表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の翼  作者: コスミ
PR
7/12

弛まぬ引力


 最初の朝食は確か、ソシェウに食べるところを見られるのが恥ずかしくてしばらく手を……まあいいか、手を付けられなかったんだけど、ソシェウは察してくれたのか部屋を出て行ってくれたから助かった。

 それから、言葉を教わっていく間は、食事はいつもそういうふうだった。

 でも、寝るときにはいつも夜遅くまでソシェウが部屋にいてくれたから、寂しくなったりはしなかった。昼の間は……ずーっと私は椅子に座って、膝立ちのソシェウと向かい合って言葉を教わってた。一度も怒るようなことはなかったし、怖くはなかったはず、なんだけど、ちょっとたまに……今思うと、魔力の圧力かな……なんだかすごく真剣で、力が入っているように見えるときがあった。その分、私も覚えるのがはかどったと思うけど……。

 それで言葉の音を覚えさせるときに、その意味を本に描いてある絵や、実際の物か、あとこれが一番多かったんだけど、ソシェウが絵を描いてくれるの。ちょうど君――ミグが持っていたような、水で流して何回も使える厚手の紙に描いて。

 私は繰り返し発音を真似して、同時にその絵を見て覚える。

 最初に覚えた言葉はぶどうだったけど、この頃に一番よく耳にして実践的に聞き分けられるようになったのは、発音上の指示の言葉たちだった。

 もっと。なめらかに。舌はこう。息を乗せて。強く。弱く。違う。なってない。

 それでも、私は覚えが早いらしくて、最初の日で、基本的な動作や家に関係する言葉は聞いてわかるようになった。そのことがすごく嬉しかったのを覚えてる。

 私にも、できるんだっていうことが、たぶん生まれて初めて、強く実感できたから。

「あなたには、素質がある」

 おやすみと言い合って、夜寝る前に、最後に聞いたその言葉を、何度も心の中で思い返しながら眠りに落ちた。そうして何日も、朝部屋に降りては言葉をひたすら学び続けて、食事がひとときの安らぎで、あとトイレは……大変だから言わないでおくけど、暗くなるまでずっと、聴いて、喋って、その繰り返しでまたベッドに戻るの。そのうち、喉に聴く薬草がスープに入り始めた。お茶もそういう薬効があるものになって、回数も増えた。

 それくらいの頃だったと思う、私は、もうほとんど会話に困らないくらいになって、その日、ソシェウが何か大きな古い本を抱えて持って部屋に来た。函形装丁の、すごく貴重そうな本。

 鍵穴が二カ所の角にあって、開くと意外に絵が多くって、でも全然易しい本ではないと感じた。実際に、そこに書いてある文章はほとんどどこも読めなくて、外国の本かと思った。

「この本は、魔女のことが書いてある本」

 魔女という言葉を、そのとき初めて聞いた。

「むじょ、ま、まじょ……まじょって?」

「魔女ね、描いてあげる」

 ソシェウは、いつもの紙を持って来て、そこに木炭で普通に描くのがそれまでだったんだけど、その日は違った。紙の上で木炭を握りつぶして、手を開くと、細かい粉がゆっくり降りていって、紙の真ん中あたりに奇麗に積もった。

 魔女って、真っ黒い闇か夜、という意味だと早合点しそうになったけど、ソシェウは私の目を一度見て、何かしでかす時の笑顔をつくった。

 紙をその手袋の両手で触って、そうしたらすぐ、その黒い粉に変化があった。まず紙の全体に広がって、ほとんど全面が黒くなった。驚いている暇もなく、その後すぐ、真ん中にソシェウの顔が浮かんで来たの。私は、どうすればいいのかわからなくなった。それでソシェウの顔を交互に見ていたら、絵の中のソシェウが笑顔に変わって、それでまたやっぱり何かしでかして、それは、私の顔に変わったの。すぐには気づかなかったけど、水面で見たことがある自分の顔を思い出して、その小さな子供の顔が自分なんだと理解して、困った。

 どういうことなんだろうって。

 そのあとソシェウは、何事もなかったように、魔女についての事を教え始めたんだけど、魔力だとか、物体、生体、気体とかいった変な言葉を覚えただけで、知識の方はあまり入って来なかった。


