6-6 守りたい、このお尻
「いいよいいよ、もうやめて、下ろして! 重いでしょ!? 有瀬くんの腕が折れちゃうよ!」
「全然重くない。このくらいで折れるような軟弱な腕してない。まだ届かねぇんなら、もうちょい下持つか?」
もうちょい下って……まさか、お尻!?
お尻はダメだ、お尻はマズい、お尻はお腹よりデンジャラスだ!
観念して、私はポールを掴んだ。
「届いたよ! 掴んだよ! もう離していいよ! ありがとね、有瀬くん!」
「わかった」
有瀬くんの手が、やっと私のぽよついた腹から離れる。が、次の瞬間。
「ぎおっ!」
可愛さも欠片もない、情けない悲鳴が喉から洩れ出た。いきなり両腕に己の全体重がかかったせいだ。
そうだよね、支えがなくなったら自力で頑張るしかないよね! わかってたけどさ!
「そのまま体を引き上げて顎をバーまで持っていく。簡単だろ?」
「うぐっ、うん! んがっ、か、簡単だね! やり方はわかったから、有瀬くんは早くボルダリングに戻って! 速やかに戻ってくださぁい!」
隣から指導する有瀬くんに、私は両腕を責め苛む苦痛を堪えて懇願した。すると有瀬くんはすぐにボルダリングを再開してくれた。
良かった、これで真下から見上げられてパンツをチラ見せする危機も、お尻周りを掴まれることでうっかりずり上がったスカートからパンツをチラ見せする危機も去った。
だって、見られるわけにはいかないよ……尻にどデカく『うんち、むりり。』って毛筆体で描かれてるパンツなんて!
ああ、服だけじゃなくて下着も着替えるんだった。
まだ『おけつ、どふん。』の方がマシだったかも……『おなら、ぼぶう。』よりひどいじゃないの!
三枚セットで五百円ポッキリだからってシャレで買っただけなのに、こんなシャレにならない事態になるなんて聞いてないよーー!!
「……那由多、何で泣いてるんだ?」
「えぐっ、おごっ、感動じで! 懸垂マジンに乗るなんで、初めでだっだがらざ!」
「ふーん、そうなのか。良かったら、これ食うか? ちょっと分けてやる」
有瀬くんが天井から手を伸ばして、私の唇にチョコスナックを捩じ込む。
あ、これ『またぎの焚き火』だ。『まいたけの森』と『わらびの園』みたいに論争が起こるほどの人気はないけど、ふとした時に食べたくなる魅力があるんだよね……って待て待て待て、詰め込みすぎだよ! 全然ちょっとじゃないじゃん! 息できない! ただでさえ瀕死だっていうのにトドメ刺す気か!?
正直、腕は限界だ。しかし、絶対に落ちてはいけない。
私のスカートはミニのフレアタイプだ。そして、有瀬くんはクモみたいに天井に張り付いている。体勢的に考えて、落ちたらスカートが捲れ上がって、お尻側のパンツが見えるのは確実。何としても守りたい、このお尻。
だくだくと涙と汗を流しながら、私は死にそうになりながらも腕を踏ん張り、有瀬くんが移動して離れてくれるのを待った。なのに。
「まだ足りないのか? じゃあ……仕方ねぇ、これもやる」
チョコスナックでいっぱいになった口に、さらにつぶピーまで押し込まれてくる。
もう無理もう無理、もうむりりーー!!!!
「……っ那由多!」
ずるりと手を滑らせて落ちる私の名を、有瀬くんが鋭く呼ぶ。自分の口から飛び出るお菓子が、スローモーションで目に映る。
見えるならせめて無地の前がいい、それ一心で私は懸命に体を捻った。
後頭部から床に激突する――ことは、なかった。代わりに遅れて、憎きパンツを履いたお尻を鈍く重い衝撃が襲う。
「げこっ!」
カエルみたいな声を上げると、また口からお菓子を噴いた。
したたかに打ち付けたお尻は焼けるように痛むし、ポップコーンになった気分だ。
「大丈夫、頭は守った。良かったな、俺がいなかったらバカになるとこだったぞ」
真上から、有瀬くんが心配そうに言う。
真上といっても天井じゃなくて、言葉通り本当に真上。私の体の上に、有瀬くんがいる――なんて、最初は気付かなかった。焦点を合わせるのも難しいくらい至近距離だったから。
後頭部をぶつけなかったのも、有瀬くんが咄嗟に飛び降りて、抱きかかえるようにして手でガードしてくれたおかげで。
つまり私は今、彼の胸に抱えられて押し倒されたような格好になってるわけで。
何これ……?
触れ合う部分から体温が伝わってくるんですけど。触れていない肌からも、発せられる熱が感じられるんですけど。お風呂上がりじゃないはずなのに、シトラス系の良い匂いがするんですけど。
私の決して細くはない体もすっぽり胸の中に収まっちゃって、男の子っていうより男の人って感じで……心臓が大爆音で大暴動ライオット起こしてるんですけど!?
「あっ、ありありありあり」
唐突に訪れたラッキースケベシチュに頭が回らず、感謝の言葉を言いたくても言葉にならない状態になっていたら、有瀬くんがさらにお綺麗でお美しくお麗しいお顔を近付けてきた。
「あ、そうだ、せっかくだしキスでもするか? 恋人らしいことやっといた方が、閻魔さんに認めてもらいやすいだろ」
途端に、全身を駆け巡る熱とヘヴィメタル化していた鼓動はスンッと冷めた。




