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魔女の翼  作者: コスミ
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2/12

託乱

 青年を先頭に、皆は裏口から家を出た。途端に、日常から大きく様変わりした外気がそれぞれの身体を包む。耳には、人々が交わしている不安げに緊張した声が、生温い風にのってどこからともなく運ばれて来る。そこが日陰になっているせいばかりではない、肌を粟立てるような不穏な空気が、石造りの街全体に充満していた。

「お父さん、荷車を準備してください」

 ささやくように青年が言い残し、足早に、水の溜った洗い場の方へ向かう。

 バゥは脚をたたむ抱卵の体勢で休んでいたが、主人の姿を見ると、すっくと立ち上がり身体を揺すった。長い首を持ち上げると、頭の高さは人の背丈をゆうに越える。鞍の位置も高く、青年の胸元までを隠してしまう。

 バゥは、まずまず落ち着いているようだ。水浴びをしたらしく、あたりの石畳には水の痕が散っている。今は、たくましい脚を彫像のように据え、視界を変えるため頭部だけが動いていた。

 大きくも先細った、固く閉ざしたままのくちばし。そこから、多重の低い響きが混ざるバゥ独特の唸り声がもれる。ただ、鳴き止めという、くちばしが開かないように絞めて、手綱と繋がる装具が取り付けてあるので、耳をつんざく咆哮は防がれている。市街で飼われる場合は、餌を与える時でさえ、この装具はわずかしか緩めない。

「……そうか」

 結わえてある手綱を解く青年から目を離して、アルエがつぶやく。遠い家々の点描を見渡し、口の端をわずかに下げた。

「この街並みを、しばらく見られなくなるのか」

「魔女さんはこの街で生まれたのですか」

 そばにいたミグが瞳を動かし、訊ねる。それは静かな口調で、質問には聞こえないほどだった。

「どうかな……。そうだと良いんだけどね」

 アルエはそう言ってすぐ、翻るようにその場から離れた。その動きの中でもミグと視線を合わせることはなく、どうやら発言を取り消したいようにも見えた。青年の方へと歩み寄り、ややうわずった声を発する。

「荷車なんか使って大丈夫か? 音も増えるし、目立つぞ」

 青年はバゥを引きながら、声だけで答えた。

「今さらこそこそしたところで良いことなんかあるか。長旅なら絶対必要だ。多少は機動性も落ちるが、お前が護衛してくれるんだろう?」

 皮肉な笑みの中に歯がちらつく。アルエは肩を持ち上げて、澄ました声で返す。

「ああ、そうだ。だが、余計な人物との接触は避けてほしいな。お前の友人か?」

 言いながらも家の外壁の角に、ぴたりと身を寄せた。青年は、そんなアルエの言動を受け不審げに立ち止まり、身構える。バゥが歩行を妨げられて奇妙な足踏みをする。

「……何だ? 誰か来るのか?」

 慎重に視線を振り各方を確かめる。右側には隣家との路地、立て掛けてあった荷車を降ろした父親とそれを見守っている母親、左側にはアルエとミグ、その他の人影は無かった。再び、アルエのいる場所へ目を向けるまでは。

 かすかな足音――角の向こうから、女性が現れた。

 その背格好や顔立ち、ためらいがちに歩く動作から見ても、ようやく成人というような若い娘。肩に届く髪を首の後ろでひとつに結い、微かに紅潮している頬と耳が歩行で見え隠れする。

 彼女は、ミグを視界に認め、次いで青年を見つけると、立ち止まった。

「クオロディ……」

 安堵を味わうような発声だった。怯え歪めていた眉を上げ、目が大きく開かれて潤む。両手を胸元に抱えて、引き寄せられるように足を進めた。

 アルエはじっと動かず、しかし油断の無い眼差しで彼女の姿を追い続ける。

 青年は、少し視線を迷わせたが、最後は照れを押し込めた微笑で彼女を迎えた。バゥと入れ替わるようにして全身を披露する。

「君だったか、エメレート。ひとりで来たのか?」

 名を呼ばれた彼女は、一歩の距離を残してようやく立ち止まる。

「ええ、奥様が、何があったか様子を気になさっていたから、だから私が代わりにと申して急いでここへ、ちょうど良い口実だったわ、私はあなたの家が心配で、だって、火が上がっているのは聖者街でしょう? それで私――」