「羽根ひとひらの翼をも持たず、空を裂いて飛ぶ。風が人の姿となりし、そが風の魔女ソシェウ。創魔――古の極大魔力者アーティアルがひとり。そは朝に消え、夕に現れる。昼はいない。歩む世を変幻の都に転じて惑わせ、人を狂わせる者来る時、そこそが次たる夕とならん。……私の名前は、ここからもらった。偉大な魔女の名前を、そのまま」


 その時の、ソシェウのしてやったりな表情――少し嬉しそうな顔は、なんだか眩しいくらいだった。たぶん、魔力が漏れていたんだと思う。

「こういう箇所は重要だから、意図的に良く書いてあるけど、こうして、他はだいたい、すごく悪いように書いてある。けれど、魔女というのは、実は世界の柱ですよ」

 それで、私にも魔力があるって、それ以降ずっと言われ続けて、言葉を学ぶのから身体を鍛えるのに変わってからも、それは続いた。なんだか当然のことのように、私も魔女なんだって、長い時間をかけてすっかり刷り込まれた。だからその思い込みの力で、何とか魔力が身に付くようになったような気もしてる。

 身体の仕組みについて、本とソシェウの絵で学んで、どの部分を鍛えるとどの動きに関わるるか、とかを叩き込まれた。それで、その重たい本を頭に乗せて歩くところから始まって……なんだか、えっと、恥ずかしいような気もするから細かいやり方は省くけど、とにかく色んな動きを繰り返して身体を――特に脚力を鍛えて、力強さだけじゃなくて、より器用になるように、膝や足の甲で棒とかを蹴って空中に留めておくような、曲芸みたいなことも色々とやった。


「これで、各地の酒場を回って日銭を稼げば生きていけるね。良かったね」


 この頃にはなんとなく、ソシェウのような人格ではあまり好ましい印象を与えることができないんじゃないかって、疑いはじめていて、自分はもっと良い心を持とうと思った。でも相変わらず夜は私が寝付くまで部屋にいてくれるし、そう言えばこの頃だったと思う、身体が痛くて夜中に目が覚めた時に、まだソシェウは部屋に居て、窓をひとつだけ、月明かりを入れるために鎧戸を開けていた。それでじゅうたんに四角い柔らかい光が落ちていて、その中に本が開いて置いてあった。確か、三冊。それらを覗き込むようにしてソシェウが私に背を向けて立っていて、私がその姿をぼんやり薄目で見ていたら、ソシェウは急に跳び上がった。自分の背丈くらいまで上がって、そこでたぶん宙返りをした。それで、音も無く降り立って、その靴がじゅうたんを踏むと同時に、本が一斉にページをめくるように、ひとりでに動いたの。風かな、それとも全部夢かなと思いながら寝ちゃったんだけど、とにかく不思議な光景だった。

 ソシェウは二階にいることもあるらしいけど、階段の下から扉を見上げたことがあるだけで、その頃はまだ中がどうなっているか知らなかった。けど、なにか薬品とかを作っているとソシェウは言っていた。それで稼いで本を買っているって。いつも料理を作ってくれるんだけど、そのやり方もだんだん魔力に頼っているようだった。自分はほとんど食べないのを良いことに

、見るからに適当なんだけど、味は結構、美味しくなっていった。

 それで、確かその頃、ついに私の食べ方をソシェウに見られちゃって、その反応は本当に最悪だった。

「すごい、すごい!」

 気配に気づいて振り向いたら、ソシェウがそう叫んで、拍手し始めたの。このときの私の気分は……あの川を凌ぐくらいだったよ。匙を落として、トイレに逃げ込んで、しばらくな……俯いてた。


 そうして、最初のじゅうたんが擦り切れた頃、ついに、魔力を教わり始めた。

 朝は特に寒くなってきたから、その年も暖炉に火が入り始めて、それが私の魔力の象徴のようにも見えた。

 髪はそれ以前に、運動を始める前にソシェウにすすめられるままの髪型――今とほとんど同じように切られてて、それで、不思議だったこの長く伸びているふた筋の髪を、動かすようにって言われたの。私は椅子に座って、膝の上に髪の先を乗せた格好だった。

