おんな二人、旅立ち
「さあ、神様。まずはどこに行くの?」
「うーん……」
ぐいぐいとフィアはリリスに手を引かれながら考え込む。まずはリリスの説得からか。いや彼女のことだ。一度こうと決めたら譲らない。無下に同行を拒否するのでなく、仕事の存在を思い出させるべきだと考えた。
「ね。リリス、お仕事は?」
「お休みよ。長期休暇」
「そ、そうなんだ」
人気女優の彼女には考えられない話にフィアは首を傾げる。知り合って随分経つが彼女がまとまった休みを取っているところは見たことがない。
リリスは収録や番宣等、常に忙しく働いているイメージなのだ。
「そう。何でも大きな仕事が入ったらしいの。それに備えて、たまにはのんびり休むように、ですって」
「ふぅーん……」
「そんなことより神様。まずどこへ行くの?」
リリスは足を止め、フィアへ問いかける。ここは乗り合い魔法車の停留所である。彼女の視線の先は路線図があった。
「うーんとね。特にどこに行こうかとか決めてなくて」
何か人間界で問題が起こっていると聞いて今回の訪問を決めたわけでない。ただ久々に人間界を見て回りたいと思っただけだった。従ってこれという目的地は考えてない。
フィアのそんな返事にもリリスは嫌な顔することなく、むしろ瞳を輝かせた。
「あてのない放浪の旅。いえ、世直しの旅だったわね。素敵ね。ふらりと訪れた先々での難関。素敵な出会い。芽生える恋!」
「あの、リリス?」
リリスはもはやフィアの言葉を聞いてない。力強く拳を握りしめ、旅先での恋について語り始めている。
もしかして彼女は新しい恋を探すのが目的でついてこようと思ったのだろうか、とフィアは疑問に思った。もしそうだとしたら、たとえ彼女が長期休暇でなくとも同行を拒否することは難しかったに違いないと感じた。リリスから恋バナを取り上げてはならない。出会いを取り上げてもならない。それは自殺行為である。魔界の誰もが知っている話だ。
しかし、彼女とともに行くとしたら大きな問題が出てくる。金銭的な話だ。
フィアは大してお金を持っていない。魔界のお金を人間界のお金に換金したが、それも自分が細々と旅できる程度のものだ。
「あのね、リリス。フィアはあんまりお金を持ってないんだ」
フィアの突然の言葉にリリスは言葉を止め、にこりと笑う。
「ご心配なく。自分の旅費は自分で出すから。そんなことより、あれを見て」
リリスが指さすのは停留所の掲示板だ。臨時便の案内や注意事項、有料の広告スペースまである。その中でも彼女が示しているのは『急募』と書かれた求人の貼り紙であった。
フィアはトコトコと掲示板の真下に歩いて行き、その紙の文面を読む。
「んーと。ゼムリヤ農場。繁忙期につき短期のアルバイト募集。高度な魔法を使える者には割り増し手当あり。寮完備。美味しい食事が食べられる食堂での賄いあり……!」
美味しい食事、の言葉にフィアは身を乗り出した。いつのまにかすぐ後ろにまで歩いてきていたリリスも頷いている。
「ね、我々二人ならば割り増し手当のもらえる高度な魔法を使える者に該当するし。それにゼムリヤって昔天界とエルフの戦争の時遠目に見たくらいでしか知らないけど……。あの人の農場では人間が沢山働いてるんでしょう?」
リリスの問いかけにフィアは頷いた。
ゼムリヤはエルフでありながらアルフヘイムを捨て、農業一筋に生きている。その広大な農場は彼の魔力と魔道具、更に雇われた多くの人間たちの力で運営されていた。
「そうだよ」
「じゃあ、そこで知り合った人間たちから最近の人間界の様子も聞けて一石二鳥ね」
「ゼムリヤも何か知ってるかもしれないし。いいかも。それに……」
「賄い。従業員食堂。美味しい食事……!」
フィアとリリスは顔を見合わせ力強く頷き合った。
※※※
フィアとリリスは路線図を見て、途中ゼムリヤ農場の前で停まる魔法車に乗り込んだ。比較的混んでいる車中に何とか空席を見つけ、二人で並んで腰掛ける。
