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ウェジニールの翼  作者: 木柚 智弥
試験国の思惑
11/16

過去と現実の狭間で


 一気に上空二百メートルまで上がると風が強くなった。

 しかし強化タンパクとカルシウムからなるルゼットの肉体に影響はない。もともと有翼バイオロイドは空中戦を想定して造られているので、台風並みの暴風でもない限り負けるはずはないのだ。

 周囲に雨雲はなく、今日も美しい色合いの自然が目を慰める。

 汚染大気を結界で遮断することすでに八十年余り。カナダ地区の中心にあるリンレーク地方の空は、基地の空よりは薄いとはいえ、かつて暮らしたタルバ村では望むべくもない青である。眼下に望むアンセルの森も、一見すると鮮やかな緑の森だ。

(けど、中は見た目と違うんだよな)

 この森は、外縁部こそ馴染みある木々が取り巻くありふれた森だが、奥はかなり様相が変わる。鬱蒼(うっそう)とした木々が複雑に入り組む未知の領域で、電波が乱されるので基地のレーダーでは細部の観察がままならない。

 電脳を介したルゼットの視界の右端に、森全体の分析結果が図案化して示された。

 餓狼を示す赤い光点が、他の色の光点を圧倒する勢いで西半分に散らばっている。しかも間違いなく報告された数より増えている。

(一体どこから)

 そのとき、電脳が注意を促してきた。

〈両翼エネルギージャージ、完了シテマス〉

 雷撃を撃つ力を翼に溜めながら放電せずにおくと、翼が電気焼けを起こしてしまうのだ。

(考えるのはあとだ)

 ルゼットは意識を切り替えて眼下を見た。

 今回は森を焼かないよう加減した雷撃だ。地面の水分を誘導がわりにして、電脳が餓狼と判別した光点のみ攻撃、分解する。集団の中心から放射状に地を這わせるのが理想だ。

 神経を翼に集中すると、たちまち表面が帯電しはじめた。青白い稲妻が黒光りする翼の表面を舐めるように走る。

〈ポイント固定。出力八十パーセント〉

 雷撃は、生き物を殺傷するだけなら四十パーセントで足りる。が、完全に分解するには倍の力が必要になる。

 かなり体力を消耗する行為だが、生き物を大量に焼き殺し、その後始末を兵士にさせるよりはマシである。今のルゼットには、あの日父たちが無謀とも思える分解殲滅にこだわった理由がよくわかるのだ。

(こんな殺戮現場、間近で見られたら一発で嫌われるよな)

 つまるところ、ルゼットが雷撃を使いたくない理由もそこにある。基地の住人の視線と同じ色がこの国の民の目に宿ることを、ルゼットはなによりも恐れていた。

 視界に映る森の西寄りの中ほどにスコープ画像が重なる。翼の力が頂点に達したのだ。

(行け!)

 強く念じた瞬間、全身の力が翼に集まり、破裂音と同時に光が放たれた。

 バシュッッ!

 目の前が白く染まり、光が狙った場所に吸い込まれる。

 ギャオォゥッ!

 一瞬後、光が落ちた場所からひときわ高い咆哮(ほうこう)が上がった。

(よし)

 続いて緑の絨毯のような木々のあちこちから閃光が吹き上がり、咆哮とともに外へと広がっていく。

 グォッ! ガァァッ!

 狙いどおり、稲妻は地面だけを這い、木々を焼くようなことはない。間違っても森から外へは飛び火しないだろう。

 ガアッッ! ギャアアァァッ!

 地を震わせるような断末魔の叫びに耳の奥が痛みだしたとき、ふいに目の前の情景が一変し、脳裏に別の咆哮が響いた。   

 グワァァァ――ッ! オオォォォー!

(えっ?)

