金の餓狼
翌朝、餓狼の姿が消えたことを確認したルゼットは、一旦、アルバータ基地に戻った。
フィルティアの指示で、すぐにルゼットの持ち帰ったデータをもとに結界を走査したが、どこにも異常は見つからなかった。
それを受けて開かれた会議では、予想どおりフレデリックが持論を主張した。
「やっぱり無理がありますよ。結界を維持するにはせめて三人、レベルの高い特殊能力者を揃えないと。それが続けられないなら王族だけに任せるなんてことはやめるべきです」
「やめてどうするんだ」
アレックスの問いに彼は肩を竦めた。
「色々あるでしょう。西や東の地区がやっているように、発電機を導入して結界を補助するバリアやセンサーを備え付けるんですよ」
「そんなことしたらβ-4の設定が崩れるじゃないの」
ジルが反論した。
「神殿の学者たちは、電気は理解しているけど、作り出すところまではいってない。電磁バリアなんて無理よ」
「こっちで設置して、管理は俺たちが代行するのさ。その間に優秀な者を選抜して教育するんだよ。特異能力者だけに頼る制度よりよっぽど安定的だ」
「このプロジェクトを立ち上げたときに、土台のないところに不相応の科学をもたらすのは危険だって意見で一致したはずよ。そんなことしたら意義がなくなるわ」
アレックスも頷く。
「少数の特殊能力者が圧倒的多数の通常者と良好でいるには高い志が必要だ。それには『王族』として責任を持つのが相応しいとの意見で一致して始めたはずだ」
特異能力は劣性遺伝であり、力ある者の奢りは多数者からの迫害を招く。過去にも繰り返されてきた歴史的事実だ。ここにいるメンバーも、多かれ少なかれ明らかに常人とは異なる能力を持ち、普通に暮らすことを諦めてクレシドの門戸を叩いた経緯を持つ。二人の意見は疎かにできない要素だった。
フレデリックは鼻白んだ。
「じゃ、他にどんな解決法があるって言うんです。電磁バリア以外でどうやって結界なんか補強できるんだ」
「それを今、考えているんじゃないの」
科学の力を頼むことはプロジェクトの失敗を意味する。そこに踏み込むだけの大打撃はまだ受けていないが、このままでは王家断絶の危機を乗り越えられるかわからない。
どうしたら、フィルスの治世を安定したものに導けるのか――。
これぞという解決策が浮かばずに会議が煮詰まりかけたとき、フィルティアの白衣のポケットでピピーッと携帯端末が鳴った。
この音はオスティンの王城からだ。
フィルティアはすぐに端末を取り出して耳に当て、数秒ののちに大きく目を見開いた。
「餓狼がまた集団で現れただと⁉」
(えっ!)
フィルティアはさらに二、三言やり取りすると、「ただちに送り出す」と端末に告げて顔を上げた。
「ルゼット。悪いがまたフレシ湖に飛んでくれ。湖畔に展開中の西軍が餓狼の群れに襲われたらしい」
ルゼットは椅子から立ち上がり、すぐに会議室を出た。
西軍に駆けつけたとき、すでに生きた餓狼の姿はなかった。しかし、森の道向かいに広がる草地に整然と駐屯していたはずの軍は大きく様子を変えていた。
あちこちで呻き声が上がり、無事だった兵士が陣内を走り回っている。
「こっちにも倒れている。手を貸してくれ!」
「救護の兵士はまだか!」
南側にあったフィルスの軍の兵士が合流し始めたばかりらしく、救護用の天幕はまだ組み立ている最中だ。
「くそっ。どういうことだ」
眼前の有り様に歯噛みしつつ、ルゼットはひときわ大きな天幕に向かった。
「使徒様だ」
「おお、使徒様が駆けつけてくださった」
気がついた兵士たちが次々に声を上げ、天幕の入り口に立つ兵士がサッと幕を開ける。そこを足早にくぐり抜けると、青色のマントをつけた兵士たちの向こうに、三脚椅子に腰かけ、剥き出しの上半身に白い布を巻かれている金髪の男の姿が見えた。
「ロウル! やられたのか」
副官の男たちが脇によける中、そばに立ったルゼットをロウルは苦い笑みで迎えた。
「面目ありません。たいした怪我ではないのですが」
そのわりには従卒の少年が胸に巻きつけていく包帯の幅が広い。血の気も薄く、座って手当を受けているのも虚勢であることが察せられた。
「餓狼はどうなった。二十頭ぐらいの群れだと聞いたが追い払えたのか」
「つい先ほど。松明と火矢を用意したフィルス殿下の一隊のお陰で半分は始末できました。残りも森に引き上げていったようです」
餓狼は火が苦手だ。フィルスはできるだけのことをしたらしい。
