神様とリリス、恋する乙女たち
フィアは物陰からこっそりととある人物を見つめていた。
彼は多くの者に囲まれている。自分も近寄って話しかけたい。だがなかなか勇気が出なかった。
彼の姿をここで見られるのもあと僅か。今日こそ話しかけようと心を決めて来たのに、自分はここで見つめるしか出来ないのだ。
自分の臆病さが腹立たしい。
もうそろそろ時間だ、とフィアは気づく。行かねばならない。今日はリリスと約束しているのだ。ここで粘れば遅刻し、彼女を待たせてしまう。
渋々その場を離れるとエアーバイクの駐輪場へと向かう。やっぱり今日も無理だった。明日こそ頑張ろう。
フィアはそう考え、リリスと待ち合わせしている場所へ向けてエアーバイクを走らせた。
***
リリスと待ち合わせしているのは最近コキュートスでも話題の喫茶店だ。パフェなる食べ物が有名らしく、他の層からも客が押し寄せるらしい。
白とピンクを基調とした可愛らしい内装の店内に入る。見渡す限り女性ばかりだ。数少ない男性たちはどこか居心地が悪そうにしている。
キョロキョロと店内を見渡していたフィアの視線が店の奥で止まった。奥の目立たない席にリリスはいた。視線を落とし、何かを熱心に見ている。どうやら彼女はフィアに気づいていないようだ。
フィアはリリスの席に近づき、声をかけた。
「リリス。フィアだよ。待たせてごめんね」
「え……あ、神様!」
一般フォンの画面を見ていたらしい。フィアの呼びかけに慌てて顔を上げたリリスはちょっとにやけている。
何か良い事があったのだろうか。不思議に思いながらフィアはリリスの向かい側の椅子に腰掛ける。
「はい、メニュー」
リリスがメニューを渡してくれる。彼女もまだ注文をしてないらしい。フィアと同じようにメニューを開き、何にするか吟味していた。
それにしても、これが噂のパフェか、とフィアは目を見張る。
「美味しそう。種類もいっぱいだから悩むね」
「そうね。何にしようかしら」
パフェの名前とその写真、そして中に何が入っているか書かれたそれを一つ一つ見ていく。リリスが言うには一番代表的なパフェはチョコレートパフェらしい。
チョコレートパフェは一番上に名前があった。その中に何が入っているか確認し、自分の好きなものばかりなのに笑みをこぼす。他にも気になるパフェは沢山あるがとりあえずこれにしよう。
フィアはメニューを閉じ、テーブルに置いた。
「フィアはチョコレートパフェにする」
「うーん。私はフルーツパフェにするわ」
互いの注文が決まったところでリリスが店員を呼ぶ。二人の注文を告げ、店員が去ったところでフィアは先ほどから気になっていたことを聞いた。
「ねえ、リリス。さっき何やってたの?」
「え……ああ、メッセージが来てたから嬉しくなって」
「ふぅーん。そうなんだ」
「そうなの」
リリスは思い出し笑いしながら一般フォンの画面を指で撫でている。かなり上機嫌だ。
「何かいいお知らせだったの?」
「ふふ、ふふふ……うふふふ」
リリスはたまらないといった様子で笑い始める。その様子は上機嫌を通り越して少し不気味だ。フィアはこれ以上この事に触れないほうが良いかもしれないと思い、別の話題を考える。
だがリリス本人がそれをさせなかった。ぐっとテーブル越しに身を乗り出してきた。
何だかちょっと怖い。
「ふふ、神様も気になる?」
「うにゃっ! べ、別にフィアは……」
「んもう! 神様ったら遠慮は無用よ。私たちの仲じゃない!」
別に遠慮はしていない。
だがリリスは目をギラギラとさせ身を乗り出し、手まで握り締めてくる。こうなればフィアは頷く他なかった。
きっとこの様子は恋バナだ。リリスから恋バナを取り上げてはならない。凶暴化してしまうと、モラクスが言っていた。
