第3話「それぞれの困惑」
8時過ぎ。
教室には、少しずつクラスメイト達がやってきていた。
その中に、彼の姿はない。
……最近、高槻君が変わった。
なにが変わったと説明するのは難しいのだけれど。
彼は相変わらず、授業中に気の抜けた顔をしているし、
相原先生に当てられれば面倒くさそうに答える。
休み時間になれば、机に突っ伏したり、窓の外を眺めている。
彼の学校生活を挙げていけば、何も変わらないように思える。
でも、それでも変化がないわけではない。
これまでの彼は毎朝、誰よりも早く学校に来て、
ヘッドホンとアイマスクを付けて寝息を立てて眠っていた。
いつからだろう、彼のそんな姿を見なくなったのは。
最近の高槻君は、朝早くに学校にはいない。
始業10分前くらいにふらっと教室に入ってきて、
そのまま始業まで机に伏せて眠っていることが増えた。
……距離を取られているのかも、と感じてしまう。
以前なら、朝から当然のように話しかけてきた。
なぜか、下の名前で呼んできた。
頼んでもいないのに、いつも首を突っ込んできていた。
こちらがため息をつけば、妙な軽口で返してきていた。
でも、今は違う。
とは言っても、挨拶はするし、必要な返事もする。
こちらから何か頼み事をすれば、それに応じてくれる。
けれど、前のようにこちらのスペースに土足で踏み込んでくることはしなくなった。
こうなった原因に心当たりがないわけではない。
きっと、この間の文化祭の話し合いで起きたことが原因。
あの日、文化祭の話し合いの中で高槻君がクラスの空気を乱したとき。
彼が自分を庇ってくれようとしたことはわかる。
けれど、あの場で必要だったのは誰かを責めることではない。
だから私は言った。
擁護してなんて頼んでいない、と。
間違ったことを言ったつもりはない。
けれど、もしかしたら彼を傷つけてしまったのかもしれない。
謝るべきなのかもしれない。
……でも、何を謝ればいいのかがわからない。
私は間違っていない。
だからと言って、相手を傷つけていいわけではない。
自分の何が高槻君を傷つけたか、自分でもわかっていないのに、
そんな状態で謝るのは、誠実じゃない気がする。
「おっはよー、みおち」
そんなことを考えていると、明るい声が教室に飛び込んできた。
咲希が来たようだ。
「おはよう、咲希。また廊下を走ってきたわね」
「ゲッ、バレちゃった?ごめんなさい委員長ー」
「はあ、全く……」
「あれ?たかっちゃん、まだ来てないんだ」
「ええ、まだ来ていないわ」
「どうしちゃったんだろうねー。いつもならみおちよりも早く教室に来てたのに」
「ええ、全くね」
「あれ、みおちもしかして寂しい?」
「は、はあ!? 違うわよ」
つい、ムキになってしまった。
全く、咲希は何を言い出すのだろうか。
「……うぃーす」
そんな時、教室に誰かが入ってきた。
「……あのさ。お前ら声でかすぎだろ。廊下まで二人の声聞こえてきたぞ」
「あ、噂をすれば!おはよー、たかっちゃん」
「……おはよう、高槻君」
「ん、ああ。おはよう櫻井。ついでに朝倉」
「ついで感覚!?」
二時間目の前。
高槻君は、相変わらず机の上に何も出していなかった。
教室では、次の授業の教科書やノートを準備する音が聞こえている。
私も自分の席で教科書を通学鞄から取り出したばかりだ。
それなのに、蒼真は頬杖をつき、窓の外を眺めている。
マイペースというか、無気力というか。
「高槻君、そろそろ授業が始まるわ。起きて準備しなさい」
私はつい、高槻君に小言の一つでも言ってやりたくなった。
「ん……。ああ、もうそんな時間か。了解だ」
高槻君は、鞄……ではなく、自分のロッカーに綺麗に詰め込まれた大量の教科書から、数学の教科書を取ってきた。
「……あなた、もしかして教科書を置いて帰っているの?」
「わざわざ家から持ってくるのは手間だからな。うちもタブレットを導入して、教科書を電子書籍化してくれれば持ち運びも楽でいいんだけどな」
「もし仮にうちの学校がタブレットを導入しても、あなたは勉強には使わなさそうね」
「何?失礼だな。三割くらいは予習とかに使うって」
