とあるエルフの兄弟
シェイドとゼムリヤは宿の食堂で向かい合い座っていた。
「忘年会ぶりだな」
ゼムリヤの言葉にシェイドは頷いた。
「そうですね」
まだ昼食の時間には早く、食堂は人もまばらだ。フィアはビオラの手伝いをすると言って食堂をちょろちょろしている。いつもドキドキクッキングで身につけているエプロンをつけてお運びの手伝いだ。
シェイドはフィアからゼムリヤへと視線を戻す。純血のエルフである彼は出会った二十五年前から全く姿が変わらない。
ゼムリヤは純血のエルフでありながら、かなり昔にアルフヘイムを出て暮らしている。かつては天界とエルフの戦いで活躍したこともある彼はアルフへイムを捨て去るほどに農業に夢中だ。今や大農園の主である。
二十五年前の戦いではシェイドたちと共に原初のエルフと戦ってくれた。今はエルヴァン同様に毎年ウロボロスに多額の寄付をし、その活動を支えている。
彼の農園はこの大陸にあるが、まさかこの宿屋で会うとは思わなかった。
「それにしても、ここであなたと会うとは思いませんでしたね」
シェイドの言葉にゼムリヤがちょっと笑った。
「俺もだ。勇者はここで何を?」
「俺は旅行です。これからフィアと一緒にアルフヘイムに行こうかと思って」
「そうか……」
「お茶ですよー」
フィアの声が割り込んで来た。見れば茶の入っているらしいカップを二つのせた盆を手に立っている。
背伸びしてテーブルにカップをのせようとするフィアからシェイドは慌ててそれを受け取った。
「ごゆっくりどうぞ!」
すっかりウェイトレスごっこが気に入ったらしい。フィアはぴょこんと頭を下げ、盆を抱えて立ち去ろうとした。それをゼムリヤが呼び止める。
「神様、ちょっと待ってくれ」
「むー、何?」
ゼムリヤはシェイドの隣の席を指差した。
「少し話があるんだが、いいか?」
「んー。ちょっとビオラに言ってくるね!」
フィアは頷くと別のテーブルに茶を運んでいたビオラに駆け寄った。そして一言二言何か言って、また戻ってくる。シェイドの隣の椅子に腰をかけ、盆をテーブルにのせると彼女はゼムリヤに尋ねた。
「大丈夫! 話って何?」
「ああ。今、勇者から二人はアルフヘイムへ行く予定だと聞いたんだが」
「そうだよ。アルフヘイムの様子見て、アダムに会うんだ」
「そうか。もし……もし良かったら愚弟にも会ってやってくれないか?」
ゼムリヤの言葉にシェイドは驚いた。だがフィアは訳が分からないという表情で首を傾げている。
「愚弟?」
「そう。俺のバカな弟。神様もよく知っているだろう? ヴェルンドだ」
ヴェルンドの名前を聞いたフィアの表情が固まった。それに気づいているだろうゼムリヤは言いづらそうに続けた。
「あいつは今、アルフヘイムで工房やってる。元々錬金術でオレイカルコスを創り出し、それを使った武具を創るのをあいつは得意としていた。それを人間に売って、賠償金を稼いでるわけだ」
「もしかしてゼムリヤさん、アルフヘイムに行った帰りなんですか?」
シェイドの問いかけにゼムリヤは頷いた。アルフヘイムに弟をはじめとしたエルフたちの様子を見に行き、その帰りにハーフエルフの村の様子も見に来たらしい。
「監視者としてアダムがいるとはいっても、同族の監視も必要だ。あれから何人もバカなことを考え、死の首輪で死んでいったから流石にもうそんな奴はいないと思うが……。同族として見張る義務が俺にはある」
二十五年前原初のエルフに加担したエルフたちは皆、ルシファーから死の首輪をつけられた。再び世界に仇をなすような事を企んだり行えば、その者が即座に消滅するように。
ゼムリヤは彼にしては珍しくフィアの顔色を伺いながら続けた。
「神様とあいつの確執は知ってる。だからもし神様があいつに会いたくないと言うならば仕方ない」
