ネスト
街の一角が燃えていた。
運河の向こう側、〝聖者〟達の居住区だ。幾百の屋根が力尽き、崩れ落ちていく。
目を刺す臭気と、狂気が風に混じっている。
悲鳴が起こらない。怒号だけが、炎をあおるように時折飛ぶ。
火の粉と黒煙の禍々しい大群を、青空が受け止めている。
太陽は、暗い流れの底で弱々しく輝く一枚の金貨だった。
一章 脱出
小高い丘にひしめく建物達が、文字通りの対岸の火事を静観している。
その中の一軒、屋根の斜面に反抗するような、屋上の小さなデッキに、少年がいた。
ひとり静かに、絵を描いている。
スケッチ帳を柵で支え、遠くの、熱と煙に侵される町を、細い木炭で写しとっていた。
顔と目線が、前へ下へと往復し、手は忙しく紙上を走っている。
「やあ」
と、声が届く。
少年は、手を止めて振り返った。
声の主が、小さい足音で近づいて来る。
気軽で親密そうな挨拶だったが、少年の知らない人物だった。
フードの下の表情は、女性、それも若い。少年と比して、歳の近い姉といったところ。
北方に住む異人のような白い肌と、感情のない平淡な面立ちが、冬の山野を連想させる。その中で、濃色の瞳をもつ目の輪郭が、やけに際立っていた。
そして、そのちぐはぐな風体――上半身は宵闇色のマントに覆われ、露になっている膝から下は、簡素なサンダル以外は何も着けていなかった。
まるで貧者が上等なレインコートだけを羽織ったように見える。しかし、その脚と素足には、日焼けのあとも、傷痕もない。汚れてすらいなかった。
「こんにちは」
相手の全身が見える距離で立ち止まり、そう言った女。その冷めた微笑をじっと見ていた少年は、驚く様子もなく、短く聞いた。
「こんにちは――あなたは?」
ひと呼吸ののち、女は、視線を街に動かし、声だけで答えた。
「魔女。名前は、アルエ」
その言葉が風に流されるまで、少年は、まばたきするだけだった。
「君は聖者だよね?」
アルエ、と名乗った女が問う。
目が合い、それが合図のように少年は頷いた。
「ええ。僕はミリグイン、家族からはミグと呼ばれます。あなたは、僕を殺さないようですが、どうしてここに?」
不穏な物言いだったが、アルエは平然としていた。少年、ミグと同じくらいに。
「これ、私、結構不思議な出会い方ではあると思う。君はそれについて、何か思う?」
どうしてここに来たのか、それには答えないまま返した上に、意図の見えない問いだった。
それでもミグは、あまり悩まずに答える。
「いままで魔女に会ったことがないので、比べられないですが……。たぶん、良い出会いじゃないでしょうか」
そう言って、柔らかく微笑んだ。直後、その細い首に、革手袋が掴むように触れた。それは、揺らめく暗色のマントから突き出ていた。
瞬時の接近で起こった風が、ミグの全身を撫でる。
手から木炭が落ち、二つに折れた。
アルエは、少年の顔を射抜くように見つめていた。
表情が消えている、試すような眼で。
「今から君をさらうとしても?」
ミグは魔女を連れて、デッキから屋根の中へ繋がる、小さなドアを開けた。
糸のように細く長い、蝶番が軋む音。
アルエはミグの後ろに続いて、彼の家へと足を踏み入れた。床へ下りる短い階段の途中、
「……私、君の家族までまもりきれる自信はない」
薄暗い屋根裏部屋に視線を這わせながら、アルエが小さく言った。唯一の窓から刺さる光の中で、塵の群れがうねり、舞う。
ミグが、階下への梯子の前で足を止めて振り向く。
「自信なんかなくても構いません。ただの一方的なお願いですから。可能な限り、気が向いたらでいいのです」
アルエは、少し声を固くした。
「君の家族は……みんな、聖者なんだね」
「いえ、兄は聖者ではありません」
ミグが緩く首を振る。顔を塗り分ける影が動いていた。
「兄は養子なのです。すごく立派な人です、できれば彼を優先的に護ってください」
「両親はいいの?」
アルエは眉をひそめていた。声は冷たく沈みつつある。