「エメレート、いいか?」

 顔には出さないが、青年は耐えかねたらしく言葉を遮る。アルエは、遠慮も何もなく眉をひそめ、ほとんど睨んでいた。

「時間があまり無い。これから説明するから、良く聞いて、街の皆に伝えてやってくれ。いいかい? 触れが出て、聖者は全員、街から追放になった。今すぐ、急いで街を出るよう、聖者のいる家に伝えるんだ。そして――」

 青年は熱心に言い聞かせている間、アルエから自分の姿を見えにくくなるように――対面するエメレートの身体に隠れるように――立つ位置を動かしていった。

 そして、優しく彼女の手を取る。

「そう、君ひとりでは駄目だよ。多くの人に伝えて、彼らにまた広めてもらうんだ。いいかい? 〝なるべく多くの人〟に頼むんだよ。どう、わかったかい? わかったら頷いてくれ」

 手が離れ、彼女は不規則な呼吸をしながら呆然としていた。が、やがて気がついたように小刻みに頷いた。「わかったわ、まかせて。でもこれだけは教えて、ロディ、あなたはこれからどうするの?」

「愚問だな……曖昧すぎる」

 アルエが、噛み締めた歯にごく小さな声をぶつける。青年も同じ感想か、眉間をやや狭めながらも、笑顔で快活に返す。

「とにかく、俺は家族を街の外へ避難させる。その後すぐ家に戻るかはわからない、長く皆と行動を共にして、あるいはそのままもう帰って来ないかもしれない。でも、必ず手紙を書くから。だから今はこの街区の聖者のために、頼むエメレート、君だけが頼りなんだ」

 強い目で見つめ、「もう行かないと……」と口惜しそうに、情感を込めてつぶやく。アルエの口元に張力が働いた。エメレートは、身を引き締め、ほんのわずか首を縦に振り、離れていく青年を追いかけまいと堪え、ようやく数歩後ずさり、駆け戻って行こうとした。

 そしてアルエと目が合い、立ち止まる。

「……私は聖者。これから〝ロディさん〟に助けていただけるのです」

 アルエは焦点の合っていない異様に柔和な目をしてそれだけ言い切ると、相手の反応も待たず、壁から身体を離し青年の後を追った。残された彼女は絶句して唇を振るわせながら、各人の顔に視線を飛び回らせ、答えを探している様子だった。結局、彼女が再び歩み始めるまで、長い時間がかかった。


 彼女の往復した小径とは反対側にあたる家の側面、裏手から隣家との間に入ったところから、荷車が引っ張り出されていた。扉ほどの大きさの板を一本の車軸が支え、半ば剥き出しの二輪が軋みながら回っている。簡素な造りではあるが、その分頑丈そうだった。ロディが父親と共に手際良くバゥの装具に括りつけ、簡易な馬車みたく仕立てる。

 ミグと母親に乗り込むよう促すロディに、横合いからアルエが声をかけた。

「道順はどうする? 目立っても良いなら、西北西へ、真っ直ぐ関所を目指すか」

「いや、北から回り込む。〝鐘塔の家〟に寄って行かないと」

「なに? なぜそんなところに寄るんだ?」

「いえ、父さんも乗って下さい――やあやあ魔女さん、鐘塔の家をご存知なのか? 不思議だな、なぜ知っている?」

 荷物が動かないようロープで固定しながら、ロディは射るような視線をアルエに飛ばした。がそれにも全く動じない、平静な声がすぐさま返る。

「知っていると言ったか? 鐘塔といえば北に見えるからな、場所の見当くらいつく。余計なことに頭を回してないで目的を教えろ。護衛に支障をきたすぞ」

 ロディは鼻を鳴らしながら鐙につま先を掛け、一息に身体を持ち上げて騎乗した。

「〝からかっただけ〟さ。理由など一言で済む、あそこもまた俺の家だからだ――では行くよ、捕まってて」

 荷車が一際大きく軋んで重そうに動き出す、そのときアルエはそっと押すように、後部の木材に膝を触れさせた。すると車の軋みが止んで、格段に静かになる。

「礼はいらない。ふたつの家の内どちらかをくれると言うなら考えるが」

 奇異の眼差しで振り返ったロディへ、素早くそう言ったアルエ。顔を俯けるようにして、駆け出す。それは歩行のようにすら見える、極めて動きの少ない走法だった。風を受ける髪やマントがなびいて速度を表さなければ、誰も走っているとは気づかないだろう。