フィアは生まれてから三年間ゼムリヤの弟であるヴェルンドと暮らしていたとシェイドは聞いている。フィアの複雑な出生とヴェルンドの抱える復讐心が絡み合い、二人の関係を難しいものとしているのだろう。それに加えてヴェルンドは二十五年前原初のエルフに加担し、罪人となっている。
フィアはじっと黙ってゼムリヤの言葉を聞いていた。彼女が何を思っているか、その表情から読み取ることは出来ない。
「あいつは二十五年前に罪人となってから一度もアルフヘイムを出ることなく真面目に働いてる。だから、もし良ければ会ってやってくれないか? 今まで抱えていた事を乗り越えつつあると俺は思っている」
ゼムリヤが続きを語ろうとしたが、フィアが首を横に振ってそれを止めた。ゼムリヤの表情が翳る。
シェイドも思わずフィアを見た。だが何も言うことが出来ない。生まれてから三歳までの間、何の罪もないのに復讐の道具として彼に使われたフィアを責めることは出来ないのだ。
もっともフィアの出生そのものがヴェルンドにとっては呪わしいものなのだが、それをヴェルンドは知らないだろう。フィアの出生の秘密を知っていたのはルシファーだけであったし、今もヴェルンドはそれを知らないはずだ。薄々と何か察してはいるかもしれないけれど……。だからゼムリヤはヴェルンドと会ってやって欲しいと願ったのかもしれない。
弟が過去と完全に決別するために。
シェイドとゼムリヤは何か言おうとしているフィアを見守った。彼女は口を開いたと思えば何も言うことなく口を閉じる。どうやら悩んでいる様子だ。
「フィア」
シェイドは嫌なら無理をすることはない、と言おうとした。
「シェイド、平気。大丈夫だよ、ゼムリヤ。フィア、ヴェルンドと会うよ。フィアにも話さなきゃいけないことがあるもん」
「無理しなくても……」
「ううん。無理してないよ」
フィアはそう言うと笑って立ち上がった。盆を手にビオラの方へと駆けて行く。手伝いに戻るつもりらしい。
その背中を見送ってゼムリヤは言った。
「無理を言ったかな」
「いや。あいつにとっても大切なことだと思ったんだろ」
フィアにも寿命がないように、ヴェルンドにも寿命はない。いつまでも抱えていくには重い話だ。
「もし、あの愚弟が馬鹿なことをしたら容赦無く消せと伝えてくれ……。いや、それも甘えだな。その時は俺を呼んでくれ。俺が始末しよう」
「ゼムリヤさん呼ぶ前に死の首輪が発動するんじゃないですかね?」
シェイドの言葉にゼムリヤはちょっと笑って言った。
「そうならない事を願うよ」
***
フィアは宿の厨房で昼食の支度をするビオラの手伝いをしていた。宿に泊まる客の殆どが朝食を食べた後に旅立つ。だから準備する昼食の量は朝食や夕食に比べると少ないそうだ。
今フィアは野菜を洗っている。ビオラはフィアが洗い終えた野菜を刻んでいた。彼女は手を動かしながら隣のフィアを笑顔で見て言った。
「何だか、いいわね。こういうの憧れてたのよね」
「んにゃ?」
フィアは洗い終えた野菜を渡し、首を傾げる。こういうのとはどういう事だろうか。
「ほら。私って子どもいないでしょう。だから娘と一緒に台所に立つなんて憧れだったの」
ビオラの言葉になるほどと頷いた。グレンに聞いた話ではビオラの死んだ夫は人間であったと言う。
ハーフエルフはハーフエルフ同士でしか子が出来ない。だから彼女には子どもがいないのだ。
ビオラは嬉しそうにまた野菜を刻みはじめる。そしてふと思い出したように言った。
「そう言えば、美味しいアイスクリームあるから後で二人でこっそり食べましょう」
「アイスクリーム!」
「好き?」
フィアはこくこくと頷いた。ソフトクリームの柔らかさも美味しいがアイスクリームも美味しい。どちらも大好きだ。
ゼムリヤからヴェルンドの話をされて少し落ち込んでいた気分が浮上する。やはり自分はちょっと無理をしているらしいとフィアは思った。
ヴェルンドとちゃんと話を出来るだろうか。彼と会うまでに話すことを考えておかねばならない。そうでないと頭が真っ白になって何も言えないかもしれない。