「……七割は私用に使うのね。ところで、教科書を持って帰らなくて困らないの?」
「別に。テキストの範囲は頭に入ってるから」
また適当な冗談を……と思ったけど、あながち嘘でもないのかもしれない。
高槻君がパラパラとめくってこちらに見せてきた教科書は、とても使い込んでいるように見えた。
細かいところにたくさんのメモのような書き込みがある。
薄々は分かっていたけど、高槻君は勉強はできる方なのかもしれない。
そういえば、相原先生がテストで赤点を取ったことはないと言っていた。
彼はいったい、何を考えているんだろう。
……私は彼のことを、よく知らない。
「……なあ、櫻井?」
「……なにかしら」
「あのな。そうやってジロジロ見てこられると、なんだか落ち着かないんだが」
「べ、別に見てないわ」
私はたまらず、視線を逸らしてしまった。
そんな私を、咲希が遠くから面白がっている目で見ていた。
……後で覚えておきなさい。
***
昼休み。
俺は授業が終わるや否や、すぐに教室を出た。
別に美緒の視線が落ち着かなくて逃げ出した訳じゃない。
これは、戦略的撤退だ。
学食、それは戦場だ。
たかが学食だと侮るべからず。
うちの学食はなんと言っても、千円以内でボリューム満点、そして美味い。
そう、とにかく美味すぎるんだ。
入学して間もない頃、姉さんにここに連れてこられたことがある。
その時に食べたチキン南蛮定食の味が忘れられない。
姉さん曰く、宮崎の本場のチキン南蛮さながらの味付けで、学校にいながら宮崎へ旅行に来たかのような気分を味わえるとのことだが、姉さんは行ったこともない宮崎のチキン南蛮の味をなぜ知っているのだろうか。
……考えても仕方ないことは気にしても仕方がない。
さきほど、売店のおばちゃんから受け取った定食を持って、一人用の席に着いた。
うちの学食は四人用のテーブルだけでなく、二人席や一人席など、幅広いニーズに対応しているのが特徴で、一人席は意外と余っていることが多い。
それもそのはず。
このだだっ広い学食の一人席で飯を食っているなど、自分は孤独であると証明しているようなものだからだ。
だが、俺はそんなものは気にしない。
なぜなら、今日もチキン南蛮定食が美味すぎるからだ。
早速、俺は箸で一口サイズに切ったチキン南蛮を口に入れる。
冷めないうちに食べるのが料理を作った人への礼儀というものだからな。
「う、うめえ……」
思わず声に出てしまったが、隣にいた陰気そうなメガネの少女がすごく頷いてくれたので、そちらを見て頷き返すと、目を逸らされてしまった。
……また、距離感を間違えたか?
いや、相手の女子が人見知りなだけだろうか。
ここ最近は、俺は学食で昼休みを過ごすことが増えた。
というのも、これまでの俺は、昼休みもなんだかんだ美緒の近くにいたからだ。
それをやめるようにしたので、教室で飯を食う必要もなくなった。
弁当という選択肢は親に申し訳ないので、いつもコンビニで買ったパンとかで済ませていたが、正直なことを言うと、コンビニの味には飽きていたのも事実。
そこで俺は学食で美味い定食を一人、堪能させていただくことにしたわけだ。
それにしても、最近は美緒から謎の視線を向けられることが増えた。
特に今日は授業前にやたら絡まれたし、ちょっと落ち着かない。
話しかけられること自体はまんざらでもないが、不安にもなる。
どこか歯切れの悪い感じで、こちらも落ち着かないからだ。
まったく、人間関係は難しいな。
昼休みの終わりごろ、教室へ戻ると美緒がこちらを見てきた。
……まただ。
俺は思わず、身構えてしまう。
「高槻君」
「な、なんだ?」
「……どこに行っていたの」
「え?ああ、学食だけど」
「……誰と?」
「一人でだけど」
「どうして?」
「一緒に学食行ってくれる友達がいないんだよ察してくれよ」
「……だったら」
「……だったら?」
「……なんでもないわ」
美緒はそこで言葉を切った。
……何か言いたげではある。
だが、何を言いたいのかまではさすがに分からない。
「……次は移動教室よ。遅れないようにね」
「へーい」
人間関係、難しすぎないか?
