吊り橋の上で
翌日、フィアとリリスはとりあえず楽しみにしていた吊り橋を見に行った。
リリスは『やっぱり吊り橋効果よね。良い男が吊り橋にいるといいけど。それこそ運命の出会いだわ』と言い、うきうきした足取りで歩いている。フィアには彼女の言う意味はよくわからない。だがとりあえず頷いておいた。
リリスはここ二百年近く仕事ばかりで過ごしているのだ。ファンが恋人、などと言いつつもやはり私生活の充実が欲しくなっても仕方ないことだろう。
フィアは彼女には幸せでいてほしい。こんな自分に残された、大切な友人である。
そんなことを考えながら、ぼんやりと遠くの地を見つめた。フィアが見つめる先にあるのは、異形化エルフとの最終決戦の地であった。
あの地は原初のエルフが起こした騒動の終結の地であり、フィアにとって大きな別れの地である。かつてともに旅をしたハーフエルフの魔法剣士であるグレンとの別れの地だ。彼はあの戦いで亡くなった。
フィアが駆けつけた時にはすでに虫の息であった彼は、慌てて魔法で治癒しようとしたフィアを押し留めた。この場で死なせて欲しい、と。
思いもかけない言葉にフィアは一瞬思考停止したものだ。だが凍りつくフィアに彼は言った。寿命を感じている、と。
ハーフエルフはエルフと違い寿命がある。人間のそれよりもはるかに長いけれど、その生の先にかならず死は待っている。
そして寿命に至る過程、老化の仕方について、人間とはかなり違っている。エルフや魔族同様に成体になればそれ以上老い衰えることはない……寿命を迎えるその時までは。
寿命を迎えた時、急激に老い衰え、最期は砂となって死んでいく。
グレンは言った。己の父親の死を看取って以来、自分に訪れるそれが恐ろしくて仕方なかったと。特に最近は寿命を身近に感じていた。だから死ねるならば戦場で死にたい、と。
そう言われ、フィアは構築していた魔法を霧散した。本音を言えばグレンには生きていてほしい。寿命が訪れるその時まで。自分にはたった一人の残された仲間。だが、彼にそれを強要することは出来なかった。
「ごめんね」
と謝り、どんどん冷たくなっていく彼の身体を抱きかかえフィアはその最期を看取ったのだ。
戦いの後、グレンの姉ビオラとともに彼の葬儀を行った。その時にフィアは疑問に思った。グレンは寿命を感じる、と言っていたがビオラはどうなのかと。
そもそもグレンが寿命を感じること自体が不思議であったのだ。なぜならハーフエルフの寿命は五百年といわれていた。
ともに旅していた時、彼はまだ百歳にもなっていなかったし、亡くなったその時も三百歳にすらなってなかったのだ。寿命ならば残っていたはずだ。それも百年単位で。
しかし、彼は己の寿命を感じると言っていた。フィアは二代目のハーフエルフでありながら優れた魔力を持っていたグレンが、そういったことに関して読み違えをするとは思えない。
だから一つ言えるとすれば、エルフと人間の間に生まれたハーフエルフでない、グレンのように両親がともにハーフエルフである者は寿命が一世代目より短いのかもしれない。だがそこでまた、フィアの推論を否定する事例も出てくる。
ビオラはその後百年近く生きて、寿命でなくなった。姉である彼女の寿命は五百年より短くも、グレンの感じたそれよりは長かったのだ。
今回自分の知らぬ、神の手によらぬ生命体を見て、フィアはふとこのことを思い出した。そういえばハーフエルフも神の手によらぬ、特殊な生命体だ、と。
エルフ自体がそうだが、ハーフエルフは神の手による生命体とそうでない生命体の合いの子だ。どちらの特性も受け継ぎながら、独特の特性を持つ生命体となっている。まだ謎の部分も多い。
かつてハーフエルフの寿命について、エルヴァンに相談したところ、彼は少し考え込み、そして言った。
『多分さ。フィアの想像通り、ハーフエルフは代を重ね、純血のエルフから遠くなればなるほど寿命が短くなるんじゃないかな。グレン君は祖父母はエルフだったけど、両親はともにハーフエルフだろ。お姉さんの方が寿命が長かった件に関しては、私は彼らの肉体の構造に理由があると思う。ハーフエルフが人間より寿命が長いのは、肉の器を魔力で補強してるからだ』
