神の誠意
フィアはぼんやりと天井を見つめていた。
いつもならとっくに眠っている時間だ。だが今日は眠気が訪れない。日中ビオラの手伝いをして疲れているはずなのに。
フィアは自分が横たわるベッドの隣に置かれているベッドを見た。そこにはシェイドの姿はない。彼が眠るには少し早い時間だ。今は食堂でゼムリヤやビオラと話しているに違いなかった。
フィアはため息をついて起き上がった。手持ちの本でも読もうと思ったのだ。そうしたら少しは眠たくなるかもしれない。
暗い中で読書をするとシェイドに叱られるので、ベッドサイドにおかれた魔法式ランプの明かりをつける。取り出した本を開き、しばらく読み進めた。だが全く内容が頭に入ってこない。
その時扉が開く小さな音がした。はっと顔を上げると、部屋に入ってきたシェイドと目があった。フィアが起きていることに驚いたらしい。彼が目を見開く。
「どうした?」
シェイドはフィアのベッドに腰掛けて尋ねる。フィアは本を置いて俯いた。この自分の中に渦巻く感情をどう言い表せば良いかわからない。
「うにゃーー!」
混乱してきたフィアは頭をぐりぐりとシェイドの背中に押し付けて叫んだ。何と言っていいか、本当にわからないのだ。
腹も立っている。哀しくもある。申し訳なさもある。でも自分は何も悪くないと叫びたい。
行き場のない感情をぶつけるように、フィアは黙っているシェイドの背中に己の頭をぐりぐりと押し付け続けた。自分の髪がこすれる音が聞こえる。
しばらくそうしていたフィアは疲れ、項垂れた。そして思わず呟く。
「フィアは悪くないもん……」
「そうだな」
「フィアは何にも悪いことなんてしてないもん!」
「そうだな」
シェイドは肯定してくれたが、フィアはきまりが悪い。己の無実を叫んでおいて何だと言われそうだが、フィア本人が己の無実を叫んではならないのだと分かっている。自分の生命そのものが他者を喰い物にして存在しているのだ。それを考えれば、自分は生まれこうやって生きていること自体が罪なのだろう。
だからフィア自ら自分は悪くないと主張してはならないのだ。そんなことをしたら自分は悪い子になってしまう。シェイドに悪い子だと思われたくない。ならば自分は前言撤回しなければならないだろう。
フィアはそう考えるとシェイドに謝罪した。
「ごめんなさい」
「……なあ、フィア。本当に無理してヴェルンドに会わなくてもいいんだぞ。どう考えても、あいつが悪い。あいつが恨むべき相手はお前じゃないし。ゼムリヤさんとか、ルシファーとかヴェルンドもそうだけど、あいつら神に生み出されたり混沌から生まれた連中は子どもの気持ちがわからないから。自分たち大人と同じように子どもを扱ってる」
フィアはセーレが言っていた言葉を思い出した。あの人たちには幼体のことが何もわからないのだ、と。
「だから別に無理する必要はないし。お前は何も悪くないよ」
「フィア悪い子になりたくないもん」
自分は良い子なのだ、とフィアは己に言い聞かせるように呟いた。
フィアのしぼり出すような呟きを聞いたシェイドは黙っている。フィアは俯いているから彼がどんな顔をしているかわからない。
「なあ、フィア。別に良い子じゃなくてもいいんだぞ。お前は昔から何かあるたびに自分は良い子だって言ってるけどさ。……これはお前が悪い子だって言ってる訳じゃないから誤解するなよ!」
黙り込むフィアにシェイドは慌てて付けたしている。だがフィアは別に自分が悪い子だと言われたと思って黙り込んだのではない。
単にシェイドの言う意味がわからないのだ。良い子でなくても構わないとはどういう意味だろう。
「シェイド、フィアには意味がわからないよ」
「うーん。つまりな、別にフィアが良い子じゃなくても辛い思いや痛い思いをしないってこと。良い子じゃないからって捨てられたりしないってことを言いたかった」
「良い子じゃないのに?」
「そうだ」
フィアは思わず顔を上げた。シェイドはフィアでなくどこか遠くを見るような目をして言った。
「昔は俺もわからなかったんだけど。フィアはよく自分は良い子だって言うなぁくらいしか思わなかった。でも俺も子どもが生まれて自分が親になったから分かったのかな。フィアは良い子にしていないと辛い思いをしたり、最悪捨てられてしまうと思っていて、それが子どもらしく生きることを邪魔してるんだと気づいた」
「でも、フィアは神様だもん」
だから自分は我慢しなければならない。ただでさえ他人の生命を犠牲としている身なのだ。