ただ、とロウルが訴える目になった。
「殿下がまだお見えになりません。兵士が言うには、確かめようと話しながら数人の護衛兵とともに森のほうへ向かったと」
「まさか森に入ったのか!」
「風の力をお持ちですから滅多なことはないと思うのですが、大切な御身ですので……」
気がかりそうな声音にロウルの意図が知れる。応急処置をさせてのち、あとを追うつもりだったのだ。
「……あのバカ」
おそらくは皆のために不安を取り除きたかったのだろうが、この動揺した陣営で、まして指揮官が怪我を負ったのだ。今こそ本陣に構えていなければいけないのに。
「いい。おれが連れ戻す。おまえはここで南から来た兵士も含めて陣営をまとめとけ。ちょっと、王としての心構えをもう一度叩き込んでおく必要がありそうだ」
顔をしかめて告げると、ロウルはホッとしたように苦笑しながら「お願いします」と頭を下げた。
足取りを追って入ったアンセルの森は、夜かと見紛うほどに薄暗かった。
この森の中心には、かつて強力な磁力を持つ巨大な鉱石があったという。
その影響かどうか。森の奥は電脳での計測や観察が不可能で、枝が隙間なく要り組んでいるので、視力を赤外線仕様に切り替えても思うようには見通せない。
(こんなことなら、もっと早くこの森を調べておくんだった)
暗闇の中では光エネルギーの補給ができない。その上、電脳が不具合を起こすかもしれない不安もあったので、特に急ぐこともないかと後回しにしていたのだ。
苦い思いで反省していると、いつもより弱く感じる電脳が注意を促してきた。
〈左斜メ前方二十メートル先、生命反応アリ〉
「どこだ」
視界の端に赤い光点が辛うじて点滅する。点線のついた矢印で道のりを示され、ルゼットは木々の間を縫うようにして続く細い道を逸れた。
翼を精一杯縮め、うねるように捻れた幹や根をよけながら、示された場所へと足を進めると、木の根本に人が倒れているのが薄暗がりの中に浮かび上がった。
「おい! 大丈夫か」
どうにか辿り着いて顔を覗くと、それは見知った相手だった。
「キレート! しっかりしろ!」
抱き起こして声をかけると、キレートは薄目を開けた。
「あ……ルゼット様」
「大丈夫か?」
彼女はルゼットの腕に縋ると頭を軽く振った。どこかが強く痛むようなことはないようだが、いつもより動きが鈍い。
「他の兵士たちは? フィルスは一緒じゃないのか」
問いかけた途端、彼女は弾かれたように顔を上げた。
「大変です。餓狼の群れる理由がわかりました!」
「なんだって?」
「餓狼によく似た金色をした妖獣がいて、それが餓狼を操っているんです。同行の兵士八人のうち、五人は逃げましたが二人が犠牲になり、一人が連れ去られました!」
「それでフィルスは⁉」
「殿下は一人をくわえて駆け去った餓狼を追いかけていかれました。私も追いかけようとしたのですが、別の餓狼に足止めを食らっているうちに、あの金色の餓狼が……」
キレートはルゼットから手を外して腕を見せた。軍服が二ヶ所破れ、血が滲んでいる。
「あれに襲いかかられて腕を噛まれた途端、体から力が抜けてしまい、すぐに目の前が暗くなりました」
「………」
それは一体、どんな妖獣なのか。
「どうか、殿下をお願いします。あの金色の妖獣は得体が知れません」
「わかった。その腕はどんな具合だ。動けそうか」
「はい。深くはありません」
「じゃ、おまえはできるだけ早く陣へ戻れ」
ルゼットはキレートをそっと離すと、さらに闇が増しているような奥へと足を向けた。
進みながら、電脳でフィルスの位置検索を試みる。が、なかなか結果がでない。
「くそ……っ」
焦りと不安に急かされながら入り組む木々の間を抜けていくと、ふいにポッカリとした空間に出た。足下の地面は草地だ。
(川が近いのか?)
ホッとして腰を伸ばしたそのとき。
〈エネルギー飛来! 緊急回避!〉
電脳の声が脳裏に響き、ルゼットは咄嗟に横へ飛んだ。
バシュッ!
よけた空間を黄色い光が鋭い勢いで通過し、背後の木の幹に当たる。幹の焦げる臭いが鼻腔に届いたが、振り返る間もなく次の攻撃が襲いかかってきた。
バシッ! バシッ!
「く……っ!」
さらに二度、三度と襲い来る光をかわしながら前方に目を凝らすと、金色に揺らめくものが闇の奥に見えた。
「そこかっ!」
〈ターゲット確認〉
ルゼットの意志を読み取った電脳がサッと翼を広げ、金色の揺らめきに向かって雷撃を放つ。
バリリッ!