 空を覆うのは薄曇りの灰色と白い光。

「……っ!」

 タルバ村最後の日の光景だ。

 思わず目を(つむ)るが、映像は消えてなくならない。

 水没した農地を這う青白い稲妻。

 白煙を上げて次々と倒れる細長い塊。

「……あっ」

 目眩にも似た感覚が全身を覆う。

〈目標クリア。ターゲット、スベテ消滅〉

 電脳の声がなんだか遠いと思った途端、チチチッと警告音が鳴った。

〈脳波レベル低下。不時着地設定、フレシ湖南岸――〉

 機械的な音声が急速に遠のき、まもなく全身の感覚が消えてなくなった。


      ✻✻


 ロウルに誘導されて配置についたフィルスは、馬上から不安な気持ちで空を見上げた。

 森の木々が途切れた先の、薄青い空に浮かぶその姿。神の意志を受けて遣わされた戦いの天使。

 周囲に整列する将校たちから賛辞と感謝が飛び交う。

「見ろよ。あの神々しいお姿を。雷撃をお撃ちくださるなら一網打尽だな」

「餓狼どももこれで全滅だろうよ。ああ、早くあの翼が光るところを見たいな」

 兵士たちの心を虜にする、美しく勇ましい神の使徒。それなのにどうしてか、フィルスには彼が(もろ)く儚げに見えるときがある。

 さっきもそうだ。

〈雷撃〉

 あの言葉が出た瞬間の、痛そうな表情(かお)。とてもじゃないが、みんなと同じように喜ぶ気にはなれない。

「どうしました殿下。浮かない顔をされて」

 隣に馬をつけたロウルに不思議そうに顔を覗き込まれ、フィルスはつい思いを口にした。

「ルゼット様が攻撃を躊躇(ためら)っておられる?」

 ロウルの眉頭が僅かに寄せられた。

「あの方は常に我らを救うことを考えていらっしゃる。どの作戦においても率先して先陣を切る姿を殿下もよくご存じでしょう」

「それはもちろん知ってるよ。けど」

 知っているどころかそこも気になっているところだ。

 ルゼットは常から『自分は頑丈にできている』と公言し、最も危険な部署を担当する。

 人数を揃えれば立ち向かえそうな場面でも、それは別の日のために取っておけと言っては単身で先陣を切り、傷だらけになってもすぐ治ると取り合わない。

 確かにそれは事実で、兵士たちは『お怪我の治り方も違うようだ』などと安心して任せている。が、フィルスは彼の痛覚が自分たちとまったく同じであることを、フィルティアから漏れ聞いたことがあるのだ。

 けれどそれを気遣われるのもまたルゼットには嬉しくないことらしい。だからそこは仕方がない。それよりも。

「退治することを避けたいとかじゃなくて、手段が雷撃しかないことに負担を感じていらっしゃるんじゃないかと」

「体調が思わしくなくて、撃つのが大変ということですか?」

 若干、ずれた解釈をされ、もどかしさを押さえながら説明を続けようとしたとき。

「ルゼット様の翼が光りました」

 後ろからキレートの声がし、ロウルが空を仰いだ。

「お、始まる。殿下、お下がりください。総員、迎撃準備。弓兵隊、前へ!」

 ロウルの腕が振られ、前列の小隊長たちの旗がザァッと上がる。

 再び空を見上げたとき、ルゼットの頭上が強く光り、翼から雷が放たれた。

 ギャオォゥッッ!

 ガァッ! ギャォォーン!

「やった! 餓狼の悲鳴だ!」

「当たってるぞ! 飛び出してきたら一頭も逃すな!」

 翼の光が終息し、ルゼットが構えを解いたのが見てとれる。ホッとして周囲に目を配ろうとしたそのとき、ふいにルゼットの体勢がぐらつき、滑るように落下した。

「ルッ……っ!」

 思わず悲鳴を上げそうになり、すんでのところで飲み込む。落下したように見えたのは一瞬で、すぐに翼が羽ばたき、ゆっくりと、けれども予定とは違って下に降りていった。

 やっぱり何か異変があったのかもしれない。

 フィルスが手綱を握りしめると、後ろにいたキレートが馬を寄せてきた。

「こちらのことはお任せください。兵たちが混乱しないよう、うまく説明しておきます」

 どうやら彼女も察したらしい。フィルスは感謝を込めて頷いた。

「手が空き次第、私も向かいます」

「ありがとう」

「殿下、どうかなさいましたか?」

 ロウルがこちらを見る。それをキレートに任せ、ルゼットは護衛兵を一人連れてその場をあとにした。


      ✻✻


 気がつくと、ルゼットはうつ伏せで横たわっていた。

 横向きの頬が感じるのは柔らかいモスリンの手触りだ。けれども穏やかな風が運ぶ濃厚な緑の匂いと、背中の翼に太陽の光が当たっていることで、ここが戸外なのだとがわかる。

「………?」

 ふわふわした白い布に手をついて起き上がると、周囲が厚手の布地で覆われていた。

 天幕……?

