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神様と元勇者のお菓子屋さん  作者: 魔法使い
第五章 神様、合宿免許への巻
32/81

チョコレートテリーヌは怨嗟の味

 今日はヴァレンタインスペシャルの収録日である。これが終われば合宿前にやるべき事は終了だ。

 午後からフィアはスタッフ達とともに教室入りしていた。リリスと二人で配られたレシピを眺める。


「テリーヌだって。どんなお菓子なのかなぁ」

「でも美味しそうね」


 二人がそんな話をしていると、背後から声がかけられた。


「リリスさん? こんなところで会うなんて奇遇ね」


 その声にリリスが固まった。そしてゆっくりと声の主へと振り返る。フィアも同じように振り返った。

 そこには魔族の見知らぬ女性が立っている。彼女は微笑みを浮かべフィアとリリスを見つめていた。


「ルサルカ……何故ここに?」

「私はいつもこの教室に通っているの」

「貴女が? 何のためによ」


 リリスの言葉にルサルカと呼ばれた女性はおかしそうに少し笑った。


「何のためって。夫と息子にお菓子を作ってあげるため、よ。そんなことより……」


 ルサルカはリリスからフィアへと視線を移す。


「はじめまして、神様。私はルシファー様にお仕えしているベリアルの妻で、ルサルカと申します」

「フィアだよ。よろしくね」


 フィアは丁寧にお辞儀をするルサルカに自らも名乗った。彼女はフィアににっこりと笑いかけた後、それにしてもとリリスへと向き直る。


「貴女がお菓子の教室に来るなんて。リリスさんがお料理なさるなんて知らなかったわ」

「……番組の収録よ」

「あら、そう。そういえばスタッフがいるものね。そうよね。ヴァレンタインデーに手作りチョコレート渡すなんて、お付き合いしてる男性相手じゃないと無理だものね。何の関係もない女から手作りもらったら警戒するって夫が昔言ってたもの」


 それじゃあね、とルサルカは自分の作業台に戻っていった。フィアはリリスと並んでそれを見送る。彼女が言っていた意味がよく分からなかったフィアはリリスに尋ねようとしたその時。ぐしゃりと何かを握り潰す音がした。

 フィアはリリスを見上げ、思わず声を上げる。彼女の手にテリーヌの材料とするチョコレートの包みが握られていたからだ。


「リリス! チョコレートがぐちゃぐちゃになっちゃうよ!」

「あの女……『どうせお前には手作りチョコレート渡せるような、付き合っている男なんていないんだろ! ここに来るのは収録の為よね、当然ね』って言いたいんだわ!」


 ルサルカが去っていった方向を睨み、リリスはぎりぎりとチョコレートの包みを握り締めている。


「リリス! チョコレート!」


 フィアの再びの忠告にリリスははっと我に返ったようだ。笑顔でフィアを見下ろして彼女は言った。


「大丈夫よ、神様。どうせこのチョコレート溶かしちゃうんだもの」

「そ、そうだね……」


 フィアはこくこく頷いた。元に戻ったようだがリリスの放つ雰囲気がいつもと違う。変だ。

 ファンに頼まれサインをしてやっているモラクスが苦笑しながらこちらを見ている。スタッフ達もだ。

 自分には良く分からないが、他の皆は事情が分かるらしい。後で時間があれば聞こう、とフィアが考えたところで教室の先生が入ってきた。

 チョコレートのテリーヌ作りのはじまりだ。


 フィアは細かく砕いたチョコレートを入れたボウルに熱した生クリームを注いだ。溶かしバターも加え、チョコレートが溶けるように丁寧にかき混ぜた。

 隣でリリスが何かブツブツ言いながら同じ作業をしていた。


「なぁにが夫よ、手作りは警戒するよ!」


 どことなく殺気が漂っている。フィアは慌てて視線をボウルの中に戻した。

 見てない、聞いてない、関係ない、だ。


「チョコレート溶けて、しっかり混ざりましたかー?」


 すぐそばにまでやって来ていた先生の言葉にフィアは頷いた。


「じゃあ、そこに卵とお砂糖入れてくださいね。そして泡立て器でもったりするまで混ぜてください」


 うんうんとフィアは頷く。


「これは市販の板チョコでもできますよ。ちなみにお酒を入れても美味しいです。お好みで試してくださいね。オレンジピールにコアントロー、レーズンにラム酒、ナッツを入れても美味しいですね」