櫻井が何を考えているのか全く分からない。
頼む、助けてくれ。
……朝倉、遠くからニヤついてないで助けてくれ頼むから。
放課後前の帰りのHR前。
「どっこいしょ」
美緒が用事で席を外している間に、朝倉が美緒の席に座ってきた。
「……何か用か?」
「たかっちゃん最近みおちに絡まないね。どしたの?」
朝倉が俺に話しかけてきたかと思えば、なんて話題を出すんだ。
「……バレてたか」
「さすがにねー。んで、どしたのさ」
「……ちょっと、距離感を修正したというか、なんというか」
「へー。それってやっぱり、この間のアレきっかけ?」
「……まあ、否定はしないな」
「別にそんなに気にしなくてもいいと思うんだけどなー。二人とも」
「二人とも?どういう意味だ?」
「ん?ううん、こっちの話」
今のはどういう意味だ?
朝倉はこういう時、一歩引いて客観視しがちだ。
中学の時、生徒会で一緒に働いてた時もそんな一面があったのを覚えている。
きっと、コイツにしか見えていない何かがあるんだろうが、それが何かを聞くのはなぜか出来なかった。
「みおちはね、ちょっと戸惑ってるんじゃないかな」
「……戸惑ってる?一体、何に?」
「それは、自分で考えなさーい。甘えんな、”元・副会長”」
「なんだよそれ」
「はーあ。全く、うちのクラスは悩める若者が多いこった」
「そうなのか?」
「そだよー。かほちんも、最近大変そうだし」
「”かほ”って誰だ?」
「……たかっちゃん、クラスメイトにそれはないよ」
「え、マジで誰だ?」
「橘 夏帆ちゃんだよ。水泳部の」
誰だっけ……思い出せ、思い出せ。
……あ、もしかして。
「もしかして、やたら日焼けしてる女子か?」
「いや覚え方」
「時々、朝に学校のプールで泳いでる子だろ?」
「え、何で知ってんの気持ち悪」
「いや、朝早くから教室にいると時々窓から見えてくるんだよ」
「まさか、みおちより先に教室に来てたのはそんな目的が……!?」
「おいやめろ、断じて違う」
「……二人してなんて話をしているの」
いつの間にか戻ってきていた美緒が、こちらに軽蔑の視線を送っていた。
「「あ」」
「……」
「ち、違うんだ朝倉。俺は別にそういう目的のために早く学校に来てたわけじゃ」
「……別に、あなたがクラスの女子生徒をそういう目で見ていても咎めはしないわ。良識の範囲内であればクラス委員として目を瞑るつもりよ」
「ちょっと待て誤解が解けてない」
……結局俺は、その誤解を解くことができなかった。
帰りのホームルームでは、文化祭準備の簡単な確認が行われた。
相原先生は、教卓に肘をつきながら、気の抜けた声でこう言った。
「文化祭の出し物はフォトスポットで決まりな訳だが、準備は計画的にやれよー。間に合いませんでしたーとか言っても先生庇ってやらないからなー」
「先生、そこは担任としてフォローをお願いしたいのですが……。まあ、そうならないように進める予定ですが」
「おう、頼むぞ櫻井。三浦も、しっかりやれよー」
「うぃっす!」
「三浦君、男子側で放課後に残れる人を確認しておいてもらえるかしら」
「おーう、任せとけ」
三浦のやつはアレで大丈夫なのだろうか?
