神様、ひとりぼっち
フィアはアケロンドライビングスクールの門の前に立っていた。
アケロンドライビングスクールはその名の通り、魔界第一層のアケロン川近くにある教習所だ。最近は幼体の合宿コースなどに力を入れている。
フィアはいくつかの教習所を候補にあげていた。その中でここを選んだ理由はいくつかある。
まずは寮が個室でお風呂とトイレが各部屋にあったこと。教習所のうたい文句を借りると『アニメ見放題』『ジュース飲み放題』『お菓子食べ放題』さらに『専属シェフの作った美味しい食事』がおかわり自由、『優しい寮母さんがあなたの寮生活をサポート』とあったのだ。教習の方は『親切丁寧な教官』と『追加料金一切なし』である。値段だけならば他に安い所があったが、内容まで見ればここが一番良さそうだったのだ。最後の一押しは『極寒のコキュートスではなく暖かい第一層で免許を取ろう』という言葉である。
コキュートスは氷結地獄、年がら年中寒い。そんな中エアーバイクの教習を外で行うのは苦痛である。
フィアは門をくぐると教習所の受付に向かった。寮に案内してもらわねばならないのだ。
「いらっしゃいませ」
フィアが建物に入った途端、受付にいた女性二人が立ち上がり頭を下げる。
「あの、今日から合宿で……」
「神様ですね。お待ちしておりました。寮にご案内致します」
フィアは受付の女性に案内され同じ敷地内にある寮に向かった。真新しく立派な建物だ。
「神様、まずは寮母を紹介しますね」
受付の女性の言葉に頷く。建物に入るとすぐの所に女性が一人いた。足元を見れば彼女がラミア属の者であると分かった。
「はじめまして、神様。寮母のマーテルです。寮生活で困ったことがあれば私に相談してください。では、お部屋にご案内しますね」
受付の女性はそこで立ち去り、フィアはマーテルに連れられて寮の廊下を歩く。
「一階は食堂になってます。食事は一日三回ご用意しております。時間になったら食堂までいらして下さいね。飲み物やお菓子も一階にありますので自由におとり下さい。お部屋にはテレビがありますし、ご希望があればアニメフィルムを貸し出ししています」
フィアは周囲を見回しながら頷く。そのまま二人は階段をのぼり二階へと移動した。
廊下にはいくつものドアが並んでいる。
「神様のお部屋は二階です。ちなみに他の合宿生の方もここにいらっしゃいます。他の方のお部屋に遊びに行くのは自由ですが、くれぐれも夜更かししすぎたりしないように気をつけて下さいね」
「大丈夫!」
いつも夕食を食べてしばらくすると眠たくなるのだ。夜更かしなどとは無縁である。
力強く頷くフィアにマーテルは微笑んだ。
「ちなみに今日一緒に入校される幼体の方は三人いらっしゃいます。そのうちのお一人は高位魔族なのですよ」
「へー、そうなんだ……」
ただでさえ珍しい高位魔族の幼体にこんなところで出会えるとは思わなかった。お友達になれればいいなとフィアは心踊らせる。
「さ、こちらが神様のお部屋です」
案内されたのは暖色系でまとめられた部屋だった。広々としていて大きなベッドや机、テレビもあるし小ぶりな冷保存庫まで用意されている。
「広い!」
「あちらがお風呂とトイレの扉です。洗濯物は朝このカゴにいれておいて頂ければ、こちらで洗濯いたしますね」
フィアはお風呂とトイレを覗き込みながら、うんうんと頷く。
「今日はこれから入校式がありますから、荷物を片付けたら、筆記用具を持って教習所の受付にいらして下さいね」
「んにゃ!」
今日さっそくエアーバイクに乗れるだろうか。楽しみだ。
***
フィアは先ほど受付で渡された教習所のしおりと筆記用具を手に一階におりていった。
マーテルが入り口のすぐ前にいる。彼女のそばには二人の幼体がいた。ゴブリンとオークの幼体だ。
「あ、神様。もうちょっと待って下さいね。もう一人いらっしゃるので」
遅れているのは高位魔族の幼体だろう。フィアは先にいた二人の紹介を受けた。
どちらもフィアと年が近い。仲良くやれるといいなと思った。彼らに自己紹介をしていると、バタバタと誰かが階段を駆け下りてくる音が聞こえる。
「あ、セーレ様もいらっしゃったようですね」
マーテルの言葉にフィアは背後の階段を振り返る。階段を駆け下りてきた高位魔族の少年と目が合い、お互いに凍りついた。
「神様、こちらはセーレ様……神様?」
まさかこいつだとは。
恐らく自分だけではない、目の前の少年もそう思ったであろう。
「お二人はお知り合いだったんですか?」
マーテルの言葉に何も言えない。二人はどちらからともなく目を逸らした。気まずい空気が流れる。
知り合いかと言われれば知っている。だがフィアはつい先日モラクスに聞くまで彼の名前を知らなかった。
このセーレという少年と会ったことがあるのは一度だけ。
二十五年前シェイドが死にかけていた時、彼の命を救う方法を求めて一人魔界を訪れた時にたまたま会ったのだ。セーレはフィアが訪れた街でオークの少年を痛めつけて遊んでいた。そしてそこを通りがかったフィアを雑種よばわりし、魔法で耳を切断してきたのだ。