間も無く魔法車は動き始めた。
「ねえ、神様」
窓の外を流れる景色を眺めていたフィアをリリスが呼びかける。
「なあに?」
「これは神様としてはお忍びの旅よね。勇者フィアとして旅するわけだから」
「え、ええと……」
別にお忍びでもないし、勇者になった訳でもないが、リリスの中でそれは決定事項らしい。
フィアは彼女に思ったままを伝えようと口を開きかけ、止めた。勇者うんぬんは置いておくとしても、人間たちに対して神であることは隠しておくべきかもしれない。
ルクスが亡くなるまでは特に光の教団と付き合いがあったフィアであるが、それ以降はどこの教団とも疎遠だ。それに最近は教団間での争いが激しく、フィアが姿を現せば余計な問題を生む気がする。
そもそもその前に自分が神である、などと信じてもらえない可能性が高い。
「うん。神様なのは秘密にしようかな」
エルフや一部のハーフエルフたちはフィアのことを知っているが、人間は知らない。余計な問題を起こすべきでない。
そう語るフィアに、やはりとばかりにリリスは頷く。
「そう。だからね。神様って呼ぶのは問題があるんじゃないかと思って」
「うん。名前でいいよ!」
かつてリリスがシェイドを呼ぶのに使っていた『勇者様』という呼び名を使われては困るので、慌ててフィアは言った。
フィアの言葉にリリスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑って言った。
「じゃあ今日から、『フィアたん』って呼ぶわね」
「フィア……たん?」
最後の『たん』はなんなのだろう。『フィアちゃん』ではダメなのだろうか。
困惑するフィアに気づくことなく、リリスは嬉しそうに呟いた。
「これでやっと本当のお友達になれたみたい。神様、だとちょっと他人行儀だったもの。ふふっ、嬉しい」
※※※
しばらく魔法車に揺られ、二人はゼムリヤ農場前停留所で降りた。実はここをフィアが訪れるのは初めてだ。思っていた以上にアルフヘイムから近かった。
しかしそんなに長くない移動時間もフィアにとって大変有意義なものだった。同じ魔法車には人間のかずがおおかったのだ。特にアルフヘイムに珍しい品を買い求めに来ていた商人たちだ。
彼らの語る人間界の噂話はなかなか興味深く、その中でもいくつか見に行ってみようかと思うものがあった。もちろん楽しい話題だけでない。暗い話やフィアにとって引っかかる話もいくつかあった。
「へぇ。ここが農場」
立派な門扉を見上げ、リリスはキョロキョロと周囲を見渡している。
「うん。魔法車のなかでゼムリヤに連絡しておいたんだけど」
フィアは魔界フォンを片手に、背伸びして大きく開かれた門扉の向こうを覗き込んだ。突然訪れるのもなんだと思い、ゼムリヤの人間界フォンに連絡しておいたのだ。
アルバイトをしたいと告げたところ、彼は大層驚いていた。とはいえ、よほどの人手不足だったのだろう。もう一人いるというフィアに喜んで了承してくれたのだ。
「ところで……ねぇ、フィアたん。魔法車のなかで人間たちが話してたことが少し気になるのだけど……」
どうやらリリスも同じ話が引っかかっていたらしい。
フィアは神妙に頷き返す。そして口を開こうとしたその時、大声で遠くから呼びかけられた。
「神様!」
目の前の門扉の内側からゼムリヤがこちらに足早に歩いてきている。例によって鍬を肩にかついでいた。
「やだ……フィアたん、どうしよう」
ゼムリヤに駆け寄ろうとしたフィアは隣から聞こえたリリスの狼狽えた声に足を止める。一体どうしたのだろう。
隣の彼女を見上げれば、片手の掌で口元を覆ったリリスの顔は赤い。
「リリス?」
「すごい。素敵な方……」
うっとりとして彼女が零した言葉にフィアは悟る。
どうやらリリスは早速旅先での恋とやらに落ちたらしい。