「両親は、聖者ですから。これから話せば、僕と同じように、兄を優先して欲しいと魔女さんに言うと思います」
ミグはそう言って、梯子を降り始めた。その姿が見えなくなると、アルエは息をつき、梯子へ歩を進める。
「なにが聖者だ……。愚者か狂人の間違いじゃないのか……」
口の中でつぶやきながら、窓の向こうの景色を横目に通り過ぎた。
梯子の前で覗くと、下の部屋は明るくて、絨毯の柄が見えている。梯子を降りきったミグが顔を上げた。
そこへ顎で〝どけ〟と合図すると、アルエはためらいなく、飛び降りた。
派手に広がったマントとは対照的に、着地の音はしなかった。
「父さん、母さん、聞いて」
ミグが向かう先に、二人の姿があった。声を受け、机を片付けていた男性が振り返り、ベッドに腰掛けた女性が大きな本から顔を上げる。
「……ああ、聞くとも」
男性が、アルエとミグを交互に見てから言った。そして、椅子を動かす。
「どうぞ、座りますか」
「結構です。休む暇はない」
アルエはミグに視線を向け、早く話すように促した。
「父さん母さん、僕は、今日からこの人と行動を共にします」
「どうして? そちらの方は?」
女性が、むしろ微笑みをつくりながら聞いた。男性は、小さく感嘆の声を漏らして腕を組んだ。
ミグは家族にいつも使っているのだろう、やや弛緩した優しい声色で言った。
「この人は魔女で、人さらいです。僕をさらうのです、だからです」
沈黙が降りた。
「……そうか」
「いつまで? 私もついていっては駄目?」
男性が俯き、女性が訊ねた。
「いつまでかは知らない。あと、僕ひとりだよ、母さん。でも、この街を出るまでは僕ら皆と一緒に行動してくれるって、魔女さんが」
「魔女、か……。街の外へ息子を連れ出して、それでその後どうするのか教えてくれるかな?」
アルエは、男性の目を真っ直ぐに見つめ返しながら答えた。
「それはわからない」
一度少し考えるように目を伏せ、続ける。
「まずは、北西へ向かうことになる。私は、師の託宣に従って動くだけ。その先はわからないし、ましてこの聖者の子供をどうするか、どうなるかはわからない。師を見つけて引き合わせるまでは、私が、その身をまもってやるつもりだが、師に会えば、次の瞬間に首をはねるかもしれない。さすがに、それはないと思うけど」
アルエはやや難しそうに、ようやくそれだけのことを話した。
やがてミグの父親が、決然と口を開く。
「わかりました。ミグ、頑張りなさい。――魔女のお嬢さん、息子を頼みます」
「私からもお願いいたします」
アルエは、居心地悪そうに、頭を下げる二人から目をそらした。
「……ああ。出来る限り――」
と、そこで身体をぴくりとさせ、目を鋭く細めた。
「――誰か来た」
頭を振り、フードを後ろに下ろす。肩に届かない長さの黒髪が現れ、光に曝された。
そして、静かに目を閉じる。
すると、そのアルエの髪が、どういうわけか少し膨らんだ。重力が減少したかのように、全ての毛先が持ち上がった。フードを被っていた時と、ほぼ変わらないシルエットになる。
「魔女……」
と父親がかすかに漏らす。
「兄が帰って来たんだと思います」
ミグが明るく言うと、アルエは目を開け、動きが戻った。髪はそのまま膨らんでいた。
「バゥ(大型の陸生鳥)に乗って来ている。今こっちの方で降りて、繋いでいる」
ミグが意外そうな顔をした。
「そちらは裏手の洗い場です――いつも繋ぐところとは違います」
「目立たないようにだろう」
父親の言葉にアルエは納得したように頷き、彼の横にあるドアへと歩き出しながら言った。
「大きな武器は持っていないようだ。下で待ち受けよう」
ミグが手を伸ばす。
「そこには鍵が――」
「かかってるね」
言ってアルエは、ドアに右半身を軽く寄りかからせて、膝を押しあてた。
金属の音がして、直後にドアは開いた。
「来い。私から離れないように」
