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美砂ちゃんの顔は思いのほか近くにあった。俺の顔を真左からのぞき込むように見ていた。
「大丈夫ですか、英介さん。見えますか?」
「ああ、見える。かわいい美砂ちゃんが見えるよ」
美砂ちゃんの顔に笑顔が広がる。
「よかったあ。これ、“癒やしの力”なんです。私が天使として生を受けて初めて覚えた力なんです。英介さんのために使えて私、とってもうれしいです」
ニッコリ微笑んで小首を傾げる美砂ちゃん。やばいくらいかわいい。
そうか。あの俺の目を包み込んでいた暖かさ、あれは美砂ちゃんの天使の力だったんだな。ああっ美砂さまっ、目だけでなく俺の全てを癒やしてください。
いやちょっと待て。この顔の近さ、向き、そして俺の頭の下にある柔らかな感触。まさか、これは……。
慌てて上体を起こす。と同時に体を反転させてさっきまで俺の頭の下にあったものを確認する。
美砂ちゃんは正座していた。白いふとももがそこにあった。ということはつまり……。
頭の中でその場面を妄想してたら、久梨亜のやつが今度は俺の首根っこに飛びついてきやがった。
「なんだ英介、そのにやけた顔は。ちょっとはあたしの勘の良さにも感謝してもらいたいとこだね」
えっ俺、そんな顔してたのか。立ち上がりながら頬を2、3度叩いて顔を立て直す。
「そ、そうだな。ありがとな、久梨亜。まあお前なら分かってくれると信じてたさ」
「びっくりしたよ。いきなり『料理を作れ』、そして『カレーを作れ』だよ。確かにあたしは美砂にカレーは習ったけど英介には出したことなかったからね。そしてあの視線だよ。料理を頼むのにしちゃあ、ずいぶんじっと見つめるんだなと。なにかあるのかって思って英介の言葉を頭の中で反復したよ。そしたらピーンときたのさ。『スパイスがたっぷり入ったやつ』ってところに」
久梨亜のやつはニヤリと笑った。よほど感づけたのが自慢らしい。
美砂ちゃんも立ち上がった。ふたりとも笑顔だ。勝ったという実感があらためて湧いてきた。
「ところで久梨亜、今回は例の『強壮剤』、どれくらい入れたんだ?」
「さあてね。いつもは英介の分にだけ入れるけど今回はそういうわけにいかないからね。持ってた残り全部を鍋にぶちこんじまったよ。まあ食った分に入ってたのは通常の3倍ってとこだろうね」
3倍かよ! よくこれくらいの症状で済んだもんだ。まああれだけ“赤”かったんだから、“3倍”はちょうどいいところか。
「英介、それよりあんたは行かなきゃいけないところがあるんじゃないのかい」
久梨亜のやつがニヤニヤしながら言う。ええっ。俺の行かなきゃいけないとこ? そんなとこあったっけ……。
「あっそうだ! 先輩だ!」
びっくりしたように俺が言ったもんで、びっくりしたように美砂ちゃんが責める。
「えっ、英介さん、まさか奥名先輩のこと忘れてたんじゃ……」
「そ、そんな。俺が先輩のこと忘れるわけないじゃんか! でも場所が分からない。どこかの病院だとしか……」
うろたえる俺に相変わらず久梨亜がニヤニヤしながら言う。
「まあ神のやつがあの状態だからな。じきに雨も風も止むだろうよ。水が引いたら居場所を調べて連れて行ってやるよ」
そう言われて周りを見てみる。確かに久梨亜の言うとおりだ。雲にもあちこち切れ間ができて日が差してきている。水位も下がってきているみたいだ。
しかしその時、神がむくりと起き上がるのが見えた。