「良かった、乗ろうとしないので心配しました。魔女さんは足が速いですね」

 荷物を抱え込むミグが温和な声を送り、アルエは「まあ、速いのかな」と口を曲げた。

 間もなく、何軒かの家の間を抜け、道は石畳から土へと変わった。視界も開けてくる中で、ロディは、魔女に対する警戒を兼ねているのだろう頻繁な背後への脇見を繰り返しながら言った。

「おい、悪いが魔女、家はやれないぞ。さっき言った理由は、俺の所有物だという意味じゃないからな。さすがに、二軒も持ってるわけないだろう?」

 アルエは走路を選ぶため道に視線を落としたまま、しかし驚いたらしく目を大きくした。

「そうか。では、そこに住まわせて貰っていたと考えるのが自然だな。そう……例えば、孤児院の類いかな?」

 今度は、ロディの目が円く見開かれた。

「……その通りだ。いや、もしかして、やはり最初から知っていたのか?」

「うん、よく気づいたな」

 それを聞き、次はこめかみに筋を浮かべて笑みをつくる。

「ほう、そうかお前は本当に魔女だな。それならこっちも心置きなく呪うからな、覚悟しろ」

「なんだ、楽しいのは私だけなのか」

 ロディはついに押し黙り、そして誰も口を開かないまま鐘塔の家に到着した。

 自給自足するにも不足そうな、極めてささやかな農地と牧草地を擁し、建物自体も十人が暮らせるかどうかといったような、質素でこじんまりとしたものだった。空へ鐘を掲げる塔も、近くからでは老巧化が目立ち、遠くから仰ぐのに比べ見栄えは良くない。周囲の石組みの街に威圧されて委縮しているようなくすんだ草地には、大人も子供も、人の姿はひとりとして無く、家畜もまた同様だった。背の高い雑草が花とも呼べない色の粒をつけ、わびしくも敷地を縁どっている。もし今日という日でなければ、この施設全体が無人の廃屋に見えてしまうだろう。

 吹けば飛びそうなゲートをアルエが開けて、バゥと車が正面の扉へ乗りつける頃にちょうど――窓から見ていたのだろう――初老の男性が出迎えた。ためらいなく扉を開け放つところを見ると、ロディとは旧知であるらしい。表情こそは何も語らないが。

「聖者か、なるほど」

 バゥと同時に立ち止まったアルエは、上体をねじったり反らせたりしながらそうつぶやいた。

 建物は、鐘塔と隣接している。白い泥で固めた外壁は同じで、しかし屋根は、塔が緋色の甍であるのに対して目の前の家は茅葺きだった。年月を経ているのか、肥えた土のように深い色をしている。しかし古いながらも、建物の造り自体は粗悪ではない。家の床はしっかり底上げされており、扉を開けた男性はちょうど今、二段だけの木組みのステップを降りている。

窓は、一階に二つ、二階に三つ。ガラスの目を開けているのは、その内で一階と二階のそれぞれひとつずつだけだった。まぶたにあたる鎧戸が、その他の窓ではみな閉じられている。一階の窓ガラスのひとつには、ヒビを修繕した痕の曲線がある。

 挨拶は、ほとんど省かれる。そしてロディの話は、まず触れの内容の説明から始まった。続いて、ロディがこの施設を今すぐ買い取ることで権利失効を免れ施設を存続させるという策を持ちかける。「子供たちのためなら」とこれを男性はすぐさま受諾し、書面での儀式が、両者立ったまま慌ただしく済まされた。ここまでは円滑だったが、最後でつまずくこととなった。

