神様悩み中 上
天界にはフィアの前の神、この世界の創造主が己が住むために作った城がある。その裏手には樹々に囲まれた美しい泉があった。
フィアは考え事をしながら樹々の間を進み、泉の前へとたどり着いた。そして泉のすぐそばにしゃがみ込む。
ミカエルにこの場所のことを聞き、はじめてここを訪れた時は感動したものだ。綺麗だし、何より水遊びが出来る。慣れない神様業の良い息抜きになったものだ。
しかしそんな場所へ来ても、今日のフィアの心は晴れない。冷たい水に手を入れ、ぱしゃぱしゃやっても楽しくない。ため息をつき、手を水の中から出した。服のポケットから拭くものを出そうとしたフィアに、背後からさっと手巾が差し出される。それを受け取り手を拭いてから、背後にいる人物へと返した。
「ありがとう、カイム」
「いえ」
フィアはカイムへ手巾を手渡すと、彼に背を向け、再び泉の方を向いて座り込んだ。
「神様、お隣よろしいですか?」
「うん」
なんだろう、自分に何か用事だろうか、と思いつつフィアは頷いた。
そもそもカイムが神の城の奥から出てくることはまずない。彼は魔界で罪人とされており、ここに住んでいるのも秘密なのだ。魔界からは時折天界へフィアやミカエルを訪ねて来る者がいる。だから彼は城の奥深くでひっそりと暮らし、フィアやミカエルも彼の名を口にすることはほぼない。
礼を言い、隣に腰掛ける男の姿を見ることなくフィアはかかえた膝に顔を埋めた。そんなフィアへカイムは恐る恐る声をかける。
「神様、お悩みですか?」
「うん。フィア、何が正しいのかわからないよ」
顔を膝に埋めたまま、フィアはため息をついた。
つい先ほどまで、フィアはミカエルと世界のことを色々話し合っていた。問題は沢山ある。
たとえば勇者という存在。フィアはこれをなくした方が良いのではないか、と考えていた。一人の人間だけが負担を負う——そんなのはおかしいと思うのだ。
だから勇者など無くしてしまおう。ついでに人間界に住む魔物も魔界へ送り返そう。人間界では理性を失った化け物だが、彼らも魔界の瘴気の中では人間同様の生活を営んでいる。それを考えれば魔物は魔界で暮らす方が良いに違いない。そうフィアは考えたのだ。
魔物が人間界から本来住むべき場所へ戻れば、魔物の大繁殖時期に必要とされてきた勇者も必要ない。出来損ないエルフについてはまた別に対策が必要だが、それはウロボロスの方でやっていけるはずだ、と。
フィアはこれは良いアイディアだと意気揚々とミカエルに話した。だがそれを聞いた彼が言ったのだ。
魔物を人間界に住ませたのは先代の神様です、と。
思わぬ言葉にフィアは衝撃を受けた。ミカエルの話では、魔物を創造したのも先代の神だと言う。正確に言えば、魔族の中でもルシファーや隣にいるカイムのような堕天使を除く魔物たち。それは神が実験的に創った生命体であったり、失敗作であったりしたものだった。
先代の神はそれらを人間界にもここ天界にも住むのを良しとせず、ゴミ箱のような空間を作り、そこに放り込んでいた。そこから人間界へ人間が絶滅しない程度の数、あまり強い力を持ち過ぎないものを選んで放り込んだのだとミカエルは語る。
今の魔界は天球の一部とその空間の一部をルシファーが利用して創ったものだ。その時に、ゴミ箱と言えるそこから魔物たちが魔界へ移り住んだらしい。
一番フィアを困惑させたのは、先代の神が魔物を人間界へと放り込むような事をした理由だ。
フィアの頭にミカエルの言葉が蘇る。
『人間は愚かな生き物で、種としての存亡の危機がなくなると、人間同士で戦争をはじめるからです。神様は大繁殖時期が始まった頃にお生まれなのでご存知ないかもしれませんが。魔物がいても人と人、国と国は争う。魔物が全く人間界にいない時、それは酷いものでした』
その言葉を聞き、フィアは何が正しいか分からなくなったのだ。
「フィアには分かんない。でも勇者なんて要らない。一人だけ辛い思いするなんて変だもん」
「それも正しいお考えでしょう」
「それに魔物を人間界に入れて、理性を失わせて生きさせるのも変だよ……」
確かに全てが先代の神に放り込まれた者ばかりではない。先代の神が世界を放棄し、フィアが世界を管理し始めるまでの間、魔界と人間界の間には空間の歪みがあった。弱肉強食の厳しさにたえかねて、そんな歪みから人間界へ自ら逃げ込む者もいる。だが逃げた先で理性を失って生きるのは幸せなのだろうか。
それもフィアにはわからなかった。
「勇者がいなくなると、魔物の大繁殖時期に困る。でも魔物をなくすと人間同士で殺し合いをする。どうすればいいのかなぁ」
フィアは出来損ないエルフがいるからウロボロスがあるから良いだろうとは考えない。
出来損ない達はいずれ必ず殲滅する。あれがいる限りエルフ、ハーフエルフを多くの人間が憎むことだろう。
だから出来損ないエルフたちを魔物にかわる人間の敵とし、生かすつもりもない。