「身体は動かさないように。髪に意識を集中して」

「えっ、まさかいきなり髪を動かすんですか?」

「そうですよ。アルエ、もうあなたにならそのくらいの魔力は備わっているはずだし、現に今すこし動いたよ」

「またふざけてますね……、そんな気づかないうちに動いてたら怖いです」

「いや、身体が動いたの。ちゃんとじっとして、ほら」

 いつも以上にソシェウはふざけていたから、単に今日は機嫌がいいだけだと思っていたけど、その後自分の思うままに髪が動かせるようになったから本当に不思議だった。

「ほら簡単でしょう? あなたは知らないだろうけど、最近は寝てる間に毛布をかけ直したりしていたんだから、自分の魔力でね」

 それはさすがに嘘だろうと今では思うけど、その時は疑いかけただけで信じてしまって、でも本当にそれからは毎日色んな物を動かす練習を重ねていくままに、どんどん出来るようになっていった。それは、特別な事なのか、特別だとしたら、それってどういう特別なんだろう、とか、もう子供じゃなくなってきていたから色々と考えるようになってきて、二枚目のじゅうたんが擦り切れて、手袋を使った食事にも苦労しなくなってきた頃、私はソシェウに、外へ出たいと打ち明けた。

 それまでは、魔女は正体がばれたら酷い目に遭うし捕まれば殺される以上に嫌なことになると教えられてて、私はまだそれほど魔女の力も自覚もなかったけど、そもそも私はあまり外に興味がなかったのと、その部屋での生活がなんだか好きだったから、それにそこから一度出てしまうとそういう気持ちが変わってしまいそうで、それは嫌だったから、毎日へとへとで大変だけど楽しくもあるその暮らしを変えようとは思っていなかった。

 けど、言葉を覚えて、身体が強くなっていって、色んな事を本で知って、そして、気づいたら手も使えるようになっていたから、これなら街に出てももう恥ずかしくないんだってある日はっと気づいて、それで、窓から見える以外の外を見てみたいと思った。

 ソシェウは私の、そうした気持ちを聞いて、少しずつ笑顔になった。その反応は、かえって怖かった。

「結論から言うと、いいよ。訓練の一環として、何日かしたら外へ行って来てみるといい。その為に改めて、少し話しておこうか。……この世界にはまだ魔女が何人かいて、でも私を含めた全員が、過去のアーティアル達のような強い力は持たない、小さな魔女ばかりなの。現代は言わば、私たち魔女にとって逆風の時代ですよ。世界の目的が定まっていた頃より歴史が下っていき、いつの間にか悪者にされてしまって、魔力を持った子供が生まれるとすぐに摘まれてしまうようになった。あなたは私が、自分の勝手でさらって来たけれど、私以上に優れた魔女となるよう、それだけを考えて、私なりに頑張ってきました。私はもう今が極大期で、これからはより力が衰えていく。そして私の弱い察知能力でも、あなたを見つけられたから、だからこれは、私の使命だった。どういうふうに育っていくかわからなかったけれど、いつでもあなたは素晴らしかった。これからもきっと、あなたなら出来ます、必ず」

 私は警戒した。矢を避ける訓練の時と同じような、命の危険さえ感じた。でも今さら、やっぱりずっとここにいると言い出すことも出来なかったし、結局、覚悟を決めるしかないと思った。この日の夜、私は外へ出て、しばらく歩き回るんだけど、その際に言いつけられていたのは、絶対に人と出会わないこと。

 街はその夜、霧に包まれていた。足音をさせないためと魔力を使いやすいように、裸足で、しっとりと濡れた石畳の道を歩いた。その感触は今でも鮮烈に思い出せる。

 とりあえず家の周りを一周しようと思ったら、遠くで夜警の笛の音が響いて、それで家に戻った。早すぎるってソシェウに呆れられた。

 それが今から五年くらい前になると思う。その頃と比べて、最近までで変わったのは、私が家具を作るようになって、それをソシェウが売ってくるようになった事と、部屋にいながら魔力だけを街へ放って、道を把握したり、色んな人たちの話し声とかを聞けるようになった事。人の家の中は気が引けるから魔力を避けて通すけど、たまに夜中なんかは、近道として通らせてもらって、そうすると眠っている赤ちゃんを起こしちゃったりするんだけど……。とにかく、今ではもう私はあの街の北西部は自分の延長のように感じていた。