青白いプラズマが金色を貫くかに見えたが、それは一瞬で消え去り、草むらがジュッと焦げたあとで再び姿を現した。
「くそっ、あいつが金の妖獣か!」
ライトサーベルを構え、ベルトに括りつけていた閃光弾を取って投げる。が、これもするりとかわされ、逆に光の反撃が来た。
バシッ! バシッ! ジュッ!
サーベルで跳ね返し、雷撃を放つ。
お互いに撃ち込みながら、暗い森の中の空間に火花を咲かせることしばし。とうとうよけきれない光がルゼットの手首を掠った。
「あっ!」
衝撃でサーベルが弾け飛ぶ。しかしその接触はルゼットに情報を与えた。
(電気エネルギー! 妖獣じゃない⁉)
電脳が疑問の解析を始める。しかしそのせいで僅かに意識が逸れ、ハッと気づいたときには光がすぐそこまできていた。
「うあっ!」
直後、全身に衝撃が走り、火花が散る。草地に倒れ込んだところに次が襲ってきた。
「くっ……、」
反射的に手を地面につき、半転しながら立ち上がる。しかし直撃の影響なのか電脳の反応が鈍い。
「うわっ」
思うそばから右足首にも光を食らい、思わず地面に片膝をついた。
瞬間、金色の揺らぎがグッと力を増し、そこから光が束になって連射されるのが視界に映った。
(よけられない!)
心が叫びを上げたそのとき。
バリバリバリッ!
突如、目の前の空間に何かが飛び込み、光を受け止めて火花に包まれた。
「あっ……!」
それはすぐに光を弾き、白い軍装の後ろ姿を浮き上がらせた。
「フィルス!」
驚いて叫ぶと、両腕を顔の前で交差させていたフィルスはチラッとこちらに笑みをよこし、次いで正面に向け、その両腕を振り下ろして手のひらを前に突き出した。
ビシッ!
途端、金色の揺らぎがスパッと三つに切れ、黄色い光に包まれる。暗闇の草地が照らされ、ルゼットはフィルスが何をしたかを知った。
(鎌鼬か)
そう思った瞬間、金色の揺らぎが消え、そこに一頭の大きな金属製の狼が姿を現した。
「あっ……!」
やはり生き物ではない。機械だ。
なぜ、と思う間もなくそれはこちらを向くと、フィルスが次々ぶつける鎌鼬をものともせず、一気に距離を詰めてきた。
巨大な狼の牙がフィルスの喉元を狙う。
「フィルス!」
跳ね上がったルゼットはフィルスの肩に飛びつき、顔の前に片腕を割り込ませた。
ガッッ!
硬い牙が腕に食い込む。
「ルゼット!」
フィルスの悲鳴が響き、灼熱が全身を襲う。しかしルゼットの強化筋肉は牙を食い止めた。
「構うな。離れろ!」
(この程度で千切られるような柔な腕じゃないさ!)
もう片方の手でフィルスを押し退けながら、雷撃を直接食らわせようと全身に力を込める。ところが。
「えっ……!」
急に腕がジワッと痺れ、体から力が奪われていくような感覚に陥った。
(バカなっ!)
慌てて牙から腕を引くがびくともしない。それどころかエネルギーがぐんぐん吸いとられていくのがわかる。
(しまった。それが目的か!)
逃れようにもすでに力が抜けて動けない。
〈エネルギーダウン、七十五パーセント。漏電回避プログラム始動〉
危険を察知した電脳が自らモードを解除する。ルゼットの感覚から電脳の視野が抜けた。
「ルゼット!」
身を乗り出したフィルスが金の狼に手のひらを向けた。
バシュッと鎌鼬が放たれる。しかしそれは金属ボディに弾き飛ばされてフィルスに跳ね返った。
「……!」
軍装のあちこちが裂け、鮮血が飛ぶ。
「だめだフィルス、下がれ!」
フィルスの肩をなんとか無事なほうの手でつかんだそのとき。
《検索データ一致。ターゲット発見。転送準備》
金の餓狼から腕を通して体に響くように声が伝わってきた。
「……っ!」
それはルゼットの電脳の声によく似ていた。
「やっぱりアンドロイドか!」
ということはまさか。
《ポイントD-2、連邦軍第一駐屯地、ドイツ地区ブレーメン》
(連邦軍――!)
咄嗟にフィルスの肩から手を離す。しかし彼は逆に腕にしがみついてきた。
「よせフィルス! 放せーっ!」
もがくように身を捩ったとき。
《転送開始》
音声が脳裏に響き、ルゼットの視界が発光した――。