美緒にばかり実行委員の仕事をさせているように見えるが……。
……まあ、俺の出る幕ではないか。
美緒にも、そう言われちゃったしな。
「……ほかに、何かある人はいるかしら?」
美緒がクラスを見渡して、そう聞いてきた。
その視線が、俺に向けられているような気がしたが、さすがに自意識過剰だろうな。
***
放課後。
文化祭の会議は終わり、私は手帳を閉じた。
今日の確認はこのくらいでいいはず。
本格的な作業はまだ先の話。
「みおち、帰れるー?」
咲希が鞄を肩にかけながら聞いてきた。
「ええ。今日は大丈夫よ」
そう答えながら、つい隣の席を見てしまった。
すでに、高槻君の姿はない。
「たかっちゃん、放課後になったらすぐ教室出てっちゃったね」
「……何か、用事かしら」
「おやおや、みおち気になる感じ?」
「……クラス委員として、クラスの生徒の怪しい行動が気になるだけよ」
「ふーん」
「ん、なんだ櫻井。高槻に何か用か?アイツなら、さっき急用とかで教室出て行ったぞ」
私たちの会話を聞いていたのか、三浦君がそう答えた。
何故三浦君がそんなことを知っているのかはわからないが、高槻君に急用なんて珍しい。
「ふーむ」
急用と聞いた途端、咲希が何か考え事をしているような顔をした。
「どうしたの?」
「んー。たかっちゃんが急用でいなくなるなんて昔みたいだなって」
「昔?」
「中学時代。たかっちゃんが副会長だったころの話だよ」
「……副会長?」
「そ。ああ見えても中学時代は生徒会副会長だったんだよ」
意外だ。
まさか、高槻君にそんな過去があったなんて。
「たかっちゃん、まーた何か面倒ごとに巻き込まれたのかな」
「面倒ごと?どういうこと?」
「んー。昔のたかっちゃんね、すぐに面倒ごとに首突っ込むというか、巻き込まれがちだったんだよねー」
「……そうだったの」
私の知らない高槻君。
今の彼からは、まるで想像もつかない。
「ま、うちの考えすぎかもだけど。お母さんから夕食の食材買いにスーパー寄ってきてーって言われたのかもしれないし」
「……そうね」
「だなー」
「てか三浦くん早く帰りなよ」
「ひどくね!?」
三浦君は、とぼとぼとそのまま教室を出て行った。
***
教室を出てから、スマホを取り出す。
一件のメッセージ通知。
『高槻弟 屋上集合』
その相手は美緒――だったらどれほど良かったか。
俺のことを”高槻弟”というあだ名で呼んでくるのは一人しかいない。
『そういう連絡の仕方やめてください、先生』
『いいから来い』
そう、担任の相原先生だ。
いろいろあって、俺は先生と連絡先を交換している。
……というのはさておき、教師が教え子になんて連絡してきてるんだ。
そんなことを思いながら、俺は屋上の扉を開けた。
「おう、よく来たな高槻弟」
屋上に着くと、相原先生がフェンスの近くで缶コーヒー片手に立っていた。
相変わらず、海外の漫画に出てくるオカルト探偵のような出で立ちだ。
「放課後の屋上に呼び出しなんて、俺は今からシメられるんですか」
「人聞きが悪いなあ。こんな美人の先生と放課後に二人きりなんてドキドキだろ?」
「先生は確かに美人ですが、くたびれた服にボサボサの髪で、缶コーヒー片手に言われてもなあ」
「……ほっとけ」
「それで、何の用です?嫌な予感しかしないんですが」
俺がそう聞くと、相原先生は空になった缶コーヒーを片手に、こちらへ歩いてきた。
その表情は、いつもの気だるげな雰囲気を残しつつも、真面目な顔つきに見える。
「先生な、これでも生徒の愚痴とか相談とか結構聞くのも仕事でな」
「はあ」
「ちょーっと込み入った事情の生徒がいてな」
「……めんどくさそうなので帰っていいですか」
「まあ待て。人の話は最後まで聞かないと失礼だぞ、高槻弟」
「急な正論やめてください」
「……話を戻す。ある女子生徒が、最近誰かに見られてる気がするって相談してきてな」
ほら見ろ、やっぱり面倒ごとだった。
***
その頃、教室では。
私は、まだ高槻君の席を見ていた。
急用。
昔みたい。
面倒ごと。
咲希の言葉が、妙に耳に残っている。
私は、高槻君のことを知らない。
その事実だけが、なぜかひどく落ち着かなかった。
【あとがき】
今回の話みたいに蒼真視点や美緒視点が入ってくる場合、視点切り替えを分かりやすくする上で、***を入れるようにしています。
【○○視点】みたいな書き方もあるとは思うんですが、誰誰視点ってわざわざ書かなくても口調とかで伝わって欲しいなという気持ちから、***って書き方にしています。
いや分かりづらいよ!ということであればその時は検討します。。。
とりあえず、一旦はこれでいく予定です。