と部屋に声だけを残して、暗色のマントが外へ消えて行った。
三人は数秒後、その後を追う。父親が四角い鞄をひとつ持ち、母親は帽子を被りカゴ鞄を肘にかけている。ミグはスケッチ帳と画材入れの細長い紙箱を持ったそのまま。と、それぞれ旅をするには軽装すぎるが、逃亡なら場合によっては邪魔になりうる荷物の量だった。
廊下に出て、階段へ向かう。マントが迷いの無い足取りで先行していく。
「この現代にも、魔女はいたのね」
と母親が感慨深げな声で言う。父親はそれを受け重々しく頷いた。
「ミグ、彼女の、なるべく近くに居てあげなさい」
ミグは、真っ直ぐな声で返事する。
「はい……父さん。出来る限り」
アルエは、裏口のある炊事場で待っていた。
三人が入室して来るのを横目で一瞥し、顎でテーブルの向こう側へ行くよう指示した。そしてすぐまた裏口へ身体を向ける。
間もなく、慎重な音で鍵が開けられた。
最初は薄く、そしてゆっくりと、ドアが開く。
アルエはミグの頷きを見て、それが彼の兄だと判断した。
長身の青年だった。彼はまず、家族達をその視界に認め、「……なぜそんなところに?」と怪訝そうに零しながらも自然な動作で中に入って来た。
ドアを後ろ手に閉めようとして、凍りつく。
アルエに気づいたのだ。
見つめたまま、驚愕の表情を続けるその青年は、良質ながら飾りの少ない服装で、身体の線もどちらかと言えば細く、肉体労働者ではないようだ。乗鳥用の靴の無骨さが目立つ。歳は、成人を過ぎたくらい。
発達した額にかかる栗毛の下、やや落窪んだ目に、若さによる熱と知性による怜悧さがあった。その眼光は、彼が有望であることを鋭く物語っている。
ふと、意識が戻ったように彼はドアを閉めた。
「……誰だ?」
青年はちらと家族へ視線を振り、すぐに見知らぬ女へ戻す。
初めて受けた警戒に、アルエはほんの少しだけ満足そうな笑みを見せた。
「魔女。アルエだ」
青年は頬をひきつらせ、黙った。しかしやがて、魔女と名乗ったまだ若い女の全身を視線で辿り、最後に目を、品定めするように無遠慮に睨みつけた。
「魔女、と言ったか?」
アルエは、あえて少し間を持って答えた。
「ああ。魔女と言った――」
青年は軽く手を持ち上げた。
「いや……まずは用件から聞こうか」
「用件か、そうだな……、これから街の外れまでついて行く。そして、ミグをもらうだけだ」
息を吸って、吐き、青年は眼光に冷たい怒りを宿した。
「両方、だめだね」
「拒否は不可能だ」
アルエの冷静な声に、青年は、口元だけで笑った。
「なぜ? お前が魔女だからか? 悪いが遊んでやる暇はない。今すぐ出ていけ」
「拒否は出来ないと言ったはずだが」
青年は舌打ちし、裏口を指していた手をゆっくりと下ろす。
「言葉では足りないか……?」
瞬間のことだった。その発声を終えた太い喉に、刃の先端が触れた。直後に、風が追いつく。
「言葉では足りない。ならこれでは?」
アルエが、突き出す刃の先に小さく声を送る。そして一度顔を背け、家族三人、特にミグの反応を探った。
彼らは、小さな驚き以上の感情も動きもついに見せなかった。
とそのとき、青年の手がナイフの柄を打とうとし、アルエは見もせずに上へ避ける。
切っ先が瞬時に半円を描き、次は青年の睫毛に触れて止まった。
「はは……ははははははっ!」
と、突然、近距離で起きた割れるような笑い声にアルエは眉をひそめた。青年が後ずさりながら、身体をかかえている。声を殺して、まだ笑う。背中が揺れている。
「……今日は、何もかも狂ってる。最高だ」
青年は上体を起こし、恐怖の余韻か、興奮して震える低い声で、なおも皮肉を言いつのる。
「信じられん。まさか〝本物の魔女〟に会えるなんてな。それも、自宅でだ! こんな滅茶苦茶なことがあるか? まったく惜しいな、この感動を嚙みしめている暇がないのが」
「……悪いようには、しないつもりだ」
アルエが口の中でつぶやく。調理用のナイフがマントの中に消えた。
