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魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第3幕 北方民族の行方
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復帰の智将

登場人物

〈漢〉

桓帝かんてい…………漢のみかど

唐衡とうこう…………漢の小黄門史しょうこうもんり。桓帝に仕える宦官かんがんのひとり。

梁冀りょうき…………漢の大将軍。桓帝により死に追い込まれる。

張奐ちょうかん…………漢の歴戦の将軍。故郷の涼州りょうしゅう隠棲いんせいしていたが、涼州武威郡の太守に復帰する。

公孫延こうそんえん…………玄菟げんと郡の官吏かんり。漢からの独立を目論む。

段熲だんけい…………漢の歴戦の将軍。

公孫度こうそんど…………公孫延の子息。漢の都、洛陽で遊学する。

鮮卑せんぴ

檀石槐…………鮮卑の部族の大人たいじん。各部族の大人を束ねる鮮卑のかい

素利そり…………鮮卑の部族の大人。鮮卑の軍師的存在。

慕容ぼよう…………鮮卑の部族の大人。万夫不当の豪傑。

宴茘游えんれいゆう…………鮮卑の部族の大人。鮮卑随一の狙撃手。

趙娥ちょうが…………檀石槐の妻。漢人。

和連かれん…………檀石槐と趙娥の子。

如羅じょら…………檀石槐の母。あやかしの雷獣らいじゅうにより檀石槐を身籠みごもる。

破多羅はたら…………檀石槐の祖母。如羅の母。巫者ふしゃのような特性を持つ。

弥加びか…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者てだれ

厥機けつき…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。近隣諸国との外交を担当する。

置鞬落羅ちけんらくら…………鮮卑の部族の大人。宴茘游の副官。年長の歴戦の戦士。

成律帰せいりつき…………素利の弟。

南匈奴みなみきょうど

居車児きょしゃじ…………南匈奴の単于ぜんう。鮮卑の部族の大人、闕居けつきょを討った過去を持つ。

夫餘ふよ

蓋蘇武ゲソム…………牛加ぎゅうかと呼ばれる夫餘の大将軍。

 西暦一六三年――。

 新緑が芽吹く季節だった。南の空には、遠方に黒雲が浮いている。

 檀石槐だんせきかい素利そりの前には、公孫延こうそんえんが立っていた。

 幽州遼東郡ゆうしゅうりょうとうぐんの草原だった。普段、公孫延が居る玄菟郡げんとぐんの地と、素利の部族が本拠としている地から、ちょうど中間に位置する辺りだった。

 何方どちらから面会を求めたという訳でもなかった。檀石槐も、公孫延も、そろそろ会って話をするべき時だと踏んでいた。

 面会の場は直ぐに設けられたが、互いに忙しい立場だった。加えて、何処どこに漢の間者が潜んでいるのかもわからない。草原の中で会談するのが無難だった。

「以前会った時より、更に猛猛たけだけしくなったね。玄菟郡にいても、鮮卑せんぴが着実に大きくなっているのがわかるよ、檀石槐」

 公孫延は、檀石槐に眼を細めた。髪に白い物が見え始めたが、三十も半ばを過ぎた頃だった。玄菟郡の中でも、一、二を争う要職の座に在るらしい。公孫延も野望に向けて前進しているようだった。

貴方あなたからの情報が役に立っています。これには、感謝しかない」

 檀石槐は、かぶりを垂れた。素利もそれにならった。

「やめてくれ。情報は渡しているが、それを活かしているのは君たちだ。それに、礼を云うならば私の方だ。鮮卑と取引してから、遼東以東は戦禍せんかを免れている。これは、私にとって大きなことだ。幸いにも、依然として漢は莫迦ばかなことを繰り返している。これも私に味方しているようなものだ」

「それは、良かった。何か他にも力になれることがあれば、遠慮なく云ってください。俺たちも、鮮卑と接する諸民族と盟約の交渉を進めています」

 檀石槐は、瞳を輝かせた。素利にも笑みが浮いていた。

がたいな。夫餘ふよ族とは、既に交易を始めているようだね」

「はい。今は、丁零ていれい族、烏孫うそん族と折衝せっしょう中ですが、必ず近いうちに盟約を交わします」

後顧こうこの憂いを絶ち、漢の侵攻に傾注する準備をしているということだね」

 公孫延は、頼もしげに檀石槐を見遣みやったが、すぐに難しいかおとなった。

「君たちを急かすつもりはないが、伝えておかなければならないことがある」

 檀石槐と素利は、互いに貌を見合わせた。

 公孫延は、ひとつうなずくと、真剣な眼差まなざしを二人に向けた。

張奐ちょうかんが、復帰した」

「――――⁉」

 檀石槐と素利は、眼を見張った。すぐには言葉が出なかった。

「復帰したと云っても、武威太守ぶいたいしゅだ。此処ここからは遠い」

 涼州武威郡りょうしゅうぶいぐん――。漢の北西部に位置する郡だった。西の辺境と呼ばれ、漢人ときょう族が共存している。王朝の支配が及ばず、情勢が不安定な土地柄だった。

