第九話 私のヒーローは、いつだって……
階段を上ると、教会の二階には、事務室があった。そこが彼、ヴァルゴ・ヴェルデゴーレが私的に使用していた部屋であった。
一つ一つの部屋を探して、ようやく見つけたのだ。変わり果てた二人の姿を。
「奴が契約している悪魔は『強奪暴食の悪魔』。能力は、喰った対象の知識、力、魔力を奪うというもの。君の両親は、医学の知識を持っていたから、そして、亜人だったから、狙われたのかもしれない」
亜人は、人間よりも魔力があるから。
両親は、医学に詳しかったから。
そんな理由で、拷問の末に喰われて、殺されたのだ。私の両親は。
「あ……あ……あ……あ……」
父と母のものだったであろう、腐りかけた肉がところどころ付いた骨はバラバラに散らばっている。二人の名前のプレートがついた白衣が、近くに落ちていた。
私は、温度のなくなった、二人の頭蓋を抱いて、溢れ出す感情を、吐き出した。
頬を伝う涙を止めることはできず、冷たくなった床にぺたりと座り込んで、私は天を仰ぐ。
世界って、なんて残酷なのだろう。そんなことを思ったら、恐怖ですくんで、しばらく動きだすことなど、できるはずがなかった。
「少しは落ち着いたかな?」
「……はい、すみません」
「謝らなくていいよ」
頭蓋を抱いて泣きじゃくる私を、黒服の男、ルナは後ろから包むように抱きしめてくれた。
暖かな気持ちが湧いてきて、それはそれで動き出せなかったけれど、気持ちは、ほんの少しだけ楽になった。
「これから……、私はどうしたらいいのでしょう。戻る場所が、なくなってしまいました」
虚空を眺めながら、そんな答えのないようなことを、私は呟いた。座り込んだ私の隣に、黒服の男は座って、手を繋いでくれていた。
「君はどうしたいんだい?」
あくまで優し気に、男はそう私に問うた。けれど、短いけれど、その質問は、私に「逃げるな」と告げていた。
そうだ。悲しいことがあっても、つらいことがあっても、お父さんやお母さんが死んでも、現実は続いていく。無常にも、非情にも。だから決断が必要なのだ。それも、私の、決断が。
そういう大切なことは、悩んで、悩んで、その挙句に見つけるものだと思っていた。けど、彼に聞かれたとき、私は、すぐにこう応えていた。
「私は……救いたい。父さんや母さんみたいに、苦しんで死んでいく人を、私みたいな気持ちになるような人を、救ってあげたい」
男は少し悲しげな顔を浮かべると、また、月の光のような優しい表情になって、言った。
「それなら、俺と一緒に来るといい。住む場所も、生きる術も、教えてあげるよ。今日から、俺の隣が、君の居場所だ」
黒く、深い哀れみを持った瞳。それは深海の闇のように、私の孤独を沈めていったのだ。
それから、彼のことをどんどん知っていって。
私は、彼の力になりたいと思うようになって。
どんなときでも、彼がいるから、強くなれたんだ。
彼の前では、強くいなくちゃっ、て思うのだ。
彼は私の――、ヒーローだから。
「うん、お、君良い色になってきたね。ま、ここらが限界かな……。んじゃ、『収穫』で」
ホワイトブルーの男、ロックがそうやって嗤うと、取り巻きの、スーツに身を包んだ大男が、二つ右となりの少女をいれた容器を取り外した。私は容器から出ることができず、その様子を眺めることしかできなかった。
「おい、出ろ」
スーツの男は、黒髪の少女の長髪を片手で無造作に引っ張り上げると、床に叩きつけた。
少女の華奢な体は、骨と皮だけのようであった。喉からは、かすれた声が漏れ出すばかりである。
「ああ…………」
「お前はもう用済みだとさ。今、処分してやる」
男たちが欲するモノは亜女薬、つまりは薬となる液体そのもののようで、少女の体はいらないようであった。なんと惨いことを、と思ったが、黒髪の少女の顔は、喜びで満ちているようだった。
「あ……あ……」
魔法を撃とうとしている男に向かって、少女は手を伸ばす。己の死に歓喜するのは、もう、この地獄に耐えられないからであろう。彼女は、きっと長いことここに居て、心が死んでしまったのだ。そういう経験があるから、私にも、分かる。
男は魔法師であるので、グローブをはめていた。同じ魔法師だから分かる。あれは炎系統の基本魔法の魔法式。速さが物を言う魔法師同士の戦いにおいて、そのグローブの選択はスタンダードであった。契約者でもないので、高等魔法を一言で詠唱するなんて真似はできないが、基本魔法の魔法式は、その属性魔法の土台となるものだ。基本魔法の魔法式があることで、同系統の、より上位の魔法も一句ぐらいは省略できるようになる。その一句の差が勝負を決めるときもあるのだ。
しかし、もちろん基本魔法、例えば炎系統の初等魔法「炎球」くらいでは、人を一撃で殺すことはできない。だから、男はこれから式句を重ねて、より高次元の魔法を放つだろうと思っていた。
だが、男からは、たった一言の式句しか告げられなかった。
「燃えろ」
ボゥ! という炎が引火する音と共に現れたのは、小さな炎の球であった。それを放ちもせずに、男は、少女の顔の近くにそれを持って行った。
「――な!?」
私が驚きの声を上げたのもつかの間、少女の首を逆の手で締め上げた男は、その顔に炎で焙るようにあて始めたのだ。