「当たり前だ」
と、青年の表情から笑みが消し飛ぶ。
「俺の家族に何かしたら、必ず殺す」
それは威嚇ではなく、純粋な宣言だった。
アルエは悲しさよりも温度を感じさせる目をして、慰めるように言った。
「私は何もしない。かえって今は、お前ら家族が生き延びる手助けをする」
「その代わりに、弟をよこせって? 悪魔でももっとましな取引をするぞ」
心外だとばかりに困り顔をつくったアルエが、少し不機嫌な声を出す。
「……交渉は街を出てからにしよう。よく知らんが、いま聖者が街にいると殺されるのだろう?」
と急かすようにドアを顎で指した。
青年も一旦はそれに視線を従わせたが、軽く首を振り、落ち着いた声で説明した。
「ああ、少数だが、居住区へ行って聖者を襲っている腐った輩がいるようだ。ここもいつまでも安全じゃない。――それで、今役場に行って確かめて来た。全ての街から聖者を追放する触れが出たんだ。皇都で、聖者が司祭を殺したらしい」
父親が声を上げる。
「何? 馬鹿な……そんなことがあるわけない」
「そうさ。たぶん捏造だろう」
青年は頷き、歯嚙みした。
「誰かの陰謀に決まっている。何が〝双方にとって最善の策〟だ! 好機とばかりに即日決議で〝財産及び職、居住権など一切の権利を剥奪〟なんて、あまりにも狙いが露骨じゃないか。〝全ての聖者は、いち早く民の街から去り、未開の地へ移れ。そして可能な限り急いで国外へ出よ〟だって? はっ、移動の為の支援は国がするそうだが――」
「つまり街を出ればいいんだろう? なら早く行こう」
アルエに遮られ、青年は不愉快な表情になりながらも「そうだな」と同意した。そして、家族に保存のきく食料を集めるように言った。
しばらくして、観察以外にやることのないアルエが口を開いた。
「おいお前ら、食料の他は、家から持ち出すものはそれだけでいいのか?」
棚の高いところを探している青年が、その気軽な口調での問いに答えた。
「幸い、これは俺が建てた家だ、何を残していこうが問題ない。皆には貴重品だけを持つようさっき出る前に言っておいて、まあ思った通り少なくまとめてくれたな。そして仮に忘れたところで、皆を街の外へ逃がした後、俺が取りに戻ることもできる」
アルエは、青年が鉱物のような干し肉の塊を、テーブルにのった革袋の大口に押し込むのを見ながら、感心したふうに言った。
「ふうん。人は見かけによらないな」
「……どういう意味だ?」
「お前が石工か大工だなんて、思いもしなかった」
袋の中で、青年の手が止まる。母親が男たちにあれこれ指示を出しながらバゥタマゴジャムの瓶を革袋に入れ、続いてミグが拳大ほどの岩塩を入れに来て、また棚へ戻る。そしてそこにいる父親から、
「あのナイフを返してくれるか訊かなくては。あれは良い品だし大きさがちょうどいい」
などと聞かされる。ため息をつき、青年が口を開いた。
「この家は、俺の所有物だという意味で言ったんだ。魔女、お前はやはり見た目どおり異邦人か? 言葉はまあまあ話せるみたいだが、充分ではないな」
「異邦人かもな。あと、そんなのわかっている」
「何? わかっているとは、言葉の不自由さのことか?」
アルエはつまらなそうにテーブルに寄りかかり、棚の食器や食品をぼんやりと見始めた。
「ああ、それに前半もだ」
青年は、不意打ちを食らったようになりながらも瞬時にその言葉の意味をつかみ、奇人を見る目つきに変わった。
「な……。謀ったのか?」
顔を傾け、アルエは微笑んだようだった。
「大げさだな、からかっただけだ。私、ただの人間と言葉を交わすのは、初めてだから。どう反応するかと、好奇心だな。まあつまり、話すのは不心得だが、聞き分けるのは問題ないというわけだ」
青年は、魔女の横顔から引き剥がすように視線を落とし、鼻を鳴らして作業に戻った。
「この、悪魔女が……」
しばらく家族達が、慌ただしさのかけらもないのどかな調子で支度の音を鳴らし続ける。それをただ聞いているアルエがこぼす。
