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張り詰めていた気が一気に緩んだ。全身が“安心感”とでも呼ぶべきなにかに満たされた。本当に先輩は無事だっだんだっていう思いがどっと押し寄せてきた。俺はまるで骨のないタコのようにへなへなと崩れてその場に座り込んだ。
「ちょっと! あなたほんとに大丈夫?」
慌てた先輩が手を添えて俺を立たせてくれた。幸せだ。すごく幸せだ。
「ああ、ありがとうございます。本当に大丈夫です。先輩がなんともないって分かったら気が抜けちゃって」
「もう、リアクションがオーバーなんだから。それにまだ『なんともない』って決まったわけじゃないのよ。診察はこれからなんだし」
「それもたぶん大丈夫ですよ。じゃあ俺どうしよう。先輩の診察が終わるまで待ってましょうか」
「ううん、いい。瀬納君がほんとになんともないならね。待合室にもう空きの椅子もないから立ってなきゃいけないのは大変でしょ。診察までどれくらいかかるか分かんないし、もしかしたら検査とかがあるかもしれないし。受付が遅かったからお昼過ぎちゃうかもしれないし」
ということで俺はひとりで病院を後にした。頭の中は“先輩がなんともなくてよかった”という思いだけが満ちていた。しばらくぼおっと歩いて2、3人にぶつかった。怒鳴られて我に返ってようやく帰る経路を調べることを思いついた。スマホのマップで近くに電車の駅があるって分かったからそこまで歩いて電車とバスを乗り継いでアパートに帰ってきた。電車もバスも何ごともなかったかのように動いていた。乗っている人たちのようすにもあの大洪水に遭ったような感じは見られなかった。会話を盗み聞きしてみたけど大洪水を話題にしている人はひとりもいなかった。アパートは俺が出かけたときとなんら変わることのない姿でそこに建っていた。
ドアを開けた。廊下を通ってダイニングキッチンへ入った。なんか違和感を感じたが気にしなかった。荷物をその辺りに置いて洗面所へと向かった。洗面台周りにまた違和感を感じたが無視した。いつもの帰宅時と同じように手を洗ってうがいをした。そして再びダイニングへと戻ってきた。
ふとテーブルに目がいく。意識して見たわけじゃない。無意識に目がそっちを見たんだ。いやもしかしたらテーブルの上から“こっちを見ろ”というなにかの力が働いていたのかもしれない。
テーブルには2通の封筒が置かれていた。
「なんだこれは」
封筒を拾い上げる。出かける時にはなかったはずだ。そして俺は今さっき帰ったばかり。いったいいつ置かれたのか。
2通の封筒を代わる代わる見る。表にはどちらもそれが誰に宛てて書かれたものかと差出人の名前が記されてあった。ひとつにはたどたどしい字で、しかも全部ひらがなで。ちょっと濡れたような痕がある。もうひとつは達筆な字で、もちろん漢字仮名交じりで。
えいすけさんえ みさ
英介へ 久梨亜