第三十八話:沈黙の塔
そこには、誰の名前もなかった。
かつて並んでいたはずの「シャル」と「ダイ」の文字は、今はただの空白に変わっていた。
外部チャットルーム。
GMですら知り得ない経路を通じてレギオン内部とつながったその場所は、本来ならばゲーム内キャラクターが存在することはあり得ない、幽かな抜け道だった。
だが今、その空間は──もう意味をなさなくなっていた。
──二人の名前が消えた。
公式サイトの最新投稿を見るかぎり、シャルは今もなお、あの愛くるしい猫耳振袖姿のまま、イベント案内のポップアップに登場している。
プレイヤーには、変わらずそこに「いる」ように見える。
けれど、その“彼女”は何も語らない。
そして、ダイの姿は……どこにもなかった。
音も、影も、痕跡も──何一つとして。
それは、プレイヤー「リカ」が永久BANされたことに起因していた。
所有者なきキャラクターは、存在できない。
「紐づけられたIDがあってこそ」許される存在だった。
ログアウトではない。退場でもない。
ただ、データベースから跡形もなく消されたのだった。
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みるちんがSNSで公開したばかりのショート動画──その再生数は、異様な勢いで伸びていた。
《#フレンドは不正していません》
《#運営は説明して》
《#不当BAN》
動画には、ログイン不可となった直後のエラー画面、サポートフォームからの定型返信、そして最後に表示された「BAN通知」が映し出されていた。
「なぜBANされなきゃいけないの……?」
動画の終盤、小さく入っていたリカの声。
それは、詰まったような呼吸とともに、30秒の映像を締めくくっていた。
切実な訴え。
真っ直ぐで、どうしようもない問いだった。
けれど──コメント欄に寄せられた声は、あまりに冷たかった。
「でもBANされたんでしょ?」
「やましいことしてなきゃ、されないよね?」
「規約違反者が何言ってもムダ」
本当に、何もしていないのに。
ログを確認しても、リカに対する警告メッセージは、何一つ見当たらなかった。
それでも「処分」は下された。理由の説明はなかった。
問い合わせフォームにはみんなで何度も送った。証拠も状況説明も添えた。
けれど、返ってくるのは決まってこのパターン。
「このたびはお問い合わせありがとうございます。」
「現在多くのご連絡をいただいております。」
「対応にお時間をいただく場合がございます。」
──その「お時間」は、いったい誰が与えてくれるというのだろう?
チャットルームは静まり返っている。
誰もが、言葉を失っていた。
『あーもう!全部うっざいっっ!!★』
椅子から立ち上がって、画面の前で叫んだのは、みるちんだった。
両手を広げ、アバターのポーズを激しく切り替えながら怒りを表す。
『シャルも何も言ってこないし! おかしいって!!!★』
その怒りは抑えきれず、彼女は即座にキャラを操作した。
目指すは、ゲーム内で“管理AIが住む”と噂される、白亜の塔“シャングリラ”。
かつて攻略不可能とまで称された、「本気ver管理AIとの腕試しイベント」の舞台──
美しく、荘厳で、誰よりも沈黙を湛えた建築物。
“シャングリラ”とは架空の理想郷を意味するが、そこに何があるのか誰も知らない。
みるちんはその塔のてっぺんを、彼女は真上から撃ち抜こうとした。
『メテオ展開っ!! 塔のてっぺんにズドーンしとけぇぇぇ!!』
詠唱完了。
直後、夜空が無数の魔法陣により赤く染まり、巨大な火球が天から降り注ぐ。
──だが。
塔を包むように、微かにゆらめく球状の結界が現れたかと思うと、火球はそれに触れることなく消滅した。
まるで──最初から存在しなかったかのように。
空は何事もなかったように、星を瞬かせていた。
『……うっそ……』
あっけにとられたような声。
次いで、システムログが淡々と表示される。
【高威力魔法がシャングリラ絶対障壁により無効化されました】
【対象プレイヤー:みるちん 街から強制排除】
次の瞬間、みるちんのアバターはNPCの衛兵に拘束されるようにして宙へと浮かび上がった。
画面がぐらつき、操作は強制停止され──
みるちんは街の城門を越え、草原地帯へと無造作に投げ捨てられた。
転がるように地面に着地するみるちん。
そのまま仰向けになり、何もない空を見つめる。
ただ、遠くに見える塔だけが、神殿のように白く、静かに輝いていた。
『……なんなの、ほんとに……』
『シャル……何も言ってくれないの……?』
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シャングリラは、ただそこにある。
白く、荘厳に、静かに。
シャルは何も語らない。
ダイは、存在しない。
チャットのみんなも、押し黙ったまま。
沈黙だけが、彼らを見下ろしていた。