「それにしてもお前ら、そんなにたらたら準備して、本当に生き延びる気があるのか? 聖者はともかく、お前くらいはもっと焦るべきじゃないのか?」
「ふん、人さらいの悪鬼に心配されるとはな」
「まださらってない。未遂の悪を誇張するな、誰が悪鬼だこのへぼ石工」
青年は、そうしたどこか真剣味のない悪口を聞き、あまりまともに相手をするべきではないと早々に悟った。
「いいかい魔女さん。まだそう焦るほどでもないんだ。このあたりでこの〝聖者追放の触れ〟を知る者はまだいない。俺が今朝いち早く、役場で訊いて戻ってきたからな」
「そうか。お前のバゥは速いのか?」
青年は警戒の目を向けたが、すぐに気づいた。
「……靴でわかったようだな。ああ、俺のは〝聖者のバゥ〟と讃えられる種でな、乗り手を選ぶが最高の脚だ」
「そうか……なぜ聞いたかというと、お前がどれくらい速く移動できるかが重要だからだ。役場はここから距離があるから、たとえば、向こうに触れが伝わった時に居合わせていた者がいて、すぐさまこちらの方に来て、声を張り上げ流布しようとしたとする。すると、往復が必要なお前に比べて半分の距離で済む……おい、察した時点で引き継いでくれないか。私は話すのが苦手だと言ったはずだ」
青年が疲れたような声で返す。
「いちいち可愛くない魔女だな。まあこっちも、察しの通りとっくに、あんたの言いたい事はわかってたが。いいか、このあたりの家々で聖者が暮らしているのはここくらいで、つまり良くも悪くもそう敏感ではない街区なんだ。聖者と密接な、運河の近辺でなら今朝の触れは大きく意味を持つが、このあたりに真っ先に触れ回ろうとする奴はまずいない。わかったか? ついでに言っておこう。役人が正式に公布に来るのもまだかかる、それも確かめて来た。まったく、役場の腰の重さをありがたく思う日が来るなんてな。で、どうだ、これで満足か?」
「このあたりで聖者が少数なら、目立つんじゃないか? 余計に危険だろう?」
「ここらは野蛮な奴がそもそもいない街区でもある、見た目どおりにな。ただ俺は今最高に危険な奴を目の前にしているわけで、何しろそちらのほうが断然恐ろしいな、さらに言えば当然、弟のことが心配で心配でしかたない。おい魔女、なぜ弟なんだ?」
加速する早口でまくしたてた青年の目に、鉄を思わせる絶対の敵意があった。
アルエは遊びの終わりを知った子供のように瞳を曇らせる。
「ミグは、鍵だそうだ。師が仰るにはね」
「鍵……? どういうことだ?」
疑いが声に粘性を加える。アルエはテーブルに体重をかけ、頷く。
「聖者の未来を救う、鍵、だそうだ。あとは、道々話してやる」
無音の中、青年の息だけが存在していた。それは一瞬で破られる。
「そんなこと……で、ミグは、どうなる? どうするつもりなんだ? 悪いようにはしないと言ったよな? それだけは今教えろ」
アルエは、青年の逼迫した様子を見ながら、どことなく甘く目を細めた。
「幾日か預かり、必ず無事に返す」
とうに準備を終えている聖者達が見つめる先で、その声は響いた。ミグが肩越しに両親を見上げると、二人はちらと目線を合わせ魔女の言葉の意図を計ろうとしたようだった。
「ああ、そうか、本当なのか……そっちが冗談だとよかったんだが」
青年は、腿に骨張った握り拳をめり込ませ、揺るがない魔女の瞳を見据える。喉元の刃と迫る火の手に同時に責められ、困窮の極みといった険しい顔をしていた。
向けられた刃は払えず、消せない火からは逃げねばならない。
魔女の突きつける凶刃たる予告――弟が奪われる。少なくとも数日、最悪では永遠に。
しかも、その問題だけに構っている時間もない。火は、事態は今も進み続けている。
なぜ、よりによって今なのか。
まさに悪魔的だと、青年は思った。
「……言いなりは癪だが、続きを聞くのは道中にしてやる。さあ皆、出発しよう」