 男性は、たいそう熱心なロディの避難勧告にも、まったく首を縦に振らないのである。説得が長引くにつれて、アルエの目つきに険の度合いが増していき、窓から顔を覗かせていた子供の数人が、それを見て瞬時に退散するくらいになる。

 今施設にいる大人はこの聖者の男性だけで、他には1人住み込み手伝いの娘がいたのだが、先ほど家に帰してしまったと言う。悪い事には、その娘の家というのは街の東側で、一頭しかいないバゥを駆り向かったため、つまり彼女を呼び戻すのは難しいのだった。

「子供たちだけを残しては行けない。せめて代理か後任の保護者が来るまでは」

 男性はこの主張を頑として譲らなかった。「子供達に危害を加えられるような事にはならない」とのロディの言い分に対し、「騒ぎに乗じた盗人が押し入るかも知れない」と、真っ向から対立するかたちとなる。男性の身の安全と、子供達に及ぶ危険とを秤にかける討論――それは長く平行線をたどった。しかし、そこに突然、あっけなく終止符が打たれる。

「いい加減にしろ! 他所の聖者ひとりのために、お前の家族が刻々と危うくなっているんだぞ」

 とアルエが声を上げて詰め寄った。今や悲壮感さえあったロディの訴えは、これを受けてぴたりと止み、もう二度と聞こえなくなった。最後の声は、震えていた。

「ああ……、そうだな、その通りだ!」

 ロディは猛然と、喰いかかるような眼をアルエに向け、しかし身体からは、流れ出るように力が抜けていった。やがて顔を俯け、苦々しく口をひき結ぶと、男性への挨拶の言葉も無く踵を返した。バゥに騎乗して、建物も一顧だにしないまま、ごく小さく足と手綱を振った。車は弧を描いて進み、ゲートを通り抜けた。

「ロディにとっては、聖者はみな等しく家族なの」

 車輪とバゥの足が道を打つ音に、母親の声が重なった。その消えかかった微笑みを見ながらアルエは、後始末をするように膝で柵に触れてゲートを閉じ、遠ざかりゆく家と鐘塔を一度だけ振り返った。その塔は、まばゆい青空に儚くも残ろうとする薄雲の一筋によく似ていた。そして、騒乱の渦中ひとり佇む聖者の姿のようでもあった。

「ソシェウ……」

 アルエは車に追いつく為に、すぐにまた走り出さなければならなかった。


 このまま北に進んでも、橋もない、切り立った崖の下を流れる川に行き当たる。なので、バゥと車と魔女は西へ向かった。街の北西部の輪郭線をなす運河の一カ所に、関所があるのだ。

 その向こう側、鳥瞰すると北の方から街に覆いかぶさるように見える一帯は“禁忌の荒野”と呼ばれ、当代にはもうその奥地の景色を知る人間はいない。さらに遥かな距離を隔てた果ては、遠く連なる山脈が鋭角に空を噛み取っており、そこは言語も文化も持たない“蛮族”の領域であるとされている。


「話せ、魔女」

 墓標に語りかけるような声でそれだけ言い、ロディはまた黙りこくった。その短い言葉には、広い意図と強い意志が込められていた。道は土から石に戻り、アルエはバゥと並走する。それは歩道で不安げに立ち話をする人々の忙しない視線から、なるべく隠れるためでもあった。

「ミグを師に会わせる。私の、今後するべきことは、そこまでしかわかっていないから、話せるのもそこまでだ」

 ロディは無言のまま、目配せで先を促した。アルエはゆっくりと深く吸気し、前を見たまま口を開いた。

「幾日か前、師は私に仰った。今日の日が来たら、その朝最初に出会った聖者をひとり、連れてこい……危うき聖者たちに安息をもたらすには、そうする必要がある。と、そう言って、消えてしまわれた。私は、聖者が危ういなどとは考えたこともなかったから、不気味な、不思議な託宣だと思った。こうして今朝、否応無く理解したが」