 フィアは作業を中断し、先生の言葉をメモした。今度シェイドに作ってあげるのだ。

 混ぜ終わったフィアはボウルにココアと薄力粉をふるって入れた。近くの作業台から他の生徒たちの華やいだ声が聞こえてくる。


「彼が好きそう!」

「夫と息子で好みが違うから二つ作ったほうが良さそうだわ」


 その途端、隣でかき混ぜているリリスの殺気が強くなった。心なしか混ぜる手の動きも荒い。

 フィアは結界を張ったほうが良いだろうかと真剣に悩んだ。もしくは他の生徒の声がリリスに聞こえないようにするとか。どうも他の生徒たちの会話が起爆剤のようだから。

 悩みながらフィアは教えられた通りボウルの中身をさっくりと混ぜ合わせる。用意されていたナッツも加えてみた。


「今回は薄力粉を入れましたけど、なくても作れますよ。ただ粉を入れたほうが型崩れしにくいです。粉を入れないならしっかり冷やして食べましょう」

「先生、フィア出来たよ」


 フィアは混ぜ終わったボウルを差し出す。


「じゃあ焼く準備をしましょう。リリスさんは?」

「え……あ、ああ。私も出来たわ」


 はっと我に返った様子でリリスが先生に返事をする。

 フィアはシートを敷いた型にボウルの中身を流し込んだ。そして言われた通り、型を持ち上げて作業台にトントンと軽く打ち付ける。空気を抜く作業だそうだ。

 リリスも憂鬱そうな表情で同じことをしている。

 二人は型を予熱しておいたオーブンに入れ、焼きはじめた。あとは焼き上がりを待つだけだ。その隙に険しい視線で周囲を見渡すリリスを置いて、モラクスへと近づく。リリス豹変の理由を聞くためである。

 近づいてくるフィアにモラクスは怪訝な表情を浮かべた。


「ねえねえ」

「神様、どうされました?」

「リリス変だよ」

「えっ、ああ……」


 モラクスは苦笑し、他のスタッフ達と顔を見合わせる。


「まあ何というか……コンプレックス刺激されちゃったって言うか……。ルサルカさんがいなければ、ここまでならなかったでしょうけど」


 モラクスの口からルサルカの名前が何故出てくるのだろうか。フィアが不思議そうな顔をしていたからか、モラクスは説明してくれた。


「彼女も昔女優だったんですよ。ベリアル様と結婚して引退しちゃいましたけど。リリスさんと彼女は昔から気が合わなくて」

「ふぅーん。仲悪いんだ」

「ええ。それにしても根本的に考え方が違うんだから、リリスさんも気にしなければいいのに」

「考え方?」


 フィアは意味が分からず首を傾げる。


「考え方と言うか、生き方と言うべきか……」


 突然モラクスが口を噤む。彼はじっとフィアの背後を見ていた。つられてフィアも振り返る。ルサルカがこちらに向かって歩いて来ていた。

 彼女はフィアとモラクスの近くで立ち止まる。


「お久しぶりね」

「ええ、お元気そうで何よりです。まさか貴女がここにいらっしゃるとは思いませんでした」

「そう? 私だって夫や息子に美味しいお菓子や料理つくりたいと思うもの」

「へぇ……。ご結婚前は『何かと言うと夫はーとか子どもはーとか言う女はウザい』って言ってらしたのに。ずいぶん変わられましたねぇ」


 モラクスが笑顔で言った言葉にルサルカの顔が一瞬引きつり、次の瞬間元の笑顔に戻った。


「私、そんなこと言った? 覚えてないわ」

「ええ、言われましたよ」

「そう。すごい記憶力ね」

「この程度当然です。台本おぼえなきゃいけない身ですからね。リリスさんの男っ気がないのも相変わらずですが、貴女の記憶力の悪さも相変わらずですね。いやぁ、懐かしい」

「……そろそろ焼きあがるから失礼するわ」

「ええ。記憶力悪いのは良いですけど、リリスさんに喧嘩ふっかけて収録の邪魔するなんて事がくれぐれもないようにお願いしますよ。リリスさんに男っ気ないのは無害ですが、貴女の記憶力の悪さは有害ですからね。くれぐれもお忘れになりませんように」


