましょう、正直者は三本ぜんぶ手に入れられますよ、という寓話で」
「それいまわたしに言っちゃってよかったんですか」
「もうみんな知ってるだろうし、いいかなって」
「よくないと思いますけど」
「で、どうします? どうしちゃいます?」
女神は両手を水面に突っ込んで、ざぱあとふたつの物体を引き上げた。
片や、金髪碧眼の美青年。片や、銀髪赤眼の美少年。なんだコレ。
「こちらが金の彼氏と銀の彼氏になりますが」
「金の彼氏で」
「ええ……」
女神はじっとりした目でわたしを見た。いやだって、『ソレ』を返されても困るし。
「記憶とかも都合よく改ざんされている状態ですよ? 夜もすごいんですよ?」
「その情報いります?」
「あ、わたしが試したとかそういうことじゃないんですけどね? 勘違いしないでくださいね?」
「じゃあ誰が試したんですか。一周回って気になってきたんですけど」
「商品は製造ラインの最後にきちんと機械でチェックされていますので」
「製造ライン。機械でチェック」
「機械姦ですね」
「その情報いります?」
「で、どうですか。泉から出てきたことを一切知らない都合のいい恋人が一度にふたりもできるんですよ? 動作不良もほとんどないですし」
「あるんだ、神なのに動作不良あるんだ」
「神の作ったもので動作不良がないものの方が珍しいですよ」
「いきなり含蓄のあることを言わないでください」
「Wikipediaで神話を調べたらだいたいそんな感じですし」
「出典が薄い……」
「ちなみに動作不良になると、ヤンデレになります」
「こっわ」
「というわけで、金の彼氏と銀の彼氏、どっちにしますか?」
「金の彼氏で」
「ええ……」
女神はじっとりした目でわたしを見た。二度目だ。
「……しょうがないですね」
「ではなにももらえないということで」
「あ、でもお持ちのポイントカードのポイントが溜まったので、サービスで金の彼氏を差し上げますよ」
「一回目なのに溜まるんですか、ポイント」
「いえ、あなたではなく」
女神は銀の彼氏を泉の中にリリースして――商品の扱いが雑だ――その手を、また池の中に突っ込んだ。
引き上げたのは、ビニルシートでぐるぐる巻かれた『ソレ』――で。
「この方のポイントカードです」
つまり。
『ソレ』は。
ここの常連だったということで。
「あの――」
わたしは思い出す。
そうだ。『ソレ』とは、ここで、この池で出会ったのだ。
なら、その前は――それより前は。
わたしは、どこで、なにをしていたんだろう。わからない。霞のヴェールの向こう側。本当に「それより前」なんてものがあったのかどうかもわからない。
でも、そのあとのことは憶えている。そのあとの三か月の間にあったことだけ、憶えている。
甘い言葉を交わしあい、何度も身体を重ねた『ソレ』をビニルシートで巻いて、ここに来た。
「――動作不良があるものは、返品とかできますか?」