「そんなことで弟が、不幸にも見つかって、標的にされてしまったのか……まったく何てことだ! で、その忌まわしい託宣とは一体なんだ? 予言や予知の一種なのか?」

「ああ、予知みたいなものだな。思わずとも、悟るように、明日やさらに先の日のこと、そして、もっと大きな運命の流れが、まるで川のように見え、感じられると仰っていた」

 鞍上でため息をついたロディは、引き絞られるように身体を強ばらせた。

「……到底、信じるには足らんが」

「だろうな。私も、まだ全ては信じられない」

 アルエの声が、軽快なまでにすぐさま返る。ロディは密かに横目で一瞥し、やや明るい相手と調子を合わせ、ごく自然な様子を装い、探求を開始した。

「お前の師は、どういう魔女なんだ?」

「偉大な魔女だ」

「その程度を聞いている。古代の話にある、海を割るとか陸をつくるような魔力があるのか?」

「いや、そこまでの力は……少なくとも私の前で現すことは無かったな。家で一緒に暮らしていて、そんな強大な魔力を発揮されたら大変だ」

「だったら具体的に例をあげてくれないとこっちもわかりようがない。それとも、お前の師とやらは予知するだけなのか?」

 挑発的な乾きを帯びたその声に、それまであったアルエの微笑が消える。

「私とは比べようもない、ということだけは教えておく。お前ごときは会う事もないだろうし、仮に顔を会わせたとしても正体を悟らせないだろうな、師は、欺くのと潜むのが得意なんだ」

「もっと嘘らしいものを期待していたんだが……、あと、最後のふたつは同義じゃないのか? 欺き潜むなんてつまるところただの詐欺師だろう」

「得意というのは誤用だったかな、それしか使う機会がない、つまりは荒事にはならないんだろう。お前はなんとしても師の力量を侮りたいようだが、少し考えてみろ、力の強さに比例して名が響くなど、まるで蛮族の世界での話だと思わないか?」

 ロディの右頬に皮肉な笑みがあるのを、アルエは流した横目で見ていた。

「それもまた詐術だ……と言っていては埒が開かない、他のことを聞くとしよう。お前はその師とやらと一緒に暮らしていたと言ったが、それはいつ、どこでの話だ?」

 アルエは軽く吐いた息に声をのせ、感心したように口を傾けた。

「そうか、お前は、師が存在しているかどうか、その点すらも疑っているのか。なるほど、面白い……が、それは的外れだな、その真偽はそもそも検証できないし、それほど意味もないだろう。それとも、魔女に興味があるのか?」

 話が飛んだが、ロディはそれを糾すことはしなかった。感情の反発力で返す。

「ああ、あるね。今日をもって敵となる相手なんだからな」

「なに? それは今日決まることじゃないだろう、私がミグを返さなかった場合に限っておいてくれないか」

「ふざけたことを……いや、最初からふざけたことしか言っていないからな。そのふざけた一貫性だけは信じるに足るようだ」

「真面目な頼みなんだけどな」

 そこでロディは、笑い始めた。しかし言葉への反応とは明らかに違う、度が外れているような、それでいて薄く控えめな笑い声。それを隠そうともせずにアルエへと送る。そして、手綱を引いて速度を落としていった。

「――父さん、ミグを渡さないように」

 アルエは急に遅れだしたバゥへ振り向くと、その停止に合わせて足を止めた。

「どうした、またどこかへ寄るつもりなのか?」

 数歩の距離を隔て、ロディは真顔に戻っていた。静かに、家の一軒一軒へ視線を置いていく。

「いや、ここで少し待つ」

 その言葉の続きは無く、アルエが眉をひそめる。

「なにを待つんだ?」

 ゆっくりと、ようやく二人の顔が向き合った。

「もうすぐわかる。それに、見ろ――もう跳ね橋小屋が、街の終わりが見えてきただろう。こうして少し止まってたって平気さ」

 アルエはちらと肩越しにそれを見た。街の北西の果て、荒野との境目を。

 奥に横たわる運河に向けて、やや地面が反り上がっている。それは運河を造った際に掘り取った土を、街の側に盛ったからだ。その端だけは、濃い色の石組で補強されている。

 そしてその向こう側、生気のない、わずかに赤みがかった灰色の波頭の連なりが薄く覗いていた。禁忌の荒野と呼ばれる、粗い砂ばかりが延々と広がる原野である。

 跳ね橋小屋は、そうした虚無の外界への数少ない通行手段である木造の跳ね橋を、高い壁のようにして支えている。重く頑丈に造られており、半ば地面に埋まった砦にも似た姿だった。