しかしどんな顔をして言えば良いのだろう。
あなたが好きだった人はバラバラにされた。そのエーテル体はフィアの物になった、など。
フィアにとっては消えた彼女も自分の一部である。だがヴェルンドや消えた彼女本人からすれば、その命を奪い取られたにも等しい。
たとえそれがルシファーの手によるものでフィアはその結果に過ぎなくても、ヴェルンドと消えた彼女がフィアを恨んでも文句は言えないのだ。
ビオラが鍋を取りにその場を離れた隙に、フィアは深々とため息をついた。
フィアが生まれたのはルシファーの新しい生命体を創ってみよう、という計画がきっかけだ。神が消滅し、その魔力だけが残された。それを手にした彼はその計画の中で、自分の願いを叶えてくれる存在を創ることを思いついたのだ。
その結果生まれたのがフィアだ。
フィアは神の力とルシファーの力を受け継いだ。だが魔力だけで生命体とはなり得ない。天使、魔族、エルフはエーテル体と魔力、精神体の三つが揃わねばならないのだ。魔力はあるがエーテル体がなく、神でないルシファーは無からそれを創れなかった。そこで一人のエルフの女性が犠牲となった。
当時のルシファーによる新しい生命体を創る計画とは、破壊の力を持つ魔族と創造の力を持つエルフの間に子を作ることで、相反する二つの力を持つものを創る計画だった。しかしエルフと魔族は協力しあうような間柄でもなく、エルフ側の協力者を得られなかったらしい。やむをえずルシファーは魔王の一人に欲深く魔族と契約しそうなエルフの女を探させた。
そこで選ばれたのがフィアを産んだエルフ、クローディアだ。
クローディアは己の姉であったフィアレインの婚約者であったヴェルンドを愛していた。姉を邪魔に思い、何としても愛する男を手に入れたいと願った彼女に嫉妬を司る魔王レヴィアタンが契約を持ちかけた。
魔族の計画に協力する代わりに姉を消してやろう、と。
自分の力では遥かに強い姉を消し去れないクローディアはレヴィアタンの申し出に飛びついた。子どものフィアでさえ邪魔者がいなくなったからと言って、ヴェルンドがクローディアのものになるとは思えない。だがクローディアはそんなことは考えなかったのだろう。とりあえず邪魔者を排除し、それから彼を手に入れる術を考えようと思ったのだろうか。
その結果、クローディアは魔族とエルフの繁殖計画に協力することとなり、その姉フィアレインは何かに使えるかも知れないとバラバラにされた状態でルシファーに保管された。精神体はあっと言う間に消滅したらしい。残されたのは魔力とエーテル体だけだ。そしてフィアを創りだす時、そのエーテル体を使ったのだ。
次の段階では、魔力とエーテル体の塊となったフィアはルシファーの手によりクローディアの胎内に入れられた。フィアはクローディアの胎内にいた胎児を喰らい吸収し、そこでやっと完全な一つの生命体となったのだ。クローディアにとって、実の姉であり憎んだ相手でもあるフィアレイン。その彼女の核であったエーテル体を持つ存在をクローディアが産むことになるとは、皮肉以外の何物でもない。
もちろんクローディア本人はフィアが姉のエーテル体を持っているなど知らない。
その後出産間近のクローディアを見つけ出したヴェルンドは彼女と暮らし始めた。己の婚約者の死の原因がその妹である彼女にあるのを知っていた彼がそうしたのは復讐のためだ。そして彼はクローディアが我が子を疎んでいるのを知り、彼女が名前さえつけようとしなかった子どもに彼自ら名前をつけた。クローディアが憎み、ヴェルンドが愛した女の名前。
フィアレインと。
フィアの捨てた名だ。
フィアは思った。真実を知ればヴェルンドは自分を恨むだろう。それは当然だ。彼にはその権利がある。
では、自分は?
もし彼がフィアを恨み、憎み、その死さえ望んだら?
その時自分はどうすれば良いのだろうか。フィアは彼との話し合いの先にある結末を想像すると気が重くなった。