「けど、いつか必ず戻ってくる」

 素利は、冴えた眼差しを公孫延に返した。それに公孫延は頷くと、続けた。

「既に、羌族は、段熲だんけい蹂躙じゅうりんされている。弱りきった羌族を平定することなど、張奐にとっては容易たやすいだろう。并州へいしゅう、もしくは、幽州に派遣される日も、そう遠くはないはずだ」

 段熲――。張奐と同じ涼州の出身であり、同年代の将軍だった。しかし、両者には水と火ほどの大きな違いがあった。張奐は、異民族を手玉に取り翻弄ほんろうする。一方、段熲は、異民族を徹底的に殺戮さつりくする。特にも、羌族を眼の敵にしていた。

「…………」

 檀石槐は、何も語らずにいた。手強い相手だったが、鮮卑も成長を遂げている。不安はない。ただ、近隣諸民族との盟約を早々に済ませたかった。張奐と手を組まれ、挟撃の形を取られるようなことだけは避けたかった。

南匈奴みなみきょうどとの交渉は、如何どうなっている?」

 尋ねた公孫延に、素利が応じた。

「盟約の使者は、何度か遣っています。単于ぜんう居車児きょしゃじには、何か迷いがあるようで……。まだ、時は掛かると思います」

「漢の属国とは云え、塞内さいないに生き、歴史ある遊牧民の長、居車児。その立場は、難しいものなのかもしれないね」

 公孫延は、南の空に眼を遣った。黒い雲が浮いていた。振り返った公孫延は、檀石槐に真摯しんしな瞳を向けた。

「いつ、何処どこから張奐が出て来るかわからない。私も情報は提供し続ける。くれぐれも油断しないようにしてくれ、檀石槐」

「はい。公孫延さん」

 檀石槐は、微笑み返した。

 その微笑を見た公孫延は、遠くに居る従者に合図を送った。その従者がいて来たのは一頭の黒馬だった。

 檀石槐は、黒馬が近付いて来るにつれ、その勇壮さにせられた。全身が黒光りしている。それも、通常の馬より一回りほど大きい巨馬だった。寄せる足並みは、威風堂々たるものだった。

「凄い馬だ。これは、間違いなく名馬だね」

 素利は、眼をいて感嘆の声を漏らした。

 その黒馬に見惚れている檀石槐を見遣って、公孫延は、にこと笑った。

大宛だいえんから取り寄せた汗血馬かんけつばだ。此奴こいつを使ってほしい、檀石槐」

 大宛は、烏孫より更に西にある国だった。

 素利も満足気に頷いている。

「檀石槐、素利、そして、成律帰せいりつきは、私にとって歳の離れた弟のようなものだ。素利と成律帰には、随分と書物を渡しているが、君には何も渡したことがない。受け取ってくれ」

「俺が、乗って良いのか? これに?」

「良いと思うよ。黒い胡服こふくにすれば、全てが黒くなる。遠くからでも檀石槐だとすぐにわかるよ」

 笑みを浮かべた素利は、悪ふざけを云ったつもりだった。

 黒馬が、頷くように首を振っていた。

「……そうだな。……それ、良いな! 有り難う、公孫延」

「ん――⁉ じ、冗談だよ、檀石槐――⁉」

 素利の言を聞くともなしに、檀石槐は黒馬にまたがると、駈け出した。

 速い。頬に受ける風がいつもより強い。黒馬も全力で駈けていない筈だった。それでも、力強くしなやかな黒い風のように走った。南の空で、雷鳴がとどろいた。黒雷こくらい――。檀石槐は、そう呼ぶことにした。

「あんなにはしゃいだ檀石槐を見るのは、久しぶりです」

 素利は、額に手を添え、遠方の草原を黒雷で駈ける檀石槐を眺めた。

 公孫延も嬉しそうに笑った。無邪気に駈ける檀石槐に眼を凝らした。

「よほど嬉しかったみたいだ。まるで、子どものような燥ぎようだね。不思議なことに、私の方が嬉しくなる。これも良い機会だ。私も次の段階に着手してみるとしよう」

 間もなく公孫延は、息子を漢の都、洛陽へ遊学させるに至る。歳は十三、名を公孫度こうそんどと云った。

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