友人として
「神様、お待たせ!」
あっという間に己の目の前にまでやってきたリリスの言葉にフィアは首をかしげた。
お待たせとは一体どういうことだろうか。特に彼女と約束はしていなかったはずだ。フィアの見送りに来ているアダムとイブも不思議そうにリリスを見つめている。
「フィア、リリスと何か約束してたっけ……」
「いいえ。私が勝手に来ちゃっただけよ。神様が世直しの為、人間界を旅するって聞いてお供にと思ったの」
「世直し……」
思ってもなかった言葉にフィアはあっけにとられた。
一体何をどうしたらそういう解釈になるのだろうか。魔界の上層部に何も言わず人間界に行くのもどうかとは思った。だから念のため人間界の様子を見て回ると話しておいたのだが……それが何故。自分は彼らに対し、世直しなどとは一言も言ってなかったはずだ。
そもそも自分は人間たちの生活に必要以上に干渉するつもりはないのだ。人と言う種の存亡にかかわる魔物や異形化エルフといったものたちは既に存在しない。いまや人の敵は人だ。
もしかしたら果てなき殺し合いの末に人間は絶滅するかもしれない。だが、それはそれで仕方ないことだとフィアは思っている。きっとフィアが己が神であることを振りかざし、彼らを思い通りにしようとしても反発されるだけだ。相手が誰であれ、自由な意思を与えられた生命たちは支配されることを厭うだろう。
フィアはそこまで考えて、ひとまず人類の存亡については後回しにすることにした。いまはリリスだ。
何か大きな誤解をしている彼女をなんとかしなくては。そして魔界へ彼女を返さねばならない。彼女は魔界きっての人気女優である。仕事はいっぱいだ。
いつもフィアを気にかけ、遊んでくれたりするのは彼女なりの気遣いであろう。
それに甘えてはならない。
「あのね、リリス。フィアは別に……」
「世直しにでる神様、お供の私。いいわね。まるで勇者とその供のようだわ!」
「勇者……」
フィアは勇者という言葉にシェイドと出会った時のことを思い出した。不思議と心は痛むことなく、むしろあたたかな想いに満たされる。そう、あれは自分の人生でもっとも幸運な出来事だった。不幸なこと続きであった己という存在に与えられた僥倖だ。
そこでふとフィアは気づいた。こんな風に、幸せにあたたかくシェイドとの思い出を振り返ることなど、ここ二百年なかったと。
シェイドを失ってから今日に至るまで、泣くことすらできず、ひたすら嘆き、絶望し、もがき続けた日々だった。最初からわかっていた、覚悟していたことなのに、何でどうしてと心の中で繰り返す。
そんな中、二人の間にあった幸せな日々をすっかり忘れていた。いや、閉じ込め鍵をかけて見ないようにしていた。
フィアにとっては己の責務を果たし、彼の魂の尊厳を守り、そして自分自身の終わりなく続く生を歩いていく為、必要なことだと今この瞬間まで思っていた。
しかしそれは幸せな思い出という自分を支える力であるものを放り出し、ひいてはシェイドを真の意味で死なせてしまっていたのではないだろうか。少なくともフィアの思い出の中ではシェイドは生きている。時に笑い、喜び、怒り、哀しみ、望みもせず与えられた勇者という責務を負って。
そこまで考えたフィアは胸が締め付けられるように痛んだ。自分は間違っていたのかもしれない。
思わず俯きかけたフィアの耳に、存在をわすれかけていたリリスの声が飛び込む。
「さあ、神様いきましょう!」
「う、うにゃっ!」
「勇者フィアの旅よ。私はお供のリリス、神が最初に創りたもうた女!」
リリスはフィアの慌てた様子に構わず、その小さな腕を取るとさっさと歩き出した。
※※※
リリスに連れられ困惑した表情で歩いていくフィアを木の陰から見守る者たちの姿があった。
「いいんですか。彼女に任せて」
魔界テレビ、コキュートスチャンネルのロゴが入ったジャンパーを着て心配そうに問いかけるのは、魔界一の司会者モラクスだ。フィアとはドキドキクッキングで共演して以来の付き合いである。
そんなモラクスに問いかけられ、軽く笑って首を振っているのはアスタロト。魔界の重鎮たる彼の片手には『おんな食堂放浪記』と書かれた台本がある。
「いいも何も、リリス本人からの申し出だ」
アスタロトの返事にモラクスは顔を引きつらせた。
「そ、それは余計に問題では」
「何故そう思う。ちなみに今回の件はルシファー様をはじめとした魔界の上層部が全員一致で許可をだしている」
「は、はぁ……」
モラクスは何か言いたげな様子だが何も言わない。それを見て、仕方ないといった様子でアスタロトは説明を始めた。
「リリスはかなり神様を心配していてな。友人を放ってはおけないと」
「友人、ですか……」
「そうだ。確かに一人で神様を行かせてもロクなことにならなそうだしな。変に考え込んだりして、ドツボにハマるのがオチだろうと我々は考えてリリスに許可をだした」
「り、リリスさんが同行すると違う意味でロクなことにならないのではありませんか」
モラクスの問いかけにさっとアスタロトは顔をそらす。そんな彼をモラクスは思わず非難するような目で見てしまった。
「そんな目で見るな。一人で行かせるのに比べれば、まだマシだろう」
「ご自分に言い聞かせていらっしゃるかのようだ」
「う、うるさい。それに確かにリリスはトラブルメーカーだが、今回の件では適任といえる」
適任、の言葉にモラクスは怪訝な表情となったが、すぐに思い当たったのかぽつりと呟いた。
「友人」
「そう。我々は神を友人とは呼ばないし、呼べる仲でもない。かつてあの神と共に学び遊んだ者たちは確かに友人ではある。だが彼らは幼体ではなくなり、神は本人の無意識の望みとはいえ取り残された。ましてや自分の失った存在を持つ彼らは今の神にとっては複雑な存在だ」
「だから、リリスさんなんですね」
「そう。あれは我々同様神に創られた存在。親もなく、幼体であった時代もなく、そして彼女自身親でない。親を知らず、親でない彼女は勇者のように神の保護者代わりとなることはない。あれは神を友人としてしか見ていない。神が失って苦しむものも持っていない。だからあれを我々は選んだ。なによりもリリスは勇者との思い出も多少共有しているしな」
「なるほど」
「それに万が一我々が止めたところでリリスは聞く耳を持つまい」
どこか遠い目をしたアスタロトにモラクスは首をかしげる。どうやら自分の知り得ぬ何かが彼女と魔界の上層部の間にあるらしい。
「まあ、それはそれで分かったんですけれど。これ番組化していいんですかね」
「別にすぐ放送する訳じゃない。神が立ち直り、そんなこともあったと懐かしむことが出来るようにでもなった頃に放送するのもありかと思っただけだ。そもそも放送自体決定事項じゃない」
「はあ。かなり大掛かりな番組なのに……。そ、そういえば打ち合わせでリリスさんの姿が見えなかったのですが、彼女は知ってるんですか。今回の件は」
「知ってるわけないだろう。あれには今度大きな仕事が入ったから、今のうちに長期休暇ついでに傷心旅行でもしてこい、と事務所に言わせてある」
全ては隠し撮りだ、二人には悟られるな、というアスタロトの言葉にモラクスは深々とため息をついた。