 光は足先の方向から差し込んでいる。そちらを向くと、大きく開けられた壁布の先には、芝生のような草生えの向こうに瑠璃色の湖が広がっていた。

「ああ…――」

 うららかな春の日差しが降りかかる、そこはフレシ湖の(ほとり)の一角だった。

 上質な生地を使った壁布や、周囲に兵士の闊歩する気配が感じられないところをみると、少し離れた場所にあるフィルスの天幕だろう。

(おれは落ちたのか)

 どこかに倒れていたのを運び込まれ、翼に日が当たるよう、壁布の一面を開けてくれたに違いない。

 ルゼットの翼は太陽光をエネルギーに変換する造りだ。他にも食事や発電機からの直接チャージなど、幾つか手段があるが、この国での緊急時は太陽光が一番だ。詳しいメカニズムは知らなくても、フィルスはルゼットが不調なとき、翼に日を当てると調子が上向くことを知っている。

 ルゼットはゆっくり立ち上がると天幕を抜け出し、柔らかい下草の生えた地面に胡座(あぐら)をかいた。そのまま草の上に手をついて上体を前に倒し、空に向けて翼を伸ばす。直後、肩甲骨の内側が疼き、縮んでいた羽がザアァッと音をたてた。それは瞬く間に四方に広がり、骨ごと伸びていった。