 あたりには、もう民家は数えるほどしかない。細くほこりっぽいこの道を挟むように、あるいは街の外へ発つ者を見送るように、点々と侘しく建つばかりだった。代わって増えている畑が、他から運び込んだであろう色の違う土と、弱々しい芋の葉を見せている。その他は、家も道も含め淡い色が多かった。本当は長閑なはずの、晴れた午前の光が満ちる郊外だった。

「……ああ、そうか。人の姿が見えないな」

 アルエが息をつき表情を曇らせた。その声を受けてロディが首を巡らせつつ言う。

「みんな家の中に大人しく隠れているか、それかまだ異変に気づいていないか……いや、ここからでも煙が見えるな」

「見えないだけだ。近くにいるよ」

「何? どういうことだ?」

 向き直ったロディへ、アルエは小刻みに顔を振り、言った。

「白々しい演技はもう結構だ」

 そして短い笑い声を上げたが、それは怒りを含まず、どちらかと言えば自嘲の響きがあった。一転して、重々しくつぶやく。

「六人……か」

 ロディはもう、アルエから目を逸らさなかった。

「どう知ったかはわからんが……人数を教えてくれるとはありがたい、おかげで不安が晴れたよ。集まる確証はなかったからな」

 目線は固定したまま、顔を軽く上げる。

「さて、と――おい! 出て来てくれ!」

 声の響きが消え入る前にすぐそばの家の扉が開き、その中から現れ駆け寄ってきた男が一番早く荷車に着く。熊を思わせる体型で、その手には薪割り用と見える無骨な鉈があった。

 そして次々と、それぞれに武器を持った男達が現れる。家の影から、畑の道具小屋から、ロディの家族を護るように荷車の周りへ密集した。皆が自警団の印である青い布を腕に巻いている。

「ずいぶん念入りな武装だね。まるで命がかかっているかのようだ」

 呆れ顔のアルエが叩いた軽口には反応せず、ロディは慈しむような笑顔をつくった。

「ミグをやるわけにはいかないんだよ、わかってくれ。あと、提案があるんだが、二つの内いずれかを選んでくれないか」

 いまや集団に膨れ上がった相手、その先頭で座を高くするロディを見上げ、アルエはなおも日常会話の最中のようなどこか弛緩した気配を保っていた。男達の手にある脅威に対しては、まるで無関心な様子だった。

「まったく、家族想いもほどほどにしておいてほしいな……。まあ、いいだろう。だがその前にまず、どうやってこの状況を作り出したかを簡単に教えてくれ。一部だけわからないから」

 ロディは優位による尊大さを匂わすように、バゥの頭越しに声を投げかける。

「ほとんどはわかっているみたいな口ぶりだが、さて、どこがわからないんだ?」

「あの娘に、どうやってお前の置かれた立場――私に家族がさらわれそうだということと、それと、武力の助けを求める意思を伝えたか。あとはこの場所で、という指示もか……しかしまあ、ずいぶんと正確に伝わったな」

 アルエがようやくちらりと見た男達の眼光は、緊張と殺気に塗り固められている。対称的に、ロディは温和な態度を続けていた。彼の家族はその影で見知らぬ守護者たちに囲まれている。

「そう、たいした仕掛けじゃない、お前が言ったそれらを紙に書いて、エメレートに渡しただけだ。その紙はと言うと、そう、支度の時、袋の中で何かの包みをちぎって書いたり、あとは、このバゥの鞍にあてて書き足したかな」