そもそも人類共通の敵がいなければならない、ということがおかしいとフィアは思うのだ。だが自分よりもはるかに長い時を生き、創造主ですらある先代の神の考えを間違っていると断言する自信はない。
「喧嘩しちゃダメってフィアが怒るとか……」
フィアはブツブツ言いながらまた泉へと手を入れた。
果たして自分の言うことを王様達は聞いてくれるだろうか。王冠をかぶったおじさん相手に、両手を腰に当て説教している自分の姿を想像してみたがしっくりこない。
隣でカイムが吹き出すのが聞こえた。フィアが彼の方を向くと、慌てて申し訳ありません、と謝罪される。
何故笑われたのか分からないフィアはぶっきらぼうに尋ねた。
「なあに?」
「いえ……。神様のお説教を想像したらつい。ですが……そうですね。勇者に聞いてみては如何ですか?」
「シェイドに?」
「ええ。人間のことです。人間に意見を求めるのが一番でしょう」
フィアはじっと水面を見つめ考えた。カイムは黙ってそれを見守っている。しばらくフィアはそうしていた。
どれ位の時間がたっただろう。二人間を涼しい風が通り抜け、木の葉がさらさら鳴った。
「そうしようかな……」
きっとこのまま考えても答えがでない、とフィアは思った。ミカエルは聞いたことには答えてくれる。過去にあったこと、先代の神の考えや行ったこと。しかしこれ以上この件に関して、ミカエルから納得がいくような話は聞けない気がした。
フィアは顔を上げ、一つ頷く。早速家に帰ろうと立ち上がりかけたところへカイムが声をかけた。
「神様、一つお聞きしたいのですが」
「んにゃ?」
改まったその様子にフィアはまた腰をおろした。何か相談だろうか。カイムはひどく真剣な表情をしている。フィアが聞く姿勢になったからだろう、僅かに表情をゆるめ彼は口を開いた。
「神様は、いずれ来る別れを辛いとはお考えになりませんか?」
「わかれ?」
「ええ……」
一度カイムは言いづらそうな顔になり、口ごもる。だが意を決したように続けた。
「寿命ある人間とはいずれ別れがあります。それを辛いとは思われませんか?」
「辛いよ」
「それを自らの力で何とかなさろうとは?」
「何とかって……。シェイドをフィアたちみたいに永遠に生きられるようにするってこと?」
「はい」
カイムは自分とその恋人ミリアムの関係をフィアとシェイドに重ねているのだろうか。確かに形は違うがお互いが大切で失いたくない、というのは同じかもしれない。
カイムの目にはわずかな期待があった。だがフィアは首を横に振った。
「フィアはそんなこと考えてないよ。確かに別れるのは辛いと思うけど。シェイドの魂を縛ることはしない……」
「何故ですか?」
「なんでだろう。フィアにもよくわからないけど……でもそれはしちゃいけない気がするんだ」
「してはいけない……」
カイムは俯いてフィアの言葉を反芻している。その様子にこれはわからないだけで済ませてはいけないとフィアは頭を働かせた。ここに許されぬ二人を連れて来たのは自分なのだ。さあ仲良く暮らしなさい、でも別れの辛さなんて知りませんとは言っては駄目だろう。
「ねえ、カイム。あれは今は『シェイド』なんだよ。今は、ね。でもその前は別の人だった。そしてそれはこれからも続いて行く。『シェイド』はあの魂の今の人格で、今の姿なんだ。そこで縛ったら、あの魂の未来を奪うのと一緒だよ……。生まれ変わり、また別の存在となり生きる。それが前の神様が作った正しいあり方なんだ。それを歪めるのは正しいことじゃない。フィアはシェイドが大好きだよ。だからシェイドの魂も大切。それがたとえ別の人になって、フィアのこと忘れちゃっても変わらない」
「魂そのものへの愛ですか。深いですね」
「うーん。深いかどうかは分からないけど。それに期限ある命として生み出された者が永遠に生きるのって辛いんじゃないかなぁ。フィアたちはもともとそういう風に出来てるからあんまり感じないだけで」
「そう……かもしれません」
「うん。だからね。フィアは天界からシェイドの魂のストーカーをするんだ!」
フィアの言葉にカイムがぎょっとなった。
「す、ストーカー?」
「うん。近づいたりはしないよ。ここから見たり、たまーに人間界におりて物陰からこっそり見たり……」
「それはありなんでしょうか」
「うーん。それ位は許して欲しいなぁ。リリスが言ってたよ。覗きと隠し撮りは愛の証拠だ、って!」
「か、神様……リリスさんの言うことに毒されないで下さい!」
フィアはこてんと首を傾げた。
何故だろう。リリスはそれで結婚を勝ち取ったのだ。人面ガトーショコラを渡したにも関わらず、彼女はとんとん拍子に婚約までこぎつけた。つまりリリスの言うことは正しいのではないか。
ちなみに結婚式にはフィアとシェイドも呼んでもらうことが確定済みだ。ご馳走が沢山だと聞いているフィアは今から楽しみで仕方ない。
そんな結婚式のご馳走に心浮かれるフィアとは対照的に、しばらくの間カイムは俯いて魂とかストーカーとかいう言葉をブツブツと呟いていた。