 翼が太陽の光を一気に吸収し始める。

 大きく息を吐き、バランスを取りながら上体を起こすと、草を踏む音が耳に届いた。

「ルゼット! 気がついたんですね」

 少し弾んだ声は、むろんこの天幕の敷地に無条件で立ち入れる人物のものだ。

「起きても大丈夫なのですか?」

「ああ、問題ない。世話をかけたなフィルス」

 ゆっくり首を巡せると、マントを外し、軽装になったフィルスがいた。

 彼は在りし日のウェジンを映したような銀髪を風に揺らして微笑むと、二歩ほど手前で立ち止まり、片翼が二メートル四方はあろうかという翼を眩しげに見上げた。

「本当に、綺麗ですね……」

 うっとりとした響きを含む言葉からは、心の底からの賛辞であることが伝わってくる。それは普段、恐れや悪意を向けられることのほうが多いルゼットの心を慰めた。

「隣に座ってもいいですか?」

 ためらいがちに聞かれ、手で右横を示す。フィルスは破顔してそそくさと距離を詰めると、膝を抱えるようにして隣に腰を下ろした。

 どこか小動物めいた仕草にルゼットは口元を緩めた。

「そんなに遠慮するな。仮にも次期国王なんだから、おれを顎で使うぐらいになれよ」

 なおも翼を目で追っていたフィルスは、驚いた顔でこちらに向き直った。

「冗談はやめてください。罰当たりな。お名前を呼び捨てるのだって心苦しいのに」

「当たり前だろう。おまえは王になるんだぞ。おれはフィルティアの血縁じゃない。半分は機械だって教えただろうに」

「天界の法律では、正式な従弟として認められていると伺っています」

 彼はやや口を尖らせて続けた。

「それに造りがどうあろうと、特別な力で僕たちを守ってくださる尊い方であることには変わりありません」

「―――」

 自分という、何に分類すべきかもわからない存在をいともあっさりと位置付けられ、胸に沈めていた思いがまた浮かび上がった。

 どうしておまえは、そんな風に呑み込んでしまえるんだ。

 知らず、ルゼットは問いかけていた。

「おまえは、自分の立ち位置が嫌にならないのか」

「それはこの国での立場……ではなく、世界でのということですね?」

「ああ」

 天空城に住まう絶対者が試しに作ったかりそめの国の次期国王――それがフィルスの立場だ。

 無慈悲な問いであることはわかっている。しかし()かずにはいられなかった。

「僕はよく、今ここにあることの意味を考えます」

「ここにあることの意味……?」

「はい。学べば学ぶほど、地上の民が暮らす自治都市の現状は厳しい。確かにこの国は天空城の方々の考えで作られた国ですが、外の都市に比べたら遥かに恵まれています。それに、人が幸せになるためにより良き国を目指すという趣旨は、僕たちにとっても悪いことではないと思うんです」

「国そのものの生殺与奪権を天空城(うえ)に握られていてもか」

「それはどの国も同じではないでしょうか」

「同じ?」

「だって人は、自然の力には太刀打ちできないのですから」

「―――」

「僕にとっては天空城の方々のご判断も、自然界の猛威もすべて『手に余るような太刀打ちできないもの』です。だから、今の自分の立場が特別に不幸だとは思いません」

 力の足りない王を戴くことになる国民には申し訳ないですが、と彼は苦笑して結んだ。

「そうか……」

 ルゼットは瞠目した。

 確かに、人は誰しも生まれる場所を選べるわけではなく、地震や落雷を防げるわけでもない。フィルスはいい意味ですべてを受け入れているのだ。

「それよりもルゼット」

 彼は水色の瞳を曇らせて身を乗り出した。

「やはり具合が悪いのではありませんか? 湖畔に落ちるのを見たときは心臓が止まりかけました」

「ちゃんと岸辺に転がってたろ?」

 電脳モードのままだったから、気を失ったあとは自動で不時着の手順を踏んだはずだ。

「神様扱いするくせに、そこは心配するのか。矛盾してるな」

 からかうように言うと、フィルスはクッと眉根を寄せた。

「あなたからの助力を尊ぶことと、お体を気遣うことは別です。それに」

 ふいと目線が外れる。

「フィルティア様の再来とまで言われたお祖母さまだって、呆気なく逝ってしまわれましたし……」

 ルゼットは沈黙した。

 フィルスの祖母と言いながら、不老遺伝子が色濃く出たフェロデ王は、娘であるフェリシアよりも若々しく力も強かった。にもかかわらず、ある日突然、アンセルの森の外れで倒れているところを発見され、そのまま帰らぬ人となったのだ。原因も未だによくわかってはいない。

 自分の場合はそれとは違い、餓狼の咆哮と武装集団の断末魔の叫びが重なったために、記憶が刺激されて脳が混乱し、電脳に影響したためだろうとは予測がついている。しかしフィルスの前でいきなり墜落したのはまずかったようだ。

「ちょっとな。餓狼退治の手順が昔住んでたところの……災害の場面と被ったんだ。それでビックリした拍子にバランス崩しちまったのさ」

 だからたいしたことじゃないと付け足すと、フィルスは何か言いたげな眼差しになりながらもそれ以上、そこには触れなかった。

「このあとはゆっくり休んでください。夕方には食事をお持ちします。ご一緒させいただいてもいいですか?」

「いいさ。って、だからいちいち聞くな。おまえはこうしたいって言えばいいんだよ」

 はいとはにかむ彼の頭をくしゃりと片手でつかみながら、ちっとも態度を変えないこいつも結構、頑固だよなと思うルゼットだった。



 午後いっぱいを充電に費やし、周辺を検索して餓狼がいないことを確かめたあと、ルゼットは夕暮れの湖畔でフィルスとともに夕食の夜営料理をつついた。

 従卒が給仕についてはいたものの、焼いた肉と茹でたジャガイモ、種無しパンに春野菜を使った吸い物など、献立は一般の兵士たちと変わらない。けれどもたわいもない会話をしながら食事ができることが、フィルスにはこの上もなく嬉しいようだった。

 気丈に振る舞ってはいても、そこはまだ十六歳の少年だ。大勢の兵士たちに囲まれ、次期王として振る舞い続けることに疲れを感じないわけがない。助力者として頼れる分、ルゼットには気を張らずに済むのだろう。