しかもリリスは先日お見合いパーティーに行くと言っていた。もしかしたらそこで良い出会いがあったのかもしれない。『これで今年はシングルベルとお別れするわ!』と熱く語っていたではないか。シングルベルが何かわからないが、これまたモラクスが『ジングルベルの自虐的もじりです』と教えてくれた。フィアにはジングルベルが何かも分からないけれど、適当に頷いておいたのだ。
「やっぱり女子は恋バナよね」
「お見合いパーティーのこと?」
「そうなの!」
リリスは両手を己の頬に当て身体をくねらせている。
リリスにお見合いパーティーを勧めたのはモラクスだ。最初は『お見合いパーティーなんて』と渋っていたリリスが乗り気になったのは理由がある。モラクス自身お見合いパーティーで知り合った相手と結婚したというのを聞いたのが一つ目の理由だ。二つ目の理由はあのベルゼブブもそうだということである。
フィアはベルゼブブが結婚しているとは知らなかった。自分が復活する前の話らしいが、十年ほど前の話だと言うからつい最近ではないか。しかも子どもまでいるそうだ。今魔界最年少の高位魔族の幼体はその子らしい。
教えてくれないなんてベルゼブブも水臭い。ついでにフィアより一つ年下である彼の娘を紹介して欲しい。お友達になるのだ。
「実は今もね、知り合った彼と連絡をとってたの」
「そうなんだ。結婚出来そう?」
「もうっ、神様ったら。おませさんね。ふふふ……ヴァレンタインで更に距離を詰める予定なの」
その時二人のもとへ注文したパフェが運ばれてきた。
高さのあるグラスに盛り付けられたチョコレートパフェ。自分の好きなものばかりが入っている。フィアはさっそくスプーンを手に取った。チョコレートソースがかけられた生クリームをスプーンですくって口に運ぶ。思わず笑みがこぼれた。
「神様、ヴァレンタインのチョコレート一緒に作らない?」
「んにゃ?」
夢中でパフェを食べていたフィアはリリスの提案に首を傾げた。
「ほら、前にお菓子作り教室に収録で行ったでしょう。好きな人やお世話になってる人にチョコレートを贈るイベントよ。せっかくのヴァレンタインだもの。手作りしてプレゼントしましょ!」
フィアはドキドキクッキング始まって以来の恐怖の回リリス怨嗟のチョコレートテリーヌを思い出す。そういえばシェイドにあげようかと考えていたのだ。
好きな人——そうだ、チョコレートをきっかけに話しかければ良いかもしれない。
お菓子作り教室で教わったチョコレートテリーヌは簡単で美味しかった。あれにしようか。
「ねえ、リリス。チョコレートテリーヌ作ろう」
「えっ……チョコレートテリーヌは……」
あの怨嗟の味を思い出したのだろう。リリスが複雑そうな表情でもごもご言っている。
どうやらあれは彼女にとって思い出したくない悪しき思い出のようだ。
「んー。嫌なら別のにする? でもフィアあれ以外のチョコレートって作ったことない」
ドキドキクッキングでも過去に作ったことがあるのはシュークリームだ。ぺしゃんこになってカスタードクリームを入れられなかったシュークリーム。
まさかあれを今回作るわけにはいかないだろう。
「でも、シェイドに教わるのもなぁ……。せっかくプレゼントするんだから秘密にしときたいもん」
「そうよね。……そうだわ。今魔界ではヴァレンタイン向けの講座をひらいてるお菓子作り教室も多いはず」
「じゃあ、そこに二人でいけばいいんだね!」
「ええ。折角だから作る練習は私の家でやりましょう。そうすれば勇者様に見つからないわ」
「うん、シェイドには秘密だね!」
ヴァレンタイン作戦だ。
フィアとリリスは頷き合った。チョコレート作りの講座はリリスが探してくれるらしい。その合間にラッピング用品を買いに行くのも決まった。
美味しいチョコレートを作り、シェイドに喜んでもらう。そしてなかなか話しかけることも出来ない彼に話しかけるのだ。
フィアはそう決意すると再びチョコレートパフェを食べ始めた。