 と言いながらロディは服から短い木片——黒い芯棒を挟んだ筆記具を、慣れた手つきで取り出した。

「こいつのおかげで助かったよ……ああ、紙になんと書いてあったか知りたいか?」

 アルエは苦い表情で、吐き出すように言葉を返した。

「そうか……いや、いい。あの寄り道や、あまり速度を出さなかったのは時間稼ぎだったわけだな。こんな策士が聖者の家族なんて、変だよ」

「時間稼ぎか、まあ、その意図もあったが――お前、まるで遅かったみたいに言うがな、街中でそんなに飛ばすのは無茶だろう」

「そうなのか……? まあそれよりも、はやく提案とやらを聞こう」

「ずいぶん勝手に話を振り回してくれるな。まあいいだろう。聞け、まずひとつ――ミグを諦めてもらいたい」

「それはできないな」

 アルエは平静な調子で即答した。ロディが、じっくりと頷きを見せる。

「そうだな。まあ、そこまではわかる。もったいぶるつもりはない、簡単に言おう。ミグの代わりに、俺を連れて行くというのはどうだ? それならば――」

「だめだ。ミグを諦める選択肢は無いよ」

 あっさりと断ち切ったアルエに、一瞬、鋭い眼光が刺さる。しかしすぐに温和な顔に戻したロディがまた口を開いた。

「なぜそんなに執着する? なぜミグなんだ? あとお前は、さっき師に会わせると言ったが、それがお前の目的ならその師とやらをミグのもとへ連れてくればいい。それで同じことだろう? 是非そうして欲しいんだがな」

「さっき説明した通りだし、それが全てだ。私のするべきこと……これに変更はないし、ましてお前が関与する余地も、介在する余地もない」

 ロディはさも残念そうに息をつき、顔をしかめた。

「となると、俺としてもあまり気は進まないが、あとは荒事になる他は無いな……それでいいのか?」

 アルエは、脚を交互に軽く振り、足の裏しか覆わないその貧弱な履物を放り落とした。裸足の指先が、降りた地面の上でかすかに蠢く。

「そう……。なら、もう私に聞きたいことはないか? 今の内に聞いておけ」

「なんだ? 別に今じゃなくてもいいだろう、捕らえたあとでいくらでも調べてもらうさ。それとも、命がけで抵抗する気か? 大人しく捕まってくれれば互いにとって良いと思うんだが」

 ロディが淡々と諭すにつれて男達の緊張が高まっていき、声が去ったあとの静寂を濃くした。アルエは、そこで何かに気を取られたように一度焦点を無くし、目前の相手には何も答えず自分の発言を引き継いだ。

「……私の、これからの行き先もまだ聞いていないし、あとは、師についてもまだ聞き出せることがあると思うよ」

 成立しない会話でも、ロディはまだ辛抱していた。アルエはもちろん平然としている。

「後半に関してはわかるが、前半は……ああ、そうか。見事に逃げ切る可能性が残っているか。そのつもりだったんだな。まあ、もし家族に触れないまま去ってくれるのなら、そう深くは追わないさ、何ならそうするか? よし、そこまで譲歩しよう、逃げるのならさあどうぞ」

 アルエは視線を脱ぎ捨てたサンダルにすっと落とし、そしてそのまま、まぶたを閉じた。それを見て男達の内アルエに近い二人が、じわりと前へ足を運ぶ。彼らの一瞬の当惑は、殺気によって隠されていた。

 対してアルエは、起きているのかも疑わしいような、殺気とは対極の穏やかな表情をしている。薄く開いた唇からは、呼吸のついでといったような細い声が切れ切れに続いた。

「あと、なぜ男達が隠れている内に不意をついて逃げなかったか、あとは……そう、なぜ私は裸足になったか、これも聞いてない」

 不可解な無防備さと、虚ろに響く声、その話す内容に意図は見えない。そして殺気はおろか、一切の張力をも感じさせない無抵抗以前の無意識な態度で、身体中の筋肉を弛緩させていることがマントの上からでもわかりそうだった。

 ロディはいよいよ不審に呆れを加えながらも、逐一応じていく。

「ああ、少し気になっていたんだ。なんだ、教えてくれるのか?」

「教えないけどね」

 くすりと笑い、アルエはどこか曇りのある笑顔のままで言った。

「ただ……私、師にはまだまだ遠く及ばないんだと、いま実感している」

 ロディはもはや笑みの欠片もない眼差しで、容赦なくその言意を射止めようとしていた。短いはずの沈黙が、空気に満ちた異常な力で引き延ばされる。ロディはこれ以上アルエの発言を待つのを諦めた。

「しかたないな。やはり、捕らえてから諸々のことを訊くとしようか」


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