 だから天幕に移動して従卒が下がり、二人だけで香草茶を飲んでいるとき、

「あの、今夜はここでお休みくださいますか……?」

 と上目使いで求められたルゼットは、埒もなくからかってしまった。

「添い寝希望か? 別にいいぞ」

「ち、違います!」

 フィルスは真っ赤になって弁解した。

「以前、偵察とかいって出ていったきり朝まで帰ってきてくださらなかったし、その前は木の下で野宿しているのを兵士が見つけて大騒ぎになって。だから……っ」

 必死の弁解が笑いを誘う。

「あんときゃビビったよ。人が気持ちよく寝ていたらいきなり揺さぶられて、目を開けたらおまえが怖い顔で睨んでるし」

「だ、だって。お待ちしていたのにちっともいらっしゃらないから心配していたら、兵士たちの天幕のそばで寝ていただなんて……」

 だんだん尻窄みになる文句を聞きながら、ルゼットは嬉しいような、それでいて痛いような感覚に襲われた。

 彼がルゼットにくれる感情や態度は、かつてあたりまえのように享受し、今は失われて久しいものに似すぎているのだ。

「おまえは、もうちょっとおれを警戒したほうがいい」

「え? どうしてですか?」

 心底不思議そうに聞かれ、一瞬、言葉に詰まる。しかしルゼットは結局、胸の中の思いを吐き出した。

「おれは元々、破壊のために造られた存在だ。おれと同型の仲間は昔、暴走したり壊れたりして大勢の人を犠牲にしたらしい。それを知ってる天空(うえ)の連中は未だに警戒を解かない」

「そんなの、天空城の方々が間違っています」

 フィルスの目尻が若干、吊り上がった。

「それはずっと昔の話でしょう? それにルゼットは、問題のあった人たちとは世代も育った環境もまったく違うじゃありませんか」

「知ってるのか」

「前に、あなたは地上の生まれだから、フィルティア様とは違って外見どおりの年だと…」

 自分が知り得た断片的な情報から答えを導きだしたらしい。

 ルゼットは香草茶を一口含むと首を横に振った。

「おれはクローン……つまり一人分の遺伝子をそっくりもらい受けた。だから世代は関係ないんだ。さっき湖畔に落ちたのだって多分、感情が揺さぶられて機械の部分に影響が出た結果だ。なまじ中途半端に『生き物』だから不具合が出るんだと思う。おまけにそれを直せる人間はもう、この世のどこにもいないんだ」

 ウェジンは〈翼〉に関わるすべての技術を自分だけに留めていた。特に生死に関わる知識は一切漏らさなかったという。

 今にして思う。彼が十体の翼たちを連れて逃げたのは、生き延びるためでなく、償うためだったのだろうと。

 機械でありながら生体である矛盾が電脳を狂わせることに気づき、暴走の軛にとらわれたときは自分の手で幕を引くと決めて、みんなを連れていったのではないかと。だから看取ったというのは引導を渡したことで、ウルクにもジェトリにも、独り立ちという選択肢はなかったのだと――。

「もしおれが突然、暴走しても、すぐにフィルティアが対処できるかどうかはわからない。一応、周りに迷惑をかけないよう手は打ってあるが、油断はするな」

 それはウェジンが残していった置き土産のひとつだ。しかしそれができたとしても、フィルスが被害に遭わずにいられる保証はない。

「手を打ったって、どんなことですか?」

 ふいに硬い声で問われ、驚いて目線を上げる。と、そこには珍しく顔を強張らせたフィルスがいた。

「その場合は何が起こるのですか?」

 再度尋ねられ、ルゼットは苦笑した。

「心配するな。誓って住民たちは巻き込まない。ただ、おれはそういう可能性のある存在だから気をつけろよって話さ」

 フィルスはなおも難しい顔をしていた。警戒心が芽生えたのだろうと思うと心が軋む。

(自分で振っておきながら勝手な話だよな)

 ルゼットは口元に笑みを張りつけたまま、残りの香草茶を一気にあおった。すっかり冷めてしまったそれは、先ほどよりも苦く感じられた。


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