それと、そう、コフトについては、私がソシェウにお願いして卵を手に入れたのを、何日も暖め続けて孵したの。ぶどうの品種から名前をつけて、しばらくは木箱の中で育てて、その間にソシェウが家に手を加えてコフトの部屋をつくった。実際に木材を組み合わせたりする作業は、ほとんど私がやったんだけど。それで、コフトが大きくなって荷車を引けるようになったから、私もそれまでは小さな細工物しか作れなかったのが、大きい家具も作れるようになって、その荷車で売って来てもらうようになった。

 後は、ソシェウがマントを新調したから、古いほうは私にくれたの。それで、飛ぶ練習が始まった。夜中にソシェウと一緒に鐘塔へ忍び込んで、上から飛ぶんだけど、私はもうこの頃には怖いという感覚に馴れちゃったみたいで、ソシェウの真似をしてすぐに飛べるようになった。この訓練は、一番楽しかったかもしれない。


 そして、今から三日前、ソシェウは家を出て行った。

「アルエ、今日私はこの家を放棄する」

 私が指先立ち屈伸をしている時、突然そんなことを言い出したの。

「最後の段階ですよ、アルエ。あなたがこれから魔女としてひとり立ちできるかどうか、試練を与えます」

 いつも通り、すごく不安な気持ちになったけど、こういう場合には逆らいようがないってことも散々学んできたから、私は素直に頷いた。

「わかりました――相変わらず突然すぎますけど、それもまた試練の一部みたいですね」

「いや、特に関係ないですよ。えー、さてと、よく聞いてね……三日後にこの街は動乱に巻き込まれる。それはどこかの国が奇襲をかけてくるのか、自然災害かはわからない、けどその朝にはわかるはず。その時あなたは、鐘塔に昇って、街を見るの。そうして、そこに聖者の姿を見つけたら、その聖者をさらいなさい」

「えっ。それは……過激ですね」

「そうね、でもその時には街も非常の最中だから、まあ仕方ないですよ。いい? その、最初に見つけた聖者でなければいけない。最近、あなたには嘘のつき方を教えてきたけど、たとえ世界の全員を欺けても私だけは欺けないということを、しっかり思い直してね。私は、あなたの師ですよ」

「わかっています……でも私、ついに、罪人にならなければいけないのですね……」

「アルエ、魔女はね、どの国でも罪人以上に手厚く責め苦を拝すことができるの。だから、そういう俗世間の善悪の観念を超えなさい。魔女は悪。誰からもそう認識されている。でも、だからこそ、私たちは、その心まで闇に染めあげてはならない。暗幕に身を包もうとも、私たちは光です。太陽のように、その心を掲げ続けて。

 アルエ、世界にあなたの光をもたらす時が来たの」


 青い、美しかった瞳が、その時、白くなったように見えた。

「私は、今から蛮族の森へ行く。アルエ、あなたは三日後の朝にその聖者を連れて、私のもとへ来て。困難を越える際には、あなたの心に従って動きなさい。この試練には、あなたの選択も含まれる」

 なぜだか、涙が溢れていた。そのとき私は、何も考えられなくなっていた。不思議な気持ちだった。切り傷にも似た、流れる血の暖かさと、身体から離れていく熱とを感じているような、変な、不思議な心だった。

「では、また――まだ会えるのですね? ソシェウ、いなくなるなんて、嫌です」

 ソシェウは、たぶん笑顔で、私を軽く抱き寄せて、

「アルエ、光は、決して消えないの……私は消えるけど」

 おどけた、そのままの、いたずらな笑みのまま、部屋を出る手前で、最後に言った。

「こういう場面には不慣れだものね、アルエ、けれどこれはそう大したものじゃないですよ。また会うって言っているんだから。泣いてたら視界が悪くなるよ」

 そう、それまでで一番、気軽な調子で言ったの。その夜は、霧が濃くて、滲んだ月がきれいだった……蹴飛ばしたくなるほど。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