「ぐぁ……」
びくびくと痙攣しながら、炎を焙られ続けられる少女。やがてそれも終わり、男は両の手を離した。
じたばたしてその場で動きまわる少女。様子がおかしいので注視していると、少女の口が、塞がっているのが分かった。炎で焼かれたのが影響して、唇がくっついて離れないみたいだ。鼻の孔も、己の皮膚で覆われてしまっているようだ。
汗を噴き出しながら、少女は目を見開く。男は非情にも、少女を再び掴み、容器の中に入れた。呼吸のできる液体の中でも、そもそも呼吸する器官が機能しないのならば、意味がないようだった。少女は透明な液体の中で、もがき、溺れていく。
「おお……、色が変色しているな。これは『紫』までいくやもしれん」
ロックがそう言うように、少女の入っている液体は、黄色から薄い紫へと変色していった。二分、三分、暴れていた少女が動くのを止めて、ようやくロックは立ち上がった。
「やはり、ここが限界か……。もういいぞ」
命じられた男は容器から、今度は正真正銘、命が断たれた少女を取り出すと、それを炎で灰も残らず焼き尽くした。それが当然の行為であるかのように、目もやらずに、続いて容器を取り外すと、別の部屋へと持って行った。
「うんうん、他の娘たちは、まだまだ元気なようだね。んじゃ、脱皮の時間と行こうか」
室内の空気が、変わった。
雰囲気は、葬式の最中のようであった。
黒髪の少女の凄惨な最期を見ても、ただただ無表情を浮かべていた、つまりは反応する気力さえなかったような娘たちまで、怯えるような表情を見せたのだ。電撃を受けたときのような絶叫や狂気はなく、寂しさだけが空気を支配していた。皆がみな、しくしくと涙を流し、十四、五くらいの年齢の少女たちが、幼児になったかのようにさらに幼くなったようであった。
「一体、何を……?」
「君は初めてだから、分からないだろう? まあ、嫌でもすぐに分かるよ」
ロックがそう言うと、パチンという指が鳴る音と共に、数十人の男たちが礼拝堂の中へと入ってきた。男たちは腰にタオルを巻いた、異様な恰好をしていた。
男たちは、容器に入っていた少女たちを順番に取り出し、床へと置いた。やはり、液には、魔力を吸い取るような効果があるようで、女の子たちは抵抗することもできずに、倒れこんでしまった。
私も同様に床へと俯せの状態で置かれると、やはり、起き上がることはできなかった。その体勢のままでいると、私を容器から取り出した男が、正面に立っていた。
男の下卑た視線で、私はこれから起こることを予感した。
銀髪の少女にも言われていたことだ。だから、分かってしまったのだ。
「サニィ君、君は難敵、いや、最高の素材みたいだからね。最高レベルの魔力と、精神力を持っている。だから、最終手段を使わせてもらうよ。どんな娘でも、これをすれば一発で恐怖に落ちるのさ」
ロックが言うと同時に、男は私の体に這い寄ってきた。部屋中に、すすり泣く声が響く。私は嫌悪感で浮かんでくる鳥肌を抑えながら、必死に抵抗しようとした。
「はぁはぁはぁ、いいねぇ興奮させてくれるねぇ」
私は、私の魂が、これから行われる悲劇を否定したのを感じた。
嫌だ! 絶対に嫌だっ!
私は、ぴくりと動いた腕で男に、床にまき散った液を掛け、唾を吐き捨てた。
「やらせない! 絶対にやらせない!」
隣の少女が、男が、驚いた表情で私を見る。抵抗された方の男はより興奮したようで、ニヤニヤと嗤いながら近づいてくる。
私は、体内に残存する筋力と魔力を振り絞って後退する。諦めるわけにはいかなかった。
だって、汚されてしまえば、もう、誇りを持ってあの人の隣には立てないから。
だって、信じているから。私のヒーローは、いつだって、私のことを助けてくれるって。
男の腕が私の背中をまさぐる。胸を舌で舐めまわしながら、その顔を私の顔に近づけてくる。
私は、視線を逸らさなかった。その瞬間が来るまで、諦めないと誓ったから。
同じように犯されんとしていた隣の少女を見ながら、涙を止めることはできなかったけれど、確信を持ってこう告げた。
「大丈夫、です、絶対に、あの人は助けてくれるますから」
男の舌が、私の唇へと近づく。腰を、近づけてくる。
――――その時、私は、闇を切り裂く、一筋の影を見た。
視界を埋め尽くしたのは、黒と赤の色彩であった。私を犯さんとしていた男の体は、桃を切り分けたかのように真っ二つに割れた。それに感づいた男たちが放つ魔法を全て切り伏せ、男たちの身体を切り裂く。現実味のない光景であったが、私は、何が起こったのか、即座に理解することができた。
そうだ、いつだって、この人は、血と死の山と、共に在る。
百人に聞いたら、百人、「否」と言うであろう。黒に身を包み、黒の刀に、べっとりと血と油を滴らせた――、
「本当に、来てくれたんですね……私の、ヒーロー……!」
黒服の男は……私のヒーローは、ボロボロの私を見て、悲しそうに、こう応えた。
「助けに来たよ、サニィ。そして、皆を助けるぞ、相棒」
あの日のように、ヒーローは、私の手を引っ張ってくれた。そして、隣に立たせてくれた。
言葉にはせずとも、何度も、告げてくれるのだ。ここに居ていいのだと、
自分の隣こそが、君の居場所なのだと。
私は震える足を、気力を振り絞って立ち上がらせた。