そこまで話を聞き、フィアはハーフエルフの特殊な生命構造を思い出した。
エルフや天使、魔族は肉の器を持たない。エーテル体と魔力と精神体が全てで、己の魔力によって肉体を構築している。
それに対して人間は肉の器を持っている。その中に魂が入っているのだ。
その合いの子たるハーフエルフは人間同様に肉の器を持ち、それがエルフとは少し違う形で魔力によって補強されている。そして彼らはその肉の器に魂でなく精神体を宿らせ、人間のように転生はしない。
考え込むフィアにエルヴァンは付け加えた。
『まあ、だから魔力をすり減らせればすり減らすほど肉体の強化が弱まるんじゃないかな。ずっと戦いに明け暮れていた彼が、普通の生き方をしていたお姉さんより短命になった理由としては、そうとしか考えづらい』
純血のエルフから遠ざかるほど寿命が縮み、さらに魔力を使えば使うほど寿命は縮む。今まで誰もそれに気付けなかったのは、ハーフエルフがハーフエルフ同士でしか繁殖出来ず、ハーフエルフ自体の数も少ないことが相まって、代を重ねることが稀であったからだろう。
そんなことを考えていると、ふとリリスが足を止めた。そしてフィアが見つめている遠くへと視線を向けている。彼女もそこが最終決戦の地であったと気づいたのかもしれない。
「あそこよね。例の場所」
その言葉にフィアは頷いた。
色々なものが終わった戦いだった、とフィアは思い返す。
グレンの生命もそうだが、他の色々なものもあの場で終わった。たとえばウロボロス。人間とエルフと魔族、天使と神といった違う種の生き物たち、人間界、魔界、天界といった三界の協調の終幕であった。
特に人間界の変貌は激しい。もっともそれは仕方ない。人間の寿命は短いのだから。あの時のことを知る者はもういない。
すべての生命が協力し、世界の存亡と戦えると思った時代は終わった。今は人間という同じ種同士ですら争い、殺しあう時代だ。ハーフエルフやエルフといった強い力をもつ種は数で勝り力で劣る人間から警戒されている。
強い力はあるけれど、過去のいざこざや魔界、天界との絡みに縛られる彼らが人間に向かっていくことはない。だがさぞかし暮らし辛いだろうとはフィアは思っている。
「リリス、向こうに吊り橋がみえるよ」
ぬるい風が頬をくすぐるのを振り切るようにフィアは首を横に振り、話を変えた。リリスは視線を進行方向へ向けて笑顔になる。
「ええ。行きましょう。きっと運命の出会いが待ってるわ」
※※※
吊り橋には運命の出会いどころか、フィアとリリス以外人っ子ひとりいない。
ギシギシと音を立てながら二人は吊り橋の中央部分まで歩いていった。
先ほどまで少し沈んでいた気分が上がる。フィアは吊り橋が大好きなのだ。
シェイドと旅している時のことだ。吊り橋に嬉しくなり、下を覗き込んだり、『マルクト橋落ちた』という童謡を歌いつつスキップしつつ吊り橋を渡っていると、はるか後方でシェイドは真っ青になっていた。その時は分からなったが、たぶんシェイドは怖かったのだろう。
勇者という肩書きの割に怖いものが多かった彼を思い出し、フィアはくすりと笑った。
あの時のようにちょっと身を乗り出して、下を眺めてみようとイタズラ心が湧いてくる。その思いのまま行動したフィアはずるりと足を滑らせた。
「うにゃっ!」
慌てて吊り橋を構成する縄を掴む。だがフィアの体は完全に吊り橋から落ちかけ、ぶらぶらと風に揺れた。これはリリスに助けを求めなければ。
「リ、リリス。たすけ……んにゃ?」
「きゃー、助けてぇ!」
フィアが助けを求めようとしたその時、隣から同じような声が聞こえた。はっとそちらを見ると、フィア同様縄にしがみつきリリスはぶら下がっている。
リリス、お前もか……と思ったその時。フィアに影がさす。
はっと顔をあげたら、今まで誰もいなかったはずのそこに男が一人立っていた。