 踵を返し、ルサルカが去って行く。やれやれとため息をついてモラクスはそれを見送った。

 フィアはルサルカの背中とモラクスを見比べる。今のあれは一体何だったのだろうか。


「あ、ほら。神様も戻ったほうが良さそうですよ」


 そういえば、そろそろ焼きあがる時間だ。フィアは慌てて自分の作業台に戻った。

 チョコレートの良い香りを漂わせ焼きあがったそれは粗熱をとってから冷蔵庫に入れられた。あまりの簡単さにフィアは笑顔になる。


「簡単だったね」

「そうね。これなら私でも作れそう」


 フィアの言葉にリリスも頷いた。


「フィアね、シェイドに作ってあげるんだ!」

「勇者様、きっと喜ぶわ。私は……そうね。魔界中の目ぼしい男たちにばら撒くことにするわ。神様。合宿から戻ってきたら、ラッピング用品を一緒に買いに行きましょう」

「うん!」


 二人で雑談しているとあっという間に時間がたった。冷蔵庫の中から型を取り出す。

 フィアとリリスはこれから試食がある為、お湯で温めたナイフで切り分けた。


「美味しそう!」


 切り口からは中に入れたナッツが見える。モラクスとスタッフ達が寄ってきた。

 フィアは早速とばかりに自分の作ったテリーヌを口に入れた。


「んにゃー、美味しい……」


 しっとりとして濃厚。その口どけは一度だけ食べたことがある生チョコとやらにも似ている気がする。中に入っているナッツの香ばしさも相性が良い。

 先生の話だと常温ではもっと濃厚な味わいだと言う。


「うん、これは良いですね」


 珍しくモラクスが頷きながら言った。スタッフ達も食べながら頷いている。

 やった事といえば材料をいれて混ぜたくらいか。簡単で美味しい菓子の作り方を知る事が出来て嬉しくなった。


「じゃあ、私のも」


 リリスが自ら切り分けたテリーヌを勧めてくれる。彼女のはナッツが入っていないが、表面にココアパウダーがかけられている。これも美味しそうだ。

 フィアは手を伸ばし、一切れ手にとった。そして迷わず口にいれる。

 次の瞬間、フィアは凍りついた。他のスタッフ達の顔も引きつっている。


「こ、これは……」

「に、にがい……」


 フィアはあまりの苦さに吐き出したくなった。ビターチョコレートなんてレベルではない。これは人間達が飲む薬とやらの味ではないだろうか。

 試食をした者たちは皆顔を引きつらせている。フィアは殆ど噛まずに頑張って飲み込んだ。そして用意されていた茶で流し込む。


「馬鹿な事言わないで。神様と同じ材料で作ったのよ?」


 リリスはそんな訳ないと一切れつまみ、口に入れた。瞬く間に彼女の顔は強張る。そして俯いてしまった。

 モラクスもお茶でリリスのテリーヌを流し込み、口を開いた。


「何でしょう……ミルクチョコレートで作ったのに、このカカオ九十九パーセントのような苦味……」

「これは怨嗟の味よ」


 モラクスの言葉を遮って、リリスは言った。彼女は顔をあげ、その場の者たちを見渡し再び言う。


「これは私の怨嗟の味なんだわ」

「た、確かに……かき混ぜながら殺気と魔力が迸っていましたね。隣にいたのが神様で良かったですね……。他の方だったら身の危険がありましたよ」


 リリスはモラクスの言葉に頷くと、残ったテリーヌののった皿をずいっと皆に差し出した。


「り、リリスさん?」

「さあ、皆さんしっかり食べて。何なら持ち帰って頂戴」


 リリスが皿を突き付けながら、近づいてくる。フィアとモラクス、スタッフたちが追い詰められジリジリと後退した。


「嫌ですよ、貴女の怨嗟の味なんて! 持って帰ったりしたら呪われそうじゃないですか!」


 モラクスの叫びに皆が頷く。逃げられるスタッフはさっさと教室から逃げて行く。フィアは顔が引きつった。

 かくしてヴァレンタイン特別回はドキドキクッキングはじまって以来の恐怖の回となったのである。放送日の反響が恐ろしい。



 ***



「ただいまー」


 今日は散々な目にあったとフィアはげっそりしながら家にあがる。


「おかえり。どうした?」


 疲れきったフィアの様子にシェイドが目を丸くして尋ねた。怨嗟の味に答える気力すら奪われたフィアは首を横に振る。


「よく分からんが大変だったみたいだな。もうじき夕食出来るから風呂入ってこい。今日はハンバーグのデミグラスソース煮込みだ」

「ハンバーグ!」


 しかもデミグラスソース煮込み。フィアは自分の好物に思わず顔をあげた。

 これは落ち込んでいられない。明日から合宿でしばらくシェイドのご飯とはお別れなのだ。

 フィアは風呂場へと駆け込んだ。そして急いで入浴を済ませ、着替えて茶の間にはいる。コタツに足を入れ、そわそわしながら待った。

 程なくしてシェイドが皿を手に入ってくる。目の前に煮込みハンバーグが盛られた皿が置かれた。


「皿、熱いから気をつけろ」


 シェイドの言葉に頷く。皿ごとオーブンに入れられていたのだろう。

 フィアはさっそく箸を手にした。デミグラスソースの中のハンバーグは上にチーズがのせられている。フィアの好きな芋をはじめとした野菜がハンバーグに添えられていた。まずはハンバーグから食べた。

 蕩けたチーズのまろやかさ、ほろ苦いデミグラスソースが肉の味と交わる。フィアは苦いものは嫌いだ。だがこのデミグラスソースだけは別物である。ご飯と一緒に食べても美味しい。普段は食べない大嫌いな野菜もこのソースのお陰で多少は食べられる。


「デザートはりんごのコンポートだ」

「フィアの好きなものばかりだね!」

「まあ、今日は特別ってことで」


 フィアはうんうんと頷く。

 そういえば自分がシェイドと十日も離れて生活するのは多分はじめてである。肉体がなくなっていた二十五年間は自分に意識がなかったから別だ。

 それを考えると少し寂しくなった。十日は教習所の幼体寮で一人で生活しなければならない。

 だが寂しくて逃げ帰るなんて出来ないのだ。頑張って免許をとると決めたのだから。


「フィア頑張る」

「ああ、帰って来る日にはまたフィアの好きな物つくっとくよ」


 そういえば教習所は同じ入校日の幼体が三人いると言っていた。魔界でも友達が出来るといいなと考えながら、フィアはハンバーグを頬張った。

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