その時フィアは自分が神であるとは知らなかったし、魔界でもそれを知っていたのはルシファーを始めとする一部の者だけであった。
魔界でフィアが神であると知らない者が殆どいない今となっては、セーレから雑種よばわりされることもないだろう。だが正直なところ、あまり良い印象のない相手である。
幼体保護法を盾に好き勝手なことをしている彼は魔界全土でも評判が良くない。
黙り込んだ二人に、あまり突っ込まないほうが良いと感じたのだろう。マーテルはそれ以上何も言わず、教習所の受付まで四人の幼体を案内した。ここからは教習所の教官の担当である。
教習所内の一つの教室にいれられ、入校式が行われる。校長と呼ばれている者の挨拶と教科書の配布という簡単なものだった。
「これからは学科になります。午前中は教室で授業、お昼は寮に戻って昼食をとって、午後からはシミュレーターで運転の練習をしましょう」
フィアは校長の話にほうほうと頷く。
「学科も大切ですからね。試験に落ちちゃったら免許がとれません。頑張ってお勉強しましょう。では、教官を紹介しますね」
校長は教室の扉を開き、一人の猿人魔族を招き入れた。
「ヴォラン先生、お願いします」
校長はヴォランと呼ばれた教官に頼むと教室を出ていった。ヴォランは教室にいる四人を見渡し、話し始めた。
「教官のヴォランです。幼体コースを担当しています。まずは午前中の授業をはじめましょう。午後からのシミュレーターを使った練習でも交通に関するルールは非常に重要になってきます。しっかり覚えて、午後に備えましょう」
フィア達は言われた通りのページを開き、授業に聞き入った。
魔界の空は好き勝手に走って良いというものではない。空中に標識なるものが浮かんでいるし、速度や高度の制限もあるという。幼体向けエアーバイクは大人が乗るそれに比べて速度もでない。それに大人は幼体の乗るエアーバイクにちゃんと配慮をしなければならないらしい。
「なので一番危ないのは幼体同士の事故ですね。相手が常に避けてくれるなどと考えるのはやめましょう。常に安全運転、法令遵守を心がけましょう」
大切だと言われた所に筆記具で印をつけ、メモするように言われたことはちゃんと書き込んだ。
熱心に話に聞き入っているとあっと言う間に午前中の授業が終わってしまった。ヴォランは教科書を閉じながら四人に言った。
「じゃあ、午前中はここまでです。寮に帰って、お昼ご飯を食べてくださいね。午後のシミュレーター授業までは時間がありますから、午前中に習ったことをちゃんと復習しておいて下さい」
ヴォランが教室から出て行くのを見届け、フィアは立ち上がる。教科書を持って寮の自分の部屋に転移した。これを置いてから食堂へ行くのだ。
メニューは何だろうかとわくわくしながら部屋を出て階段をおりる。
食堂には既に他の合宿生である幼体たちがいた。フィアは空いている椅子に座る。すると待つまでもなく食事が給仕の手で運ばれて来た。パンとスープ、メインディッシュの皿が並べられる。デザートはプリンのようだ。メインのおかずを見て、フィアは声をあげた。
「エビフライだ!」
いそいそとフォークとナイフを手に取る。
皿の上には大きなエビフライが三つ、葉野菜を千切りしたもの、ブロッコリーとトマトが添えられていた。スープには自分の嫌いな橙色の根菜がいくつか浮かんでいたが見なかったことにする。
キツネ色に揚げられたエビフライを一口大に切り分ける。そしてタルタルソースにつけて、口へと運んだ。
「美味しい……」
揚げたてだろう。まだ熱く、衣はサクサクとしている。中のエビもぷりぷりとしていて、タルタルソースの酸味とまろやかさと良い相性だ。
瞬く間にエビフライが皿から消える。フィアはおかわりをもらおうと給仕を探し、食堂中に視線を巡らせた。
そして気づく。一人で食事をとっているのは自分だけだと。他の幼体たちは友達だろう相手と仲良くおしゃべりしながら食事をしていた。あのセーレでさえ入校日が同じ二人と一緒に食事をしている。
フィアは急に寂しくなった。ここにはシェイドはいない。そして子ども会の時のように、まわりから声をかけて仲間に入れてくれたりしないのだ。仲良くしたければ自分から近づくしかない。
だがこう見えて人見知りなフィアにはそれが出来ないのだ。多分いつも大人に囲まれているせいもあるだろう。子ども同士の関係の作り方が分からない。子ども会の時のように、仲良くなってしまえば何と言うこともないのだが。
フィアはスープの皿に視線を落とした。大嫌いな橙色の根菜が二つ、皿の中に残っている。
ここにはシェイドはいない。だから食べろなんて誰にも言われない。
だがフィアは手にしていたフォークで野菜を刺した。そしてそれを口に運ぶ。我慢してそれを食べながら思った。
ここにシェイドがいれば良いのに、と。