だがシェイドは首を横に振った。
「フィア。神様だからこそだ。俺はフィアに子どもである時には子どもらしく生きて欲しい。そうじゃないと大人になった時、子どもの気持ちがわからない大人になる。ルシファーやゼムリヤさんやヴェルンドみたいに子どもにも大人と同じことを要求し、それをおかしいと思わない神様になって欲しくない」
まああの人たちはそういう風に創られているから仕方ないけど、とシェイドは呟いた。人間が蟻の気持ちがわからないのと一緒だ、と。
「シェイドはフィアが良い子じゃなくてもいいの?」
「そうだな。たとえ食べたくないピペリアの天ぷらを転送魔法でグレンの皿に放りこんでも、夕食のスープに入ってた豆を間違って落としたふりして床に捨てても、別にフィアを放り出したりはしないぞ。好き嫌いするなとか、食べ物無駄にするなとは言うが」
フィアは愕然となった。
ばれてないと思ったのだ。自分はうまくやったつもりだったのに、昨日今日の悪行を知られていたらしい。何てことだ。
「フィア、バレバレだ。甘いぞ」
「ううっ……」
「それにな。悪い子っていうけど、子どもの罪は親の罪。俺たちの場合は保護者の罪、か。悪いことしたら叱ったり、行動を正す義務が大人にはある」
フィアはそうか、と思った。
自分は良い子でなくても構わないのだ。悪いことをすれば叱って教えてもらえる。そうやって生きていけばいい。良い子であろうと自分を縛らなくてもよいのだ。間違った方向に進まないようにちゃんと見守ってくれると、保護者の責任を果たすとシェイドは言ってくれているのだ。
フィアはシェイドと出会った時のこと——一人山道を歩いていた時のことを思い出した。あれからずっと心の中には捨てられたらひとりぼっちになってしまうという思いがあった。フィアはシェイドがそんな人間でないと分かっている。でもそんな人間でなくてもそうせざるを得ない事だってあるのをフィアは知っている。自分自身、心の隅にある不安を捨てられなかった。
だからずっと良い子でなければならないと言い聞かせてきたのだ。でも良い子でなくても構わないと言ってくれた。
今まで長く自分を縛っていた重い鎖が消えたような気分になり、フィアは思わず笑みを浮かべた。
***
翌日フィアとシェイドは朝食を食べた後、ビオラに別れを告げてアルフヘイムへと向かった。
フィアの転移で一瞬で移動も可能だが折角の旅行である。二人はハーフエルフの村からアルフヘイムに向かって出ている定期便の魔法車に乗ることにした。
フィアはシェイドと並んで座り、窓から外を眺めている。魔法車の乗車率は高い。フィアたちも朝から停留所に並んでいなかったら乗れなかっただろう。乗っている半分は人間で、シェイドが言うには商人が殆どだろうとのことだ。
「あー。エルヴァンさんに酔い止めもらってて良かった」
シェイドはそう言って笑う。旅行をすると決めた彼はあらかじめエルヴァンに特製酔い止め薬をもらっていたらしい。
「お昼過ぎには着くんだね!」
アダムに会うのが楽しみだ、とフィアは笑った。シェイドは頷く。
「そう。だから昼食はこの中で食べる予定だ」
「シェイド、ご飯食べられるの?」
昔ともに旅していた頃、乗り物酔いの激しい彼は気分が悪くなると食事をとれなかったはずだ。
「薬のおかげだな。この調子だと多分大丈夫だ」
「そっか。ビオラがね、お弁当のおかずは唐揚げだって言ってた!」
昨日フィアはお手伝いをしながら自分の好物を告げておいたのだ。フィアの好きな食べ物は唐揚げ、焼きそば、チョコレート。飲み物はココアだ。ちなみに次点は芋のグラタンやハンバーグ、ソフトクリームなどである。
「よかったな」
「うん!」
お昼ご飯が楽しみだとフィアは嬉しくなった。
昨夜あれだけ重かった気分も楽になっている。真実を告げた時のヴェルンドの気持ちを考えれば心は痛む。だがフィアはフィアとして生きていくしかないのだ。今さら消滅した彼女にエーテル体を戻すことも叶わない。それにフィアは生きていたいのだ。
だから消滅した彼女の分も生きようと思う。彼女だけでない。自分がここに存在するために犠牲になった者は一人や二人どころではないのだ。
犠牲になった者たちの分も生きよう。神様としてこの世界を守るのは何もシェイドの魂のためだけではない。自分自身のため、犠牲になった多くの者たちのため。
それがフィアに出来る精一杯のことであり、犠牲になった者たちに捧げられる誠意なのだ。




